遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉305 小説 逃亡者(完) 他 今という時間 見えないものに 

2020-08-02 11:52:07 | つぶやき
          今という時間(2020.7.22日作)

   今 という時間はない
   時間は 一瞬の滞りなく流れ
   未来 過去を 形成する
   一瞬の滞りなく流れ 
   未来と過去を形成する時間を繋ぐもの 私
   私が 今
   今は 時間ではない 私 という存在
   私 という存在が 今
   私が居て 過去がある
   私が居て 未来がある
   私 という存在がなければ 
   未来はない
   私 という存在がなければ
   過去はない
   ここに私が居る それが
   今

          見えないものに(2020.7.20日作)

   眼に 
   見えないものに向き合っている時
   人は
   最も強く生きられる
   心に描いた 
   神仏 父母 恋人 友人 子供や孫
   真摯に向き合う一つの姿を 心の内に
   見い出し得た時 人は
   その姿と共に
   生きてゆける


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          逃亡者(完)   

          三

 雨戸を開けてもいいのかどうか、ためらわれた。兵士が居る事を知られるのは、それがの人であってもまずかった。もし、告げ口でもされたら・・・・・・
 かと言って、一日中、雨戸を閉め切って置くわけにもゆかなかった。この、早くもまぶしい朝の光りが雨戸の透き間から射し込んで来るような日の中では、かえって近所の人達の注意を引いてしまうだろう。その上、なお続いている巡回の兵隊達の眼を引く危険性も多分にあった。八畳と六畳の二間だけの家では隠れる場所もない。
 祖母は思案の末、
「仕方がねえ、押入れの中に入っていなせえ。中の物ば出して、そごさ布団ば敷いで寝でるどいい」
 と言った。
 若い兵士にはまだ、自分の考えを実行するだけの気力も体力もなかった。昨夜の疲労困憊した様子こそなかったものの、相変わらずの高熱と傷の痛みとで起き上がる力もなかった。
 祖母は押入れの中の物を引っ張り出すと予備の布団を敷いた。その後、高熱に浮かされている兵士を助け起こし、引き摺るようにして押入れの中に導いた。
 唐紙の戸は三分の一程を開け、外からは中が見えないようにした。それで、気付かれる恐れはなかった。
 午前八時頃に最初の兵隊達の姿が、の中央を走る県道に見られた。
 昨日と同じように、もし、何かの手懸りが得られたら、直ちに本部に知らせるように、と触れ廻っていた。
 付近の松林の捜索も一斉に行われた。銃を持った兵隊達が軍用犬と共に、総ての松林という松林に入って行った。馬に乗った将校らしい男達の姿も見られた。
 晩秋の初冬に近い季節で、格別の農作業もない村人達はただ、息を呑むような思いでその捜索を見守っていた。
 昭和十九年も終わりに近い頃、この九十九里の沿岸には米国軍の敵前上陸があるとい噂の下、急遽、何個師団かの軍隊が派遣されて来た。海岸線には監視所が建てられ、米軍の敵前上陸に備えての、万全の体制が整えられつつあった。村人達は米国軍敵前上陸の噂の中で、誰もが派遣されて来た軍隊を見て大きな安心感を抱くと共に、一人一人の兵隊達には親近感に近い感情をも抱くようになっていた。
 そんな中での軍隊の規律を破っての上官射殺事件だった。誰もが逃亡した兵士を極悪非道のと見ても不思議はなかった。村人達の軍隊に対する協力的態度は当然の事であった。無論、祖母にしても、そんな考えに変わりはなかった。一地方の農村で素朴に生きて来た祖母にしてみれば、何事であれ、人々の規律を乱し、罪を犯した人間は当然の事ながら、断罪されて然るべきだという考えを持っていた。少なくとも、当の張本人が眼の前に現れるまではーー。 
 密告するのは容易い事であった。若い、傷を負った兵士にしても、密告される事への恐れは当然ながらに抱いていたに違いなかった。表面は優しくされていても、いつ、どんな時に何が起こるか分からない。
 ただ、兵士の負った深い傷が彼に心のままの充分な行動を取らせなかった。取り得なかった。高熱と体力の消耗がそれを阻んでいた。
 祖母は若い兵士に同情したのではなかった。兵士の姿の余りの痛ましさに心を動かされた、それだけの事にしか過ぎなかった。善人も悪人もなかった。人の痛みに感応する人間らしい心がそこにあった、というだけの事だった。
 若い兵士の看病と保護が祖母の重要な仕事となった。近所の農家の仕事を手伝いながら生計を立てている祖母にしてみれば、農作業のないこの季節、手内職の藁草履を作る仕事だけの毎日で、格別に手のかかる仕事もなかった。
 祖母はその手内職と、若い兵士の看病の間には毎日、覗き見するような形で、依然として巡回を解かない兵隊達の動向に気を配っていた。
 若い兵士の傷が快方に向かい始めたのは、四日目になった辺りからだった。
 ほとんど手当という手当てもしないままに、ヨードチンキでの消毒だけの治療でも兵士の傷は格別の悪化も見せなかった。
 傷の快方と共に若者はよく眠るようにもなった。ほとんど取る事もなかった食事も僅かではあったが口にするようになった。それと共に感情も落ち着いて来たかのように、折々に柔らかい表情を見せるようにもなっていた。
 それでも若い兵士はよく眠った。食事を済ますとそのまま何時の間にか深い眠りに入っていた。まだ、体力の回復の完全ではない事の証のようでもあった。
 そんな折り、ある夜、思わぬ緊張の場面があった。
 祖母と少年は一日置きに近くの農家へ風呂を貰いに行くのが常だった。その夜も兵士が眠っている間に出掛けた。帰って来て土間の板戸を開けて中に入るといきなり兵士が、二人がこれまで気付く事もなかった拳銃を手にして祖母の胸倉を掴み、突き付けて来た。その眼には憎悪の色がたぎっていた。
 呆気に取られ、狼狽する祖母に兵士は言った。
「何処へ行った。何処へ行って俺の居るのを喋って来た」
 祖母は呆気に取られたまま、それでも気丈だった。
「あにば言うだ。馬鹿な事ばすっでねえ。わし等は風呂ば貰いに行って来ただ。ほら、見なせえ」
 祖母は濡れた手拭を差し出して見せた。
「俺が居るのを喋っただろう」
 兵士はなおも祖母の胸倉を掴んだまま離さなかった。
「喋りゃあしねえ。喋ったりしねえ。喋るぐれえなら、あんでおめえさんば匿ったりすっだ。匿った事が知れれば、わし等が咎めを受けるだ。ろぐでもねえ事ば言うもんでねえ」
 祖母はこれまでの親切を無にされた事への腹立ちを、顔中一杯に漲らせて兵士に食って掛かった。
 兵士は途端に息を呑んだように口を噤んだ。まるで人形が崩れるように、祖母の胸倉を掴んでいた手を離すと、そのまま傷付いた足を引き摺りながら上がり框へ戻り、力の抜けたように座り込んだ。
「済まない。申し訳ない」 
 兵士はそう言って泣き出した。声を殺して必死に涙を抑えるようにしてすすり泣いた。
「いいだ、いいだ。分かればいいだ。いいだがら布団さいって寝みなせえ。早ぐ体ば治してしまわねえ事には、どうにもなんねえだ。あんたの告げ口ばするような事など、決してしねえがら安心しなせえ」
 祖母は言った。

          四


 上官射殺犯人への追及はかなり執拗なものがあった。祖母が近所の店へ買い物に行った折りに耳にした噂によると、捜索の手はこの村ばかりではなく、隣り村、或いは、その向こうの駅のある町にも及んでいると言う事であった。駅周辺には絶えず二、三人の兵隊の見張りが出でいて、逃亡兵が高飛びをするのを防いでいるという事であった。
 若い兵士は祖母の言葉を聞くと顔を引きつらせ、緊張の表情を見せた。
 恐らく、ありとあらゆる所に、手配の手続きは取られているに違いない。
 自分の逃亡の不可能性を兵士は、敏感に感じ取っていたに違いなく、重く口を閉ざしたまま何も言わなかった。
 兵士の体力は七日程して回復した。傷そのものも完治した訳ではなかったが、脚を引き摺りながらでも歩く事が出来るようになった。熱の出る事もなくなった。
 しかし、若い兵士の行動の自由が許された訳ではなかった。依然として密告への恐れは消えていなかった。一目でも村人達の眼に若い兵士の姿が触れれば、立ちどころに軍本部への報告がなされる事は疑いがなかった。
 若い兵士は回復した体力を持て余しながら、相変わらず昼の間は押入れの中で過ごさなければならなかった。夜になり、雨戸が建てられるとようやく押入れから出て来た。
 少年に取っても、その兵士と過ごす夜の時間は、これまでにない楽しい時間となった。
 兵士は、兵隊という名が呼び起こす厳めしさはなく、時折り、信じられない程に幼い素顔をのぞかせる事もあった。
 その兵士は、なぜ祖母と少年が二人だけで暮らしているのか、聞いた。そしてまた、自分の身の上も話した。
 この若い兵士は新潟の農家の出であった。冬になると雪に埋もれて暮らす話しや、やはり今では祖母と同じように年老いた両親が、炉端でちょうど祖母がしているように、藁仕事をしていた事、針仕事をしていた事などを話した。
 兵士は五人兄弟の末っ子で、三人の姉は嫁ぎ、たった一人の兄は兵隊で外地に赴いているという事だった。
 兵士は概して人懐こく、話し好きのようだった。ただ一つ、何故、上官を射殺したのかという事になると、祖母の問い掛けにもその言葉が聞こえなかったかのように、耳を閉ざしたまま、答えようとはしなかった。
 祖母は再び、聞く事はなかった。
 少年は兵士の話しを聞くのが好きだった。少年の、やはり戦争に出ている父と、三歳の妹を抱えて東京の家を守る母とも離れて暮らす毎日の中で、兵士は少年には、気持ちの優しい実の兄のように感じられた。大きな魚を釣った時の話しや、雪を屋根から降ろすのだなどという兵士の話しを少年は、まるで昔話のように聞いた。こんなにも長く氷柱が伸びて陽に光るのだ、と大きく手を広げて見せた時の表情には思わず胸を躍らせていた。若い兵士は少年に取っては未知の夢に溢れた存在だった。
 兵士はまた、ナイフを使う手仕事が上手かった。少年が切って来た竹などで器用に鳥籠や竹とんぼなどを作ってくれたりした。
 少年には、兵士が何時かは、この家を出て行くのだ、という事は分かっていた。出て行かざるを得ないのだと。しかし、少年には、その限られた時間の中であるからこそ、一層、兵士と過ごす時間が大切なものに思えて来て、兵士に対する思慕の念と愛着の度合いが増すばかりだった。一日一日が少年に取っては掛けがえのない貴重な時間となった。
 そしてある夜、兵士は遂に少年と祖母にこの家を出て行く決意を打ち明けた。
 兵士が緊急に出て行かなければならない理由はなかった。今までと同じ様に暮らして行くのも不可能ではなかった。だが、兵士は上官を射殺した逃亡兵であり、追われる身であるという事実は如何ともし難かった。永遠にこの家に留まる事は出来なかった。
「何処へいきなさる ?」
 と、祖母は聞いた。
「両親の傍へ帰りたい」
 兵士は言った。
 祖母は黙った。
 暫くしてから祖母は独り言のように言った。
「だけっど、戻れるだろうかよう」
 若い兵士の顔に不安が浮かんだ。
 戻れそうにない事を察知しているようだった。
 村の中を巡回する兵隊の姿は、この頃には既に見られなくなっていたが、それなりの手配態勢の取られている事は周知の事実だった。それでも、若い兵士の決意は変わらないようだった。
「汽車に乗る事は出来めえ」
 祖母は言った。
 兵士は頷いただけだった。


 翌年、八月、戦争が終わった。
 あの若い兵士がその後、どうしたのか、祖母も少年も、その消息を知る事は出来なかった。


         完



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          takeziisan様

          有難う御座います
          今回もブログ 大変楽しく
          拝見させて戴きました
          畑の雑草 まあ 凄いですねえ
          不謹慎ながら 今回も笑い出してしまいました
          やっぱり 物を収穫するとなると
          それなりの苦労が要るものですね
          「ウィ ア ザ ワールド」
          大変いい画面を見せて戴きました
          一時 盛んに歌われた唄ですが  
          改めて聞き直しても感動的です
          多分にアーチストの存在によるものでしょうが
          心のこもった感情が伝わって来ます
          日本のアーチスト達では 軽さばかりが目立って
          このような感動は無理だと思います
          「スーザン ボイル」
          何回見てもいいですね 
          最初は嘲笑的 軽蔑的視線で見ていた者達の
          驚きに変わる表情 涙ぐんでいる者もいました
          事実 わたくしも涙ぐみました
          人は 見た眼で軽々しく判断してはいけない  
          という事ですね
          何時も楽しい画面 これからも
          宜しくお願いします と 
          言いたい所ですが 以前も申しました通り
          御負担をお掛けする事になるのでしょうか