(41)
寒い日が続いていたが、春や初夏をたのしむ記事を掲載すべく会議をおこなっていた。日中の脳の空白の時間があり、そのときもそのような隙間に頭を突っ込んでいた。
窓の外には、ビルの隙間から青空がみえ、またその間をぬって飛行機雲ができていた。実現化をせまられている問題もあることにはあったが、ぼんやりとした未来を空想のゲームとして、考えている状態だ。
何本かの電話をする。外見を、美しさを保つことによって、仕事にありつける人たちがいる。自分は、そうしたギフトを与えられないでいる。しかし、多くの人はそのようなものは与えられないで、生活している。拠り所としては、小さな掛け金と、自分の能力の度合いによって得られた努力のかけらのようなものをかき集めて、自分の生活を組み立てていく。
必然的に、幸福は自分に見合った大きさになる。
だが、電話をかけている相手は、雑誌を美しいものにするには欠かせない人たちだ。彼らのスケジュールを確保し、それ相応の報酬をはらい、彼らのある一日を切り取って、紙面に象徴的にのり付けをする。
となりのデスクには、音楽について詳しい知識をもっている同僚のデスクがある。その上にはCDが山積みになっている。日に日にその高さも伸び、たまに座席の下の段ボールに無造作に放り込まれていく。
彼のために月に何回かコーヒーを買ってくるので、そのCDの山から無断で家に持ち帰っても良いという契約を結ぶ。ときには、彼の簡易な記事のためのメモが入っていて、それも勝手に読み、自分の音楽という広大な砂漠に水を与えるような状況が生まれる。知らないことは、誰かに頭を下げて覚えるほど、簡単なものはないだろう。
自分には、人にたいして、参考にできるような何かを有しているのかが疑問になる。それは、「流行の先取り」という架空の見えないゴーストに縛られている場所に存在しているからには、消えない疑問でもあった。
みどりには、はっきりとした目標があった。これから、成長が望まれるサッカーという分野での陰ながらの後押しと、純粋な気持ちでの応援。自分は、あるべき何かが常に揺らぎ、目標も定まらないので軸足はぶれ、その途中での努力も一時的なごまかしのような形のものになっていく。
歴史のなかで古びない何かを生み出せる表現者になるというのが、最終的な目標といえば、それが目標になるのだが、そのためには、時には人生の中で挫折をし、幸運は、するりと手の平から抜け、やることなすこと裏目になってしまうような場面に遭遇しなければならないとも考えていた。その面からいえば、自分の境遇は幸運でありすぎるともいえた。
こうして、ぼんやりと自分の人生の設定のあれこれを考えていると、コーヒーでも飲みに来い、という社長からの内線があった。彼は、たまに自分の立場をとびこえて、あまりにも無防備に行動をおこすことのあることが知られていた。その、無茶に付き合わされるのに自分はもってこいなのか、作戦も考えられずに、社長の部屋のドアを叩いた。
最近のぼくの仕事ぶりをほめ、ほめられると浮足立ち、そこで注意を喚起されるというのが定番だったが、この日は、ただ、ほめられただけだったので、いささか拍子抜けもした。あとは、ニューヨークに消えた由紀ちゃんの現在の生活をいくらか教えてもらった。
「君も、それぐらいのことは知っているのか?」
「いえ、ぜんぜん連絡もとっていません」という事実だけを述べた。
「君は、ああいう子のことに関心はないのかね」
返答を待つのでもなく、自分の若い時はああだった、というある年代の特徴のはなしをした。それには、頷くだけしか出来なかった。それ以上に、自分にはなにができるだろう?
頭がはたらかない一日だったなと、軽い反省をしながら、となりの部署の同期に声をかけられた。用件は、となりのビルのOLたちと仲良くなり、飲み会をするので、お前もくれば、ということだった。断る理由もセリフも自分は浮かばず、言われたままに寒い戸外にでた。
寒い日が続いていたが、春や初夏をたのしむ記事を掲載すべく会議をおこなっていた。日中の脳の空白の時間があり、そのときもそのような隙間に頭を突っ込んでいた。
窓の外には、ビルの隙間から青空がみえ、またその間をぬって飛行機雲ができていた。実現化をせまられている問題もあることにはあったが、ぼんやりとした未来を空想のゲームとして、考えている状態だ。
何本かの電話をする。外見を、美しさを保つことによって、仕事にありつける人たちがいる。自分は、そうしたギフトを与えられないでいる。しかし、多くの人はそのようなものは与えられないで、生活している。拠り所としては、小さな掛け金と、自分の能力の度合いによって得られた努力のかけらのようなものをかき集めて、自分の生活を組み立てていく。
必然的に、幸福は自分に見合った大きさになる。
だが、電話をかけている相手は、雑誌を美しいものにするには欠かせない人たちだ。彼らのスケジュールを確保し、それ相応の報酬をはらい、彼らのある一日を切り取って、紙面に象徴的にのり付けをする。
となりのデスクには、音楽について詳しい知識をもっている同僚のデスクがある。その上にはCDが山積みになっている。日に日にその高さも伸び、たまに座席の下の段ボールに無造作に放り込まれていく。
彼のために月に何回かコーヒーを買ってくるので、そのCDの山から無断で家に持ち帰っても良いという契約を結ぶ。ときには、彼の簡易な記事のためのメモが入っていて、それも勝手に読み、自分の音楽という広大な砂漠に水を与えるような状況が生まれる。知らないことは、誰かに頭を下げて覚えるほど、簡単なものはないだろう。
自分には、人にたいして、参考にできるような何かを有しているのかが疑問になる。それは、「流行の先取り」という架空の見えないゴーストに縛られている場所に存在しているからには、消えない疑問でもあった。
みどりには、はっきりとした目標があった。これから、成長が望まれるサッカーという分野での陰ながらの後押しと、純粋な気持ちでの応援。自分は、あるべき何かが常に揺らぎ、目標も定まらないので軸足はぶれ、その途中での努力も一時的なごまかしのような形のものになっていく。
歴史のなかで古びない何かを生み出せる表現者になるというのが、最終的な目標といえば、それが目標になるのだが、そのためには、時には人生の中で挫折をし、幸運は、するりと手の平から抜け、やることなすこと裏目になってしまうような場面に遭遇しなければならないとも考えていた。その面からいえば、自分の境遇は幸運でありすぎるともいえた。
こうして、ぼんやりと自分の人生の設定のあれこれを考えていると、コーヒーでも飲みに来い、という社長からの内線があった。彼は、たまに自分の立場をとびこえて、あまりにも無防備に行動をおこすことのあることが知られていた。その、無茶に付き合わされるのに自分はもってこいなのか、作戦も考えられずに、社長の部屋のドアを叩いた。
最近のぼくの仕事ぶりをほめ、ほめられると浮足立ち、そこで注意を喚起されるというのが定番だったが、この日は、ただ、ほめられただけだったので、いささか拍子抜けもした。あとは、ニューヨークに消えた由紀ちゃんの現在の生活をいくらか教えてもらった。
「君も、それぐらいのことは知っているのか?」
「いえ、ぜんぜん連絡もとっていません」という事実だけを述べた。
「君は、ああいう子のことに関心はないのかね」
返答を待つのでもなく、自分の若い時はああだった、というある年代の特徴のはなしをした。それには、頷くだけしか出来なかった。それ以上に、自分にはなにができるだろう?
頭がはたらかない一日だったなと、軽い反省をしながら、となりの部署の同期に声をかけられた。用件は、となりのビルのOLたちと仲良くなり、飲み会をするので、お前もくれば、ということだった。断る理由もセリフも自分は浮かばず、言われたままに寒い戸外にでた。
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