遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(328) 小説 雪の降る街を  他 神 未来

2021-01-17 13:21:46 | つぶやき
          神(2021.1.12日作)

 どんなに辛い事でも
 どんなに苦しい時でも
 神仏は助けてくれない
 人事を尽くして 天命を待つ
 その時 その場で 自身に出来る事
 今 この場で 自分に何が出来るか
 思いを巡らす そこからのみ しか
 苦境 苦悩の渦からの脱却は 出来ない
 神も 仏も ただ 自身の内で育むもの
 神や 仏は 万能ではない
 神や 仏に 力はない
 自身を支える力として のみ 神も仏も
 自身の胸の内で育むもの

         未来

 未来など 考える必要はない
 只今 現在 今のみを考える
 人が人として生きるには 今現在
 自分に何が必要なのか ?
 何を為すべきか ?
 何をしたいのか ?
 最高 最善の道を考え 選択する
 未来はその時 始めて 見えて来る
 今を 精一杯 生きる 生き切る
 そこから浮かび上がって 見えて来るものが
 自分にとっての 最善の未来
 今を生きる 生き切る
 失敗を恐れるな 人は
 生きている限り やり直す事が出来る
 たった一つの命 命を大切に !
 失敗を恐れるな


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          雪の降る街を(1)

 午後一時過ぎに降り出した雪は、止み間もなく降り続いた。五時半の終業ベルが鳴る頃には、ひっきりなしに車の往き交う路上にも積雪が見られた。
「こりゃあ、うっかりすると、電車もバスも止まってしまうぞ」
 誰かが言った。
 工員八人の小さな下町の工場だった。鉄錆と油に汚れたつなぎ服の男達は仕事を切り上げ、早々に道具を片付けにかかった。
 光男は彼等の後から、ハンマーやノコギリなどの小道具を片付けて歩いた。
 溶接用のガスの炎が消えた工場内は、急に冷え冷えとした冷気が漲るに思えた。
「ヤマ、いいか。きちんと後始末をしておけよ」
 一人が言った。
「寒い、寒い。早く家へ帰って炬燵にでも入って一杯やろう」
「こりぁ、今夜一晩中降るな」
「明日は大雪だ」
 先輩の行員達は、それぞれに口にしながら工場を出て、裏手の更衣室へ向かった。
 光男は一人残されると整理の後を再点検してから、表側の重い鎧戸を引き降ろした。
 幾つかの裸電球が人気の無い工場内をうそ寒く浮かび上がらせた。
 その明かりを消すと光男は小さな出入り口から外へ出て更衣室へ行った。
 先輩の行員達はみな、帰った後だった。光男はだぶだぶの汚れたつなぎ服を脱いで着替えた。暖房も無い更衣室の中で歯がカチカチふるえて鳴った。

 光男がこの工場へ来て三年半が過ぎた。光男のあとに入って来る工員はいなかった。先輩の工員達は皆、中年過ぎの所帯持ちばかりだった。光男の親しく話しの出来る相手はいなかった。その上、福島県の山里で育った光男には都会の物馴れた若者達と違って、如才の無さという点からも大人の工員達に受け入れて貰えない面があった。自ずと口をついて出る方言を恥じて口が重く、引っ込み思案の光男を称して何時しか皆は光男を「ヤマザル」と渾名するようになっていた。
「あの野郎は俺達に不満があんのか、ろくな返事もしねえし、嫌々仕事をしているみてえで、まったく可愛げのねえ野郎だよ」
 先輩工員達は言ったが、光男には先輩工員達への不満がある訳でも、仕事が嫌な訳でもなかった。ただ彼は自身の裡に拭い難く、消し去り難い心のしシコリのようなものを抱え込んでいた。彼には、日々、この都会で生きている自分が自分ではないように思えてならなかったのだ。足が地に着かない生活。彼の本当の生活はこんな所にはなかった。本当の自分はもっと活発で、誰に気兼ねをする事もなく、自由にのびのびと動き廻り、朗らかに笑い、声高に方言を喋って、周囲の誰とでも打ち解ける事の出来る人間だった。
 だが、今この都会で生きる光男には、そんな光男は望むべくもなかった。ただ脱け殻のような自分を感じるばかりだった。
 光男が都会へ出て来た三年と少し前、中学生の彼は高校への進学は諦めていたものの、地元に残ってそこでの生活を夢見ていた。高校への進学をしない事への拘りはなかった。当時はまだ、誰もが高校進学を選ぶという時代でもなかった。まして、山深い里の事、地元の習慣に従い、地元なりの生活をしてゆく事への迷いはなかった。それで人々は心豊かに暮らしていた。
 父母は現在でも、裏磐梯の山村に光男と四歳違いの妹、六歳違いの弟の四人で暮らしている。戸数三十個に満たない小さな山里で、町へ出るのにも一日係りで、農地も少なく、村人達は山菜や山間を流れる渓流で採れる川魚などで生計を立てていた。光男も十歳の頃まではそこを離れる事など考えてもみなかった。そこでの生活が光男は好きだった。幼い頃から父母に連れられて、山へ入っての山菜取り、渓流でのヤマメやイワナ捕り、光男という人間、人格がそこで形成されていた。
 光男は村を離れなければならないと知った時、足場を取り払われたように感じた。しっかりと足を着ける場所がなくなった。
 中学卒業と共に東京へ出る事が決まった時、光男は、自分が不幸な時代に生まれたと恨めしかった。父の生きた時代や、祖父母の生きた時代を羨ましく思った。光男に取ってはそんな時代が至福に満ちた時のように思えた。だが、もうそんな時代は望むべくもない。
「仕方がねえ。これが時代ってもんだ」
 父は諦めたように言った。
 光男を育んで来た渓流の上流には、国民休暇村建設という名の下に急速に開発が進んでいた。年々、渓流には魚が住まなくなった。まず川エビが姿を消した。すると清流の中に濁った水が混じるようになった。眼に見えてイワナが捕れなくなった。更に、国民休暇村に人々が来るようになると、山々が荒らされた。新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどが、山菜の宝庫、穴場、豊かなレジャーの場として報道した。農地の少ない山里の住民に取っての収入源だった自然が瞬く間に荒らされ、失われた。国有林という名の村人達に取っての生活の場がなくなった。
「今までみてえな生活なんてものは、出来ねえ」
 父は力なく言った。
 役場では村人達の困窮の声を聞いても、国有林である以上はどうにも出来ない、と言った。
 村には他に変わる収入源は何一つなかった。観光資源も持たなかった。若者達は義務教育が終わると、村を出て行く以外に自分達の生きる道はなかった。
「俺、それでもやっぱり、ここに居た方がいい」
 光男が言った時、父は、
「だけどおめえ、今のような状態ではどうやって生活していくんだ。先が思い遣られるだけだ」
 と言った。



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          takeziisan様

          コメント 有難う御座います
          拙作にも係わらず正確にお読み取り  
          下さいまして 御礼申し上げます
          自ら望んだ死ではないにしてもそこには
          自分と同じ境遇ーー誰にも頼る事の出来ない
          心細さを抱いた主人公の心の傷がそのまま
          川の中の子猫の孤独に同化して
          死の恐怖をも超越し
          無謀な行動に走らせたのだと思います
          深くお読み取り下さった事に感謝致します
           今回も様々なお写真 楽しく拝見させて戴きました
          それにしてもまめによくお撮りになります
          ドント焼き懐かしいですね わたくしの田舎の方でも
          大晦日などには近所の人達が藁などを持ち寄って
          天神様の境内などで行っていました
          冬枯れの景色のお写真 野菜も可哀想ですね
          中学生時代の日記 貴重な資料です
          どうぞ一つに纏めるなどして 保管して下さい
          それにしても字がお上手です わたくしの中学時代の 
          文字など読めたものではありません 父も兄も
          上手なのですが
           わたくしも中学生時代に書いた文章などを
          幾つか持っています 追い追いここに書き留めて
          置きたいとは前から思ってはいるのですが
           烏瓜の種 始めて知りました 驚いています
          T子様の事 辛い思い出ですね T子様の心の内を  
          思いますと胸が痛くなります もっと生きたかった
          だろうに・・・・幸い わたくしの兄妹は六人
          なのですが 今のところみんな元気でいます
           思い掛けない出会いとはよくあるものですね  
          楽しく拝見させて戴きました
          これからのブログ楽しみにしております
          と申しましても どうぞご無理のないように
           有難う御座いました

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          桂蓮様

          何時もコメント有難う御座います
          詩と言えるかどうかも分からない代物を
          お読み下さる事に心より御礼申し上げます
          有難う御座います
          今回の桂蓮様のブログ 英文でお手上げです
          追記は読ませて戴きました
          世の中 道理の分からない人間が多くて
          困ったものです トランプ氏 まさに
          その代表のような人間です 他国の事ながら
          この人間が再び 大統領の椅子を
          目指す事の出来ないよう 祈る気持ちで
          一杯です 桂蓮様 どうぞブログなどで
          大いに啓発して下さい
          小津映画 如何ですか そう言えば
          思い出すのですがアメリカの作家 ヘミングウェイ
          の短編も小津映画に近い要素を持っています
          ノーベル文学賞の対象になった「老人と海」   
          などもそうですが 「白い象のような山」
          「雨の中の猫」など 様々な短編も極 ありふれた
          日常的会話から成り立っています それでいて
          ヘミングウェイは長編より短編の方が
          評価されています
          人様々 好みも違って当然 でも その違いを  
          受け入れ 自分の糧とする事も大事な事だと
          思っています
          貴重なご意見 有難う御座います