遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 232 小説 影のない足音 他 余震

2019-03-10 10:58:35 | 日記

          余震(2011.4.23日作)

              今年もまた、東日本大震災の日、三月十一日が来ました。

              この文章は災害発生時の2011年に書いたものですが、

              当時の記録として、今回、ここに掲載致します。

 

   平成二十三年(2011)三月十一日午後二時四十六分

   この国を襲った 何百年に一度と言われる大地震

   それに続く幾多の余震

   その執拗さ 執念深さ は 地中に住む悪意を持った悪魔が

   人間社会への 積年の恨みを果たしているかのようだ

   瞬間的に起こった 前代未聞の大災害 地震に津波

   それに重なる 原子力発電機能 の 破壊

   この国 その国土の一つを形成する 本州の四分の一 に 近い地域の

   家屋 や 諸々の 建造物の崩壊 それに伴う

   瓦礫の山と化した 地上の惨状

   余震は その大地に被災の身を生きる人々の

   明日さえ分からぬ不安な心を さらに不安に追い込んで

   連日連夜 襲って来る

   この無慈悲 過酷さ  被災に疲弊した人々は

   悪意を秘めたようにも思える大地の揺れに

   ただ ただ 身構える事しか 出来ないでいる 日頃

   知恵と知識を誇り 様々に幾多の困難 難題 苦境に

   立ち向かい 解決の糸口を見い出しては 乗り越えて来た 人間

   その人間の前に今 連日連夜 襲い掛かって来る幾つもの 余震は

   それに先んじて 起こり 膨大な被害をもたらした

   あの巨大な揺れと共に 人間たちを 呆然と立ち竦ませる

   もはや 人間の手の及ばぬ所 一つ一つ 難題に挑み その都度

   解決の糸口を見い出しては 今日(こんにち) この日まで生き延びて来た

   人間 その人間たちの持つ叡智 知恵 知識 解決力 も 

   この星 地球を包み込む 広大な宇宙の真理

   自然の摂理の前では いかに儚く 無力なものなのかを

   度重なり襲う 幾多の余震は 突き付けて来る

   驕りたかぶる人間 ともすれば

   自身の領分さえ忘れ

   増長の道を進みかねない 人間社会の足下に

   この宇宙の真理 自然の摂理は 人は人として

   常に謙虚に 人の力は決して

   無限ではあり得ない と その

   真実の姿を突き付けている かのようだ

 

 

 

          影のない足音(6)

 

 

 手にしていたブラッシを放り込むようにしてハンドバッグにしまうと、姿見の前を離れた。

「あんたが信用しないからだよ」

「信用しない訳じゃないわ。信用出来ないだけよ」

「なぜ、信用出来ないんだ ?」

 女は答えなかった。

「それだから一回一回、金でけりを付けていたっていう訳か ?」

「そうよ、それだけの事よ。それ以外の何ものでもないわ」

 女は嘲笑するように言った。

「男に飢えながら、男を信用する事の出来ない哀れな女か !」

 わたしは女の嘲笑に対抗するように、それが女に対する最大の侮辱だと知りながらも、あえて口にした。

 女はその言葉で、明らかに感情を乱したようだった。それでも強気に

「あんたなんかに、分かりはしないわよ」

 と言ったが、最後の言葉は嗚咽の中に埋もれていた。

 女はそのまま部屋を出ようとするように、ドアへ向かって歩いた。

「もし、男の方であんたが好きになった時には、どうするんだ ?」

 わたしは女の背中に言った。

「あんたには関係ないでしょう」

「関係なくはないよ」

 女の背中が小さく揺れた。が、それも束の間だった。女は部屋を出て行った。

 ドアが閉じられ、外との世界が遮断された。女の遠ざかる足音も聞こえなかった。

 わたしはベッドに座ったまま、女との決定的な終わりを意識した。もう、女が来る事はないだろう・・・・・・

 かすかな空虚感が胸の中を走り抜けた。

 

          -----

 

 わたしは友人の白木がチーフを務めるバーの仕事を手伝いながら、土曜日の夜になるといつも「蛾」へ足を運んだ。例の若いバーテンダーとはすっかり顔なじみになっていた。

 女はわたしが予想した通り、再び「蛾」に姿を見せる事はなかった。若いバーテンダーが自分から、姿を見せない女の話題に触れる事もなかった。

 わたしは女に入れ込むつもりはなかったが、それでも、再び姿を見せない女を思うと、ある種の寂しさを意識せずにはいられなかった。

 いったい、女はどんな生活をしているのだろう ? 女が口にした「あんたなんかに分かりはしないわよ」と言った言葉の裏には、どんな意味が隠されていたのだろう ?

 わたしの意識の裡には、わたしが最後に言った「関係なくはないよ」という言葉に、女が束の間見せた逡巡する気配が未練がましく刻み込まれていた。女がその言葉に引き寄せられるように、また、「蛾」に足を運んで来る事はないのだろうか ?

 しかし、わたしが「蛾」で過ごす時間は、週を過ごすごとに、月を過ごすごとに、虚しく積み重ねられていた。わたしは、なんとなく未練が残る思いで、再度、女の家を訪ねてみようかという気持になっていた。あの場所の近くへゆき、待っていれば、あるいは深夜に帰って来る女に偶然でも、出会う機会に恵まれるかも知れない。

 女への愛情 ・・・・・というのとは、また、違う気がした。それでも何故とはなしに、何処か冷たく、翳りを帯びた雰囲気を持つ女には、心惹かれるものがあった。肉体的に魅せられ、心惹かれた、というよりは、女の存在そのものが気になった。その存在を身近に感じていたい、という、柄にもない感情が湧き上がるのを意識した。

 その土曜日、わたしは午後九時頃「蛾」へ行った。女が来る事はないだろうと思いながらも、十二時近くまでねばった。

 女はやはり来なかった。

 わたしは意を決して、この前、女のあとを付けたあの場所まで行く事に決めた。

「蛾」を出るとタクシーを拾った。むろん、闇雲に訪ねて往くだけの事で、女に会えるという保証など何もなかった。女の住む家さえ分かっていないのだ。せめて、名前の一部でも聞き出しておけばよかった、と迂闊さが悔やまれた。

 うろ覚えの道だったが、それでもどうにか、この前、女がタクシーを降りた同じ場所に辿り着く事が出来た。

 女が歩いて行った小道は、相変わらず鬱蒼とした樹々に上空を覆われていて暗かった。わたしの足を運ぶ靴音が耳にこもるように聞こえた。

 わたしはこの前来た時、足音を聞いたように思ったのは、どの辺りだったのだろう、と考えながら、用心深く周囲に気を配り、ゆっくりと歩いて行った。そして、二本目の外灯の下を通過した時だった。わたしは息を呑んで立ち止まった。

 三叉路に立つ外灯の明かりの下で、微妙な感じで人の動く気配がした ? と思ったのだった。

 足音への疑念をまだ払拭出来ないでいたわたしは、緊張感で凝り固まり、その場を動けなくなっていた。湧き起こる恐怖心と共にしばらくは視線を凝らし、三叉路を見続けていた。

 人通りも途絶えた三叉路にはだが、再び、ものの動く気配はなかった。

 あるいは、必要以上に警戒するあまりの恐怖心が引き起こした、眼の錯覚だったのだろうか ?

 今度もまた、確かな判断が出来なかった。

 わたしはそれでようやく気を取り直し、また歩き出した。

 三叉路まで来るとわたしは、この前と同じように、女が曲がった道へ入って行った。

 周囲に建ち並ぶ家々は、ことごとくが門を閉ざし、樹木に覆われた屋敷の中で黒い影となって静まり返っていた。

 女の家がどれなのかは、依然として分からなかった。わたしはやはり前回と同じように、何度もその道を往ったり来たりした。

 あるいは、偶然にでも、女が深夜の遊びから帰って来るところに出会えるのではないか ?

 だが、その期待も虚しかった。結局わたしは、この前と同じように女の家を探し出す事も、女に会う事も出来なかった。これ以上、うろうろしていても無駄だ、と諦めると気が抜けてしまい、小さな坂道が右へ折れて下る角の家の塀に身を寄せてタバコを取り出し、火を付けた。二本、三本と立て続けに吸った。

 あるいは今頃、女は布団の中で気持ちよく眠っているかも知れないのだ。

 そう考えるとバカバカしくなって、もう、帰ろう、と思った。

 腕時計を見ると針はあと十分程で二時になるところだった。

 わたしは短くなったタバコを投げ捨てて、靴の底で踏みにじり、火を消した。今来た道を帰ろうとして顔を上げたその時、だが、わたしは、またしても三叉路の明かりの下を横切り、大通りへ向かって足早に過ぎ去る一つの人影を眼にしていた。それは決して、見誤る事のない確かな人影だった。

  

   

 

     

 

 

 

 

   

   

  

   

   

 

 

 

 


遺す言葉 231 小説 影のない足音 他 今なお遠く

2019-03-03 10:14:32 | 日記

          今なお遠く(2019.2.22日作)

 

   わたしが願い求めるものは

   ただ一筋の道

   遠い遠い彼方に続く 細い道

   たどり着く果てにあるものは 楽園

   今日の今日まで 

   誰も見た事のない  一つの果実

   誰かいつか その道の果てにたどり着き 

   果実を手にする事は出来るだろうか ?

   人は今日も世界のあらゆる場所

   至る所で それぞれ 時を

   それぞれ 人の生を 生きている

   苦悩 愛憎 歓喜に悲哀

   怒りと嘆き 希望と失意

   わたしの願い求める

   一つの果実に至る道は

   今なお遠く 愚者の描く

   悲惨と涙 ふくれあがる欲望に彩られた

   醜悪な絵模様だけが

   時代の中 時の中に

   色濃く 描き出されてゆく

 

 

          小説 影のない足音(5)

 

 

 しかし、そこには、漠然と女を待つ、というよりは、より積極的に、女を捜すという、強い気持ちが込められるようになっていた。あの時、確かに聞いたと思った足音へのこだわりと共に、女への未練のようなものもまた、幾分かはあった。

 女はだが、なかなか来なかった。四週間、五週間、六週間・・・・・・

 依然として、女は現れなかった。わたしは時の経過と共に次第に、女はあの時、後を付けられた事に気付いたのではないか、と考えるようになっていた。奇妙な足音を聞いたように思ったのは、空耳ではなかったのだ。わたしが後を付けた事に気付いた女が、何処かでわたしの様子を探っていたのだ。それで女は警戒して、姿を見せなくなったのだ。ーーこんなに長く姿を見せない事が、その何よりもの証拠に思われた。

 そして更に、七週間、八週間と過ぎていた。わたしは、もう、女は来ないのだ、と諦めかけていた。

 それだけに女の姿を「蛾」のカウンターに見い出した時には、奇妙な胸の高鳴りを覚えていた。懐かしい人に再び会えたような、あるいは、どこか謎めいた女に対する警戒心のような、自分にも分からない複雑な感情が沸き起こっていた。

 わたしはそれでも、極めて何気ない様子で女に近付くと、

「今晩わ」

 と、軽い調子で言った。

 女は多分、この前と同じように鏡の中で、わたしが近付くのを見ていたのに違いなかった。が、今度は振り返ってわたしを見た。そして、

「今晩わ」

 と言った。

 女はだが、今度もそれ以上の事は言わなかった。笑顔も見せなかった。

 わたしはかまわず女の隣りに座った。

 女が二度も同じ夜を過ごしていながら、親しみのこもった笑顔一つ見せない事に、少しの困惑と共に、戸惑いを覚えた。

 わたしはその戸惑いを隠すように、

「ウイスキー」

 と、初めてわたしが女に出会った夜、わたしの相手をしたバーテンダーに言った。

 わたしはすぐにタバコの箱を取り出して一本を抜き取り、口元に運んだ。

 バーテンダーがカウンターの向こうでマッチを擦って差し出した。

 わたしはタバコに火を付け、深く吸い込んでから一気に煙りを吐き出した。ーーー

 その夜も、いつも通りだった。わたしはだが、今度は眠ってしまうようなヘマはしなかった。わたしは二度、女を求めた。

 女はわたしが心配し、あれこれ推測した足音に就いては、何も知らないらしかった。それらしい気配はまったく見せなかった。しばらくベッドの上でわたしと並んで休息したあと、女は体を起こした。

「帰るの ?」

 わたしは聞いた。

「ええ」

 隠す事もないかのように女は言って、ベッドの上に投げ出されていた下着を身に付けた。

「朝までいたら ?」

 わたしは言った。

「駄目よ」 

 冷ややかに女は言った。

「寝起きの顔を見られるのが厭 ?」 

 女は答えなかった。ベッドを降りると浴室へ行った。

 シャワーを浴びる音がして、間もなく女は戻って来た。

 わたしはベッドに足を投げ出して座ったまま、タバコを吹かしていた。女のスリップ姿を見ると、何かしら親しみに似た感情が沸き起こって来て、

「おれ、悪いと思ったんだけど、この前会った時、あんたの後を付けたんだ」

 と、言わずもがなの事を言っていた。

 ---思ってもみなかった。見る見る変わる女の表情がわたしを驚かせた。シャワーを浴びたばかりの顔が蒼白になって、女は硬直したようにその場に張り付き、動かなくなった。

「なぜ、そんな事をしたの ?」

 怒りに満ちた、腹の底から絞り出すような声で女は言って、鋭い視線をわたしに向けた。

「なぜって・・・・、意味なんかない。あんたが何も教えてくれないからさ」

 わたしは思いも掛けない女の様子に驚きながら、居直って答えた。

「いったい、わたしの何を知ろうって言うの ?」

 激しい口調で女は言ったが、その眼には憎しみの色が浮かんでいた。

「何をっていう訳じゃないけど、あんたが好きだからさ」

 わたしは言い訳がましく言った。

「嘘よ !」

 女の怒りは収まらなかった。

「嘘じゃない」

「嘘じゃなくても、そんな事をしたって、なんにもならないでしょう !」

 叩き付けるような言葉遣いで女は言った。

「どうして、なんにもならないんだ ! たっぷり楽しんで、あとは、さよなら、って言うのか ? 有閑夫人の火遊びって言うわけか !」

「そんなんじゃないわ」

「そんなんじゃなければ、どうだって言うんだ。おれを金で買って、いい気になっているだけじゃないか ! 」 

 女は突然、背中を向けた。姿見の前に行くと乱暴にストッキングを探し出し、ベッドの端に腰を下ろして脚を通した。

 再び、姿見の前へ行くとスカートをはいた。ブラウスに腕を通し、ボタンを掛けた。

 その間に女は、一度もわたしの方へ顔を向けなかった。頑なに背中を見せていた。

 女はハンドバッグの中を探ると小さなブラッシを取り出し、乱暴に髪に当てた。手早く粗い動作だった。

「あんたには、おれが信用出来ないんだ」

 わたしは女のわたしを無視した態度に苛立ち、責めるように言った。

「あなたの何を信用しろって言うの ?」

 女はわたしに背中わ向けたまま、髪を整える手を動かし続けていた。

「じゃあ、なぜ、おれと寝た ?」

 女は答えなかった。

「おれが悪なら、あんたを強請(ゆす)る事だって出来るんだ」

 女は一瞬、怯えたように息を呑む気配を見せた。それからすぐに、

「男なんて、みんなそんなものだわ」

 と、吐き捨てるように言った。

 


遺す言葉 230 小説 影のない足音 他 愚者と賢者

2019-02-24 11:08:45 | 日記

          愚者と賢者(2019.2.24日作)

 

   賢者は頭を垂れる

   愚者は威を張る

   稔るほど 頭を垂れる 稲穂かな

   かき寄せる水は 腕の中から 逃げてゆく

   押し出す水は 戻って来る

   大津波

   一度は引く潮

   引いた水は再び戻り

   押し寄せる

   頭を垂れれば 

   風は頭上を過ぎてゆく

   頭を高く威を張れば

   風がまとも吹き付ける

 

 

          影のない足音(4)

 

 

 深夜の街は車が渋滞する程の混雑もなく、信号以外では停車する事もなかった。

 車が住宅街に入ったのが分かった。

「ここは何処かなあ?」

 わたしは周囲に樹木が多い通りを見廻して言った。

「目白ですよ。椿山荘の近くですよ」

 十数メートル程前方を走っていた車が速度を落とし、停まった。

「あっ、停まりましたね」

 前の車に習って速度を落としていた運転手は言った。

「でも、ここで同じように停まるのはまずいなあ。ゆっくり、あの前の方へ行ってくれない ?」

「いいですよ」

 わたしは前の座席の背凭れに張り付くようにして、五千円札一枚を運転手に渡した。

 停まったタクシーの横を通過する時、ちょうど女がタクシーを降りた。

 女はゆっくりと側を通り過ぎる車を気にする様子はなかった。そのまま、少し後戻りをして行った。

「ここで停めてよ」

 わたしは女の後姿を確認してから言った。

 ドアが開けられると同時に、転がるようにして外へ出た。

 女は寮のようにも見える、大きな建物の横の小道を曲がって行った。わたしがその角に達した時、女は、両側から鬱蒼として樹々の繁みが覆い被さる暗い道を歩いていた。

 一直線の長い道だった。

 黄ばんだ明かりの二本の外灯が灯っていた。コンクリートの塀や樹々がその明かりに浮き出て見えた。

 女の、ハイヒールで路上を踏みしめる足音が、規則正しく暗い小道に響いた。わたしは猫のように足音を殺しながら、女の後を追った。

 午前三時に近い深夜の小道に、人の行き交いはなかった。二百メートルはあるかと思われる小道の前方は三叉路になっている。

 わたしは身を隠す物のない場所で、コンクリートの塀に体を押し付けるようにして歩いた。

 女はその間、一度も後ろを振り返る事はなかった。三叉路まで行くと左へ曲がった。わたしの視界から女の姿が消えた。

 わたしは女を見失う事を危惧した。足音を忍ばせながら小走りに走って、女の後を追った。

 わたしが女の曲がった三叉路まで来た時、だが、女の姿は既に見えなくなっていた。大きな屋敷の並ぶ通りが、外灯の明かりに照らし出されて、ひっそりと静まり返っていた。

 女がどの家に入ったのか、皆目、見当が付かなかった。わたしは、まだ、その気配が残っているかも知れない家を探して歩いた。女が入った家には明かりが付くに違いない。

 暫くは、樹木に覆われた家々のあちらこちらに注意を凝らしながら、何度も同じ道を行ったり来たりした。しかし、いつまで経っても、どの家にも明かりの付く気配なかった。

 わたしは痺れを切らして諦めた。せっかくここまで来たのにと思うと、諦め切れないものがあったが、軽い疲労感と共に、そこを立ち去る気になった。

 一先ず、一息入れるためにタバコを取り出して、一本を抜き取り、口元に運び、火を点けた。それから、先程来た道を戻り始めた。大よそでも、女の住む場所の見当が付けられた事で、収穫はあった、と自分を慰めた。

 ---虚を衝かれた思いだった。わたしは思わず振り返った。暗い通りを見透かすようにして見詰めた。

 ーーー気のせいだったのか ?

 人通りもないと思っていた小道に、突然、自分の背後に人の足音を聞いたように思って、狼狽したのだった。

 わたしの振り返った見通しの良い小道にはだが、足音を立てるような人影はなかった。

 わたしは気を取り直して、また、歩き始めた。

 女の後を付けたりしたので、良心が咎めてびくびくしているのだーー、自分の臆病さを笑うような気持ちで思った。

 だが、そう思った次の瞬間、早くもわたしは神経を研ぎ澄ましていた。

 わたしの足音とは違うもう一つの足音が、確かにこの小道の何処かでしている。

 わたしは緊張感で体を堅くした。そして、もう一度、背後を振り返った。

 人の隠れる場所など何処にもない小道には、やはり、人影はなかった。

「誰だ ! 出て来いよ」

 わたしは闇に向かって叫んだ。

 誰かがいるのかいないのか、確かめてみたかった。

 だが、外灯の明かりと闇が交錯する深夜の小道には、それに応えて姿を現す人の影はなかった。ものみな総てが息をひそめたような静寂(しじま)が辺りを領しているだけだった。

 

          -----

 

 深夜に聞いたと思った足音が、実際にはなんであったのか、結局は分からずじまいであった。

 あるいは、わたしの思い過ごしによる、空耳であったのかも知れない。

 わたしの身辺にも、格別に変わった事は起こらなかった。

 わたしはそれ以降も、毎週、土曜日になると「蛾」へ足を運んだ。女を待つためだった。

  


遺す言葉 229 小説 影のない足音 他 雑感七題

2019-02-17 11:52:19 | 日記

          雑感 七題(2018.10-2019.Ⅰ月作)

 

  Ⅰ  文明的差異はあっても 文化的差異はない

     アフリカにはアフリカの 日本には日本の

     その地域特有の気候風土 あるいは

     時代に根差した文化があるだけで

     それに差異を付ける事は出来ない

  2  文明は人間社会に於ける縦軸であり

     文化は文明という縦軸を中心にして

     横に広がる横軸だ

     横軸が小さくなる程 文明は衰退する

  3  文明の発達と共に 人間はますます孤独になってゆくだろう

     何故なら 文明の発達と共に 人間の欲望は肥大化してゆくだろうから

     欲望は他者との距離を遠ざける 

     欲望とは心の内にあり 人それぞれが各個人である以上

     真に他者の心の内を理解するのは不可能だからだ

  4  真に理解した人は 寡黙だ 一言で表現し 真理に到達する

     自信のない人間は饒舌だ 装飾し 回り道をする

     真理を掴み得ていないからだ

  5  本物は苦闘の中でのみ生まれる

     苦闘のない所に本物はない

     人生は苦闘の道だ 

     借り物を生きれば人生は楽だ

  6  人にはそれぞれに生きて来た人生への思いがある

     それは決して他者には理解する事の出来ないものであり

     それがどのような人生であれ 他者が笑う事は出来ない

  7  小さなものに眼を向けよう

     静かな日常の中にも人生の滋味は

     豊かに隠されている

     華やかさばかりが人生ではない

     ひつそりと静かに生きるのもまた

     豊かな人生だ

     

 

          影のない足音(3)

 

 

 女は背中を向けて帰りの身支度をしていた。わたしの腕時計の針が、サイドテーブルにあるスタンドの淡い光りを受け、二時十分近くにあるのが見えた。

「これから帰るのかい ?」

 わたしは体を動かさずに聞いた。

 女は、わたしがこの前と同じように眠っていると思っていたらしかった。わたしの声を聞くと途端に、不意を突かれたかのように体を堅くした。

 それでも女の立ち直りは速かった。狼狽する気配はまったく見せずに背中を向けたままで、グリーンのざっくりした布地のスーツに腕を通した。ほっそりした華奢な背中だった。わたしの手の中には、まだその感触が残っていた。

 身支度の終わった女は、すぐにハンドバックを手にして中を探った。わたしの方を振り返ると、

「素敵な夜を過ごさせて戴いたお礼だわ」

 と言って、再び、二枚の一万円札をテーブルの上に置いた。

 女はわたしと視線を合わせようとはしなかった。

 わたしはベッドに横たわったまま黙っていた。

 女はわたしに背中を向けると、ドアの方へ歩いた。

 なんの未練も残さない、きれいな歩き方だった。

「今度はいつ、会って貰えるのかなあ」

 わたしは右腕で頭を支え、横向きの姿勢で女の背後から、やや皮肉を込めて声を掛けた。

 女はドアの前で足を止めた。

「分からないわ」

 振り向きもせずに言った。迷いのない声だった。それでも、わたしを拒絶するような強い響きはなかった。

「おれ、また、あのバーにいるから」

 女は答えなかった。黙ってドアを開け、出て行った。

 わたしはベッドの上で仰向けに転がると天井を見つめた。なんとなく、忌々しい思いがあったが、それだけでは女を憎みきれない気がした。

 いったい、あいつは、どんな女なんだろう・・・・?

 どことなく落ち着いた様子は人妻のようでもあったが、実際には、そのようには見えなかった。

 あるいは、何かの仕事をしているのだろうか ?

 それ以上の想像は出来なかった。

 わたしは、ふと思い付くと、ベッドからとび下りた。女の後をつけてみよう・・・・・

 手早く身支度を整えると部屋を出た。

 女がホテルを出たとしても、まだ間もないはずだ。急げば女がタクシーをつかまえるまでに間に合うだろう・・・・・

 外に出るとすぐに、女が深夜の路上を、大通りへ向かって歩いて行く遠い姿を見つける事が出来た。

 わたしは足音を殺して後を追いながら、五、六十メートル程の距離を保って歩いた。

 女は大通りへ出るとタクシーに向かって手を上げた。

 タクシーは一台、二台と通過して行った。

 わたしは別のホテルの塀に体を貼り付けて、女に気付かれないようにした。

 ようやく何台目かのタクシーが女の前に停まった。

 女を乗せたタクシーが走り去ると、わたしは大通りへ向かって走った。女を見失いたくなかった。

 女がタクシーを拾った場所まで来ると、ネオンサインや街灯の明かりの中に、女を乗せた黄色い車が遠ざかって行くのが見えた。

 わたしは走ってその後を追いながら、空車のタクシーが来るのを待った。

 女を乗せたタクシーはその間に、どんどん小さくなって行った。見失ってしまうかと思われた時、信号が赤に変わって女の乗ったタクシーが停まった。

 わたしはなお走り続けながら後ろを振り向き振り向き、タクシーの空車を探した。

 信号が青に変わる寸前に、ようやく一台の空車をつかまえる事が出来た。

「あの黄色いタクシーの後を付けてくれない ? 礼はするよ」

 わたしは息を切らしながら言った。

「左端にいる車ですか ?」

 初老の運転手は言った。

「そう」

 車が何処をどう走っているのか、新宿以外の街を知らないわたしには分からなかった。

「お客さんは座席に横になって、体を隠して下さいよ」

 運転手は前の車に視線を向けたまま言った。

 わたしは座席に深く体を沈めて、かすかに前方の車が見られるようにした。

 運転手は物馴れた様子で、車が混み合う時には自分の車を、女の乗ったタクシーのすぐそばまで近付けて行った。わたしの方が気付かれてしまうのではないか、と心配した。

 信号灯の下で真後ろに付けた時、運転手は言った。

「彼女ですか ?」

「いや、違う」

 運転手はそれで何を思ったのか、あとは何も言わなかった。

 

 


遺す言葉 228 小説 影のない足音 他 歌謡詞 雨の孤独

2019-02-10 12:25:35 | 日記

          雨の孤独(2019.1.25日作)

 

   雨の日は 心も暗い

   恋人よ あなたは来ないから

   一人聞く アダモの唄が辛い

   もしもこんな時 あなたに会えたなら

   力の限り抱き締め 離しはしないのに

   もう日が暮れる 夜が来る

   雨に滲んで ネオンが点る

   ーーーーー

   いつの日も あなたと二人

   幸せを夢見た あの頃に

   今はただ 涙が帰るばかり

   雨に暮れゆく 街角あの路地が

   虚しく愛の終わりを 教えるだけなのね

   もう再びは 帰らない 

   あんな幸せ 夢見た夜ごと

 

          ----------

 

 

          影のない足音(2)

 

 定職はなかった。バーテンダーの真似事やら、喫茶店のボーイ、キャバレーの呼び込みなどをして、その日暮しに日を送っていた。いわゆる悪(わる)ではなかったが、女たちとの関係は数知れずあった。水商売の女たち、あるいは今度の女のような行きずりの女たちと、その日の気分のままに、女たちを誘っては関係を続けていた。

 だが、わたしの方から女たちに入れ込む事はなかった。たいがいは、わたしの方から嫌気が差して別れていた。一年と続いた関係はまずなかった。飽きっぽいと言われればそれまでだったが、わたしの心のうちには、どこかに乾いた感情があって、それが女たちに対しても熱くさせなかった。

 女たちに対してばかりではなかった。日々、生きているという事自体にわたしは、微妙な違和感を抱いていた。生きる為の確かな芯が掴めていなかった。なんとなく心の奥底に不満があって、それがなんであるのかも分からないままに、その不満を払拭出来ないでいた。

 ---二度目に女に会ったのも、この前と同じバー「蛾」だった。新宿も外れの四ツ谷に近い場所にあったが、わたしの馴染みの店ではなかった。

 わたしはそれでも、例の出来事があった次の土曜日、女を待つつもりで、わざわざその店へ行った。

 女はしかし、来なかった。

「あの女は、よく来るのかい?」

 わたしは、この前のバーテンダーに何気なく聞いた。

「いえ、初めて見えた人ですね」

 二十歳を少し過ぎたぐらいに見えるバーテンダーは言った。

 それで、わたしはなんとなく、女はもう、この店には来ないのではないか、と推測した。金を置いてゆくという行為の中に、手切れ金の意味を含ませたーー、女の無言の意思が込められている気がしていたのだった。

 その夜、わたしが「蛾」へ行ったのも、また一つ顔馴染みの店が出来たぐらいの、単なる気まぐれからだった。女に会う事への期待など、気持ちの片隅にも持っていなかった。

 時間はキャバレーの呼び込みを済ませたあとで、十一時を過ぎていた。扉を開けた途端に女の姿が眼に入って、わたしは足を止めた。

 女はカウンターの一番奥まった席に一人、ポッネンとして座っていた。入り口に近い両端のカウンターには、若い男女の一組と、中年の男連れの一組がいた。

 女が顔を動かした気配はなかった。それでも女は、カウンターの奥の棚に並んだグラスや酒の瓶を映し出している鏡の中で、わたしを見ていたらしかった。わたしが真っ直ぐ女の背後に近付き、並んでスツールに腰を下ろしても顔色一つ変えなかった。

「今晩わ」

 わたしは言った。女の返事も待たずに、

「ずいぶん久し振りじゃない?」

 と、顔を覗き込むようにして続けた。

 女はわたしの顔を見ようともしなかった。

「そうでもないわ」

 と、冷ややかな横顔で言った。

「いらっしゃいませ」

 この前の若いバーテンダーではなかった。初めて見る顔の、三十歳ぐらいで穏やかな感じの、痩せぎすな男だった。

 わたしウイスキーを注文した。

 女の前にあるグラスには、空色をしたきれいなカクテルが三分の一ほど入っていた。

 わたしはせわしなくポケットからタバコを取り出して火を点けた。それから一気に煙りを吐き出して、

「ここへは、よく来ていたの?」

 と、指に挟んだタバコをくゆらせながら聞いた。

 女は黙っていた。

 バーテンダーがカウンターの上でグラスを滑らせ、わたしの前に置くとウイスキーを注(つ)いだ。

「この前、どうして帰ったの ? 眼を覚ましたら、あんたがいなくてびっくりした」

 女はそれでも黙ったままで、グラスを口に運んだ。

「二万円、有難く貰っておいたよ」

 わたしは皮肉を込めて言った。

「おれを悪だと思ったの ? それとも、おれを買ったのかな ?」

 わたしは更に皮肉っぽく、女を追い詰めた。

 女はなお、黙っていた。

「別に心配しなくても大丈夫さ。遊びなれてるから」

 女は腕の陰に置いてあったタバコの箱から、細く長い一本を取り出して、赤いマニキュアをしたきれいな指に挟んで唇に運んだ。

 わたしは百円ライターで火を点けてやった。

 店内では、若い男女の一組がいなくなっていた。中年の男連れと、わたしと女だけになっていた。

 いつの間にか看板の時間が来ていた。

 女の白い顔が酒気を帯びて、ほのかに上気していいるのが分かった。

 気付いた時には中年の男連れもいなくなっていた。

 約束をしたわけではなかった。それでも女は、わたしを嫌がる風ではなかった。わたしたちは連れ立ってバーを出た。

 女はタクシーの中で座席の背後に頭を持たせ掛け、眼をつぶった。

 ひどく静かな印象だった。

 女が自分から話し掛けて来る事はなかった。

 わたしには、女が何を考えているのか分からなかった。

 女はベッドの上でも、芯の溶け切れない堅さを残していた。

 

    ーーーーー      

 

 わたしはそのあと、少し眠ってしまったらしかった。眼をつぶり、女の様子を伺うつもりでいたものが、気が付いた時にはどれだけかの時間が過ぎていた。

 

 

 


遺す言葉 227 新宿物語(2) 影のない足音 他 この歌番組を御存知ですか

2019-02-03 10:55:27 | 日記

          この歌番組を御存知ですか(2019.1.30日作)

 

   BS日本 こころの歌

   このテレビ番組を御存知ですか

   毎週月曜日 BS四チャンネル

   午後七時より放送される

   五十分程の歌番組です

   クラシック系の男女十五人程の合唱団の人々が

   シンプルなドレスやダークスーツ姿で 直立不動

   ただ 歌を歌い継いでゆく

   それだけの番組です 余計な司会

   ナレーションも入りません 時折り

   短い解説が入るのみです それでいて

   思わず画面に引き込まれてしまうのは

   正確な日本語の発音 正確な曲の解釈による

   正確な歌唱が 作詞家 作曲家 その人達が

   心を込めて創った作品 その歌 歌の心を

   小細工なし 直に こちら 観る者 聴く者 の心に

   伝えて来るため だと思います

   日本語の美しさ その日本語に付けられた

   曲の美しさーー スポンサーによる

   広告も控え目で 好感が持てます

   かつて NHKが持っていた 当節のNHKには

   見る事の出来ない シンプルなたたずまい 清潔感

   落ち着いた雰囲気 歌 そのものが好きな方は

   魅了されると思います

   むろん こう書いたからといって 

   この番組 この局 このスポンサー この合唱団 とは

   なんの関係もありません 偶然 眼に 耳にした

   この番組に 心を動かされ 魅せられ その感動と共に

   ちょっと 誰かに話してみたかっただけの事です

   

 

 

          影のない足音

 

 

 雨の土曜日だった。午後十一時を過ぎていた。バーの中にはわたしの外に三、四組の客がいるだけだった。少し物憂い空気が二十脚程のスツールが並んだ、馬蹄形をしたカウンターを持つだけの店内に流れていた。すでにひと時の賑わいも失せて、バーテンダーもやや手持ち無沙汰そうにピーナッツを齧ったりなと゛していた。

 いつの間にか女が隣りに来ていた。わたしはまったく気付かなかった。

 女が何かの拍子に、わたしのウイスキーの入ったグラスを倒した。

 小さなグラスがカウンターの上を転がり、下に落ちて割れた。

「ごめんなさいーー。お酒、掛りませんでした?」

 女が狼狽したように腰を浮かせて言った。

 わたしは突然の出来事に、少し気分を害して女を見た。

「本当にごめんなさい。わたし、酔ってしまったみたいだわ」

 女は、スツールに掛けていたわたしの膝の辺りを気にして言った。

 バーテンダーは手早くカウンターの上に流れたウイスキーを拭き取った。

「ごめんなさい。わたし、グラスを弁償します。それからバーテンさん、この方にお酒を注(つ)いであげて下さい」

 ーーそれが切っ掛けだった。

     -----

 女は三十歳前後だった。細面の、上品な顔立ちをした、どこか育ちの良さといったものが感じられる雰囲気を身に付けていた。

 二人でバーを出るとタクシーで十分程の、新宿歌舞伎町裏のホテルに入った。

 女は初めからそのつもりだった。わたしが眼を覚ました時には、午前三時過ぎだったが、女はそばにいなかった。淡いピンクの照明がベッドの上の、女の頭のない枕だけを照らしていた。

 わたちしは慌てて飛び起きた。

 自分の持ち物を点検した。

 何もなくなってはいなかった。腕時計も、ズボンの尻ポケットに押し込んだ数枚の千円札も、そのままにあった。

 わたしは安堵してベッドに坐り込んだ。

 女が枕探しかと思ったのだが、そうではなかった。単に、行きずりの情事に煩わしい関係がからむのを恐れただけにしか過ぎないらしかった。

 それにしても、ちょっと、いい女だった、とわたしは思った。

 わたしは眼を凝らした。

 サイドテーブルの上のスタンドの下に、意味あり気に一枚の紙切れが挟まれていた。

 手に取ってみると、ボールペンの細いきれいな字で走り書きがしてあった。

 

" 素敵な夜をありがとう。お先に失礼します。お勘定は済んでいるので、どうぞ、ごゆっくり・・・・

枕の下を見て下さい。楽しい夜を過ごさせて戴いたお礼です。また、お会い出来る時を楽しみにしています "

 

 わたしはすぐに枕の下を見た。

 二つ折りにされた二枚の一万円札があった。

 わたしは手に取った。

 おれを買ったつもりでいやがるのか・・・・

 そう思うとなんとなく、侮辱されたようで腹が立った。

 わたしは二枚の一万円札をベッドの上に投げ出した。そのまま、ベッドの足元の方に頭を向けてひっくり返った。

 今度会ったら仕返しをそしてやる・・・・

 軽い腹立ちを覚えながら胸の奥で呟いた。

 

     -----

 

 二度目に女に会った時には、ひと月近くが過ぎていた。その間わたしは、新宿周辺の女の現れそうなバーやスナックを、あちこち探して歩き廻った。

 新宿はわたしに取っては、言わば、地元とも言える街だった。十九歳の頃から二十五歳の今日まで六年間、ほとんど新宿の夜の街で過ごして来た。

 

    続く

 

 

 


遺す言葉 226 小説 夜明けが一番哀しい(完) 他 電話サギが来た

2019-01-27 10:32:38 | 日記

          電話サギが来た(2019.1.22日作)

 

   電話サギが来た

   平成三十一年(2019)一月十九日

   午前中 警察から と名乗った

   市内で八人のサギグループが逮捕され

   中に 二人の銀行員がいた その銀行員が 

   私の預金通帳の情報を漏らした 就いては

   通帳の情報が正しいものかどうか  

   確認したいので 通帳に書いてある

   番号を教えて下さい

   警察から と 名乗った男は 言った 男は

   私の これまで誰一人 読めた事のない 

   難しい読みの名前も知っていて その

   読み方を教えてくれ と言った

   私はその時まだ 「警察」 という言葉を

   疑っていなかった 名前の読み方 を 教えた

   男の言葉遣いは 巧みで明快 疑いを 差し挟む余地は 

   何処にもなかった だが 私の心の中では 

   通帳の番号を 教えてくれ という言葉には

   なぜか 敏感に 反応した 即座に

   いや それは出来ないです おっかなくて

   そんな事は出来ません と 言っていた

   その時 相手は 警察官 という意識は 私の内では

   まだ 消えていなかった それでも何故か 即座に

   拒絶反応が 働いた 相手は その言葉を聞いて 

   軽い笑いを漏らした それからすぐに

   何かあったら すぐに警察に電話をして下さい と 

   それ以上の 事は聞かずに 言った 私は

   はい と答えて 電話を切った

   以上がサギ師 との やり取り だが

   私の心の中では 何か

   腑に落ちない思いがあったらしかった 私は

   なんとなく 警察に改めて 確かめてみよう という

   気持ちになっていた 警察に電話をすると 警察官は

   そんな電話はしていない と言った それで 始めて

   電話サギだったんだ と納得した

   その日 たまたま 用事があって赴いた 銀行で

   こういう電話があった と言うと

   番号は教えてないですね と言った

   番号を教えてなければ大丈夫です 

   安全を約束してくれた まずは

   一安心 安堵した しかし 無論の事

   油断は禁物 これから先も 気は抜けない 

   注意は充分 細心 気を付けて 小まめに

   通帳チェックは するつもり 

   どんな不祥事 何が起こるか 分からないーー

   それにしても いかにも巧みな 語り口

   皆さん どうか 御注意 気を付けて 自身の身

   自分を守るのは 自身が持つ 誰にも犯せない

   自身の権利 たとえ 警察であったにしても

   犯す事の出来ない個人の権利 安易に

   他人 他者に 渡せるものではない 

   大切 重要 貴重な 情報 数字 番号 は

   安易 安直 軽々しく 口にしないに

   越した事はない 

 

 

 

          夜明けが一番哀しい(10)

 

 

 

 数十メートルほど先の歩道に、ピンキーのパクッて来たクーガーが乗り上げ、大きなイチョウの樹に激突してメチャメチャになった姿があった。

「画伯だわ」

 安子が、呑んだ息を吐き出すようにして言った。

「あの人、どうしたかしら?」

 トン子が言うと、三人は早くも走り出していた。

 三人が現場に着くと、前半分をメチャメチャにした社内に、画伯がハンドルにもたれてうつ伏せになっていた。

「こりゃあ、ひどい」

 ノッポが思わず言った。

「画伯は生きてんの ?」

 トン子が不安を抑え切れない声で言った。

「死んでるんじゃない ? 死んでるみたいよ。あんた、ちょっと見てみなよ」

 安子がノッポに言った。

「やだよ、おれ」

 ノッポは露骨に嫌悪と怯えの表情を見せて尻込みした。

 三人は声もなく、フロントガラスの飛び散った車内を恐る恐る覗き込んだ。

 ようやくピンキーが辿り着いた。

「画伯が死んでるみたいよ」

 トン子がピンキーを振り返った。

 ピンキーは眼を丸くして見ていたが、半開きになったドアを無理にこじ開け、体を入れると画伯の体を揺すった。

「おい ! おい !」

 画伯は答えなかった。

 ピンキーが肩を押さえて体を起こすと、画伯は口から血を吐き、額から頬の辺りを飛び散ったガラスで傷だらけにして事切れていた。

「完全に死んでらあ」

 ピンキーは投げ遣りに言って体を離した。

「いったい、なんの心算だったのかしら ?」

 安子が怯えた声で言った。

「普通、車のガラスなんて、細かく割れたって、こんなに飛び散らないもんだぜ」

 ノッポが言った。

「バカだねえ」

 トン子が涙声で言った。

「アンパンにラリッテるくせしやがって、車なんか運転すっからだよ」

 ピンキーが軽蔑を含んだ口調で言った。

「あんただってそうよ。あたしたち来る時、何回、殺されそうになったか知れやしないわ」

 安子がピンキーを非難した。

 ピンキーは何処吹く風といった様子で何も答えなかった。

「どうする ? 警察に知らせる ?」

 トン子が言った。

「ヤバイよ」

 ノッポが怯えて言った。

「死んじゃったもん、どうしようもねえじゃねえかよう」

 ピンキーは吐き出すように言った。

「行こう、行こう」

 ノッポは一刻も早く、この場を立ち去りたい様子だった。

女二人は、なおも気がかりな様子で車の中を覗いていた。

ノッポはそんな二人を促すと、先に立って歩き出した。

ピンキーは一人残された。

彼はぼんやり立っていた。頭の中が思うように回転しなかった。今頃になって酔いが廻って来たようで体がぐらぐらした。急に吐き気がして来て、何度かその場でゲーゲーやった。食物の入っていない胃袋は絞り上げられるだけで、何も吐き出さなかった。

 ピンキーはやがて歩き出した。冷たい水を思い切り頭から被りたかった。岸壁へ行けば海の水で顔が洗えるかも知れない。人気のない公園の中へ入って行くと、噴水が夜明けの空間に、盛んに白い水しぶきを上げているのが眼に入った。物みな総てが、ひっそりと息をひそめている中で、その噴水だけが場違いなほど活発で、華やぎに満ちていた。

 ピンキーはその華やぎを、まるで何かの誘いでもあるかのように感じながら急ぎ足で近付いて行くと、噴水のそばに身を寄せて水盤の中に身を乗り出し、両手に水を救って一気に顔に浴びせかけた。

 水は思いのほか冷たかった。その冷たい水の感触が、頭の中に詰まって、今にも破裂しそうなほどに膨れ上がった鬱積物を、爽快に流し去ってくれそうな気がした。

 ピンキーはその心地よさに酔うように、さらにメチャクチャに同じ行為を続けた。頭の芯が痛いほどに冷え切った時、ようやく手を止めた。水盤の淵に両手を付いて、頭から水の滴り落ちるのに任せたままでうな垂れていた。

" あんな奴らに付き合っちゃいられねえや "

 ピンキーは体を起こすと犬のように頭を振って、髪の水を飛び散らした。

 ノッポにも安子にもトン子にも、ピンキーはイライラした。奴らなんか大っ嫌いだ !

 画伯のやつが車をぶっつけてしまったおかげで、どうやって東京へ帰ったらいいのか分からなかった。フー子からせびった金はトン子が持っていってしまった。また、別の車をパクルより仕方がないようだった。

 子豚のように丸っこい短足のトン子は、ともすればノッポと安子から遅れがちになった。

「あんた、早く歩きなよ。置いてくよ」

 画伯が引き起こした事故の現場から一刻も早く遠ざかりたい安子は、トン子のノロさ加減にいらいらして、何度も振り返りながら剣突を食わせた。

「だってわたし、お腹が空いちゃって歩けないよ」

 トン子は泣きべそをかいた。

 肩から掛けたポシェットさえが重く感じられる上に、足首まである長いスカートが纏わり付いて邪魔になった。

「ちょっと、お金かしてくれよ。おれたち、先に行くからさ」

 ノッポが苛立って言った。

 ノッポは邪魔なトン子を除け者にして、安子と二人だけになりたかったのだ。

「あたし、キヨスクに間に合わないわ」

 安子が言った。

「あんなもん 休んじゃえばいいじゃん。おれんちに来てゆっくり寝た方がいいよ」

「そんな訳にはゆかないわよ」

 結局、安子とノッポはトン子を言いくるめると、彼女の手に千円を残し、自分たちは三千円を持って先に帰った。

 トン子は一人になると、むしろホッとした。

" あの二人と一緒にいると、馬車馬のように急き立てられてくたびれてしまうわ "

 それでいてトン子の心は妙に淋しかった。

 何台かのタクシーに出会ったが、トン子は停めようとは思わなかった。心の深い所に画伯の死がこびり付いていて、なるべく人に会いたくない気持ちだった。

 駅までの道がどう続いているのか、よく分からなかった。来る時に車が一瞬、国電の近くを通過した事を覚えていた。それを頼りに歩いて行った。

 家へ帰ったら、何時になるのだろう ?

 いつも新宿から帰る時は、両親はまだ起きていなかった。それでトン子は、用意して置いた踏み台からブロック塀をよじ登り、柿の木を伝わって少し開けておく二階の窓から、自分の部屋へ入るのだった。だけど、この時間では、いつものように旨くゆくかどうか分からない・・・・・

 出来る事なら、道端へ腰を下ろして休みたかった。うるさいノッポと安子がいないと思うと 、いっぺんに疲れが出て来て、重い足を引きずり歩いた。---夢の王子様は、今日もトン子の前に現れなかった。

 トン子が土曜日毎に" ディスコ・新宿うえだ "へ通うのは、踊るのが好きなわけでも、仲間達に会うのが楽しいからでもなかった。週日を母の農業を手伝ったり、家事をして過ごすトン子は、周囲に広がる田圃や畑の景色にうんざりしていた。それでトン子は、近くの工場に勤めている父が日曜日の休みのせいで、その日は母も朝が遅い土曜日の夜にだけ、安心して家を抜け出し、自分の夢を追うようにわざわざ二時間以上もかけて、新宿へ通って来るのだった。

 十八歳のトン子には、新宿はいつも夢を与えてくれる街だった。きらびやかに輝くネオンサインと溢れる人の波、絶え間のない喧騒が。知らず知らずにトン子の心を浮き立たせていて、トン子は自分が夢の世界にいる気がするのだった。そして事実、トン子でさえが、当てもなく街の中を歩いている時には、何人かの若者や中年の男達にまで声を掛けられて、自分という人間の価値が認められたような気がして来て、心の華やぎを覚えるのだった。

 トン子の胸がキュンとなり、緊張感を覚えるのは、そういう時だった。トン子はそんな時、一瞬、男達の誘いにのって付いて行ってもいいかな、と思う。だが、臆病なトン子の心は最後の瞬間に、そんな自分を裏切っていた。心臓が激しく高鳴って、息の詰まりそうな感じと共に、言葉が口を出て来ないのだった。そしてトン子は、鋼のような硬い表情で男達から離れていた。

 トン子の心にはそんな時、いつも悔いが残った。どうして、うん、と言えなかったのだろう・・・・せっかくの機会を逃してしまったという思いのうちに、絶望的な後悔にさいなまれた。そして、最後にトン子が辿り着くのが結局 "うえだ "だった。 "うえだ "にはトン子の夢はなかったが、心の安らぎを得られる場所があった。

 最初トン子は、ピンキーを夢の王子様だと思った。赤ん坊のようにピンク色の肌をした美少年のピンキーは、あらゆる女性達の眼を惹いた。ピンキーに少しでも心を惹かれた女達は、だが次には、ピンキーの口から出て来る激しい言葉の数々に必ず度肝を抜かれた。トン子もまさしくそんな一人だった。そして、トン子は思った。わたしの求める王子様は、もっと優しくなければならない・・・・

 ピンキーは明らかに女性達を嫌っていた。そのためピンキーが、新宿という街に生きていながら、まだ童貞だという事もトン子は知っていた。トン子はもう、ピンキーにどんな幻想も抱いていなかった。ピンキーは決して心の通い合う事のない一人の仲間だった。

 トン子は夜明けの明るさに染まった街を歩きながら、ピンキーは酒に酔ったまま、何処へ行ったのだろう、と考えた。そして、フー子は ? 画伯が事故を起こした車は、もう発見されただろうか ? 中で画伯が死んでいるのを見て、みんなは大騒ぎをするに違いない・・・・

 トン子は鉄の足枷をはめられたように重い足を引きずりながら、今は一刻も早く家へ帰って眠りたいと思った。

                                                                                                      

                            完

                                                                                                                                             

   

   


遺す言葉 225 小説 夜明けが一番哀しい 他 十二代目 団十郎の死

2019-01-20 13:08:44 | 日記

          十二代目 団十郎の死(2013.2.8日作)

               松竹は今年一月十四日市川海老蔵さんが

               2020年五月に十三代目市川団十郎を襲名すると

               発表しました。この文章は十二代目が亡くなって

               間もなくに書いたものです

 

   歌舞伎の世界にとって わたしは

   最良の観客とは言えない

   特別の誰彼の贔屓を持つわけでもない

   何かと理屈を付けて外出も控える昨今

   劇場に足を運ぶ機会も ほとんどない

   それでも時おり 眼にする

   テレビの画面での芝居や舞踊に

   ふと 魅せられ 眼を向ける好奇の心は

   まだ 失っていない

   そんなわたしに於いても

   記憶に新しい十八代目 

   中村勘三郎の訃報に続く

   平成二十五年(2013)二月三日午後九時五十八分逝去

   十二代目 市川団十郎の訃報には 一瞬 息を呑み

   歌舞伎の世界での心柱 一本の

   太い柱の失われた喪失感を

   瞬時に感じ取らざるを得なかった

   かねてからの難病を危惧する思いの 常に

   意識の中から消える事のなかった事実は存在したにせよ

   逞しくそこに立ち向かい いささかも

   脆弱さ ひ弱さを見せる事のなかった

   見事な舞台姿

   成田屋十八番の荒事に於ける

   天性 身に備わった役者としての骨格

   実在感と共に この失われた太い柱

   それに代わり得る役者の姿の今現在

   眼に見えて来ない闇 暗黒の空間

   その心柱の失われた瞬間と共に生じた

   深い闇の空間を かつて存在した

   心柱の持つ堅固な実在感とまったく違わない感覚の

   深い喪失感を今 心の痛みと一緒に

   感じ取っている

 

 

          夜明けが一番哀しい(9)

 

 

「画伯が乗って行っちゃったのかしら?」

「ピンキー、あんた、車どこへやったの?」

 トン子は聞いた。

 ピンキーは寒そうに背中を丸めながら、

「知らねえよ」

 と、ボソボソした声で呟いた。

 ようやく辺りには、夜明けの仄明るさが漂い始めて来た。開港記念公園に突き当たる一直線の道もはっきりと見通せた。

「チェッ、画伯の野郎が乗って行っちゃったんだよ、きっと。あいつ、なんの心算なんだろう」

 ノッポが悔しそうに言った。

「気が狂っちゃったんじゃないの」

 安子が答えた。

「そうかも知れないなあ。アンパンで頭がおかしくなっちゃったんだよ、きっと」

 ノッポが言った。

「どうしょう、どうやって帰るの ? フー子、あんたお金持ってる?」

 トン子が泣き出しそうな声になって聞いた。

「あるわ」

 フー子は小さな声で言うと、早速、尻ポケットからクチャクチャになった千円札を何枚か掴み出した。

「ありがとう、これだけあれば、みんな電車で帰れるわ」

「だけど、まだ、電車なんか動いてないよ」

 ノッポが言った。

「動いてるわよ、もう」

 東京駅のキヨスクで働いている安子が言った。

「今、何時 ?」

 トン子がノッポに聞いた。

「五時ちょっと 前だ」

「じゃあ、もう動いてるわよ。わたしが新宿駅からいつも帰るのは四時過ぎなんだから」

 トン子が夜明けの一番電車で帰る時の時刻を基準にして言った。

「だけど俺、腹へっちゃったよ。何か食いに行こうよ。それだけあれば、何か食えるだろう?」

 ノッポがトン子の手に握られた数枚の千円札を見て意地汚く言った。

「それこそ、食べ物屋なんかまだ開いてないわよ」

 安子が言った。

「山下公園の方へ行けば、なんかあるんじゃない ?」

 トン子が言った。

「屋台ならともかく、店が開いてるわけないでしょ。こんな時刻にさあ」

 安子はトン子をやり込めろように突堅貪に言った。

「ホテルのスナックなんかやってない ?」

 トン子は言った。

「あたしたちみたいなのがホテルに入って行ったら、追い出されるに決まってるわよ」

 安子は言った。

 山下公園通りへ曲がる反対側の角に、数件の飲食店の看板が見えたが、どの店もドアを閉ざしたままだった。

「みんな、まだ開いてないね」

 トン子が疲れた声で言った。

 誰も答えなかった。

 公園通りへ入ると、右手には豪華なビルやホテルが軒を連ねていた。

 ホテルの前には何台かのタクシーが停車していた。どのタクシーも運転手が仮眠を取っているのか、顔が見えなかった。

 五人はすっかり葉を落としたイチョウ並木の公園通りを、当てもないままに歩いて行った。

 公園入り口まで来た時、彼等は奇妙な光景を眼にした。

 一匹のさして大きくはない茶色の中型犬が、公園入り口の舗道で直径一メートル程の円を描きながら、しきりにぐるぐる廻っていた。

「なに、あの犬。あんな所でなにやってんの ?」

 安子が言って、みんなの注意をそこに向けた。

 犬は一心不乱といった様子で、同じ場所をただ、ぐるぐる廻っていた。思い詰めたような、何かに取り憑かれでもしたかのような犬の行動は、その一途さゆえに不気味でさえあった。五人は自ずと足を止めて見入っていた。

 犬はやがて五人に気付くと、ふと立ち止まって顔を上げ、彼等を見詰めていた。しばらくそうして見詰めていたが、あとは何事もなかったかのように何食わぬ顔で、すたすたと車道を横切り、ビルの陰に消えて行ってしまった。

「なに、あの犬、バカみたい」

 トン子が可笑しそうに言った。

「頭がおかしいんじゃないのかい ?」

 ノッポが言った。

「犬にも気の違った犬ってあるのかしら ?」

 トン子が言った。

「気違い犬か ?」

 ノッポが可笑しそうに笑った。

「狂犬病ってのがあるだう」

 ピンキーが唐突に口を挟んだ。

「あれは気が違うって言うのとは別でしょう」

 安子が言った。

「犬のそんな専門病院なんかがあったら、面白いだろうな。ワンワン、わたしはアンパンにラりッて、頭がおかしくなりました。何処かいい病院を知りませんか、なんてさ」

 ノッポが犬の格好を真似て言った。

 フー子はいつの間にかいなくなっていた。

 他の四人はその事に気付きもしなかった。犬の話しに夢中になっていた。

 少し行って彼等は更に、別の異様な光景に息を呑んでいた。

。 

 

 

 


遺す言葉 224 小説 夜明けが一番哀しい 他 悲劇・・・モンローとディマジオ

2019-01-13 12:39:48 | 日記

          悲劇・・・モンローとディマジオ(2019.1.9日作)

                今夜もNHkBSでモンローに関した題名のドラマが

                放送されるようです。私は見る気はありませんが。

 

   貧しい移民の両親の下に生まれたジョー・ディマジオ

   不幸な生い立ちの神経質なマリリン・モンロー

   深く愛し合ったがゆえの二人の悲劇ーー嫉妬 別れ

   ディマジオの嫉妬に耐えられなくなったモンローの

   自棄的行動 男性遍歴ーーディマジオの孤独

   しかし 結局 モンローの心の底には

   ディマジオへの愛があった ?

   そして モンローの不幸な死ーーケネディ疑惑

   ・・・・・力のある者の横暴 ?

   モンローの墓前に花を奉げるディマジオ

 

 

          夜明けが一番哀しい(8)

 

 

「本当よ、あんたがいないうちさ」

 安子が言った。

「こんなちっちゃな本だったけど、一ページ一ページ破って口の中へ入れると、水を呑みながらどんどん食べちゃったんだよ。それであの人、お腹をこわして一ヶ月ぐらい蒼い顔をしていたんだから」

 トン子が言った。

「信じられないね」

 ノッポが如何にも自分が正常な感覚の持ち主ででもあるかのように言った。

「あの子、マンガ家になんかなれっこないよ。あん風にしていたんじゃあ」

 安子が見限ったような口振りで言った。

「でも、絵を描かせたらうまいわよ。さっさっと描いちゃってさ」

 トン子が言った。

「絵がうまいだけでマンガ家になれるんなら、誰も苦労しないわよ」

 安子が言った。

「そうさ、マンガ家になるには想像力がなくちゃ駄目だよ」

 ノッポが訳知り顔でうけあった。

「やだぁー、あれ、ピンキーじゃない ?」

 トン子が突然、頓狂な声を出して指差した。

「本当だ。ピンキーだ」

 ノッポが答えた。

 ピンキーは階段の降り口のところで体を海老のように折り曲げ、腕を枕にして眠っていた。

「やだぁー、ずっと、あそこに寝ていたのかしら ?」

 トン子が大げさに驚きを表して言った。

「寒くないのかなあ、あいつ ?」

 ノッポが言った。

「お酒に酔っているから寒くないのよ」

 安子が言った。

「だって、酔っ払って寝ちゃってさ、凍死したなんてよく新聞に出てるじゃん」

「それは真冬で、カチカチに氷が張る寒中の事よ。バカね」

 安子が軽蔑したように言ってノッポを見た。

「そうか、それもそうだな」

 トン子は一足先にピンキーに近付くと体を揺り動かした。

「あんた、こんな所で寝ていると死んじゃうよ」

 ピンキーは眼を覚ました。コンクリートの上に足を投げ出して坐るとぼんやりしていた。それからすぐにまた、うつらうつらし始めた。

「あたし達、帰るわよ。置いて行っちゃうから」

トン子はピンキーの背後から両脇に手を入れて抱き上げた。

 ピンキーはようやく、よろよろと立ち上がった。

「あんたも困った人ねえ」

 トン子は世話女房のような口振りで言った。

 階段を降りるとフー子が立っていた。

「あんた、あんな所で何やってたの ? わたし、なんだか、あんたが今にも海の中に飛び込んでしまうんじゃないかっていう気がして、とっても怖かったわよ」

 トン子は言った。

 フー子は眼を伏せただけで答えなかった。

 フー子に何処となく暗い翳があるのは、やっぱり家庭環境が影響しているのだろうか、とトン子は考えた。

 トン子は何時だったか、確かに、無口なフー子の口から彼女の境遇を聞いたように思った。それとも、単に自分が想像しただけの事だったのか ? ・・・・・

 それにてもフー子はいつも、どうしてあんなにお金を持っているのだろう ? 彼女の父親はやっぱり、大きな会社の社長なのだろうか ? いったい、フー子はあんなに自由にお金が使えるのに、何が不満で夜中まで、ふらふら街の中をほっつき歩いているんだろう・・・・・ ? 

 トン子は少し前を歩いて行くフー子の形の良い小さな尻を包んだジーパンのポケットには、幾らのお金が入っているんだろう、と考えた。

「あら ! 車がない 」

 突然、安子が立ち止まった。

 先程、ピンキーが停めた場所に車はなかった。

「盗まれたのかしら ?」

 安子は辺りをキョロキョロ見廻した。

「画伯は何処へ行ったんだ ?」

 ノッポが言った。 

 

 

 

 

 

   

   

   


遺す言葉 223 小説 夜明けが一番哀しい 他 今日という日

2019-01-06 12:04:24 | 日記

          今日という日(2018.12.10日作)

 

   今日という日は

   永遠に帰らない

   今日という日は

   永遠の一日

   その 永遠の一日は

   記憶の中に埋没し

   忘れ去られてゆく事はあっても

   無価値になる事はない

   今日という一日は

   過去の一日の

   積み上げの上に成り立つ

   今日という一日であり

   明日という一日を用意する

   今日という一日だ

   すなわち

   今日という一日は

   永遠の中の一日であり

   永遠の一日だ

 

 

 

          夜明けが一番哀しい(7)

 

 

 横浜税関の建物の前を右に曲がると、四百メートル程で山下公園への道だった。正面にシルクセンターの、明かりを消した建物が見えた。その建物の正面を左へ曲がると大桟橋への入り口だった。右手にあらかた葉を落とした枝を夜明け前の暗い空に無数に延ばしている、山下公園通りの銀杏並木が見えたが、ピンキーは迷う事なく大桟橋への道を突進した。

 まだ寝静まったままの建物が並ぶ通りを抜け、送迎デッキへの突き当たりに来てピンキーは急激にブレーキを踏んだ。みんなは再び車の中で座席から放り出されたが、眼の前に広がる港の光景に眼を奪われていて、乱暴な運転に文句を言う事も忘れ、歓声を上げながら車から降りた。

「おお、寒いよう」

 ノッポがボートネックの長袖シャツの腕を抱え込んで言った。

 十一月も終わりに近い、海の匂いを孕んだ夜明けの空気は、冷え冷えとした冷気を肌に伝えて来た。

 ノッポはそれでも先程までの不機嫌も忘れ、初めて見る横浜港の眺めに御機嫌だった。

「ほら、見てよ。灯りがとってもきれい !」

 トン子が叫んだ。

 山下埠頭の倉庫の建物に沿って点々と連なる灯りが、ダイヤモンドの輝きを見せていた。

 暗い水面は静かだった。赤い灯の浮標(ブイ)があるかなしかの波に小さく揺れていた。

 トン子が真っ先に送迎デッキへの階段を上って行った。

 ピンキーも画伯も車から降りた。

 トン子が上って行った送迎デッキから見下ろす大桟橋には、だが、期待に反して外国航路の大きな船はいなかった。小型のボートだけがぎっしりと船体を寄せ合って岸壁にへばり付いていた。

「なあーんだ。外国航路の船なんていねえじゃねえか」

 後から来たノッポがもぬけの殻の桟橋を見下ろしながら、非難がましく言った。

 トン子はノッポの口調に、不服そうに顔をふくらませたが黙っていた。

 次に安子が来て、三人は送迎デッキの先端に向かって歩いて行った。

「ほら見て ! あれがそうじゃない ?」

 トン子が不意に、倉庫に沿った方角にある白い船を指差して言った。

「バカね、あれは氷川丸じゃない。いつもあそこにいるのよ。あそこでは結婚式だって出来るんだから。夏なんかハワイアンなんかやっちゃってさ、ビヤガーデンにもなるんだってよ」

 安子が言った。

「そうか」

 トン子が明らかに気落ちした声で言った。

 国際船客ターミナルの内部も暗かった。

 ピンキーと画伯とフー子は何処へいったのか、姿が見えなかった。

 トン子たち三人は肌寒さに体を縮めながら、送迎デッキの尽きる所まで歩いて来ると、"係員の許可なしには下へ降りないで下さい"と書かれた看板の前で立ち止まった。

 桟橋へ降りる階段は鉄柵で閉ざされていた。

 三人は仕方なしに鉄柵にもたれると沖合いを見つめた。

 港の入り口に違いない遠い所に、橋の形の灯の列が夢のように浮かんでいた。

「あんな所に橋があるんだね」

 安子がくぐもった声で元気なく言った。

 水面は依然として暗かった。その中で暗い空の藍を映してか、時おり鈍く光る水が微かにうねっているのが見えた。

 三人は椋鳥のように鉄柵にもたれたまま黙っていた。夜通し眠らなかった疲れと、昨夜来、満足な食事もしていない空腹感とが彼等の元気を奪っていた。

" こうして、じっと見つめていると、水って、なんて恐ろしいものなんだろう・・・・・"

 トン子は暗い水面を見つめて気勢の上がらないままに、心の中で呟いた。

 ほとんど流れの感じられない水面が、はるか沖合いから徐々に膨れ上がり、迫って来るような気がして、その巨大な体積と重量に圧倒される思いだった。

" まるで、今にも暗い水面がここにいるわたしたちを呑みこんでしまいそうな気がする・・・・・"

 トン子は思わず、「アッ」と小さな声を発した。同時に助けを求めるような視線をノッポとヤ安子に向けた。

「あれ見て ! フー子じゃない ?」

 トン子が指差しながら、緊張した声で言った。

「ほんとだ。あいつ、何処からあんな所へ行ったんだろう ? 」

 ノッポが間の抜けた声で言った。

 トン子はだが、気が気ではなかった。

 フー子は桟橋の最先端に立ち、じっと暗い水面を見つめていた。

 トン子には、フー子が今にも暗い海の中に身を投げてしまうのではないか、と思えた。

 フー子の長い髪が風に揺れ、彼女の背中を見せた姿が、異様なまでに暗い影を宿していた。

 トン子はすぐにでも階段を駆け降りてそばへゆき、フー子の華奢な体を抱き締めたい衝動に駆られた。だが、彼女は鉄柵に阻まれ、それが出来なかった。

 トン子は思わず大きな声を出していた。

「フー子 !」

 フー子が自分の声を聞いて、咄嗟に海に飛び込んでしまうのではないか、トン子は恐れた。

 フー子はだが、すぐに声のした方を振り返ると、トン子たちのいるデッキを見上げた。

 トン子は途端に緊張感のゆるむのを覚えて、その場にへたり込みそうになった。

「なんだって、そんな所にいるのよ。何処から行ったの。こっちへおいでよ」

 トン子はどうにか気を取り直してようやく言った。

 フー子は何も答えなかった。それでも黙ったまま踵を返して水際を離れた。

「おれ、寒くなっちゃったよ。車へ帰ろうよ。船がいなくちゃつまんねえや」

 ノッポが元気のない声で言った。

「ピンキーと画伯は何処にいるの ?」

 安子が始めて彼等の姿が見えない事に気付いて言った。

「知らねえ。あいつら、酔っ払いとアンパン中毒なんだから、どうしようもないよ」

「ねえねえ、画伯がさ、なかなかマンガが描けないもんだから、誰かに手塚治虫のマンガを一冊食べなければ、いいマンガなんか描けないよ、って言われてさ、本当に食べちゃったの知ってる ?」

 元気を取り戻したトン子が、安子とノッポの後を追い駆けながら言った。

「いつ ?」

 ノッポが、信じられない、といった声で聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

        

 


遺す言葉 222 小説 夜明けが一番哀しい 他 歓喜と悲哀

2018-12-30 13:05:26 | 日記

          歓喜と悲哀(2018.12.10日作)

 

   今日は 今年は

   これが あれが 出来るようになった

   今日は 今年は

   これが あれが 出来なくなった

   幼児 と 老齢者

   今日に 明日に また一つ また一つ

   出来るようになった 出来る事の

   増えてゆく喜び 幼児の時間

   今日に 明日に また一つ また一つ

   出来なくなった 出来る事の

   消えてゆく哀しみ 老いゆく者の時間

   人の生きる時間 時は

   喜びと哀しみ を 

   同じ船に乗せて 同じように 運び

   運んで来る

   運んで行く

 

 

 

          夜明けが一番哀しい(6)

 

 

 ピンキーは 答えなかった。依然、百キロを超えるスピードで突っ走りながら、

「道を間違えたらしい」

 と呟いた。

「えっ !」

 ノッポが不快感をあらわに言った。

「ぐるぐる眼が廻りやがって、道がよく分かんねえや」

 ピンキーが投げ遣りに言った。

「冗談じゃないよ。だから俺、厭だって言ったんだよ」

 ノッポは今にも泣き出し兼ねない声を出した。

「あんたが運転しないから悪いのよ」

 安子がノッポに当り散らした。

「だいたい、夜中に横浜の港なんかへ行こうって言うのが悪いんだよ。そんな事言わなけりゃ、こんな事にならなかったんだよ」

 画伯が息絶え絶えに、力なく言った。

「だって、しょうがないでしょう。船を見たかったんだから」

 トン子は泣き声でおろおろしながら言った。

「へッ、ロマンチックなもんだ」

 ノッボが悪意を込めて言った。

「ピンキー、車を止めてよ。間違った方角へいくら走ってもしょうがないでしょう」

 トン子が涙声でピンキーに食ってかかった。

 ピンキーはその言葉と共に一気にブレーキを掛けた。

 深夜の路上にけたたましいブレーキとタイヤの軋る音がして車が止まった。誰もが座席から放り出されて重なり合った。

「あんた、あたしたちを殺すつもり!」

 安子が猛然と食ってかかった。

 ピンキーはだが、その時にはもう、ハンドルにもたれ掛かってうつらうつらしていた。

 みんなは改めて座席に座り直した。

「あんた、いったい、どうする積もり?」

 安子がトン子を責めた。

「どうするったって、わたしに聞いてもしょうがないでしょう」

 トン子がべそをかきながら言った。

 ピンキーはハンドルに凭れたまま眠っていた。酒の酔いが一気にまわったようだった。

「このままじゃあ、俺たち、確実に事故って死ぬよ」

 ノッポが確信に満ちた声で、だが、心細げに言った。

「だから自分で運転すればいいのよ」

 安子はなお不機嫌に当り散らした。

 

     ----------

 

 ピンキーは十分近くたってか眼を覚ました。

「ここは何処だい?」

 ピンキーは自分の置かれている立場をすっかり忘れてしまっていた。ハンドルを握っている事さえ自覚していないようだった。

「あんたが訳の分からない所へ、あたしたちを連れて来ちゃったのよ」

 トン子が腹立たしげに言った。

 ピンキーはようやく自分の立場を理解した。再び車を発進させた。

「あんた、大丈夫なの、冗談じゃないわよ」

 安子が咎める声で言った。

「方角が、どっちがどっちだか分かんねえや」

 ピンキーが投げ遣りに言った。話す言葉つきに、まだ酔いの醒め切っていない気配があった。

「少し戻って環八に出た方がいいと思うわ」

 今まで黙っていたフー子が始めて口を開いた。

「ここは何処なんだ?」

 ピンキーは言った。

「東宝の撮影所の近くへ来ちゃってるわ」

 画伯はみんなの足の下で体を折り曲げて小さくなっていた。座席に腰掛けている事さえ出来なくなっていた。

 

     ----------

 

 フー子のうろ覚えの道案内で、どうにか環八通りから第二京浜へ出て横浜方面への道を辿る事が出来た。

 長い時間の末に京浜東北線の関内駅の横を通過した時、トン子が急に弾んだ声を張り上げた。

「見て見て、横浜公園入り口って書いてあるわよ」

「横浜公園なんかあったってしょうがないじゃないか。山下公園ならともかくさ」

 ノッボが言った。

「ほら、あれが横浜スタジアムじゃない。野球場よ」

 トン子は相変わらずはしゃいだ声を張り上げた。

 車はそのまま市庁や県庁の建物の立ち並ぶ通りを走った。県庁わきの交差点の一画にある 交番の赤い灯を見たノッポが、

「ヤバイぜヤバイぜ」

 と、思わず叫んだが、ピンキーは意にも介さなかった。信号を無視して走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


遺す言葉 221 小説 夜明けが一番哀しい 他 嫌な時計

2018-12-23 10:52:09 | 日記

          嫌な時計(2018.11.6日作)

 

   目覚まし機能の付いた時計が

   壊れた

   新しい時計を買った

   古い時計は

   一秒刻みの秒針だったが

   新しい時計の針は

   いっ時の休みもなく 文字盤を

   流れるように動いている

   いっ時の休みもなく 四六時中

   動き続ける 細い針 秒針

   人の命は 今 この瞬間

   この針の動きを眼にしている

   この瞬間にも 削り 取られてゆく

   人生の時が 針の動きと共に 無情に

   過ぎて逝く 削り 取られてゆく

   不穏 不安な感覚

   そんな感覚を呼び覚まし 抱かせる

   針の動き 落ち着かない気分

   嫌な気分にさせられる 

   嫌な 時計だ

 

 

          夜明けが一番哀しい(5)

 

 

 トン子が最初に気付いて、まるで予期していない事に遭遇したかのように、びっくりした顔をした。トン子はいつもする事が大袈裟だった。

「あら、もう行って来たの?」

 ピンキーは黙ったまま手招きして、早く来い、と促した。

「ピンキーが帰って来たよ」

 トン子が仲間達に言った。

 安子とノッポが顔を離して入り口のピンキーを見た。

 ノッポの顔からは明らかな不満の表情が見て取れた。彼には、横浜なんて下らない所へ行くよりは、ようやくその気になっている安子と寝る方がよかったのだ。

 安子はそんなノッポを突き放して立ち上がると、ポシェットを肩に掛け直した。

 画伯は自分には関係ないかのように、透明なビニール袋に顔を突っ込んだままでいた。

「あんた、行かないの?」

 トン子が画伯の背中をどやした。

 画伯は気弱そうに困惑の表情を浮かべて立ち上がった。

 お節介焼きのトン子は、今度はフー子のそばへ行って肩を揺すった。

 フー子は眼を覚ますと訳が分からないように、しょぼくれた顔で前にかかった長い髪の間から周囲を見廻した。

「あたしたち、横浜へ船を見に行くのよ。あんたも行くんでしょう」

 成田の家を出る度に二、三千円の金をくすねて来るトン子は、いつもピーピーだった。彼女はフー子に一番借りがあったが、返す当てなどなかった。コーラーやジュースを買うための百円、二百円の金なら踏み倒しても罪がないように思えるのだが、五百円以上の金になると、なんとなく罪悪感を覚えてしまうのだった。フー子に借りた金が今、幾らになっているのか、どことなくノー天気なトン子には計算出来なかった。

 フー子はトン子に促されて、黙ったまま、長い髪をうるさそうに書き上げると立ち上がった。

 フー子には何処となく、陽炎のようにも思える透明な感じがあった。その存在の内側を誰もが苦もなく通り抜ける事が出来そうに思えるのだったが、しかし、通り抜けたあとでも彼女は、依然として、元のままの姿でそこに立っているようにも思えるのだった。

 フー子は物にこだわる事がまったくなかった。彼女にはあらゆる事が流れて行く水でしかないかのように見えた。彼女の存在が、多かれ少なかれ借金のある仲間達に重圧感を与える事はほとんどなかった。彼女が無造作にジーパンの尻ポケットから掴み出す紙幣は、仲間達には単なる紙屑でしかないように見えるのだった。

 フー子を最期に扉の外へ送り出すとトン子は室内の明かりを消した。

 彼らの仲間内でそのおしゃべりと共に、一番の世話焼きがトン子だった。上田さんが帰ったあとの店内の始末は、暗黙のうちにトン子の仕事として委ねられていた。彼女はなんとなく間抜けなお人好しに見える面とは裏腹に、細かい事にもよく気が付いて、そんな事をしている時のトン子はむしろ嬉々として、生き返った魚のようにさえ見えた。

 トン子が最後にシャッターを降ろして階段を上がって行くと、深夜の路上にマーキュリーのクーガが置いてあった。

「あんた、これ、外車じゃないの!」

 トン子は驚いたように言った。

「文句なんか言わねえで、さっと乗れよ。ヤバイんだからよ」

 ピンキーは何時でも不機嫌で怒っているみたいだった。

「誰が運転するの? ピンキーじゃ酔っ払いだから危ないわよ」

 トン子はなおも、お節介焼きらしく口を出した。

「うるせえな、心配なら乗んなよ。おまえみたいな九官鳥は、ぺらぺら喋るだけで何も分かんねえんだから黙ってろよ」

 ピンキーのいつも苛立っている事と、その毒舌には誰もが慣れっこになっていた。

「あんた運転しなよ」

 安子がノッポに言った。

「やだよ、おれ。外車なんか運転した事ないよ」

 ピンキーはさっさと運転席に乗り込むとドアを閉め、エンジンを掛けた。

 みんなが慌ててツードアの入り口へ廻った。

「誰と誰がうしろに乗るの?」

 トン子が言った。

「うしろは四人だ」

 ピンキーが言った。

「四人乗れるのかい?」

 ノッポが気乗りのしない様子で言った。彼はまだ、安子と一緒の夜を過ごす事に未練を残しているようだった。

「トン子は太ってるから前に乗りなよ。あたしたち四人ならなんとかなるわ。車が大きいから」

 安子が言った。

 安子、ノッポ、画伯、フー子の順でうしろに乗った。最後にトン子がドアを閉めた。ピンキーが一気に車を出して、彼らの深夜の旅が始まった。

 

 

     ----------

 

 

 横浜港への道順など、誰も知らなかった。ピンキーの運転は噂にたがわず乱暴なものだった。深夜の路上に走る車の数は少なかったとはいえ、ほとんど信号を無視して突っ走った。狭い道路ではジグザグ運転で先行する車を何台も追い抜いた。その度に後部席の連中は左右に揺すられ、体をぶっつけ合って悲鳴を上げた。

「あんたちょっと、もう少し静かに運転出来ないの?」

 トン子が辟易して言った。

「おれ、気持ちが悪いよ。 胸がムカムカする」

 画伯がゲッソリこけた頬に、ほとんど血の気をなくした顔でうめいた。アンパンの袋も手放してしまっていた。


遺す言葉 220 小説 夜明けが一番哀しい 他 そびえ立つもの

2018-12-15 16:22:13 | 日記

          そびえ立つもの(2018.11.25日作)

 

   人々を魅了し 引き付け

   呼び寄せる 巨岩 奇岩

   美しく 高い山々は それのみで

   存在し そびえ立つ 訳ではない

   その存在 その重量 その体積 を支える

   底辺の微細な砂 土の一塊(くれ) 一塊

   大地があってこその存在 人の世も また同じ

   微細な砂 土の塊(かたまり) 一般市民

   人々の存在 その存在 力なくして

   世の中 世間は成り立ち 成立し 得ない

   高い地位 高みにあって得意満面 人々

   庶民を見下ろす場所に立つ存在であっても

   一度(ひとたび) 庶民 一般 人々の支えを失い

   足下が崩れ 崩れ去れば たちまち崩壊

   落ちてゆくだけの 儚く もろい存在

   巨岩 奇岩 高い山々 その存在が この世界

   世の中 世間 社会 を 創出し この世界

   社会を動かしている訳ではない

 

          夜明けが一番哀しい(4)

 

 母親の偏執狂的なピンキーの行動への探索が、それから始まった。今までは素直に自分の言うがままになっていた息子の変化の裏には、何かの事情が隠されているに違いない。そして、母親の視野に入って来たのが牧本順子だった。

 ピンキーは父親を思い出す事がほとんどなかった。父はある技術研究所に勤める一流の技術者だった。父親が自宅でくつろぐ姿をピンキーは、幼い頃から一度も眼にした事がなかった。出勤したその日のうちに父親が自宅へ帰って来た事もまた、一度もなかった。研究、研究で明け暮れる父はそれだけに、数々の輝かしい業績も残していて、多くの賞も受賞していた。

 母にはそんな夫が自慢だった。夫婦揃って華やかな席に出席する機会も幾度かあって、母にとっては不足のない夫だった。

 一方、母は、自分の心の中で何か満たされない思いもまた、抱いていた。そして、それがなんであるのかも分からないままに、過剰なまでの愛情をピンキーに注(そそ)いでいた。

 ピンキーは現在、時おり手伝うテキヤの仕事も、面白いとは思わなかった。何もかもがピンキーの興味からは外れていた。かと言って、本当に自分が興味の持てるものがなんであるのか、それもまた、分からなかった。酒による吐しゃ物にまみれながら、蒼い顔をしてなお呑み続ける自分だけが、確かな自分であるかのように感じられるのだった。

「帰るぜ」

 マスターの上田さんが一日の売り上げの入った鞄を抱えて、店の奥から出て来た。

「あら、マスター、帰るんですか。横浜へ一緒に行ってみないですか?」

 トン子が上田さんを見て不満気な様子で言った。

「横浜?」

 上田さんはなんの事だか分からないように、怪訝な顔をして聞き返した。

「ええ、あたしたち、横浜へ豪華客船を見に行こうって話してるんですよ」

 トン子が言った。

「ごめんだね」

 上田さんは話しにもならないといったふうで、トン子の言葉を突き返した。

「チェッ、つまんない」

トン子が不服そうに言った。

「なんで、俺が付き合わなければなんねえんだよ」

 上田さんも不満気に言い返した。

「だって、一緒に行ってくんなくちゃあ、車がないもん」

「いい気なもんだ」

 上田さんは呆れたような顔をして、迷惑気に言った。

 彼等六人の仲間と上田さんとの間には、暗黙の了解が出来ていた。上田さんは彼等を店から追い払わないかわりに、彼等は上田さんが帰ったあとも、決して店の中を荒らさないという約束だった。

「行こう、行こう、船を見に行こう。横浜へ行って船を見て来よう」

 突然、ピンキーが何かを思い付いたように、大きな声を出して言うと立ち上がった。その唐突さにはトン子さえもびっくりして眼を見張った。

「ばかねえ、突然、大きな声を出してびっくりするじゃない。行こう行こうったって、車がなくて、どうやって行くのよ」

 トン子は自分が言い出したのも忘れてピンキーを非難した。

「車なんかパクッテ来りゃあいい」

 ピンキーはふて腐れたように言った。

「そうだ、パクッテ来りゃあいいんだ。あんなもん、何処にでも転がってるよ」

 ノッポが横から口を出した。

「あんたなんか、黙ってなよ。自分じゃあ、何も出来ないくせしてさあ」

 安子が軽蔑口調で言った。

 ノッポは途端にしゅんとなった。

 ピンキーは総てに決断が速かった。酔いに覚束ない足取りでテーブルを離れると、そのまま店内を出て行った。

「あいつ、大丈夫か?」

 上田さんが心配顔で言った。

「大丈夫よ。あの子は、いっもああなんだから」

 安子が訳知り顔で請合った。

「ピンキーのポケットには、いっでもドライバーとナイフが入ってるんだ。行く所のないピンキーは、喫茶店かパクッタ車の中で寝泊りしてるんですよ」

 画伯がもつれがちな舌でのろのろ言った。

 上田さんもそれは知っていた。上田さんにも過去にはそういう経験があった。指名手配をされ、行く所がないままに車の中で寝泊りしながら、転々としていたものだった。

 現在、上田さんは奥さんとの間がうまくいっていなかった。上田さんの女関係がもとで二年前、奥さんが一人娘を道連れにガス栓をひねって自殺を計った。その時、奥さんは命を取り止めたが、一人娘の「さゆり」は幼い体力で持ち応える事が出来ずに亡くなった。現在、上田さんと奥さんとの間には、通い合うものが何もなかった。のみならず上田さんは、奥さんが上田さんへの仕返しのために男をつくっているのではないか、と疑っていた。その思いに確かな根拠がある訳ではなかったが、上田さんは、あえて事実を知ろうとはしなかった。可愛い盛りの一人娘を自分の責任で死なせてしまったという思いが、心の中から消える事がなくて、今では上田さんには、あらゆるものが価値のないものに見えるだけになっていた。現在、心の通う事のない奥さんと一緒に暮らしているのも、死んだ幼い娘の魂を宙に迷わせたくない、という思いからのみだった。その意味で上田さんもまた、家へ帰りたくない人間の一人だった。

 

     ----------

 

 ピンキーは思う。車なんかパクルのは訳のない事だ。だが、夜明けの横浜港で船を見ようなんて発想は、そう簡単に出来るもんじゃない。あの九官鳥は千葉の"芋"のくせしやがって、おかしな事を考えるもんだ。

 それにしても外国航路の船をパクッテ、当てもなく海の上の旅に出たらどんなに素晴らしいだろう。行けども行けども島がなくて、ある日、突然、、ナイアガラの滝のように、地球の果てで海が何処かに流れ落ちてしまうんだ。そして、大きな船もろ共その中に落ちてしまって、霧のように砕けてしまう・・・・・。

 なんて素晴らしい考え方なんだ。世界がなくなってしまうなんて、素晴らしいじゃないか。

 ピンキーは半分饐(す)えたような都会の夜の中で、蛆虫のように蠢いている自分を見る。こんなに夜が暗いのは、裏通りの明かりが乏しいせいばかりじゃない、心の中に何もないからだ・・・・・ ピンキーは一台の大きな外車に眼を付けた。

 

     ----------

 

ピンキーが戻った時、上田さんはいなかった。安子がノッポと抱き合い、唇を押し付けあっていた。フー子は相変わらずテーブルに髪を広げて眠っていた。画伯は何時もどおり、人の眼を恐れる泥棒猫のように、背中を丸めてアンパンの袋に顔を突っ込んでいた。トン子一人が周囲の状況に白けきった顔で壁に背をもたせ、ぼんやりと座っていた。

 ピンキーは店の入り口の扉を開けたまま、小指を口の中に入れて指笛を鳴らした。


遺す言葉 219 小説 夜明けが一番哀しい 他 三横綱休場

2018-12-09 11:27:18 | 日記

          三横綱休場(2018.12.i日作)

 

   大相撲 平成三十年十一月場所

   三横綱 一大関 休場

   場所 土俵 の 興味半減

   とは 言うものの

   三横綱 一大関 を 単純 に 責める事は 出来ない

   横綱 大関 角界に於ける

   最高位 次位の 立ち位置 

   その地位 立ち位置 を 得る為 果たした

   日頃 日常 の 努力 鍛錬 苦闘

   心身をすり減らし 自身を追い込み

   全霊 全魂 を 打ち込んでの結果

   得た地位 その結果による

   肉体の酷使 損傷 負傷

   一つの地位 最高 最善 の 地位 立ち位置

   それを求める 行為 行動に伴う 代償

   なにかしらの 犠牲

   単純 平凡 安易な日常 その中に

   宝物 宝玉 は 埋まっては いない

   宝玉 宝石 を 探すための 日頃 日常 の

   努力 その努力は いずれの道に於いても

   簡便 簡単 安直 安易 

   生易しい ものではない

   勝負の世界 競技の世界 

   スケート 羽生結弦選手 然り

   傷を負い 全霊 すべてを懸け

   すべてを注(つ)ぎ込み なお 自身の肉体

   骨身を削って末の 栄誉 栄冠

   そんな思いに心を致す時 

   一人の力士 一人の競技者 一人の選手

   その休場 不調 不振 を 

   安易 単純 に 批判 責める 事は

   出来ない

 

 

             夜明けが一番哀しい(3)

 

  実際、画伯には世間の事など、どうでもよかった。透明なビニール袋の世界だけが、彼には唯一絶対的価値を持つものだった。深夜の路上で何枚かの百円硬貨とその世界を交換するために、いつの間にか万引きの常習犯になっていた。ぶるぶる震える手で、万引きの時だけは器用に獲物をものにした。

「クイーン・エリザベスっていうのはね、世界一の豪華客船よ」

 トン子が脇から口を出した。

「バカねえ。クイーン・エリザベスはイギリスの女王じゃない。あたしたちの言ってるのはクイーン・エリザベス号の事よ」

 安子がトン子を軽蔑するように言った。

「クイーン・エリザベスと、クイーン・エリザベス号って違うの?」

 トン子が不思議そうに聞いた。

「当たり前じゃない。クイーン・エリザベスは人間で、クイーン・エリザベス号は船の事よ」

 安子は言い含めるように解説した。

「そうか」

 トン子はなんとなく納得しかねる顔でうなずいた。

「おれ、昔、青森の漁港で、デッカイ船を見た事があるよ」

 ノッポが言った。

 フー子は一人、離れた場所でテーブルに顔を伏せて眠っていた。背中の中程まである髪が、テーブルをいっぱいに覆うように広がっていた。

 フー子が何処から来て、どんな事をしているのか、誰も知らなかった。フー子はなにしろ無口だった。必要な事以外、ほとんどしゃべらなかった。いつも引き締まった形の良い小さな尻を包んだジーパンのポケットに、何枚もの一万円札を無造作に押し込んでいた。どことなく上品な顔立ちから噂では、フー子の父親はかなり大きな会社の社長だという事になっていた。

「おまえ、そんな聞いたような事を言って、本当に知ってんのかよう」

 噂の火元はトン子にあった。それでノッポが問い詰めた。

 フー子はその時、いなかった。彼女は気まぐれな風のように掴みどころがなかった。他の仲間達のように、彼女が夜明けまで必ず"うえだ"居るとは限らなかった。いつの間に来ていたのかと思うと、居なくなる時もまた、いつの間にかいなくなっていた。

「あいつは風のようだな。風の子供の風子(フー子)だよ」

 と、ピンキーか゛称した。

「そうじゃないよ。フーテンのフー子だよ」

 と、画伯がのろのろと言った。

「フーテンはおまえじゃないか、手当たり次第、かっぱらちゃってさあ」

 ピンキーが言い返した。

「ピンキーだって、何台車を盗んだか分からないじゃないか」

「おれは盗んだりなんかしないよ。ちょっと借りるだけだよ。おまえみたいに売っぱらったりなんかしないよ」

 ピンキーにはドライバー一本あれば充分だった。たちまち何処からともなく車をものにして来た。

 むろん、ピンキーに免許証などあるはずがない。それでも彼の運転に関する腕は確かなものだった。酒に酔ったまま百キロのスピードでも平気に出した。なんどガードレールや街路樹にぶっつけた知れなかった。

「あんた、レーサーになるといいよ」

 安子が言った時、

「チェッ、あんなもん、なりたくなんかねえよ」

 と、ピンキーは口の端をゆがめて言った。

 十九歳のピンキーには夢などなかった。彼の夢は十七歳の時に消えていた。

 高校一年生の彼は、二歳年上の牧本順子という女性に恋をした。牧本順子も"うえだ"の仲間たちが、ピンキーとあだ名するほどにピンク色をした肌の、色白の少年に好意を寄せて、二人は下校時や日曜日などには、ひそかに会う時を楽しむようになっていた。

 二人の恋に水を差したのはピンキーの母親だった。母親は息子が牧本順子と交際しているのを知ると、その交際をやめるようにと、学校を通して順子の母親に申し入れた。

 牧本順子はピンキーの母親に、自分が息子を誘惑する不良少女だと一方的に言い触らされて気分を害した。今までのように素直な気持ちでピンキーに会う事が出来なくなった。順子はピンキーを避けるようになった。

 ピンキーはだが、そんな経緯は何一つ知らなかった。それで、単純に牧本順子の心変わりだと誤解して、ある日、下校途中の順子を待ち伏せると、果物ナイフで彼女を刺した。

 牧本順子の腹部の傷は重症だった。それでも命に係わる事のなかったのが何よりだった。ピンキーは鑑別所送りになった。順子の心変わりの真相を知ったのは、あとになってからだった。

 ピンキーは以来、母親を憎むようになっていた。彼の放浪生活が始まった。

 ピンキーは二十年足らずの自分の人生が、よく理解出来なかった。自分の過去が、まるで夢かまぼろしでもあるかのように、取り止めもなく頭に浮かんで来るだけで、これまでに生きて来た歳月の確かな手ごたえが掴めなかった。

 幼い頃のピンキーは母親が好きだった。母の美しさが子供心にも自慢だった。中学生までのピンキーは、母親の愛情をうるさいと思った事は一度もなかった。牧本順子に恋をして初めて、母親が自分に注(そそ)ぐ、溺愛とも言える愛情をうるさく感じた。恋に目覚めたピンキーには、いつまでも自分を幼児あつかいする母親が我慢出来なくなっていた。ハンカチ一枚の持ち物にまで干渉して来る母親に苛立ってピンキーは、ある日、母親に反抗的な言葉を投げ付けた。

「うるさいな、いちいち、そんな事言われなくても分かってるよ」

 母親は初めて聞く息子の乱暴な言葉遣いに度を失った。三日も続く心臓の痛みに襲われた。

   

 

   

   


遺す言葉 218 小説 夜明けが一番哀しい 他 韓国 いったい なぜ今? 

2018-12-02 12:48:27 | 日記

          いったい なぜ今?(2013.8.18日作)

               この文章は2014年七月二十七日四回目に

               掲載したものですが、最近また、韓国で奇妙な

               動きが起こっていますので、再び掲載します 

 

   いったい 何をして来たのか

   あの国 国民は?

   第二次世界大戦と呼ばれる

   戦争が終わり この国日本が

   敗戦国となって 間もなく七十年

   今 あの国 国民は この国日本に

   さまざまに 戦後補償のいくつかを求め

   この国日本が犯した戦争犯罪を

   繰り返し 世界に訴え いくつかの

   行動に出ている 

   いったい なぜ今なのか ?

   この歳月 七十年にも近い年月

   あの国 国民は この国日本に求めるべき

   補償も求めずに 羊のように

   黙々と生き 過ごして来た とでも

   言うのだろうか ?

   戦争犯罪犠牲者たちの

   補償されるべき補償の

   権利の行使にも眼をつぶり 

   犠牲となった人々を七十年に近い歳月

   癒える事のない 痛みと苦脳の中に

   放置して来た とでも

   言うのだろうか ?

   もし そうであったとしたら なぜ

   七十年にも近い歳月

   そうして来たのか ?

   -----

   そうではあるまい

   国と国 政府と政府 

   互いを代表する者たちの交渉

   補償に対する話し合いは

   為されて来たのではなかったか ?

   双方合意の下

   結果を得て来たのではなかったか ?

   にも関わらず 人々の記憶も乏しくなる

   戦後も七十年に近い歳月 時を経て

   今 なぜなのか ?

   なぜ 今になって 新たな補償 謝罪を

   求めて来るのか ?

   当時は 言いたくても言えなかった

   そんな事情でもあったのか ?

   一時期 あの国 国民も

   国難の中にあった

   今 あの国 国民は豊かになり 世界に冠たる

   企業も持つようになった

   誰かに力を借りる必要も 今はなく

   言いたい事 やりたい事も

   誰にも気兼ねなく 思いのままに

   実行出来る --そんな気分が今

   あの国 国民を覆っているのか ?

   自身が力を付け

   身分が上がると共に 昔日 力を借りた

   友人知己をも見下して 顧みず

   傷付けても平気で

   勝手気ままに振舞い 行動して 恥じない

   傍若無人 厚顔無恥 品性皆無の人種は

   人と人との付き合いの中でも

   居るものだが・・・・・

   

          夜明けが一番哀しい(2) 

 

 ノッポはとたんに元気をなくして、一メートル八十センチの体を小さくした。彼はどんなに安子に邪険にあしらわれても、彼女を憎む事が出来なかった。二十二歳で町工場に勤める東北出のノッポには、安子が理想の女性に見えるのだった。

 彼は安子が十七歳の時、郷里の東尋坊の近くで四人の男達に暴行された事を知っていた。安子の口からまるで自慢話しのようにその話しを聞かされた時、彼はある種の、恍惚感とでも言えるような感情に襲われた。暗い夜道の雑草の中に横たわる安子の白い肉体を想像して、異常な興奮に捉われた。自分もそのような形で彼女を"ものに"出来たらどんなに素晴らしいだろう、と夢見た。

 だが、現実のノッポには、安子をそんなふうに"ものに"する事なと゛、とても出来なかった。安子の前ではいつも気後れがしてしまって、なにかに付けて敗北感に近い感情を味わった。安子の体の上に自分の体を重ねている時にでも、安子の心をつかみ切れていないのでは、というもどかしさだけを感じ取っていた。彼はもし、安子と家庭を築く事が出来たら、いつまでもこんなディスコテークで夜明けまで粘っていやしない、と思っていた。

 ノッポにはディスコテークの雰囲気になんとなく馴染めないものがあった。踊る事は勿論、音楽に酔う事もまた、出来なかった。耳元で騒々しく鳴り響く音楽には頭が割れそうに痛くなった。それで一口飲むと顔中が真っ赤にほてるビールを無理してグラスに一杯飲んでは、その苦痛から逃れようとした。

 ノッポが最初に"うえだ"に来たのは、若者らしい好奇心からだった。なんとなく、今評判のディスコを覗いてみたかった。おそるおそる入った店内で彼はだが、呆然と立ち尽くしていた。

 安子を見たのはそんな時だった。彼には安子が都会の粋を一身にまとったイッチイカス、ナオンに見えた。チャラチャラと幾重にもからんだブレスレットや、大きく垂れ下がった丸いイヤリング、さらに、派手に体の線を強調したサイケデリックな服装などと共に、けばけばしい化粧の美貌や、しなやかに伸びた色白の肉体に、ただただ、視線を引き付けられていた。腰の線を強調した短い丈のスカートから出ている白い脚には、ふるい付きたいぐらいの興奮を覚えていた。その夜、彼は安子のまわりをうろうろしているだけで、いつの間にか夜明けを迎えていた。

「あんた何処の子 ? 初めて見る顔だね」 

 一晩中そばに居て、丸太ん棒のように目障りなノッポに安子は、とうとう我慢が出来なくなって苛々しながら聞いた。

「錦糸町です」

 ノッポは緊張感で喉が塞がれ、半分かすれた声でようやく言った。

「錦糸町 ? へーえ、わたし昔、錦糸町に居た事があるんだ。江東楽天地ってあるでしょう。あの中の映画館で働いていた事があんのよ」

 安子はいかにも世慣れたふうを気取って、自分が早くも人生の大半を生きてしまった年増でもあるかのような顔で言った。

「なんて言う映画館ですか ?」

 土曜日の夜をオールナイトのポルノ映画館で過ごし、日曜日を隣りの家の屋根だけが見える狭苦しいアパーの四畳半で、終日、眠って過ごすノッポは、映画館ならお手の物、と意気込んで聞いた。

「忘れちゃったわ。なにしろ、昔の事なんだもん」

 ようやく二十一歳になったばかりの安子が、遠い過去など思い出すのも面倒だ、と言わぬばかりに投げやりに言って、赤いマニキュアの指に挟んだタバコをスパスパ吸った。

 ノッポはその指の白さとしなやかさに、また感激した。自分の鉄さびに汚れてひび割れた指の無骨さを無意識のうちに恥じていた。

 その夜から、ノッポのポルノ映画館通いを卒業した新しい人生が始まった。

「クイーン・エリザベス号ってなんだい ?」

 アンパン(シンナー)のビニール袋に顔を突っ込んでいた画伯が、珍しく関心を寄せて話しに入って来た。

「チェツ、クイーン・エリザベス号も知らねえのかよ。これで漫画家になろうっていうんだからねえ」

 ピンキーが蒼い顔で毒づいた。

 ピンキーは酔うといつも蒼くなるたちだった。

「関係ないよ」

 画伯は不服そうに言った。