コロナと坐禅(2020.5.10日作)
コロナウィルスの蔓延している
五月十日現在 しきりに
「禅」が話題に上る
NHKBSでは坐禅についての
番組を放送していた
パソコン上でも 坐禅を勧めるかのような
僧の姿を眼にする
コロナと坐禅
どんな関係があるのか ?
坐禅をして 瞑想して
コロナに打ち勝つ ?
それが出来るのなら 越した事はない
だが しかし 坐禅
禅の心は そんなもの 単純なものではない
一時間 二時間 形を造って 眼を閉じて それで
何かを会得 心を安める それが出来れば
苦労はない 昔の
禅僧は言う
「生きている間は坐って横にならない
死んでゆけば 横になって坐る事がない
悪臭を放つ一組の骸骨
下らない事に心を労してなんの役に立つ」
「坐禅をやって解脱を求める
坐禅をやって心を空にする事を専一にして
他に何もしない人は愚者である
こういう者は論ずるに足りない」
「ただ結跏趺坐(坐る)するだけなら
瓦の欠片(かけら)を鏡にしようとして磨くようなものだ」
「坐禅とは意識の凝視状態 静観主義
無に滞って進む事を知らない これは
エクスタシーとかトランス(恍惚)のようなもの
禅には転回がなくてはならない
平静な状態に停滞するのは禅ではない」
禅家の誰もが言う
禅とは 日常である
昔 ある僧が修行のため
師について修行を始めた しかし
師は何日 何か月が過ぎても
禅についての何も教えてくれなかった
修行僧は頼んだ
「もう長くここに居るので 何かを教えて下さい
禅の本義について教えて下さい」
師は言った
「おまえは教えてくれないと言うが
わたしは毎日こうして お前が挨拶をすれば
挨拶を返す 食事の支度をしてくれれば
有り難く戴いているではないか」
修行僧はこの言葉で
禅の本義を会得した
この意味 分かりますか ?
師の言葉の何処に 禅の本義が
隠されていたのか 分かりますか ?
禅とは そういうもの
日常の中にあるもの 特別に膝を組んで
坐ったからといって その本義に
辿り着けるものではない 一時間 二時間
坐っただけで何かを 会得出来る・・・・・
甘い考え 愚かな考え
達磨(だるま)は面壁(壁に向かって坐る)九年
日常 日々 一日一日 の 行ない
どんな時でも 人は
人として 人の 本務を生きる
一日 一日 慌てず 騒がず
静かに 静かに
囚われのない 心 で
人間を 生きる
日々 囚われのない心で
生きる その事の中にのみ
禅はある
「目覚めた意識での努力がなければ
いくら坐禅をしても
老いぼれ狸が穴の中で
居眠りをしているようなものだ」
白隠
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報復(2)
見違えるはずがなかった。唇の右下にあるホクロは律子が親しかった水野益臣のホクロと全く同じだった。女性のそれを思わせるような、きれいな眉の形も違ってはいなかった。
写真の中の三人の若者たちは、雪焼けした顔に白い歯を見せ、満面の笑みと共に健康感に溢れた表情で写っていた。
律子は冷静さを失っていた。東京での律子は雑誌記者として、著名人へのインタビューなど数多くの場面を経験して来ていて、多少の事には動じないだけの心構えは出来ていたはずだった。が、その日の律子は違っていた。川辺義人へのインタビューは支離滅裂なものになっていた。忘れてしまいたい過去の厭な出来事が脳裡に浮かんで来て、律子の心を乱していた。ほぼ一年ぶりかで眼にする水野益臣にも、懐かしさなどの感情は全く湧いて来なかった。ただ、嫌悪の感情だけが強かった。
東京での、律子の妊娠、流産、そして入院。水野はその間、始終冷淡だった。律子が睡眠薬を口にしたのも、そんな水野への仕返しという思いからのみだった。そして、入院のあと律子は傷付いた心身を癒すのと共に、厭な思い出を振り払いたい気持ちから、函館の実家へ戻って来た。
川辺義人へのインタビューから帰ったあと、律子は思わぬ体調の変化に見舞われた。朝、起きる事が出来なくなっていた。これからも定期的取材の為、川辺義人の下を訪ねなければならないと思うと心が塞がった。川辺義人の背後に唾棄してしまいたい思いの、あの水野益臣の姿が浮かんで来た。改めて律子は、自分が水野益臣から受けた心の傷がまだ、完全には癒えていない事を実感するのみだった。ーーそんな律子が苦しみ、悩み抜いた末に辿り着いた解決方法、それが自ら積極的に川辺義人に接近してゆく、という事だった。川辺義人が独身なのは何度かの取材で分かって来ていた。その川辺義人と結婚して、水野を見返してやる !
水野と川辺義人が高校時代の友人である以上、これからも二人が顔を合わせる機会は、恐らく多分にあるだろう・・・・律子は考えた。そして、義人の下を訪れた水野益臣が自分の姿を見て驚く姿を脳裡に描いた。
律子は胸の疼な快感と興奮を覚えた。なんと言っても、川辺義人は北海道では名の知れた「川辺」の後継者なのだ。駆け出しのフリーカメラマンでしかない水野とでは、その立ち位置に於いて、雲泥の差がある事は誰の眼にも明らかな事だった。
そして律子は、川辺義人と、結婚するのだ、なんとしても結婚するのだ、と強い思いで自分に言い聞かせた。
それからの律子は極めて意識的に川辺義人に接近していった。東京で一流と言われる出版社に勤務していた経験とセンスがその時、大いに役立った。
大学時代の友人で、著名な評論家の三村明代との関係も積極的に利用して、北海道にいては得難い情報や、経済界の裏話しなども義人に売り込んだ。
川辺義人との間に親密な関係が生まれるまでには、それ程の期間を必要とはしなかった。
律子は二人の結婚式の日取りが決まると、水野益臣も義人の友人として招待されるものと、秘かに期待した。心に描いた自分の夢が実現する事への喜びに胸の高鳴る思いだった。
しかし、水野益臣は期待に反して、二人の結婚式には出席しなかった。
律子は式の後、祝電などを整理しながら、それとなく水野益臣の消息を探ってみた。
「高校時代のスキーのお友達の、もう一人の方は出席していなかったみたいね」
「ああ、水野ね。奴はカメラマンで一年がかりの仕事があるとかで、アフリカへ行っているらしいんだ」
義人はなんの疑念も抱かずに言った。
律子は水野がどんな社の依頼で、どんな人とアフリカへ行っているのだろう、と思ったが、それ以上の関心は持たなかった。今では彼がどんな仕事をしていようが、彼への憎悪と共にどうでもいいという気がした。ただ、自分が秘かに描いたシナリオの実現しなかった事へは少しの口おしさを覚えた。
義人との結婚生活は幸福そのものだった。川辺家の豊かさが律子を玉の輿に乗った気分にさせた。律子の望みは、ほぼ、希望通りに叶えられた。
結婚後、一年が過ぎて長男の勝人が生まれた。
翌年には長女の美津子が生まれた。
生活の場のマンションの家賃には、律子が得ていた給料の二か月分が消えていった。
水野益臣の記憶は、そんな律子の心の中では日に日に遠いものになっていった。
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桂蓮様
コメント 有難う御座いました
大変 嬉しく拝見致しました
アクセスを気にする事にお疲れとの事
気にする程の事ではないのではないですか
何時も御立派な位置におられて
お見事です
あるがままを受け入れる
それが正しく桂蓮様のテーマ「禅」の
心ではないでしょうか
今回の御文章も御立派なものです
今の世の中 軽薄なものばかりが目立ち
本当にしっかりしたものはなかなか受け入れられない
ものです どうぞ 今のまま お迷いなく
良い御文章をお寄せ下さいませ
わたくしも余り時間が取れないものですから
なかなかゆっくり拝見する事が出来ません
少しずつ 過去の御文章なども拝見させて
戴いております
飲む・・・・これですね
総てを自分のものとして飲み込み
自分のものとして生きる
これに尽きると思います
禅の心ですね
「大地はどんなに踏まれても怒らない」
こういう言葉もあります
有難う御座いました
takeziisan様
何時もお励まし戴きまして
有難う御座います
今回も美しい花の見事なお写真
興味深く 一輪一輪なめるように
拝見しました 何時も何か
ホットするような思いを心の奥に感じて
自ずと微笑みが生まれます
ウーピー ゴールドバーグ
このアフリカ系の俳優は好きな俳優の一人です が
この作品 わたくしの記憶にはなかった作品です
洋画は邦画にも増して好んでいますが 或いは
失念しているのかも知れません