(57)
将来への見込み、甘い見通しで経済の失敗があるように、人間もさまざまな計画の破たんにぶつかる。しかし、希望をもたない人生になんの魅力があるのだろう。希望を失った瞬間に、死は確実に近づいて来るのだろう。
誰かの良さを受け継いで、自分のものにするチャンスは常にあり、そうした気持ちを開いておけば、いずれ訪れた機会を見逃すことはないだろう。だが、誰かがいての話だ。
自分の気持ちの死もあるが、実際の死にも直面しなければならない。1992年も終わろうとしていた時期だ。ずっとお世話になっていた社長が、ある日突然亡くなった。いつも健康そうでいて、ユーモアも兼ね備えている見習うべき模範のような人だった。これから先の長い期間を通して、さまざまなノウハウを会得する未来も、急に潰えてしまった。こんなにも悲しい気持ちに包まれることに、自分自身でも驚いていた。
亡くなった人を見送らなければならない。たくさんの人が葬儀に参列していた。その弔問客の後ろの方に、由紀ちゃんの顔が見えた。彼女はニューヨークの雑誌社で勉強しているはずだった。久しぶりに見る女性の変化にこころが動くことがよくあったが、彼女の美しさとその変化にも驚いてしまった。目でぼくを見つけると、無理してでも微笑むような表情をした。ぼくも軽く会釈をして応対した。
その人を亡くした瞬間には、こころの停止状態のような期間があって、それを通過した時の方が悲しさが倍増することもある。ひとりにはなりたくなくて、誰かがそばにいてくれることを切実に熱望する。その時に、みどりは休めなかったし、忙しさの真っ最中でもあった。
このまま年末の休暇を日本で過ごす予定に変更した由紀ちゃんと会うことになった。彼女の兄は、ぼくの部署の担当部長だ。彼の嫁のお父さんが、亡くなった社長である。部長と社長には考えかたの相違があり、不思議と由紀ちゃんと社長は仲が良かった。
彼女のニューヨークでの生活を楽しく聞かせてもらった。自分も、将来他の国で生活することが出来れば良いと考えていた。しかし、こうしたことにはなぜか女性の方が、度胸があった。普段の彼女の生活の一面がうかがい知れ、たくさんの質問もしたかったが、その一部をきくことで精一杯だった。
仕事が終わった後や、休みの間も由紀ちゃんと会うことがあった。彼女は、熱心にぼくの話に耳を傾け、普段は感情をそれほど出さない自分なのだが、饒舌にしてしまうなにかを彼女が持っていることにびっくりもした。その為か、時間は急速に過ぎ去り、またその時間自体を愛惜しむように、ぼくらは会話した。また、次に会える約束も自然と見つけるようにもした。
みどりは年末に実家に帰った。忙し過ぎて、なにもしない時間を必要としてした。親元に戻り、自分の巣で必死に眠る小さな動物のように暮らすのだろう。それに参加することも、また抵抗することも自分にはなかった。それが愛から出たのか、長い間に自然にできあがった形式なのかは、自分にも分からなかった。
年があけ、年始早々由紀ちゃんは再びニューヨークに飛び立った。きちんとこちらに戻るのは4月か5月になるとのことだった。いままでは全く連絡をしなかったのだが、今回はこの数カ月近況ぐらいは伝えあうことを約束した。その戻ってくる日を、指折り数えるように待ち望んでいる気持ちが、自分には確かにあった。
新しい年になり、人事面では部長がスライドして、社長の座に就きそうだった。前ほど、社内にはゆとりの空気は流れないことは確実だろう。その面で不満をもつ人もいるかもしれないし、かえってやり易いという人もいるだろう。万人の平和など、どこにもないのは知っているが、自分は、うまく渡りきれるよう努力することしか考えていなかった。
みどりも東京に戻ってきた。
彼女の部屋に座っている。暖房の風が薄いカーテンにぶつかって揺れている。そのカーテンから日差しが入り込んできていた。休暇も終わろうとしている。自分の気持ちに正直であるならば、世の中で衝突は避けられないだろう。自分とみどりとの関係は、すぐに崩れるような間柄ではなくなっているが、耐久年度があるならば、この辺でじっくり点検が必要だったかもしれない。だが、建物に大幅な水漏れもなければ、外傷もほとんど見られない。その所為で、語り合ったりして、チェックすることを怠っていた。問題はある日、ふと浮かび上がるものだろうか。それとも、見えないところに沈んだような形で、存在を示そうとしているものだろうか。
将来への見込み、甘い見通しで経済の失敗があるように、人間もさまざまな計画の破たんにぶつかる。しかし、希望をもたない人生になんの魅力があるのだろう。希望を失った瞬間に、死は確実に近づいて来るのだろう。
誰かの良さを受け継いで、自分のものにするチャンスは常にあり、そうした気持ちを開いておけば、いずれ訪れた機会を見逃すことはないだろう。だが、誰かがいての話だ。
自分の気持ちの死もあるが、実際の死にも直面しなければならない。1992年も終わろうとしていた時期だ。ずっとお世話になっていた社長が、ある日突然亡くなった。いつも健康そうでいて、ユーモアも兼ね備えている見習うべき模範のような人だった。これから先の長い期間を通して、さまざまなノウハウを会得する未来も、急に潰えてしまった。こんなにも悲しい気持ちに包まれることに、自分自身でも驚いていた。
亡くなった人を見送らなければならない。たくさんの人が葬儀に参列していた。その弔問客の後ろの方に、由紀ちゃんの顔が見えた。彼女はニューヨークの雑誌社で勉強しているはずだった。久しぶりに見る女性の変化にこころが動くことがよくあったが、彼女の美しさとその変化にも驚いてしまった。目でぼくを見つけると、無理してでも微笑むような表情をした。ぼくも軽く会釈をして応対した。
その人を亡くした瞬間には、こころの停止状態のような期間があって、それを通過した時の方が悲しさが倍増することもある。ひとりにはなりたくなくて、誰かがそばにいてくれることを切実に熱望する。その時に、みどりは休めなかったし、忙しさの真っ最中でもあった。
このまま年末の休暇を日本で過ごす予定に変更した由紀ちゃんと会うことになった。彼女の兄は、ぼくの部署の担当部長だ。彼の嫁のお父さんが、亡くなった社長である。部長と社長には考えかたの相違があり、不思議と由紀ちゃんと社長は仲が良かった。
彼女のニューヨークでの生活を楽しく聞かせてもらった。自分も、将来他の国で生活することが出来れば良いと考えていた。しかし、こうしたことにはなぜか女性の方が、度胸があった。普段の彼女の生活の一面がうかがい知れ、たくさんの質問もしたかったが、その一部をきくことで精一杯だった。
仕事が終わった後や、休みの間も由紀ちゃんと会うことがあった。彼女は、熱心にぼくの話に耳を傾け、普段は感情をそれほど出さない自分なのだが、饒舌にしてしまうなにかを彼女が持っていることにびっくりもした。その為か、時間は急速に過ぎ去り、またその時間自体を愛惜しむように、ぼくらは会話した。また、次に会える約束も自然と見つけるようにもした。
みどりは年末に実家に帰った。忙し過ぎて、なにもしない時間を必要としてした。親元に戻り、自分の巣で必死に眠る小さな動物のように暮らすのだろう。それに参加することも、また抵抗することも自分にはなかった。それが愛から出たのか、長い間に自然にできあがった形式なのかは、自分にも分からなかった。
年があけ、年始早々由紀ちゃんは再びニューヨークに飛び立った。きちんとこちらに戻るのは4月か5月になるとのことだった。いままでは全く連絡をしなかったのだが、今回はこの数カ月近況ぐらいは伝えあうことを約束した。その戻ってくる日を、指折り数えるように待ち望んでいる気持ちが、自分には確かにあった。
新しい年になり、人事面では部長がスライドして、社長の座に就きそうだった。前ほど、社内にはゆとりの空気は流れないことは確実だろう。その面で不満をもつ人もいるかもしれないし、かえってやり易いという人もいるだろう。万人の平和など、どこにもないのは知っているが、自分は、うまく渡りきれるよう努力することしか考えていなかった。
みどりも東京に戻ってきた。
彼女の部屋に座っている。暖房の風が薄いカーテンにぶつかって揺れている。そのカーテンから日差しが入り込んできていた。休暇も終わろうとしている。自分の気持ちに正直であるならば、世の中で衝突は避けられないだろう。自分とみどりとの関係は、すぐに崩れるような間柄ではなくなっているが、耐久年度があるならば、この辺でじっくり点検が必要だったかもしれない。だが、建物に大幅な水漏れもなければ、外傷もほとんど見られない。その所為で、語り合ったりして、チェックすることを怠っていた。問題はある日、ふと浮かび上がるものだろうか。それとも、見えないところに沈んだような形で、存在を示そうとしているものだろうか。
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