遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉308 小説 その夏(3) 他 失われてゆくもの

2020-08-23 13:08:58 | つぶやき
          失われてゆくもの(2010.10.30日作)
             この文章は平成二十二年(2010)に
             書かれたものですが 現在の状況にも
             合致するものと思い掲載します

   かつて この国は国民の生活を豊かにする という   
   政治的判断の下
   四季に恵まれ 様々な彩りを見せる
   豊かなこの国の自然を惜しげもなく 破壊して来た
   海も山も川も 自然が自然らしさを失い  
   不自然な建造物が自然の中のあちこちに姿を見せ
   この国の国土を荒廃させた それでも人々は
   不自然な自然の中で 幾ばくかの
   生活上の豊かさを手に入れ それなりに
   豊かさを享受した そんな時代もあった

   しかし 既に
   不自然な自然の中に創り出した そんな豊かさも
   様々な問題をはらみながら 今では底を衝き
   自然な自然を不自然な自然に変えた代償に  
   人々が気付き始めた今 この国は
   新たな道を歩き始めなければならない時に来ている

   この国が新たに歩き始めなければならない歩み
   その歩く姿は 今もって
   この国の人々の眼には見えて来ない

   見えて来ないその姿の前で この国の人々は戸惑い
   立ち竦んでいる 善し悪しは措くにしても
   この国の国土を荒廃に導きながらも
   この国の人々に生活上の豊かさをもたらした かつてのように
   政治的判断を下す機能も今 この国からは失われて
   無能な国政担当者達の下 人々は この国の行く末に
   漠然とした不安を抱き 怯えにも似た感情を抱いている

   この無能な この国を治める者達の下
   かつて この国が失って今ようやく その必要性
   重要性に気付き始めた自然な自然 豊かな自然のように
   今 この国からは
   この国の人々が長い歴史の中で 積み上げ 蓄積して来た
   この国が世界に誇り得る 
   この国の豊かさを築く礎となった工業技術
   精巧 精密 繊細さを誇る この国の人々が持つ優れた技術が
   失われてゆこうとしている

   すべてのものが 瞬時に地球上を駆け巡る この時代
   世界各地に沸き起こる変革の波
   どの国もが自国の豊かさ その為の優位な立ち位置を求めて
   懸命に努力をし 競い合っているこの時代
   この国を治める この国の為政者達は
   思考停止の状態に陥ったまま 茫然とし 立ち竦んでいる
   この国の人々が持つ優れた技術 それが今
   沸き起こる変革の波の中で翻弄され 揉みくちゃにされ
   この国で この国が持つ優れた技術を守り抜く事さえ
   困難な状況が今 訪れている時に
   この国を治める者達は
   この国の人々が持つ優れた技術を守り抜く為には
   何が必要なのか その為の有効な手段 方策さえも
   見い出せないままでいる
   
   その間にも 世界各地に起こる変革の激しい波は
   この国にも容赦なく襲い掛かり この国を呑み込もうとしている
   
   もはや 立ち止まっている時ではない
   速やかな行動が求められ それが実行されるべき
   今のこの時に だが この国を治める者達は
   かつての豊かな自然が失われてゆく代償としてもたらした
   生活上の豊かさとなり代わるような
   この国の技術が失われてゆく事への代償物も見い出せないままに
   この国の今を生きる人々に ただ
   苦悩と不安 苦痛と困難な状況を強いたまま
   手をこまぬいている
   平成二十二年 2010年 十月現在
   それが この国の置かれた状況なのだ
   
   失われたあとに 失われた物の大切さを認識しても
   もう 遅い 原状回復
   その道程には長い困難 苦闘が待ち受けている



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         その夏(3)

 事実、初めの頃のつね代は、近所の人達が見た花嫁姿のままの嫁だった。いつも笑顔を湛え、誰にも愛想よく言葉を掛けた。特に人々が印象深く思ったのが、その声の美しさだった。透き通るような透明さの中に、人を包み込むような丸みを帯びた柔らかさがあって、誰もが魅せられた。
「鍛冶屋の嫁は器量もいいけっど、あんて、きれいな声ばしてっだや」
 近所の人達は噂し合った。
「そっだけっど、猫なで声の女つうのには、昔から性悪女が多いもんだ」
 皮肉屋で通る宗右衛門の大旦那は言った。
「まあ、爺ちゃんってば。怒られるっがらね」
 つね代の愛想の良さを知っている女たちは口々に言った。

 つね代の夫の良一郎は、優男の、何処かひ弱な感じのする男だった。お人好しで気が弱かった。村祭りの日の芝居などではよく女形を演じた。独身だった何年か前に演じた「孕み女」は、一世一代の快演としてその後もしばしば、人々の口の端に上った。座布団を着物の下に押し込んで腹を膨らませた姿が、その見事さと共に人々の笑いを誘った。そして、それは、良一郎から拭い去る事の出来ない印象として定着した。
 夫婦には一年が過ぎても子供が出来なかった。その頃になると、つね代がしばしば、嫁ぎ先の家を空けて、実家に帰る姿が見られるようになっていた。
「あら、婆ちゃん。つね代さんはまだ、里帰りがい ?」
 井戸端で仕事をしている、たね婆さんを見て近所の人達は声を掛けた。
「あんだが知んねえけっど、よぐけえる(帰る)こっだよう。やれ、あんだかんだって言いながら、けえればけえったで、四日も五日も音沙汰なしだもんで、はあ、どうにもしょうねえだよぅ」
 たね婆さんは曲がった腰を伸ばし伸ばし愚痴った。
「子供はねえし、まだ、本当のおっかさんの乳っこが恋しいんだべえよう」
 近所の人達はたね婆さんを慰めた。
 この頃から既に、夫婦についての噂が頻繁に、人々の口に上るようになっていた。
「良一郎さんは、よぐ、黙ってるよお」
「ああに、嫁の尻に敷がれでだっもん、しょうがねえべよ」
 つね代には外見に似合わず、気の強いところがあった。畑の仕事でも、田仕事でも、人に負ける事を嫌った。
「まったぐ、仕事ばやらせだら、男顔負げの仕事ばすっもんなあ」
 近所の手伝いなどに出向いた折りの、つね代の仕事振りを知っている男達は言った。
「良一郎じゃあ、とてもあの女には勝でねえよ」
 長年、親しんで来た自分の家の仕事でも良一郎は、しばしば、つね代に引き摺られるような所があった。
 つね代がいない間、良一郎の一人でもそもそ、鍬や鎌をふるう姿が見られた。
 つね代が手に負えない女だと評判を取るようになったのは、それから更に、半年余りが過ぎてからだった。
 中里の若い者達がしばしば、横田町で鷺沼の男達といる、つね代の姿を眼にするようになっていた。
 何人かの男達と一緒の時もあれば、一人の男の時もあった。
 人々は当然、つね代を尻軽女と断定した。
 つね代は中里の顔見知りの男達と顔を合わせても悪びれるところがなかった。みんなと冗談を交わして、その、あっけらかんとした様子に、かえって、顔を合わせた男達の方が戸惑った。
 つね代の噂は、つね代を秋本家の嫁だとは知らない他の村の者達の間では評判になった。
 良一郎が陰で囁かれるその噂を知っていたのかどうかは分からなかった。いわゆる一人息子の世間に疎い男でもあった。ただ、その頃になると、二人の間でもしばしば諍いが起こるようになっていた。
 そんな時、つね代は、ぷい、と家を出てしまい、ひと月もふた月も帰らなかった。その後、これで離婚も決定的かと思われる頃になって、何事もなかったかのように帰って来た。
 良一郎は、そんなつね代を責める事もしなかった。
「よぐ、婆ちゃんは、我慢してるねえ」
 かつて、つね代を褒め讃えた近所の者達は、たね婆さんに同情した。
「だって、良が入れでしまうだもん、しょうがあんめえ」
 たね婆さんは、諦め切ったような口調で言った。
「まったぐ、良一郎さんにも呆れだもんだねえ。追ん出す事も出来ねえんだがらよお」
「よっぽど、女房の持ち物がいいんだべえよう」
 男達は噂をし合って笑った。

         四

 中学生になったばかりの信次の耳にも、つね代の噂は何処からともなく入って来た。
 信次は美しいつね代の中に、ある種の退廃の美を見るような気がして心をかき乱された。毒花が誘う魅惑の魅力だった。その面影が様々な形で信次を翻弄した。その頃覚えた、"その行為" の中にも、つね代の面影が影を落として来て、微妙な深みを与えた。
 だが、信次は、世間のみんなが言うように、単純につね代を、軽薄な尻軽女、と見る事が出来なかった。つね代に対する好意的な気持ちは変わらなかった。路上などで出会えば、今までと変わりなくお互いが笑顔で挨拶を交わした。そんな時つね代は「今、帰り ?」とか「何処さ行ったい ?」などと、親しく言葉を掛けて来る事もあった。信次はそんな時、他の大人達に対するのと同じように、少しの恥じらいを含んだ口調で言葉を返すのだったが、つね代に対する時には、常に軽いトキメキのようなものを覚えていた。

 信次は奥手だったのかもしれなかった。あるいは、中学生では、そんなものかも知れなかった。それ程に激しく、性の懊悩に苦しむ事はなかった。同級生の中にも何人か、関心をそそられる女生徒がいないではなかったが、特別に踏み込んだ感情を抱く事はなかった。スポーツ、陸上競技が彼に取っての目下の所の、最大の関心事であり、熱中出来る事柄だった。
 信次の学業は、可もなく不可もなく、だった。信次自身、学業に力をそそぐよりは、より多くの力を陸上競技にそそいでいた。毎日の放課後の二時間ほどの練習には、水を得た魚のように溌剌としていた。指導の教師達の眼もまた、他の生徒達に対するよりは一段上に置かれていて、それだけに、その指導には熱が入った。伊藤信次は近在を代表する中学生短距離界のホープという位置付けだった。
 信次は中学一年の時に、郡の中学生選手権大会の百メートル競技を制していた。勝った時には、普段の練習タイムから見て、当然の結果だという思いがあった。その他にも、様々な対抗試合などでは、他を寄せ付けない圧倒的強さを見せ付けていた。それだけに、二年での選手権大会の思わぬ敗北には、茫然とするのと同時に、後になってからの沸き起こる口惜しさに身の置き所も無かった。明日にでも、もう一度やりたい、という思いに気持ちが逸った。翌年の選手権が限りなく長く遠い果てにあるように思えてもどかしかった。一年という歳月が、一気に明日に縮まってしまえばいい、と思った。   



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          takeziisan様

          「河は呼んでる」 
          記憶の底に埋もれていました
          拝見して懐かしく思い出しました
          中原美沙緒 かつて一世を風靡した
          中原淳一の姪御さんですよね
          わたくしも歌はよく耳にしましたが
          映画は観なかったですね
          四十年代の家計簿
          懐かしい風景です
          あの頃はこんな風景が当たり前でしたね
          お写真を拝見して 当時の様々な記憶が
          甦りました
          あの当時はあの当時でまた 素朴な
          良い時代でした
          わたしはいろいろな事に興味を抱く性質ですが
          何故か 山歩きだけは余り興味を持つ事が
          ありませんでした 生来の出不精のせいかも
          知れません
          でも テレビ画面などで眼にする
          山野の野草や花々にはとても心を惹かれます
          バラやダリアなど豪華さを競う花々より はるかに
          心を惹かれ感動したりします
          名もなき(名も知られぬ花)の美しさですかね
          有難う御座いました