遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 234 小説 影のない足音(完) 他 うたかた

2019-03-24 10:24:36 | 日記

"          うたかた(2019.3.4日作) 

 

   わたしはもう

   わたしの世界だけにしか生きない

 

   あれもいらない

   これもいらない

   長い人生の道を歩いて来て

   すべてはうたかた

   夢のように消えていった 

 

   わたしにとって一番大切なものは

   今

   わたしの心

 

   わたしの心の命ずるままに

   わたしはわたしの残された

   短い人生の日々を生きる

 

   そんな日々を生き切った時にこそ

   わたしには 人の世の最期を迎えて

   真実の幸せ 心の充足が

   訪れるだろう

 

   あれもいらない

   これもいらない

   すべてはうたかた

   消えてゆくわが身が望むものは

   心の楽園 孤独な時間

 

   それだけが

   わたしの慰め

 

 

 

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          影のない足音(8) 

          

 

 無論 明け方に近い夜の中で男たちが何をしているのか、分かるはずのものではなかった。しかし、わたしの意識の中では、薄い紙が一枚一枚積み重なって確かな体積を作るように、いくつかの出来事が重なって、誰かに付けられている、といった思いが次第に強く、確かなものになって来ていた。

「いったい、あいつらは何をしようっていうんだ」

 わたしは正体を明かさない男たちへの腹立たしさで、思わず声に出して言った。と、同時にわたしは、わたしの前に姿を見せなくなった女への、突然に込み上げて来る激しい怒りを抑える事が出来なくなっていた。 

「あの女が、誰かに俺を売ったに違いない」

 もし、その場に女がいれば、思いっきり、女を殴り倒してやりたい、という、抑え難い欲求に突き動かされていた。

 しかし、女がわたしの前に姿を現す事は、もうない・・・・・

 わたしはトイレを出ると布団の上に戻って坐りこんだ。

 女に対する怒りと復讐心がさらに募った。

 自分の方で誘惑しておきながら、たかが家のある場所を探られたぐらいで、これだけの仕打ちをして来やがる !

 湧き上がる女への憎しみと共にわたしは、今度は女が来るのを待つだけではなく、自分の方から積極的に女に近付いてゆこうと考えた。女が何処に居るのかは分からなかったが、多分、今でも深夜の街で、男たちを漁っているのに違いないーーー

 当然ながらに、女に近付こうとすれば、正体の分からない男たちが゛更に迫って来るだろう。だが、それでも構わない。それでなくても、すでに誰かに付け回され、見張られているのだ !

 わたしはあれこれ考えながら、夜が明けるまで眠りに就く事が出来なかった。

 朝になったら、護身用のナイフを買いにゆこう......

 身を守るためには、何か武器を持っていた方がいい、と考えた。

 翌朝、わたしは十時過ぎに布団を抜け出して、いつも通りの身支度をすると外へ出た。

 

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「おい、これどうだ ?」

 わたしは街の金物店で、その日の午後に買ったナイフを白木に見せた。

 店は開店前の準備中で、客はいなかった。

「なにすんだ、そんなもん ?」

 白木は怪訝な顔をして言ったが、すぐにわたしの手からナイフを取った。刃渡り二十センチはある、ズシリとした重みを伝えて来る豪華なナイフだった。

「いいナイフだろう ?」

 わたしは白木の手からナイフを取り返すと、そのまま、柄と刃(やいば)の接点にある黒く光る石のボタンを押した。

 白い何かの骨で出来た柄からは、鋭く小気味良い音を立てて瞬時に、白銀に輝く見事な刃が飛び出した。

 白木は少し驚いた風だったが、

「変な事はしねえでくれよ」

 と言った。

「心配すんな、迷惑はかけねえよ」

 わたしは自身に満ちて、満足感と共に言った。

 ---わたしは考えた。これから、どんな風に行動すればいいんだろう ? 何処へ行けば女に合えるのか ?

 取り合えず、また「蛾」へ行ってみようと考えた。女が来るかどうかは分からないが、辛抱強く待ってみる事だ。あちこち探し回っているうちには、また、女に出会う機会もあるだろう・・・・・

 新宿はわたしに取っては、自分の家の庭にも等しい場所だった。

「蛾」には二度、三度と足を運んだ。

 女は来なかった。

 わたしが気にした二人連れの男たちが姿を見せる事もまた、なかった。

「刑事みてえな男たちは、まだ、うろうろしているか ?」

 わたしは白木に聞いた。

「いや、このところ見えねえな」

 白木はそんな事など忘れていたかのように言った。

 わたしは深夜に帰宅すると、何度もアパートの自分の部屋から外の様子を伺った。誰かに付けられていなかったか ?

 だが、格別に変わった事はあの夜以来、依然として、何も起こらなかった。怪しい人影を見る事もなくなった。わたしは何故か急に静かになった思いのする身辺に、拍子抜けの感を抱いた。いったい、訳の分からないあの男たちはなんだったんだろう ?

 二ヶ月近くが過ぎても何も起こらなかった。かえってわたしは、その事に不自然さを感じて、もう一度、女の家を訪ねてみようかという気持ちになった。訪ねて行けば、何かの手掛かりが得られるかも知れない。

 その土曜日、わたしは午前零時まで「蛾」で過ごし、そのあと、タクシーを拾って女の家へ向かった。上着の内ポケットにはナイフが忍ばせてあった。

 この前と同じように大通りでタクシーを降りると、すでに馴れ親しんでいる小道に入った。右手にはポケットから取り出したナイフが、刃を柄に収めたまま握られていた。もし、身辺に危険が迫れば、いつでも使う心構えが出来ていた。

 わたしが歩いて行く深夜の路上にはだが、以前のような、わたしの神経を逆なでするような出来事は何一つ起こらなかった。暗闇で蠢く人影もなくて、そばだてた耳に聞こえて来る足音もなかった。暗い外灯の明かりの下で静まり返った小道が、大方の家々の門灯が消された夜の中で、ひっそりとして続いているのが見えるだけだった。

 

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 わたしはある種の虚脱状態の中にいた。急に静かになった身辺がかえって女の不在感を強く感じさせた。事改めて、女を探すつもりはなかったが、わたしの心の隅の何処かには、まだ、女の姿を追い求めるものがあった。わたしはあちこちのバーをしきりに飲み歩いた。

 五月雨が続いていた。わたしはまだ、白木がチーフを務めるバーで働いていた。

 雨のせいか客は少なかった。なん組かの客を送り出すと、カウンターには若い男女の一組がいるだけになった。わたしは手持ち無沙汰になって、馴染みの客が置いていった古い週刊誌を手に取った。

 グラビアは相変わらず、芸能人のスキャンダルや若い女性のヌードだった。わたしは気の乗らないままにページをめくっていった。

 そのページの中程では、三十二歳の女性服飾デザイナーが、自分を裏切った男を殺害し、自宅の裏庭に埋めて置いた、という事件が報じられていた。死体は一年以上が経過し、掘り出された時には腐乱していたーーー。

 警察では行方不明の男の捜索願が出されるのと共に、男の行方を捜していたが、その捜査線上に浮かんだのが男と交際のあった服飾デザイナーの女だった。そして、その証拠を固めた時、女は姿をくらましていた。

 警察が女を逮捕したのは、茨城県大洗の友人宅での事であった。女の告白によって、すべてが明らかになった。

 わたしは世間にはよくある話しだと思いながら、大した関心も抱かずにページをめくっていった。そしてわ、たしは息が詰まった。ーーーわたしの探していたあの女の写真が大きく掲載されていた。それは見誤る事のないほど鮮明な犯人の顔写真だった。

 

                              完