遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 231 小説 影のない足音 他 今なお遠く

2019-03-03 10:14:32 | 日記

          今なお遠く(2019.2.22日作)

 

   わたしが願い求めるものは

   ただ一筋の道

   遠い遠い彼方に続く 細い道

   たどり着く果てにあるものは 楽園

   今日の今日まで 

   誰も見た事のない  一つの果実

   誰かいつか その道の果てにたどり着き 

   果実を手にする事は出来るだろうか ?

   人は今日も世界のあらゆる場所

   至る所で それぞれ 時を

   それぞれ 人の生を 生きている

   苦悩 愛憎 歓喜に悲哀

   怒りと嘆き 希望と失意

   わたしの願い求める

   一つの果実に至る道は

   今なお遠く 愚者の描く

   悲惨と涙 ふくれあがる欲望に彩られた

   醜悪な絵模様だけが

   時代の中 時の中に

   色濃く 描き出されてゆく

 

 

          小説 影のない足音(5)

 

 

 しかし、そこには、漠然と女を待つ、というよりは、より積極的に、女を捜すという、強い気持ちが込められるようになっていた。あの時、確かに聞いたと思った足音へのこだわりと共に、女への未練のようなものもまた、幾分かはあった。

 女はだが、なかなか来なかった。四週間、五週間、六週間・・・・・・

 依然として、女は現れなかった。わたしは時の経過と共に次第に、女はあの時、後を付けられた事に気付いたのではないか、と考えるようになっていた。奇妙な足音を聞いたように思ったのは、空耳ではなかったのだ。わたしが後を付けた事に気付いた女が、何処かでわたしの様子を探っていたのだ。それで女は警戒して、姿を見せなくなったのだ。ーーこんなに長く姿を見せない事が、その何よりもの証拠に思われた。

 そして更に、七週間、八週間と過ぎていた。わたしは、もう、女は来ないのだ、と諦めかけていた。

 それだけに女の姿を「蛾」のカウンターに見い出した時には、奇妙な胸の高鳴りを覚えていた。懐かしい人に再び会えたような、あるいは、どこか謎めいた女に対する警戒心のような、自分にも分からない複雑な感情が沸き起こっていた。

 わたしはそれでも、極めて何気ない様子で女に近付くと、

「今晩わ」

 と、軽い調子で言った。

 女は多分、この前と同じように鏡の中で、わたしが近付くのを見ていたのに違いなかった。が、今度は振り返ってわたしを見た。そして、

「今晩わ」

 と言った。

 女はだが、今度もそれ以上の事は言わなかった。笑顔も見せなかった。

 わたしはかまわず女の隣りに座った。

 女が二度も同じ夜を過ごしていながら、親しみのこもった笑顔一つ見せない事に、少しの困惑と共に、戸惑いを覚えた。

 わたしはその戸惑いを隠すように、

「ウイスキー」

 と、初めてわたしが女に出会った夜、わたしの相手をしたバーテンダーに言った。

 わたしはすぐにタバコの箱を取り出して一本を抜き取り、口元に運んだ。

 バーテンダーがカウンターの向こうでマッチを擦って差し出した。

 わたしはタバコに火を付け、深く吸い込んでから一気に煙りを吐き出した。ーーー

 その夜も、いつも通りだった。わたしはだが、今度は眠ってしまうようなヘマはしなかった。わたしは二度、女を求めた。

 女はわたしが心配し、あれこれ推測した足音に就いては、何も知らないらしかった。それらしい気配はまったく見せなかった。しばらくベッドの上でわたしと並んで休息したあと、女は体を起こした。

「帰るの ?」

 わたしは聞いた。

「ええ」

 隠す事もないかのように女は言って、ベッドの上に投げ出されていた下着を身に付けた。

「朝までいたら ?」

 わたしは言った。

「駄目よ」 

 冷ややかに女は言った。

「寝起きの顔を見られるのが厭 ?」 

 女は答えなかった。ベッドを降りると浴室へ行った。

 シャワーを浴びる音がして、間もなく女は戻って来た。

 わたしはベッドに足を投げ出して座ったまま、タバコを吹かしていた。女のスリップ姿を見ると、何かしら親しみに似た感情が沸き起こって来て、

「おれ、悪いと思ったんだけど、この前会った時、あんたの後を付けたんだ」

 と、言わずもがなの事を言っていた。

 ---思ってもみなかった。見る見る変わる女の表情がわたしを驚かせた。シャワーを浴びたばかりの顔が蒼白になって、女は硬直したようにその場に張り付き、動かなくなった。

「なぜ、そんな事をしたの ?」

 怒りに満ちた、腹の底から絞り出すような声で女は言って、鋭い視線をわたしに向けた。

「なぜって・・・・、意味なんかない。あんたが何も教えてくれないからさ」

 わたしは思いも掛けない女の様子に驚きながら、居直って答えた。

「いったい、わたしの何を知ろうって言うの ?」

 激しい口調で女は言ったが、その眼には憎しみの色が浮かんでいた。

「何をっていう訳じゃないけど、あんたが好きだからさ」

 わたしは言い訳がましく言った。

「嘘よ !」

 女の怒りは収まらなかった。

「嘘じゃない」

「嘘じゃなくても、そんな事をしたって、なんにもならないでしょう !」

 叩き付けるような言葉遣いで女は言った。

「どうして、なんにもならないんだ ! たっぷり楽しんで、あとは、さよなら、って言うのか ? 有閑夫人の火遊びって言うわけか !」

「そんなんじゃないわ」

「そんなんじゃなければ、どうだって言うんだ。おれを金で買って、いい気になっているだけじゃないか ! 」 

 女は突然、背中を向けた。姿見の前に行くと乱暴にストッキングを探し出し、ベッドの端に腰を下ろして脚を通した。

 再び、姿見の前へ行くとスカートをはいた。ブラウスに腕を通し、ボタンを掛けた。

 その間に女は、一度もわたしの方へ顔を向けなかった。頑なに背中を見せていた。

 女はハンドバッグの中を探ると小さなブラッシを取り出し、乱暴に髪に当てた。手早く粗い動作だった。

「あんたには、おれが信用出来ないんだ」

 わたしは女のわたしを無視した態度に苛立ち、責めるように言った。

「あなたの何を信用しろって言うの ?」

 女はわたしに背中わ向けたまま、髪を整える手を動かし続けていた。

「じゃあ、なぜ、おれと寝た ?」

 女は答えなかった。

「おれが悪なら、あんたを強請(ゆす)る事だって出来るんだ」

 女は一瞬、怯えたように息を呑む気配を見せた。それからすぐに、

「男なんて、みんなそんなものだわ」

 と、吐き捨てるように言った。