(60)
また4月になった。会社から何人かがいなくなり、それより少ない数の人間が充填され、新しい顔ぶれの人がデスクに向かっている。ぼくも、いくらかする仕事に変更があり、おとなの読むべき本ということで、2ページほどの書評を受け持つことになった。そのために、本屋に繁々と通い、読む時間も勤務中に作ってもらうことが出来た。
時間的にゆとりができて、新しい本の場合は、出版社の人と話したり、その作品の生みの親とも会うことができた。だが、主に読むのは、もう生存をしていない人たちで、その人たちの歴史を振り返ることも多々あった。
カメラマンを連れては、その作家の眠っている墓地に行ったり、生家が残っているときには、そこに日帰り取材にも行った。こうした仕事が楽しくないわけはなく、歴史と地理への興味も満たされていく。
何もないところから画期的なものを作り出す人もいるが、彼らは表面的な華やかさがない分だろうか、当然得るべき尊敬を受けていないような気もする。その反面、その頃の若者は、(もちろん自分も含む)何の努力もしないで聴衆の視線を手に入れることばかり考えているようだった。そのことは、現在も続いているのだろう。
現在の評価だけが正当なものだとしたら、誰も歴史など愛さないかもしれない。しかし、振り返ったり、将来を予測して行動したりする能力が人間には備わっているので、そのことには無頓着でいようとも、自分は思ったはずだ。
そのような仕事にうつった良い方向での変化を、みどりは素直に喜んでくれた。彼女のいつもの笑顔が、ぼくの人生にもたらした喜びを忘れることはできないだろう。ぼくの隠れている才能というのがもしあるならば、それを最初にみつけ評価してくれるのは、いつも彼女だった。そんな存在をふつうの人は持っていないかもしれないということを知るのは、もっと先のことだった。
逆に、彼女の存在の良さも自分は同じように感じていたかは、少しだけだが疑問だった。だが、やれるべきことは、したかもしれないし、褒め言葉が彼女に見合うだけ言えてきたかと問われれば、否定するしかなかった。
そんな彼女は、Jリーグ開幕に向けての仕事で大忙しだった。まだ、その頃の自分もサッカーというスポーツが日本でも市民権を得るということに懐疑的だったかもしれない。しかし、チームは作られ、外国人選手も補強され、準備だけは整ったように思えた。
世の中でタイミングだけがすべてであるならば、その時をやり過ごせば、サッカーのプロ化というものの実現は不可能だったかもしれない。多分、さまざまなことが到来するタイミングを待ち侘び、誰かが石をひっくり返して探し当ててくれることを待っているのだろう。自分も、もっと大きな人間になるためには、見られていないところでの頑張りを、ある日誰かが陽の目のあたる場所に引っ張り出してくれるのを、一心に待つことになるのだろう。それは、決して来ないかもしれないが。
ゴールデンウイークになり、ニューヨークから飛行機が来る。その中に由紀ちゃんは乗っているはずだ。居ない間も何度か連絡を取り、ぼくのいる会社の女性のための雑誌の編集に加わることになっていた。彼女には社内に偉くなってしまった兄がいる。その人は、家族だからと言って、評価を変えるようなことはしないはずだ。自分にも厳しく、他人にも平等に厳しい人だった。なので、即戦力にならなければならない、という彼女もプレッシャーを感じていることだろう。
日本に戻って、家に着いたという連絡をもらった。新しく独り暮らしのマンションは兄によって用意されていた。その部屋からの電話で大体の場所は分かり、電話の終わりに今度、遊びに来てと誘われた。その前に、会社内で会う方が先のはずだ。自分は、人から見られて恥ずかしくない仕事ができているのだろうかと自分に問うた。
みどりの家のそばの土手で、ビールを片手にグラウンドを眺めている。5月の陽気と怠惰な気持ちが見事に釣り合っているような日だった。大きなグラウンドで野球のユニフォームに包まれてボールを追いかけている少年たちがいる。その横ではサッカーボールの動きに群がる少年たちもいた。人を騙すことなどもなく、自分のこころを偽ったり、騙したり虚栄もなかったあの頃の自分が蘇ってくる。
彼らもスポーツをして、喜びを感じ、限界に脅え、淘汰され大人になっていくのだろう。そのときには、もっと世の中はましな形体になっているのだろうか、と頭の中で考えたが眼だけは彼らの姿を追っていた。
また4月になった。会社から何人かがいなくなり、それより少ない数の人間が充填され、新しい顔ぶれの人がデスクに向かっている。ぼくも、いくらかする仕事に変更があり、おとなの読むべき本ということで、2ページほどの書評を受け持つことになった。そのために、本屋に繁々と通い、読む時間も勤務中に作ってもらうことが出来た。
時間的にゆとりができて、新しい本の場合は、出版社の人と話したり、その作品の生みの親とも会うことができた。だが、主に読むのは、もう生存をしていない人たちで、その人たちの歴史を振り返ることも多々あった。
カメラマンを連れては、その作家の眠っている墓地に行ったり、生家が残っているときには、そこに日帰り取材にも行った。こうした仕事が楽しくないわけはなく、歴史と地理への興味も満たされていく。
何もないところから画期的なものを作り出す人もいるが、彼らは表面的な華やかさがない分だろうか、当然得るべき尊敬を受けていないような気もする。その反面、その頃の若者は、(もちろん自分も含む)何の努力もしないで聴衆の視線を手に入れることばかり考えているようだった。そのことは、現在も続いているのだろう。
現在の評価だけが正当なものだとしたら、誰も歴史など愛さないかもしれない。しかし、振り返ったり、将来を予測して行動したりする能力が人間には備わっているので、そのことには無頓着でいようとも、自分は思ったはずだ。
そのような仕事にうつった良い方向での変化を、みどりは素直に喜んでくれた。彼女のいつもの笑顔が、ぼくの人生にもたらした喜びを忘れることはできないだろう。ぼくの隠れている才能というのがもしあるならば、それを最初にみつけ評価してくれるのは、いつも彼女だった。そんな存在をふつうの人は持っていないかもしれないということを知るのは、もっと先のことだった。
逆に、彼女の存在の良さも自分は同じように感じていたかは、少しだけだが疑問だった。だが、やれるべきことは、したかもしれないし、褒め言葉が彼女に見合うだけ言えてきたかと問われれば、否定するしかなかった。
そんな彼女は、Jリーグ開幕に向けての仕事で大忙しだった。まだ、その頃の自分もサッカーというスポーツが日本でも市民権を得るということに懐疑的だったかもしれない。しかし、チームは作られ、外国人選手も補強され、準備だけは整ったように思えた。
世の中でタイミングだけがすべてであるならば、その時をやり過ごせば、サッカーのプロ化というものの実現は不可能だったかもしれない。多分、さまざまなことが到来するタイミングを待ち侘び、誰かが石をひっくり返して探し当ててくれることを待っているのだろう。自分も、もっと大きな人間になるためには、見られていないところでの頑張りを、ある日誰かが陽の目のあたる場所に引っ張り出してくれるのを、一心に待つことになるのだろう。それは、決して来ないかもしれないが。
ゴールデンウイークになり、ニューヨークから飛行機が来る。その中に由紀ちゃんは乗っているはずだ。居ない間も何度か連絡を取り、ぼくのいる会社の女性のための雑誌の編集に加わることになっていた。彼女には社内に偉くなってしまった兄がいる。その人は、家族だからと言って、評価を変えるようなことはしないはずだ。自分にも厳しく、他人にも平等に厳しい人だった。なので、即戦力にならなければならない、という彼女もプレッシャーを感じていることだろう。
日本に戻って、家に着いたという連絡をもらった。新しく独り暮らしのマンションは兄によって用意されていた。その部屋からの電話で大体の場所は分かり、電話の終わりに今度、遊びに来てと誘われた。その前に、会社内で会う方が先のはずだ。自分は、人から見られて恥ずかしくない仕事ができているのだろうかと自分に問うた。
みどりの家のそばの土手で、ビールを片手にグラウンドを眺めている。5月の陽気と怠惰な気持ちが見事に釣り合っているような日だった。大きなグラウンドで野球のユニフォームに包まれてボールを追いかけている少年たちがいる。その横ではサッカーボールの動きに群がる少年たちもいた。人を騙すことなどもなく、自分のこころを偽ったり、騙したり虚栄もなかったあの頃の自分が蘇ってくる。
彼らもスポーツをして、喜びを感じ、限界に脅え、淘汰され大人になっていくのだろう。そのときには、もっと世の中はましな形体になっているのだろうか、と頭の中で考えたが眼だけは彼らの姿を追っていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます