今日の読売新聞の投書欄に近江八幡の薬剤師の女性(72歳)の方の投書が出ている。
「辻久子さんの演奏心に」という見出しで次のような文章が書かれている。
“”
小学生の頃、私が通っていた広島県の小学校に辻さんが演奏に来られたことがありました。それまで、バイオリンは耳障りな音の印象しかなく、あまり好きではありませんでした。
しかし、辻さんの演奏を聴いて、深みのある音色から軽やかな音まで、多彩な魅力に引き込まれ、バイオリンの見方がガラリとかわりました。“”と。
これを読んで、僕も小学生の頃、岐阜の市民会館に母に連れられていって、辻久子さんを聴いたことを思い出した。
オーケストラがどのオーケストラで指揮者が誰だったかということはすっかり忘れてしまったけれど、バイオリン独奏が辻久子さんだったことははっきり覚えている。
一階席の一番前かそれに近いくらい前の方で聴いた記憶がある。
演奏された曲はチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
演奏が全体としてどんなものだったかは忘れてしまった。
しかし、はっきりと覚えているシーンがある。
このチャイコフスキーのバイオリン協奏曲の第三楽章
ロシアの舞踏音楽を思わせる、速い音楽が展開される。
それから、舞踏音楽風のメロディーが今度はゆっくりとひきずるように、たっぷりとした感じで奏でられる部分がある。
ウィキペディアの楽曲解説で調べると、この部分は第三楽章の第二主題と記されている。
その第二主題を辻久子さんは本当に、思い入れたっぷりに、引きずるように奏でておられた。
音色はかなり深く、小学生の僕の耳には鈍く黒光りしているように聴こえた。
鮮やかな黒光りではなく鈍く黒光りしているところが子供心にすごいと思った。
前の方の列で見ていたのでかなり近い距離からその主題を奏でる辻久子さんの姿を見て、すごい気迫だと思った。
あのシーンを僕は忘れることができない。
それから後に僕は辻久子さんの演奏をレコードやCDで聴いたこともないし、生演奏で聴いたこともない。しかし、これまでに僕が行ったコンサートの中であの辻久子さんのシーンは、もっとも印象深かったシーンの一つだと確信をもって言える。
たとえ、一期一会の出会いでも、そして直接言葉を交わしたことのないような出会いでも、こころがこもっていれば、相手の心に一生残るということがあるんだなとしみじみとおもう。
やはり、辻久子さんは素晴らしい方だったんだなといまさらのように思う。
それは、ともかく、いちにち いちにち無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。