遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉 252 新宿物語5 ナイフ(2) 純愛 他 命の形

2019-07-21 11:39:16 | つぶやき
          命の形(2019.7.19日作)

   命の形って
   どんな形 ?
   キューピッドが矢で射る
   あの形 ?
   いやいや 違う あれは
   お話し お伽の世界
   現実 世の中 今いる世界
   命の形は 君自身 あなた自身 の 
   その姿 その形 君自身 あなた自身 が
   命の形 命 そのもの
   人それぞれ異なる 命の形
   持って生まれた 命の形
   今 生きている 君自身
   今 生きている あなた 自身
   それぞれ異なる その姿
   それぞれ異なる その形
   それぞれが それぞれ持ってる
   その形 その姿 それが君
   あなたの 
   命の形


         ----------

(2)

 そんな一家の良好な関係を一変させたのが、二度目の入試失敗だった。そして、その事で一番傷ついたのが俊一自身だった。
「仕方がない、もう一度、やり直すさ」
 父は比較的、恬淡としていた。
 母は父に比べてずっと深い落胆の色をみせた。
 それでも母は父の言葉を受けて、同じように俊一を励ました。
「焦らない事よ。一度や二度の失敗は誰にもあるんだから」
 一家に経済的不安はなかった。
 父も母も俊一が、さらに予備校通いを続ける事を苦にしなかった。
 俊一は自分の部屋で一人になると呟いた。
「うんざりだ !」
 再び、これまでと同じような息苦しい生活に戻ってゆく事を思うと、神経が耐えられない気がした。
 何が何処で、どうなってしまったのか、まるで分らなかった。自分でも自信を持って出した解答だった。それが何処かで違っていた。何が違っていたのか ?
 確実に言える事は、秀才と謳われ、人々の賞賛を欲しいままにしていた自分の頭脳も結局は、単なる凡才の頭脳でしかなかったという事実が、明白になったという事だけだった。かつて父は、現役でA大医学部をバスしたという。
 俊一は連日、虚脱状態の中で日を過ごした。何をする気力も湧かないままに、廃人のように日を過ごした。父を通して親近感を持っていたA大医学部も今では遠い、自分には係わりのない存在に思えて、彼方のものになっていた。
 三度目の入試を俊一は拒否した。
「僕にはA大医学部は無理だよ」
 そんな俊一に母は、
「無理な事はないわよ。高校の先生だって、予備校の先生だって、合格しないのが不思議だって言ってるぐらいなんだから。ちょっと運がなかったというだけの事よ。諦めちゃ駄目よ」
 と言った。
「運だけの問題じゃないさ。僕は中学や高校でもちやほやされて、己惚れていただけだよ。世間には、ぼくよりずっと頭のいい奴がいるんだよ」
 俊一は力なく言った。
「じゃあ、他の大学でも受けてみるか?」
 母の言葉を受けて父が言った。
「いわゆる、本番に弱いっていうやつだな。いざという時に、本当の力が出せないんだろう。、自分は大丈夫だって思ってやれば、なんとかなるさ。気持ちの持ち方一つだよ」
 父もまだ、諦めていなかった。
「でも、僕はもう、疲れちゃったよ。それに僕は医者には向いていないと思うんだ。医者という仕事にあまり興味も持てないし」
「じゃあ、何をしたいって言うの ? 高校時代からお医者さんになるために、一生懸命、勉強して来たんじゃない」
「だから、その事に疲れちゃったんだよ。僕には僕で、もっと他に、別の生き方があると思うんだ」
「どんな生き方があるって言うんだ ?」
 父は静かな中にも厳しさの滲む声で言った。
「それはまだ、分からないけど。ただ僕は、今のままの生活を続けていると、窒息してしまいそうな気がするんだ」
「苦しい時は誰にでもある。だからと言って、その度にそこから逃げていたんじゃ、結局、何も出来ない事になる」
 父は言った。
「逃げる訳じゃないけど、僕は、他の僕を探してみたいんだ。勉強、勉強の毎日ではなくて、少しだけ、自由な、僕の時間が欲しいんだ」
「あなたは二度の失敗で気が弱くなっていたるだけなのよ。自信を持たなければ駄目よ。まだ、新しい学期までには間がある事だし、少し旅行でもして、気休めをして来るといいわ」
 母は言った。
 俊一は答えなかった。
 自分の部屋で一人になると、俊一は考え込んだ。
 もし、自分が父の跡を継がなかったら、奈木医院はどうなるんだろう。
 現在六十二歳の父は、あと何年、今のような多忙な生活を続けてゆく事が出来るのだろうか。そして自分は、いったい、何がしたいのだろう ?
  父が築いた奈木医院に納まり、父の跡を継いでゆく事は、一番安易で、有利な生き方に思えた。医師になるには、難関で知られるA大医学部を出なければならない、というものでもない。自分の能力に見合った大学を探せばいい。要は、医師としての資格を得る事だった。それさえ出来れば父の跡を継ぐ事も不可能ではない。
 もう一度、気を取り直して初めから勉強し直してみてはどうなのか ?
 そこまで考え、自分に言い聞かせてはみたものの、それでも心の奥には、燃え上がり、たぎるものの生まれて来る事はなかった。
 疲れていた。ただ、疲れていた。心の中では完全に何かが断ち切れていた。打ちのめされた自信の中で、新たな思いにすがるように、医師になる事は兎も角として、奈木医院を経営する事だけに専念してはどうなのか、とも考えた。 
 だが、そうは考えてみても、気持ちの中で燃え上がるものの生まれて来る事はなかった。失われた自信の回復する事はなかった。
 俊一は連日、ベッドの中で、眠るとも醒めるともなく、うつらうつらとして過ごした。緊張の糸の途切れてしまった心に、これまでの張り詰めて過ごして来た月日が負債となって重く圧し掛かって来るかのようであった。
 母は最初の一週間程は、俊一の気持ちの回復を待つかのように、そんな日々の中でも、殊更に口を挟んで来る事はなかった。
「困った人ねえ」 
 笑顔で言って、見守るだけだった。
 父とは顔を合わせる事がなかった。俊一の方から避けていた。
 父は俊一に取って今では、重く厚い壁のような存在になっていた。
 父と母との間でその間、どのような会話が交わされていたのか、俊一には分からなかった。父は相変わらず多忙だった。
 一家が、俊一に係わる重い課題を抱え込みながらも、それなりに均衡を保った生活を続けていたのは、だが、それ程、長い期間ではなかった。俊一自身が、ベッドに横たわったままの無為に過ごす時間に、耐えられなくなっていたせいもあった。
 俊一は次第に、何かに追い立てられるような、取り留めのない焦燥感や、不安に苦しめられるようになっていた。じっとしていると、息が詰まるような感覚に囚われて、自分が自分でも分からない何かを仕出かしてしまいそうな気がして怯えた。
 渇きの中で水を求める人のように俊一は、外の空気を求めるようになっていた。そしてある日、心に圧し掛かる重圧を払いのけるようにして、街の中へ出て行った。