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言葉の効力(2019.7.2日作)
一つの容器に 容量以上の物を詰め込めば
容器は破損する
中身は何も残らない
同じ容器に 容器に見合った物を入れれば
容器に 破損はなく
内容物は 保持される
人の言葉も同じ
大声 怒声 を 含んだ言葉が そのまま
それに見合った効果 効力 を 生むとは限らない
時には 静かに 少ない言葉の語り掛けが 思いがけず
人の心を打ち 人の心に
染み込む 大声 怒声の言葉に勝る
効果 効力 を 生む
相手の立場 容器 容量 その 考慮も ないままに
闇雲 無思慮 な 行為 行動 は
何事に於いても
優れた成果に結び付く事は ない
人はそれぞれに矜持を持った存在
相手の矜持を踏み躙る行為 行動 は
百害あって一利なし
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新宿物語(5)
ナイフ(2) 純愛
(1) 1
ナイフは金物店のショーウインドーにあって、ひと際鮮やかな輝きを放っていた。
奈木俊一は思わず足を止めてショーウインドーに近寄ると、ガラスケースに額を押し付け、その輝きに見入っていた。
どれ程の時間、そうしていたのか、記憶がなかった。気が付いて慌ててショーウインドーを離れた時には、街は黄昏の中にあった。
俊一はいつもの通り、駅へ向かって歩いた。心は完全にナイフに奪われたままだった。黄昏の街を忙しく行き交う人々の群れに体が触れ合っても気付かなかった。
" 見事なナイフだった "
溜息と共に口の中で呟いた。
新大久保の駅に着くと定期券で改札口を通り抜けた。
ホームへ出て電車を待つ間も、ナイフの輝きは脳裡から消えなかった。
" いったい、あのナイフはいっからあのショーウインドーに飾られていたんだろう ? "
以前から飾られていたのなら、今日まで気が付かなかったのが不思議に思えた。毎日、あの店の前は通っていたのだ。ただ、金物店などには興味がなかっただけの事だった。今日の事にしても、あのショーウインドーを気にしていた訳ではなかった。視野の片隅に触れて来る小さな輝きがあって、何気なく視線を向けたその先に、あのナイフがあったというだけの事だった。
見た目にもズシリとした重さを感じさせる、二匹の蛇が絡み合う彫刻の施された何かの骨で出来たのに違いない白い柄、開かれた刃のその濃い銀色の輝きの中に、薄っすらと浮かび上がる青みを帯びた鋼の波型模様、それらの美しさが渾然一体、一つになって俊一の心を捉えていた。刃渡り、おおよそ十五センチかと思われた。中央部に向かって山型にせり上がり、膨らみを見せてから、先端へ向かって一気に雪崩れ込むように絞られてゆくその形態の見事さは、たとえ様もなかった。しかも、柄と刃の接点には、そのナイフの眼のように、サファイアの輝きを見せて一つの石が組み込まれていた。ナイフはその石を押す事によって刃が飛び出す、飛び出しナイフだった。
値段はいくらだったんだろう ?
改めてその事に気付いて俊一はまた、口の中で呟いた。
おそらく、高価なものに違いない、それだけは想像出来た。
新宿駅へ向かう電車の中でも俊一はナイフの事を考え続けていた。
新宿駅で電車を降りた。
ホームの階段を降りて、いつものように東口へ向かった。
めまぐるしい程の人の流れの中を歩いて、地下街から階段を上がって地上に出た。新宿の街はすでにネオンサインの洪水の中にあった。
俊一はいつものように、新宿通りの交差点を渡って、歌舞伎町に向かった。
ビルの壁に見えるデジタル時計が午後五時四十分を示していた。
由美子は帽子を被り、制服姿でハンバーガーショップのカウンターの向こうにいた。俊一を見ると、生真面目に引き締めていた顔をわずかにほころばせて、
「いらっしゃいませ」
と言った。マニュアル通りの言葉を口にしただけにしか過ぎなかった。
由美子はそのまま、俊一の注文を聞きもせずに奥へ向かった。
すぐにコーラーとハンバーガーを二つ持って戻って来た。
俊一は由美子の手からそれを受け取ると、いかにも嬉しい事があったという風に言った。
「おれ今日、凄いナイフを見付けちゃったよ」
「ナイフ ?」
由美子は意味が分からず、怪訝そうに聞き返した。
「うん」
「ナイフって、ナイフなんかどうすんの ?」
由美子はやはり意味が飲み込めないように聞き返した。
「どうすんのって聞かれても困っちゃうけど」
「買ったの ?」
「買わないけど、とにかく凄いナイフなんだ」
俊一は宝物でも見付けたかのように、恍惚とした表情で言って、ハンバーガーを口に運んだ。
由美子は次の客に追われて俊一の前を離れて行った。
俊一が二つのハンバーガーを食べ終わり、コーラを飲んでしまっても、由美子は戻って来なかった。次々に入って来る客の応対に忙しかった。
「今日は残業はどう ?」
通りがかりの由美子に聞いた。
「あるみたいよ」
由美子は言った。
「じゃあ、待ってても駄目だな」
俊一は残念そうに言った。
「うん、駄目みたい」
由美子は忙しく動きながら言った。
「じゃあな」
俊一はそんな由美子を横目に見ながら声を掛けると店を出た。
俊一が働く二十四時間営業のコンビニエンスストアーでは、夜十時からの勤務だった。まだ、三時間程の間があったが、今日は、パチンコ店ではなく、ゲームセンターへ行ってみようと考えた。
二十歳になったばかりの若者を新宿の街は飽きさせなかった。あと二ヶ月程で十九歳になる、恋人とも言える存在の由美子がいて、俊一は今現在の生活に満足感と共に幸福感にも近い思いを抱いていた。
奈木俊一が新宿で暮らすようになって、十一ヶ月が過ぎていた。家族の事、予備校の事、進学の事などは、すっかり忘れていた。思い出しもしなかった。思い出したくもなかった。将来がどうなるのか、今の俊一には分からなかった。それでもかまわなかった。ただ、今現在の生活を大切にして、満喫していたいと思うだけだった。誰からも、何からも束縛される事のない、開放感に満ちた自由な生活、今日まで知る事のなかった世界だった。勉強、勉強、勉強、中学、高校、と過ごして来た六年間、勉強漬けの毎日だった。中学校生活三年間を首席で通し、高校入試では受験生の中でも抜群の成績で、教師やクラスメートからの賞賛を浴びた。だが、そんな人々から受けるの賞賛の渦の中にいても俊一は、なぜか、奇妙な寂しさを感じ取っていた。人々の期待を一身に集め、その期待に応える為の人知れない努力と重圧、誰にも打ち明ける事の出来ない孤独感と苦悩を背負い込んだ毎日だった。
高校へ進学してからも俊一のその努力は変わらなかった。今度は新たな挑戦として、父が卒業したA大医学部を目差しての勉強が始まった。偏差値は優秀だった。高校の進学担当の教師は、俊一なら難関で知られるA大学医学部でも、現役でバス出来るだろう、とまで言った。俊一に挫折が訪れようなどとは誰も予想さえしなかった。
父母や教師を始め、誰もが期待を寄せ、俊一自身もある程度の自信を持って望んだ入試はだが、残酷な結果に終わっていた。俊一自身、思わぬ結果に茫然とした。何が悪かったのか、何処に失敗の原因があったのか、よく分からなかった。だだ茫然として、途方にくれるのみだった。現実が足元から崩れ去ってしまったかのような思いの中で失意のどん底にいた。
そんな俊一を立ち直らせたのは、やはり、父母や教師だった。その励ましの中で俊一は気を取り直し、再度、A大学医学部への挑戦を始めた。それだけの気力がその時の俊一にはまだ残っていた。父母や、四歳違いの妹の牧子も協力的で、殊に母は、腫れ物にでも触るかのように、俊一の生活に気を配った。
息苦しいような日々が始まった。特に牧子は、好きなピアノの練習も出来なくなった。
「お兄ちゃんが頑張っているんだから、少しぐらいの不自由は我慢しなさい」
不満を漏らす牧子を叱って母は言った。
テレビのスイッチは午後九時で切られた。
居間で一家が揃って寛ぐ時間はなくなった。
母は俊一に気遣って、好きな観劇や音楽会にも行かなくなった。
遅い風呂に入るお手伝いの咲きさんは、ドアの開閉音や水音にも気を使った。
父との接触は少なかった。
四人の医師を抱えて病院を経営する父は、自身も診察に当りながら、経営にも気を配らなければならなかった。多忙な毎日だった。時折り、父と俊一の時間が交錯するような時には父は、
「どうだ、真面目に勉強しているか」
と、軽い笑顔で俊一に話し掛けた。
「うん、なんとか」
俊一も父の余裕に満ちた軽い笑顔に誘われるように、打ち解けた気持ちになっていた。