メカニズム(16)
ドライバーの飛距離が伸びる。ゴルフをしたこともない自分だが、その快感は簡単に想像できた。上達という幸福がある。停滞という不安もある。無我夢中という恍惚もあって、生あくびという退屈さもある。
若者は、伸びる余地がある。老いたるものは、かわすテクニックがある。牛と闘牛士の話のようだ。若いときに選んだ職業がある人間の一生の歩みを拘束する。ひとは従事したものでかたどられる。銀行員はまさしく銀行員のように。売人は売人のように。集金という類似の形態をとっても、外見はかように異なってしまう。
ひとみの知り合いだった女性の女優としての主演映画が作られる。手の届かないところに行ってしまう。ぼくらは尻尾をつかむような意気込みで映画館に向かった。他人になるとお金が貰える仕事。他にそういうものがあるのかぼくは鑑賞しながら考えている。ピエロ。教師や警察官。これは反対だ。不道徳に傾くと、職業を首になる。では、自分ってなんだ?
「きれいになったね」とひとみは感想を言う。
「そんなに?」
「そんなに。視線を意識するって、とても重要なことだから」
「ひとみも、もう少し頑張れば、あれぐらいになれたんじゃないのかな」
「自分の実力なんか。いちばん自分が知ってないと」
ぼくは知らない。なにものでもない。無職で女性の稼ぎに頼っている男。飛距離は伸びるかもしれず、ここらが限界かもしれない。池ポチャから這い上がる力を有し、反対に何度も池ポチャを繰り返すかもしれない。明日はどちらにしろ分からない。
「いっしょに行動しているから、きょうは物語はなしだよ」
「いいよ。たまには休憩しなくちゃ。わたしだって、鬼じゃなし」
「鬼嫁じゃなし」
「え?」
「そういう単語もあるんだなって。あるから、いる。いるからある」
怖い嫁の監視下にいる男性の話を思い付く。明日は、これだ。ひとみは職業と関係なく清楚に見える。ぼくはトイレの鏡で確認すると、どうやら無精ひげを生やす姿は無職そのままの証明のようだった。職業が容貌を規定して、そこから振り落とされてもまったく答えは同じようだった。
ドライバーの飛距離が伸びる。ゴルフをしたこともない自分だが、その快感は簡単に想像できた。上達という幸福がある。停滞という不安もある。無我夢中という恍惚もあって、生あくびという退屈さもある。
若者は、伸びる余地がある。老いたるものは、かわすテクニックがある。牛と闘牛士の話のようだ。若いときに選んだ職業がある人間の一生の歩みを拘束する。ひとは従事したものでかたどられる。銀行員はまさしく銀行員のように。売人は売人のように。集金という類似の形態をとっても、外見はかように異なってしまう。
ひとみの知り合いだった女性の女優としての主演映画が作られる。手の届かないところに行ってしまう。ぼくらは尻尾をつかむような意気込みで映画館に向かった。他人になるとお金が貰える仕事。他にそういうものがあるのかぼくは鑑賞しながら考えている。ピエロ。教師や警察官。これは反対だ。不道徳に傾くと、職業を首になる。では、自分ってなんだ?
「きれいになったね」とひとみは感想を言う。
「そんなに?」
「そんなに。視線を意識するって、とても重要なことだから」
「ひとみも、もう少し頑張れば、あれぐらいになれたんじゃないのかな」
「自分の実力なんか。いちばん自分が知ってないと」
ぼくは知らない。なにものでもない。無職で女性の稼ぎに頼っている男。飛距離は伸びるかもしれず、ここらが限界かもしれない。池ポチャから這い上がる力を有し、反対に何度も池ポチャを繰り返すかもしれない。明日はどちらにしろ分からない。
「いっしょに行動しているから、きょうは物語はなしだよ」
「いいよ。たまには休憩しなくちゃ。わたしだって、鬼じゃなし」
「鬼嫁じゃなし」
「え?」
「そういう単語もあるんだなって。あるから、いる。いるからある」
怖い嫁の監視下にいる男性の話を思い付く。明日は、これだ。ひとみは職業と関係なく清楚に見える。ぼくはトイレの鏡で確認すると、どうやら無精ひげを生やす姿は無職そのままの証明のようだった。職業が容貌を規定して、そこから振り落とされてもまったく答えは同じようだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます