津島佑子さんの『あまりに野蛮な』上下巻を読みました。
津島佑子さんはシン・ギョンスク作家と親交が篤く、
日韓文学者会議にも長く参加されて韓国文学にも関心を持っています。
最初に読んだのは『山のある家、井戸のある家』の韓国語版だったのですが、往復書簡の中には
この作品を取材中の津島さんが台湾で書いた手紙もおさめられています。
こうやって、つながった!と思うのも読書の楽しみですね。
愛する男性を追って植民地化の台湾に渡った女性と、
その70年後におばの足跡を追う女性、二人の人生が交錯する話です。
「愛する男性を追って」というしかないのですが、その実二人は交際らしい交際もなく、
お互いをわかりあっているわけでもなく、愛し合っているのかな?と思うと謎です。
小説は男性にあてた手紙の束から始まるのですが、
甘えたような言葉遣いや、自分の名前、相手の名前をころころ変えて呼ぶ様子が
読者を不快にというより、不安にさせます。
ミーチャの心の不安定さを表しているようです。
ミーチャの姪のリーリーは、息子を失ったという設定になっていて、
これは津島さんの作品によく出てくる設定ですね。
子供を失ったらどうなるんだろう?と考えました。
「忘れないのは強いからだ」とありましたが、
私はそんなに強くなく忘れようとしてしまうかもしれません。
私がはっとしたのはミーチャの設定。
最初の短い結婚に失敗してお里に戻されている、というのはまさに『斜陽』。
津島さんの小説に太宰治っぽい設定がでてくるのはありましたが、
太宰治の小説が登場するとは!
と、ひそかにびっくりしました。
夢のような、それもどちらかというと悪夢のような、霧の中を覗き込むような話なのですが、
裏には植民地・植民人・台湾の山岳民族の植民地時代の問題と現代のアイデンティティの問題も含まれる
骨太な話でした。
そして、数珠つながりの宿題のようにまた「読まなくちゃ」な本が…(涙)
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