この世を生きる(2020.1.29日作)
人がこの世を生きる行為は
無へ向かって歩き続ける行為
どのような豪奢な城を築き
どのような高価な宝玉を
手にしようとも それが
やがて消滅して逝く自身の身を
救済する事は出来ない
人がこの世を生きる行為はすべて
砂上の楼閣 一瞬の幻 唯一
確かな現実 真実は
自身の身が消え去る
死の事実のみ
人がこの世を生きる行為は
やがて消え去る身の記念碑
記憶の塔をこの世に
打ち建てる行為
それもやがては多くが
忘れ去られてゆくだろう
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サーカスの女(4)
開かれた水門の上部は水面から十メートル程の高さにあった。水中に没した上部と噛み合う部分が水を堰き止めていた。余った水が流れ落ちていた。左程の水量ではなかった。それでも流れ落ちる水はザアザアと耳に喧しい音を立てていた。小さな渦も出来ていた。幼いなりに水泳に達者な連中ではあったが、その高さと水流は彼等を怯えさせた。
「大丈夫だよ。あの横のコンクリートさ掴まって行げばあんともねえよ」
高志が言った。
「よし、おれが一番乗りに行ってみっが」
義雄が言った。
小柄な義雄は何事においても身が軽かった。走らせても忙しなく素早く走った。
義雄は下駄を脱ぐと上着の両方のポケットに片方ずつ入れた。枠を形作るコンクリートに足を乗せ、水門の柱をよじ登った。
水門を支えるコンクリートの横枠は二段になって川に架かっていた。もう一段は義雄の頭よりかなり高い場所にあった。
義雄は自分が立った一段目のコンクリートの横枠の左手に、胸の辺りまで高くせり上がっている部分に掴まりながら下を見た。
「おうッ、おっかねえ ! 眼が眩みそうでクラクラするよお !」
思わずと言ったように叫んだ。
「下ば見っでねえよ。下ば見っがらクラクラすっだ。真っ直ぐ向ごうば見で行ぐだよお」
高志が励ますように言った。
「よしッ、行ぐど。みんなあど(後)がら来(こ)うよ」
義雄は意を決したように力を込めて言った。
義雄はおっかなびっくり、慎重な足取りで脇のせり立った部分の縁(へり)に掴まりながら渡り始めた。その様子が見ている者達の気持ちを緊張させた。
地上での二十五メートルなら、なんの苦もないはずだった。だが、僅か三十センチ幅程の上を渡る水門上での二十五メートルは長かった。中間地点と思われる辺りに達した時の義雄の姿には、もはや、行くも引き返すも選択肢のない孤独感に似た気配が漂っていた。それがまた見ている者達の気持ちを緊張させた。
義雄はそんな、息の詰まるような気配の中でなおも、そろりそろりと慎重な足取りで進んで行った。そして、ようやく三分の二程の距離を渡ったと思われる辺りへ来ると、見ている者達みんなが、思わずといったような安堵の息を吐いた。
義雄自身もまた、気持ちが楽になったのか、残りの距離を今までにない足取りで渡りきると最後は跳ぶようにして、一気に堤防の草の上に跳ね降りた。と同時に義雄は振り返って、
「おうッ、渡っだどお」
得意満面の笑顔で両手を挙げ、叫んだ。
高志がそれを見て応えるように、
「よしッ、こんだぁ(今度)、おれが行ぐど」
と叫んだ。
「おっかねえなあ」
春男が興奮にぞくぞくするように体を揺すって言った。
高志は早速、履いていた藁草履をぬぐと二つに重ね、服のポケットに入れた。両手に唾を吐くとこすり合わせ、意気込んで水門の柱に手を掛け、よじ登り始めた。
やがて高志は義雄にも増してゆっくりゆっくりと渡り始めた。
良二、信吉、忠助、春男、続いてみんなが同じようにして渡った。
信吉は中程まで来た時、胸の苦しくなるような緊張感に捉われた。脂汗が体中を伝わって流れ落ちた。チラリと足元に眼を向けた時には、流れ落ち、渦巻く水面に体が吸い込まれてゆきそうな感覚を覚えて、思わず脇の縁を握った指先に力が入った。
全員が無事、渡り終わった時には、みんなが一斉に歓声を上げ、拍手をしていた。
「案外、おっかねえもんだなあ」
高志がまだ興奮の冷めやらぬ面持ちで言った。
「おらあ、下ば見だ時、眼がクラクラして今にも吸いごまれ(込まれ)そうな気がしたよ」
信吉は心底からの安堵感と共に言った。
「あんなとぎ(時)は下ば見だら駄目だだよ」
春男が解ったように言った。
「だけっど、あんとなく見だぐなっちゃうがら不思議だよなあ」
良二が言った。
良二は戦災で焼け出され、この村へ来ていた。義雄と同じクラスの四年生だった。
町場に入るまでの道のりは、もっぱらその話題でガヤガヤ費やした。
4
町に入ると急に家並みが開けた。
地方の小さな田舎町に人通りは多くはなかった。
アスファルトの道だけが秋の陽射しの中で白く続いていた。
道端には、咲き遅れたコスモスが影を落としていた。
信吉達のいる村では信じられないぐらいに様々な店が軒を並べていた。どの店もがひっそりとした佇まいで、ウインドーに秋の陽射しを宿らせていた。
駅舎の見える小さな十字路に来た時、ちょうどバスが来て、疎らな乗客を乗せ、信吉達の村の方角へ曲がって行った。
簡素な駅舎の向こうに見えるホームに汽車の影はなかった。
信吉達はその十字路を過ぎ、更に歩いた。あと一キロに近い道のりだった。
金毘羅神社の境内は、横芝町の最西端に位置を占めていた。社の森がまず信吉達の眼に入って来た。さすがに、人の往来も少しずつ増えて来た。やがて、境内のざわめきが少しずつ耳を打つようになって来た。信吉達の足は自然に早くなっていた。
境内の入り口が見えて来た。
「おう、人がいっぺえだなあ」
境内の入り口に続く人波を見て忠助が言った。
「あれッ、サーカスがなんがやってんのがなあ」
聞こえて来る音楽に良二が眼を輝かせて言った。
「毎年、木下サーカスが来てだっよ」
高志が物知り顔で言った。
信吉達の足は自然と小走りになっていた。
境内の入り口を入ると、たちまち人込みに巻き込まれた。
玉砂利が足の下できしった。
御影石の敷かれた参道の両側には、露店がぎっしりと軒を並べていた。
どの店にも、夜店の為に、二三個の裸電球がぶら下げられていた。
店の者たちが声を嗄らして客を呼び込む声があちこちから聞こえた。
信吉達は左右の店に眼を奪われ通しだった。
食べ物のいろいろな匂いが入り混じった。
おもちゃの風車のカラカラと風を切る音が鳴った。
「春男のえ(家)の親類ではどごさ(何処へ)店ば出してっだ ?」
高志が人込みの中で聞いた。
「わがんねえ」
春男は言った。
立ち止まっている事も出来なかった。人波に押された。
みんながひとかたまりでいる事さえ難しかった。
いつの間にか参道の外れに来ていた。
左右に分かれた参道の向こう正面に神殿があった。
鬱蒼とした杉の木立に囲まれていた。やや暗い感じがあった。
露店の数はずっと少なく、淋しくなっていた。
神殿にお賽銭を投げ、参拝する人の姿が絶えなかった。
高志は玉砂利を踏んで神殿の前へ行った。
お賽銭は投げなかったが、手を合わせて型通りの参拝をした。
みんなも真似をした。
神殿右手の奥の方に、サーカス小屋のテントの一部が見えていた。
信吉は心誘われるものを覚えた。
音楽が鳴っていた。軽いざわめきが聞こえた。
「行ってんべえが ?」
信吉は誰にともなく言った。
誰も興味を示さなかった。
「いいよ、あどでいいいよ」
高志が素っ気なく言った。
「もうちっと、店ば冷がしてんべえよ」
みんなには様々な店先のざわめいた混雑の方が面白いらしかった。
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takeziisan様
いつも有難う御座います
ブログ拝見致しました
驚く程、わたくしの境遇と似通っています
自分の事が書かれているのかと思う程です
わたくしも「ああ玉杯に花受けてけて」読みました
御同様、すっかり忘れております
わたくしが母の故郷で過ごしたのは終戦直後から
九年間でしたが、この九年間がわたくしを造ったように
思います
今では総てが夢のように思えます
花々のお写真、消されてしまう事はさぞ
残念な事と御推測致します
わたくしもせめて、自分の考えた事など何処かに残して
置きたいと思い書いていますが
結局はそれも失われてしまう運命かもしれません
最終的望みはこれが消されない前に
文集としてでも出版出来たらいいなとは考えて
おりますが、どうなる事か・・・・・・