ケンのブログ

日々の雑感や日記

田舎の風景

2021年07月21日 | 日記
長良川の堤防を自動車で走る。梅雨明けで川の水量が少なくなっている。すると川の中の島が大きく見えたりする。川の周りも山なので、ちょっと水墨画のようにも思える。

天気や水量によって川の風景は変わるなと思う。

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長年忘れていた曲をふと思い出すということが僕には時々ある。

二三日前、井上陽水さんのスニーカーダンサーという曲が本当に長年忘れていたのにふっと心にうかんだ。

一番はこんな歌詞だ

“”
間違わないでおくれ

呼び止めないでおくれ

俺は不思議な動きをするけど

道に迷ってるのではない

俺はただのスニーカーダンサー“”


陽水さんらしいちょっとおしゃれで不思議な歌詞だなおもう。

歌詞も好きだけれど、メロディもいいなと思う。

無性に聴きたくなってネットで検索してみた。

多分 陽水さん本人の歌唱の動画も出てきたと思うけれど、それは、会員しか再生できないサイトだった。

それで、カバーを見ると、キーがそれなりに高いものは、音程が僕がイメージしたものとは違っている、(多分カバーの歌い手が、オリジナルアルバムに収録されている音源の中から僕がイメージしているのとは違う声部を拾って歌っているので、僕には違って聞こえるのではないかとおもう。)

僕がイメージしているのと同じメロディラインを拾っている人のカバーはキーが低くて、音程は正確に聞こえるけれど、ちょっとおじさんっぽい感じになっている。

陽水さんのカバーって難しいなと思う。

まあ、陽水さん本人の歌唱があまりにもずばぬけているということもあるかもしれない。

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県庁所在地のデパ地下に、めんたいなめこ という商品があった。

赤い色をしていたので、なめたけと明太子を混ぜたものではないかと思う。

商品名は面白いけれと、あまり食べる気にはならない。

商品名は面白くてもあまり食べる気にならないという商品で思い浮かぶのは
「ほぼうなぎ」という商品。大阪のスーパーマーケットでよく見かけた。多分、かにかまぼこのが かに に近い味がするのと同じ感じで、魚肉の練り製品でうなぎのようなあじにしてあるのだと思うけれど、やはりちょっと食べる気にはならなかったなと思う。

商品名も面白くて、味も好きというのは、僕の場合
サンガリアという会社がつくっている「みっくちゅじゅーちゅ」という製品。これはデパ地下でなく、大阪のスーパーマーケットでよく見かけたものだけれど、味は昔のフルーツ牛乳のような感じで、結構おいしくてたまに飲んでいた。

そんなに頻繁に飲むものではないけれど。

もろこの佃煮も県庁所在地のデパ地下に売っていた。

僕は海釣りは全くしたことがないけれど、子供の頃は、近所の川や池で小魚を釣って遊んだことはある。

もろこが釣れると結構嬉しかったことを思い出す。

それはともかく いちにち いちにち無事で健康で過ごせますように、それを第一に願っていき
たい。



猛暑日の田舎の風景

2021年07月19日 | 日記
僕がいる田舎町のコンビニに行く。

ドアのところに 必ずマスクをご着用くださいと書いてある。

その周りに同じサイズの紙が貼ってあって、 中国語 ラテン系の言語(なんしかラテン系しかぼくにはわからない) 何語がわからない言語 そして英語で同じ意味のことが書いてある(たぶん)。

英語はPlease be sure to wear a mask. となっている。

僕、英語を聞いたり話したりはだめだから これで通じるのかどうかわからないけれど きっと通じると思う。

必ずマスクをご着用ください という日本語と同じ意味になっている。

例えば、学校の英作文で
「必ずマスクをご着用ください」を英訳しなさい という問題が出たら。

It is necessary to wear a mask.

と書けば、何というか合格点には達しそうな気がする。

Please be sure to wear a mask.と書けば、先生はきっと 「これは素晴らしい この子には何も言わずに、ほっといても合格するだろう」と思うだろう。

予備校に勤めていた頃の感覚で考えるとだいたいそんな感じになる。

記述式の問題の良い点は このように機械に頼らなくても 直感で なんとなくわかるという点だ。

マーク式で先生が点数だけ把握していても、その子の力を実感として把握することはできない。

記述式だと、その子のもっている潜在力なども含めて、いろんなことを直感的に判断できる。

機械による統計的な分析も大切だけれど、統計的にはだいたい五分五分、さて、どうするかとなったときにこういう直感を働かすことができるというのは、先生にとっては心強いことだ。直感っていざというときこそ力を発揮するから、、、。

「君はこんなに書けるんだから、点数がすこし足りなくても、きっと大丈夫だ。可能性は十分にある」と先生から言ってもらえると生徒もきっと勇気がもらえると思う。

そういう機会が減ってしまったなと思う。

まあ、そんなこと嘆いていても仕方ないけれど、、、。

いろんな言語がコンビニに貼ってある割に、白いワイシャツを着た、金髪で青い目の人って街にそんなにいないなと思う。

つまり、東南アジアなどからいらした、肉体労働に従事する外国の方がおおいということなのかなと想像する。

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労働で思い出したのだけれど、若い頃、僕と、僕のいとこで上場企業に勤めるAちゃんと僕の母の三人で食事をしたことがある。

その中で しんせい という当時、他のタバコの半額くらいの値段で買えた安タバコの話題になった。

上場企業に勤めているAちゃんが
「しんせい なんて労働者の吸うタバコだよ」と言った。

すると僕の母が
「すると なにか お前は労働者やないんか? お前は社長か? 資本家か?」とたたみかけるようにAちゃんに突っ込んだ。

するとAちゃんは笑って
「いや、おばちゃん 僕も労働者だよ 資本家じゃないよ。おばちゃんには負けたよ」と言った。

まあ、Aちゃんもホワイトカラーの労働者というだけの話で労働者であることには変わりない。
※白いワイシャツを着て主に屋内などで働く労働者のことを俗にホワイトカラーといいます。

Aちゃんの考え方の弱点をついた突っ込み方で、あのときは面白かったなと思う。

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今日は猛暑だった。

その中で、電線の工事をしていて、道路が片道一車線ふさがっているところで、ブルーの制服を着て、紅白の旗を振って交通整理をしている人がいた。

この暑いのにアスファルトの上ですごいな と思った。

そういう制服を着ていると性別があまりわからないことがある。

でも、その子が向こうに歩いていったときヘルメットの後ろからポニーテールにした長い髪が見えた。女の子やん と思った。

細かい事務作業的な仕事をしているよりも、こういうヘルメットかぶってする仕事をしたいという女性も増えているだろうなと思う。

それはともかく いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。













梅雨明けか

2021年07月17日 | 日記
マンションに住んでいると気密性がいいから、冷房もそれなりに効いているけれど、築年数がかなり経過した木造家屋にいると、空気が漏れたりして、冷房もどこまで効いているのかわからない。

しかし、それにしても暑いぞと思って、新聞の天気図を見ると「あれ!梅雨前線がないぞ!」と気づく。テレビやネットの気象情報をあまり見ないので、ええ!梅雨前線がない 梅雨明けかと思ってネットを見ると、近畿 東海では梅雨明けしたと見られると出ている。

見られる、 と慎重な言い回しになっているけれど、また、梅雨前線が復活する可能性もないわけではない ということで、実質的には梅雨明けなのかなと思う。(わからんけど)

新聞の天気図では梅雨前線は消えて、日本の付近に高気圧が張り出している。

そういえば、僕が学生の頃 山下達郎さんの 「高気圧ガール」という南の夏の海をイメージした歌があったなと思い出す。

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僕がいる田舎町には、鰻屋さんが何件かあって、鰻屋一件あたりの人口という統計をとったら かなり少ないと いう意味で全国でも上位に食い込むのではないかと思う。

統計といえば、いろいろおもしろい統計があって、日本の人口分布の重心というのも、多分、僕がいる田舎町の近くだったと思う。

その鰻屋さんだけれど、中には行列のできるような店もあって、そんな店の前を通ると、窓からモクモクとうなぎを焼く煙が出ていたりする。

きっと、煙や匂いも、宣伝の効果を発揮しているような気がする。

僕は、なんのお店に限らず、行列のできるお店は苦手で、どの街に行っても静かな店を探す癖があった。

なので、僕が気に入っているお店はいつの間にか閉店ということもママあった。

お手頃な値段で静かということは要するに繁盛していないということなので、、、。

特に30歳代のころは あれ、三宮のこのあたりに、静かな店あったのに、、、ガックリ とか思うことも時々あった。

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自動車で街を通っていると、田舎の町は、高度成長期には街の中心部であった場所がさびれてしまって、かつては田園地帯であったような郊外に、駐車場のしっかりついたお店が多いという街の構造はある程度見えてくる。

メガネ屋さんがある、うーん 老眼鏡、よく、どこ行ったかわからんようなるから、予備に既製品の老眼鏡あったら買うか と思う。

でも、車停めて、車降りて、お店に入って、また車に乗って、エアコンつけて、と思うとついそういうついでの機会に、お店によるのが億劫になってしまったりする。

また次回来たときにするか と思ってしまう。

これが、例えば京都の繁華街を歩いていて、眼鏡屋さんを見て同じことを考えれば、きっとその眼鏡屋に入っていると思うのだけれど、、、。

やっぱり 徒歩で街を歩くのと、自動車で通るのでは行動パターンが違ってくるなと思う。
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オリンピックでどなたかが、日本へのリスクはゼロとかおっしゃったと記憶している。

その割には新聞を読むと、来日した大会関係者のホテルの警備の人は英語が話せないから、大会関係者の行き先を聞くこともてきない というようなこぼれ話も載っている。

そう言われれば、僕も、英語は読むことは少しできるけれど、聞く 話す  は ほとんどゼロだな とゼロに引っ掛けて、いらんことを考えている自分がいたりする、、、。

それはともかく、いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。







五輪開会式 天皇陛下お一人で出席へ

2021年07月15日 | 日記
今日の読売新聞に「陛下が開会宣言 お一人でご出席へ」という見出しで、天皇陛下がオリンピックの開会式にお一人で出席され開会宣言される方向で調整されているということがわかった と書いてある。

僕、こういう開会宣言の場の常識って知らないから、本当に素人の考えだとは思うのだけれど、やはり、お一人でご出席というのは寂しいなと思った。

なんとなく国際的な場所というのは天皇皇后両陛下がおそろいのほうが華があるような気がするから。

しかし、いろんな今の状況を考えてそのような方向で調整が進んでいるのだろうと思った。

そして、陛下がお一人で出席と新聞で読んだとき、僕は数年前に、ある方のコンサートで武庫川女子大の記念会館のような場所に行ったときのことを思い出した。

ちょっと古めかしくて厳かな感じのする記念会館のような建物に、皇太子時代の陛下が、この大学をお一人で訪問された写真が展示されていたと記憶している。

その写真をみて、僕は、ああ あの頃は、雅子様のご体調がすぐれないなどのことがあって、どこへでも陛下が一人で行かれることが多かったんだなあとしみじみと思った。

そして、その一人で立っておられる、皇太子当時の陛下の姿を見て、ある種の気概というものが僕には伝わってくるような気がした。

雅子様の体調などいろんなことがあるのならば、自分ひとりでも行き続けるんだというような、そういう気概が伝わってくるような雰囲気がそのお姿から感じられるような気がした。


それで、陛下が今回のオリンピックの開会宣言もお一人で臨まれると新聞で読んだとき、陛下に限らず、人間って結局、こういうコロナとか大変な時になると、自分が通ってきた道のことを思い出して、気持ちの整理をつけたり、心を決めたりするのではないだろうかと思った。

そういう意味では、どういう道を通ってきたかというのは大切なこととも思うし、どのような気持ちで道を通っていくのかというのもとても大切なことに思えてくる。

自分自身はどういう道をどんな気持ちで通ってきたのだろうと反省することも多いけれど、、、。

それはともかく、いちにち いちにち無事に健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。



柿の木の撤去

2021年07月14日 | 日記
実家の本宅と離れの橋渡しの役目を果たす台が取り払われているので、あれ、と思ってみると、本宅と離れの間の通路を、職人の方が通っていかれる。

そうか、一昨日倒れた柿の木を撤去されに来られたのだと気づく。

撤去される柿の木を見ながら僕の家族や家族の知り合いの方がいろんなことを口にしている。

あの 柿の木は、傾いて生えていた。だから、葉が実って重心が上の方に行くと倒れやすくなる。

いつもは、葉が実って、木の重心が上がり始めると、傾いた柿の木につっかえ棒をしてくださる人がいた。

でも、その人が、歳をとって、つっかえ棒ができなくなってしまったから木が倒れた。やはり、木にも世話する人が必要だと言っていた方もいた。

そう言われればそんな気もする。

倒れた木には葉も実もいっぱいついていて、まだ生きているように見えるから。

実際に、植物って、どこまで生きていてどこからが死なのか動物に比べるとよくわからないし、、、。

木を撤去する職人の方は、根本も腐ってますね。この折れた部分も中は腐ってます、とおっしゃっている。

まあ、それもそうだと思う。

木もずいぶんくたびれてきていたことは事実だった。

木がなくなって寂しくなったという人もいる。

僕は、寂しいような気もするし、スッキリしたような気もする。

いつも来てくださる職人の棟梁の方はどこにおられるのだろうと思ってみると、家の廊下に背を向けて、柿の木の方で仕事をする職人さんの方をヘルメット姿で黙ってみておられる。

廊下に、背を向けておられて、黙って立っておられたから気づくのに時間がかかった。

僕はその撤去作業を家の廊下から見ていたから、、、。

棟梁は、いつも無口な人だけれど、今日はとりわけ無口だった。

無口というより、ほぼ無言だった。

話しかけられたことに、うなずく程度で他に言葉がない。

棟梁の方がほぼ無言で現場に立っておられたのは、棟梁の方が意識しておられるかどうかはともかくとして、棟梁の方の心、あるいは魂のどこかに、これは、朽ちていく柿の木を撤去する作業だから、という思いがあったからだと思う。

そんな気がする。

ご本人がそれを実際に意識しておられたかどうかはともかくとして、、、。

電気ノコギリで木を細かくして撤去するので作業は本当に驚くほど早い。

無言で立っておられる棟梁の方の姿がとても心に残った。

井上陽水さんが書かれた 「たいくつ」 という歌の歌詞のこんな一節を思い出す。

“”
蟻が 死んでいる 

角砂糖のそばで

笑いたい気もする

当たり前過ぎて “”


当たり前にときは過ぎていくけれど、さびしい気もするし、ときはすぎるのが当たり前だという気もする。

それはともかく、いちにち いちにち無事に健康で過ごせますように、それを第一に願っていきたい。