余震(2011.4.23日作)
今年もまた、東日本大震災の日、三月十一日が来ました。
この文章は災害発生時の2011年に書いたものですが、
当時の記録として、今回、ここに掲載致します。
平成二十三年(2011)三月十一日午後二時四十六分
この国を襲った 何百年に一度と言われる大地震
それに続く幾多の余震
その執拗さ 執念深さ は 地中に住む悪意を持った悪魔が
人間社会への 積年の恨みを果たしているかのようだ
瞬間的に起こった 前代未聞の大災害 地震に津波
それに重なる 原子力発電機能 の 破壊
この国 その国土の一つを形成する 本州の四分の一 に 近い地域の
家屋 や 諸々の 建造物の崩壊 それに伴う
瓦礫の山と化した 地上の惨状
余震は その大地に被災の身を生きる人々の
明日さえ分からぬ不安な心を さらに不安に追い込んで
連日連夜 襲って来る
この無慈悲 過酷さ 被災に疲弊した人々は
悪意を秘めたようにも思える大地の揺れに
ただ ただ 身構える事しか 出来ないでいる 日頃
知恵と知識を誇り 様々に幾多の困難 難題 苦境に
立ち向かい 解決の糸口を見い出しては 乗り越えて来た 人間
その人間の前に今 連日連夜 襲い掛かって来る幾つもの 余震は
それに先んじて 起こり 膨大な被害をもたらした
あの巨大な揺れと共に 人間たちを 呆然と立ち竦ませる
もはや 人間の手の及ばぬ所 一つ一つ 難題に挑み その都度
解決の糸口を見い出しては 今日(こんにち) この日まで生き延びて来た
人間 その人間たちの持つ叡智 知恵 知識 解決力 も
この星 地球を包み込む 広大な宇宙の真理
自然の摂理の前では いかに儚く 無力なものなのかを
度重なり襲う 幾多の余震は 突き付けて来る
驕りたかぶる人間 ともすれば
自身の領分さえ忘れ
増長の道を進みかねない 人間社会の足下に
この宇宙の真理 自然の摂理は 人は人として
常に謙虚に 人の力は決して
無限ではあり得ない と その
真実の姿を突き付けている かのようだ
影のない足音(6)
手にしていたブラッシを放り込むようにしてハンドバッグにしまうと、姿見の前を離れた。
「あんたが信用しないからだよ」
「信用しない訳じゃないわ。信用出来ないだけよ」
「なぜ、信用出来ないんだ ?」
女は答えなかった。
「それだから一回一回、金でけりを付けていたっていう訳か ?」
「そうよ、それだけの事よ。それ以外の何ものでもないわ」
女は嘲笑するように言った。
「男に飢えながら、男を信用する事の出来ない哀れな女か !」
わたしは女の嘲笑に対抗するように、それが女に対する最大の侮辱だと知りながらも、あえて口にした。
女はその言葉で、明らかに感情を乱したようだった。それでも強気に
「あんたなんかに、分かりはしないわよ」
と言ったが、最後の言葉は嗚咽の中に埋もれていた。
女はそのまま部屋を出ようとするように、ドアへ向かって歩いた。
「もし、男の方であんたが好きになった時には、どうするんだ ?」
わたしは女の背中に言った。
「あんたには関係ないでしょう」
「関係なくはないよ」
女の背中が小さく揺れた。が、それも束の間だった。女は部屋を出て行った。
ドアが閉じられ、外との世界が遮断された。女の遠ざかる足音も聞こえなかった。
わたしはベッドに座ったまま、女との決定的な終わりを意識した。もう、女が来る事はないだろう・・・・・・
かすかな空虚感が胸の中を走り抜けた。
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わたしは友人の白木がチーフを務めるバーの仕事を手伝いながら、土曜日の夜になるといつも「蛾」へ足を運んだ。例の若いバーテンダーとはすっかり顔なじみになっていた。
女はわたしが予想した通り、再び「蛾」に姿を見せる事はなかった。若いバーテンダーが自分から、姿を見せない女の話題に触れる事もなかった。
わたしは女に入れ込むつもりはなかったが、それでも、再び姿を見せない女を思うと、ある種の寂しさを意識せずにはいられなかった。
いったい、女はどんな生活をしているのだろう ? 女が口にした「あんたなんかに分かりはしないわよ」と言った言葉の裏には、どんな意味が隠されていたのだろう ?
わたしの意識の裡には、わたしが最後に言った「関係なくはないよ」という言葉に、女が束の間見せた逡巡する気配が未練がましく刻み込まれていた。女がその言葉に引き寄せられるように、また、「蛾」に足を運んで来る事はないのだろうか ?
しかし、わたしが「蛾」で過ごす時間は、週を過ごすごとに、月を過ごすごとに、虚しく積み重ねられていた。わたしは、なんとなく未練が残る思いで、再度、女の家を訪ねてみようかという気持になっていた。あの場所の近くへゆき、待っていれば、あるいは深夜に帰って来る女に偶然でも、出会う機会に恵まれるかも知れない。
女への愛情 ・・・・・というのとは、また、違う気がした。それでも何故とはなしに、何処か冷たく、翳りを帯びた雰囲気を持つ女には、心惹かれるものがあった。肉体的に魅せられ、心惹かれた、というよりは、女の存在そのものが気になった。その存在を身近に感じていたい、という、柄にもない感情が湧き上がるのを意識した。
その土曜日、わたしは午後九時頃「蛾」へ行った。女が来る事はないだろうと思いながらも、十二時近くまでねばった。
女はやはり来なかった。
わたしは意を決して、この前、女のあとを付けたあの場所まで行く事に決めた。
「蛾」を出るとタクシーを拾った。むろん、闇雲に訪ねて往くだけの事で、女に会えるという保証など何もなかった。女の住む家さえ分かっていないのだ。せめて、名前の一部でも聞き出しておけばよかった、と迂闊さが悔やまれた。
うろ覚えの道だったが、それでもどうにか、この前、女がタクシーを降りた同じ場所に辿り着く事が出来た。
女が歩いて行った小道は、相変わらず鬱蒼とした樹々に上空を覆われていて暗かった。わたしの足を運ぶ靴音が耳にこもるように聞こえた。
わたしはこの前来た時、足音を聞いたように思ったのは、どの辺りだったのだろう、と考えながら、用心深く周囲に気を配り、ゆっくりと歩いて行った。そして、二本目の外灯の下を通過した時だった。わたしは息を呑んで立ち止まった。
三叉路に立つ外灯の明かりの下で、微妙な感じで人の動く気配がした ? と思ったのだった。
足音への疑念をまだ払拭出来ないでいたわたしは、緊張感で凝り固まり、その場を動けなくなっていた。湧き起こる恐怖心と共にしばらくは視線を凝らし、三叉路を見続けていた。
人通りも途絶えた三叉路にはだが、再び、ものの動く気配はなかった。
あるいは、必要以上に警戒するあまりの恐怖心が引き起こした、眼の錯覚だったのだろうか ?
今度もまた、確かな判断が出来なかった。
わたしはそれでようやく気を取り直し、また歩き出した。
三叉路まで来るとわたしは、この前と同じように、女が曲がった道へ入って行った。
周囲に建ち並ぶ家々は、ことごとくが門を閉ざし、樹木に覆われた屋敷の中で黒い影となって静まり返っていた。
女の家がどれなのかは、依然として分からなかった。わたしはやはり前回と同じように、何度もその道を往ったり来たりした。
あるいは、偶然にでも、女が深夜の遊びから帰って来るところに出会えるのではないか ?
だが、その期待も虚しかった。結局わたしは、この前と同じように女の家を探し出す事も、女に会う事も出来なかった。これ以上、うろうろしていても無駄だ、と諦めると気が抜けてしまい、小さな坂道が右へ折れて下る角の家の塀に身を寄せてタバコを取り出し、火を付けた。二本、三本と立て続けに吸った。
あるいは今頃、女は布団の中で気持ちよく眠っているかも知れないのだ。
そう考えるとバカバカしくなって、もう、帰ろう、と思った。
腕時計を見ると針はあと十分程で二時になるところだった。
わたしは短くなったタバコを投げ捨てて、靴の底で踏みにじり、火を消した。今来た道を帰ろうとして顔を上げたその時、だが、わたしは、またしても三叉路の明かりの下を横切り、大通りへ向かって足早に過ぎ去る一つの人影を眼にしていた。それは決して、見誤る事のない確かな人影だった。