遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉293 小説 報復 他 雑感七題

2020-05-10 11:28:43 | つぶやき
          雑感7題(2020.4.21日作)
           (この中には既に掲載済みの文章も
            二 三 あるかも知れません)


 Ⅰ 美しきかな 人生 自分の持ち場 持ち場で
  真摯に生きる人の姿こそが この世で
  最も 美しい
  名声 地位に関係ない

 2 命 美(うるわ)し
  人 それぞれの人生

 3 政治は人間社会に於ける
  理想を根底に据えた
  現実主義 リアリズムでなければならない
  現実主義の上に立った現実主義 
  理想を見失ったリアリズムは
  腐敗を招き易い

 4 愚にも付かない 幾多の
  長ったらしい小説を読むより
  たった 二行か三行の優れた
  一つの文章を読む事の方が
  どんなにか 心を豊かにする事か
  人の存在の真実に触れる言葉こそが
  人に取っての最も 大切な宝になる

 5 運命ほど残酷なものはない
  運命はある日突然 なんの前ぶれもなく
  人を不幸のどん底に突き落とす

 6 今の時を一生懸命に生きる
  それより他 人の出来る事はない
  今と言う時は 再び戻らない

 7 人生とは
  空裡に建つ楼閣 
  砂漠の蜃気楼



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          報復(1)
 

 東京に本店のあるAデパートの創業七十五周年と、創業者の生誕百年の祝賀を兼ねた記念行事が行われる事になった。
 北海道、札幌にいる律子の夫でチェンストア「川辺」の社長を務める、川辺義人の許にも案内状が届いた。
 六月半ばを過ぎた火曜日、珍しく定休日を自宅で過ごしていた義人が思い出したように言った。
「そうだ、忘れていた。Aデパートの案内状に返事をしなければいけないんだ。秘書が、どうしますか、と言うのを、あんたの都合を聞いてからと思って、自宅(うち)へ持ち帰ったままになっていた」
 義人は慌てて書斎へ行き、金の縁取りのある豪華な四角い封筒を持って戻って来た。
 封筒の中の案内状には「是非、御令閨様御同伴で御出席を賜りたい」という趣旨の文面が記されていた。
「どう ? 久し振りに東京へ行ってみないか ?」
 文面を読み終えて顔を上げた律子に義人は言った。 
「何時(いつ)なのかしら ?」
「十月の第三土曜日じゃなかったかな ?」
「ああ、そうね」
 律子は改めて案内状に眼を落として答えた。
「十月の第三土曜日、午後五時からだわ。と言う事は、もし、行くとなると一泊と言う事になるのかしら」
「そうだろうな。土曜日の午前中にこっちを発ったにしても、一泊はしなければならない」
「子供達は大丈夫かしら ?」
「大丈夫だよ。おふくろもいるし、野間さんだっているもの」
「そうね。普段から、わたしより、お手伝いさんの手にかかりっきりなんだから」
「もし、あんたが行くなら、三日ばかり休んで、あちこち歩いてみても構わないんだ。久し振りに東京へ出る事だし、歩いてみたい所もあるだろうから」
 夫の義人は優しく言ってくれたが、その時律子はなぜか、一瞬、躊躇いにも似た気持ちを覚えていた。なぜ、そんな気持ちになったのか、自分でもよく分からなかった。
 律子が東京から実家のある北海道へ帰って来てから、既に十一年が過ぎていた。あるいは、もう、この北の国に根を生やしてしまって、東京へ出るのが億劫になってしまった、とでも言う事なのだろうか ?
 いやいや、そんな、単純な事ではない。かつての、東京での厭な出来事の記憶が無意識のうちに、律子を縛っていた・・・・・。あるいは、そういう事なのか ?
 現在、律子はこの札幌の地で、何一つ不足のない日々を過ごしていた。今年、三十九歳になって、心身共に充実していた。幾つもの会の役員や会長などを務めながら、毎日を慌ただしく生きていて、東京に思いを馳せる事もなく、東京での生活を懐かしむ事もなかった。
「その記念行事には、どうしても出席しなければならないのかしら ?」
 律子はなんとなく重い気持ちのまま言った。
「いや、あんたが厭だって言うんなら、俺一人でもかまわないけど、兎に角、顔だけは一応出しておかなければ悪いから。出来れば二人揃っての方がいいんだが」
 川辺とAデパートとは提携関係にあった。
 チェーンストア「川辺」は北海道全域にわたって店舗網を張り巡らしていた。日用雑貨からブランド物まで、その品揃えには定評があった。札幌を基盤にしての北海道での知名度は、東京に本社を持つどんな有名店をも凌駕していた。北海道に支店のなかったAデパートは六年前に「川辺」の知名度に着目し、提携を持ち掛けて来た。「川辺」の創業者、太吉が亡くなって一年と少しが過ぎてからの事だった。
 義人は現在、四十三歳、地元では経済団体の要職に就いていて、若さに似合わず、創業者の太吉をも上回る切れ者だという評判を得ていた。律子が様々な団体の役員などを兼ねるのも、そんな義人の御蔭だと言えない事もなかったが、律子はそれを否定しようとは思わなかったし、その為に自分を卑下する事もまた、なかった
 律子が義人と結婚したのは九年前だった。当時、義人は函館支店の支店長だった。その二年前に律子は東京での生活に傷付き、函館の実家に戻って来ていた。それから一年程は傷付いた心身を癒しながら何もしないで過ごしていが、若い身空で何もしないまま、親元に身を寄せている事にも次第に苦痛を覚えるようになって来て、市内の経済関係の雑誌社に記者として入社した。
 義人との出会いは「川辺」の函館支店取材の為に訪れた事が切っ掛けだった。その時、律子は支店長室の壁に掛けられた一枚の額に納められた写真を眼にして、思わず息を呑んでいた。
 義人はその様子を目敏く捉えて聞いて来た。
「何をそんなに驚いているんです ?」
 微笑みを浮かべて言った。
 律子は胸の苦しくなるような思いを懸命に堪えて、
「ここにいる二人の方は、支店長さんのお友達なんですか」
 と聞いた。
「そうです。僕の高校時代の友人です」
 写真の中の三人の高校生はスキーウェアーに身を包み、片腕にスキーを抱えて得意気な表情の笑顔を見せていた。
「その時、僕らは北海道スキー大会で、一位から三位までを独占したんですよ。誰か知っているんですか ?」
 川辺義人は聞いた。
「いえ、そうじゃないんですけど。余りお若いんで」
 律子はようやくそれだけを言って、その場を取り繕った。右側にいるこの人は、水野益臣という人ではないですかーー、喉元まで出かかるそんな言葉を漸くの思いで飲み込んだ。


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          takeziisan様

          有難う御座います
          愚にもつかない文章を 
          お読み戴く事はさぞ御苦痛の事と存じます
          毎回、お眼をお通し戴いている御様子に
          心より感謝 御礼申し上げます

          今回拝見したブログ
          相変わらずの見事な花の写真
          心底 心が和みます 殊に
          わたくしの知らない花々が多く
          大変楽しく 興味深く 拝見させて戴いております
          今後とも 宜しくお願い致します 但し
          くれぐれも御無理をなさいませぬように