嫌だな(2021.5.20日作)
テレビのニュース等を見ていて
嫌だな と思い 素直に
受け入れられない ものがある
西洋・・・ヨーロッパ 中東などの政治家 あるいは
経済交渉などで首脳や 関係者 等が
顔を合わせた時 互いに抱き合い
頬と頬を押し付け 挨拶を交わす場面
嫌だな と思う
それには それ相当の 理由があるのだろうが
何故か 頭に浮かんで来るのは
動物達の挨拶
互いに相手の身体をなめ合い 匂いを
嗅いだりする場面 その場面が
浮かんで来て 嫌だな という
感覚に捉われる その点
日本の挨拶は 相手を敬い
尊重しながら 両の手をたたみ
頭を垂れ 挨拶する
美しい と思う
人間としての 理性に基づき 相手への
敬い 尊敬を表わす
ベタ付いた感触 がない ベタベタ
ベタ付いた不快な感触 それは
日頃 よく観るアメリカ映画 その中にも
しばしば 見られて 辟易
不快感に捉われる しきりに現れる
抱擁場面 キスの場面 愛情表現 それには
もっと別の 表現方法もあるはず と思う
単純にキスと抱擁 いかにも
アメリカらしい単純さ と
呆れる それに あと一つ 暴力
必ず 取っ組み合いの 格闘を する
やたらに 銃を 撃ちまくる
アメリカ映画の欠点
アメリカ社会に 銃犯罪の絶えない一つの
要因に違いない
銃が自由に買える国
アメリカ
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化(あだしの)野 (完)
ポリーは昨夜、八時過ぎに宿へ戻った。わたしだけが戻らない事でみんなは心配を深めたが、とにかく、朝まで待ってみよう、という事になった。
わたしはみんなに詫びを言ってから、昨夜からのいきさつを話した。
「みずうみ ?」
わたしの話しを聞いて、宿の主人や村人達は怪訝な顔をした。
「湖なんてものは、この村の何処にもねえよ」
みんなは言った。
「いや、あの杉林をずっと奥へ行くと大きな湖に出る。岸辺の色付いた樹々が湖面に様々な色を落としていて、見事な眺めだった」
と、わたしは言った。
「だけっど、そんな話しは聞いた事がねえ」
みんなはそれでも、わたしの話しを信じようとはしなかた。
わたしの腕を見ると、ジャンパーもセーターも破け、血が滲み出ていた。
傷口は小屋で見たとおり、ふさがっていた。肉が破けたようには見えなかった。
女の適切な処置のお陰かと思うと改めて感謝の気持ちが湧いたが、みんなはそれも、ただの引っ掻き傷としか見なかった。
わたしの意識の中ではそれでもなお、確信の揺らぐ事はなかった。
もし、あれが事実でないとしたら、今、ここにこうして居る事も事実ではない事になるーー。
その日は、東京へ帰らなければならなかった。みんなを案内して確認のために湖へ行っている時間はなかった。わたしは宿の主人に、
「来年、春になったら、女の人に礼を言うために、また来ます」
と言って、その時には一緒に行ってくれるようにと、頼んだ。
二
わたしと妻は結局、離婚した。
二人の間に通い合うものは既になくなっていた。
お互いの個性がぶつかり合って、感情の亀裂が少しずつ深くなっていた。
十二年の結婚生活だった。
子供はいなかった。妻が望まなかった。外国系企業で皮革製品の輸入販売に携わっていた妻は、仕事に忙しかった。
翌春、わたしは三月の早い時期に村を訪ねた。仲間は誰も誘わなかった。
東京での慌しい生活の中に身を置いてみると、村での出来事が遠い感覚の中で、遥かなものとして思い出された。あの時の現実感もいつの間にか希薄になっていた。しかし、わたしの意識の中では今もなお、その出来事への認識にはいささかの揺らぎもなかった。
宿に着くとわたしは翌日、さっそく主人と二人だけで林の中へ入った。ポリーも連れて行かなかった。--宿にはポリーも含めて四頭の猟犬がいた。
冬の間中、手入れのされなかった林の中は昨年のままに、枯れたススキが生い繁っていた。
歩行は依然として困難を極めた。
朝の光りを背にして歩いた。去年歩いたのとは逆の道筋だった。
林を抜け出た場所は覚えていた。早春の今と去年の秋の終わりとでは昇る太陽の方角に多少のずれはあるだろうが、湖はそんな小さなずれによって見失われてしまう程に小さなものではなかった。
わたしと主人はひたすら、ススキの深い杉林の中を歩き続けた。ほとんど、言葉も交わさなかった。眼の前に丈高く生い繁るススキを掻き分け、足元に絡まり付いてくる蔓草を振り払いながら、歩く事だけに気を取られていた。昨年の経験からわたしは、もし、湖が近くなれば、上空の明るい空間が杉の巨木の間からでも見えて来るはずだ、と考えていた。
その湖はだが、なかなか姿を見せて来なかった。歩いても歩いても見えて来ない湖にわたしは、次第に募る疲労感だけを深くして、その疲労感が遂には苛立ちとなって、焦りにも似た思いに包まれていた。
「湖なんてものは、この村の何処にもねえよ」
村の人達の言った言葉が始めて実感として迫って来て、不安になった。
やっぱり、みんなが言うように湖はなかったのだろうか ?
あの湖は、傷の痛みがもたらした幻影だったのか ?
わたしは幾分、弱気になっていた。その弱気が言葉になって、
「もう、そろそろ、見えて来てもいい頃だがなあ」
と、思わず愚痴のように言っていた。
すると宿の主人は、
「あと少し行くと高い崖の上に出て、下には隣村のが小さく見えるはずですよ」
と言った。
それから間もなくだった。
「ああ、こんな所に、こんなものが」
宿の主人は言うと、ススキの繁みの中に身をかがめて何かを拾い上げた。
わたしは主人より少し遅れて離れた場所にいたが、主人が高くかかげて見せる一見、ボロ屑のように見えるそれがなんだか分からずに、
「なんです ?」
と聞いた。
「キジですよ。キジの死骸ですよ。--去年、撃ったというキジじゃないですか」
主人は言った。
わたしは主人のその言葉に興味をそそられ、急かれる気持ちのままに乱暴にススキを掻き分け、主人の傍へ急いだ。
主人が手にしていたのは、見事な大きさを持った雄キジの死骸だった。
その死骸はだが、既にすっかり色あせ、羽毛は破れ果てていて、その上、枯れ木のように干からびた肉体は、大方が何かに食い荒らされていた。骨だけが残された無惨な姿だった。
わたしはそんなキジの死骸を見ながら、あまりにも悲惨なその姿ゆえに、素直に主人の言葉に頷く気になれなくて、
「でも、あの草原で撃ったキジが、こんな林の奥深くまで逃げて来たんだろうか ?」
と言った。
わたしの眼の奥には暗緑色の、金属的に輝く見事な羽毛を夕陽に煌めかせながら、懸命な飛翔を繰り返し、必死に杉林の中へ逃れて行ったキジの姿が、まだ鮮明に焼き付いていた。
主人はだが、その点に関してはあまり拘っていなかった。
「そうですね。草原からここまではかなりの距離がありますからね」
と言うと、無造作に死骸を投げ捨てて再び歩き出した。
わたしは主人が放り出した、今ではボロ屑にしか見えないキジに未練を残しながらも、今も鮮明に眼の奥に焼き付いているあの見事な姿とは違って、微かに悪臭を放つその死骸を持ち帰る気にもなれないままに、黙って主人の後に従うより仕方がなかった。
「どうやら、見えて来ましたよ」
わたしの前方、三、四メートル程を歩いていた主人が、ようやく、といった様子でわたしを振り返ると言った。
わたしは相変わらずススキを掻き分ける手元に注意を奪われていたが、その声で顔を上げ、主人の促す方角を見た。
前方、十数メートル程かと思われる辺りに、確かに、杉の巨木の間を通して見えて来る明るい空間があった。と同時にわたしは、それが去年、わたしが眼にしたのとまったく同じ空間である事に即座に気付いた。--わたしは否応なしに沸き起こる湖への期待感と共に、急に眼の前が開ける思いがして、その思いに促されるままに、主人が口にした「高い崖がある」と言った言葉にも係わらず、急かれる気持ちに押されてなお一層、乱暴にススキを掻き分けながら、明るい空間に向かって進んで行った。
しかし、わたしのそんな期待はすぐに裏切られた。はやる気持ちに押され、ひたすら明るい空間を見つめて足を運んだわたしの前に姿を見せたのは、やはり、主人が言った通りの切り立った崖と、そのはるか下方に朝日を浴びて小さく点在する十戸程の家々だった。わたしが、もしや・・・・の期待をかけた湖は何処にもその姿を見せていなかった。
結局、その日、わたし達は湖を探し出す事は出来なかった。当然ながらに、女が居た小屋も女自身も探し出せなかった。
宿の主人は、隣村の小さなを望む高い崖の上に呆然と佇むわたしに、
「湖を見たというのはやっぱり、傷の痛みから来る幻覚だったんですよ」
と言った。
わたしは主人のその言葉に、眼下に広がるを見詰めているだけで返す言葉を知らなかった。
その日の午後、わたしは宿を発って帰路に着いた。車を運転するわたしの脳裡には、宿の主人が見付けた、多分、生きていた時には見事な羽毛の輝きを放っていたに違いない大きなキジの、今ではボロ屑としか見えなくなってしまっていた無惨な死骸と共に、切り立った崖のはるか下方に、朝の光りを浴びて小さく点在していた家々の姿が浮かんでいて、いつまでも消える事がなかった。そして、わたしは思った。もし、わたしがもう一夜、女の居たあの小屋に留まっていたとしたら、わたしも今頃はあの無惨な姿を見せていたキジのように白骨と化していたのだろうか ? そして、あの女は或いは、死んだキジの化身だったのだろうか ? と考えたりもしていた。
完
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桂蓮様
コメント 有難う御座います
御文章から伺う限り
桂蓮様はとても真面目一途な方の
ようにお見受け致します
何かを突き詰めずには居られない
中途半端を嫌う でも この世の中
そんな方には 生き辛い世の中ですね
あまり気を張り詰めずに ゆったりと
生きた方が良い場合もあります 無論
いい加減は論外ですが こんな時こそ
桂蓮様の"禅の心"ではないのでしょうか
有るけど無い 無いけど有る
いちいち 愚かな人間に付き合っていては
身が持ちません
今回「善と悪の表裏」読ませて戴きました
以前にも読ませて戴いた記憶がありますが
改めて納得大です 再読に耐え得るのは
御文章がしっかりしていらっしゃるからでしょう
英文と合わせ読みが楽しいです
何時もお眼をお通し戴き 有難う御座います
takeziisan様
有難う御座います
ブログ 楽しませて戴きました
普段 来れないのでとても楽しい一時です
今後も宜しくお願い致します
玉ねぎ五十キロ いったいどうする
と言いたいところですが わたくしにとって
玉ねぎ五十キロは多い量ではありません
毎日欠かさない食事の材料です
兎に角 野菜は食べます
ジャガイモの高い事には驚いています
ジャガイモと言えば安いものとばかり
思っていましたから
それにしても日々の収穫 楽しい事ですね
骨もおれるでしょうが
感覚としてはもう入梅ですね
そう思っています
「雑草という草は無い」
昭和天皇の言葉ですね
とても良い御文章でした
「生きているということは」
始めて知りました
それにしてもこの時代の人達が創る歌は詞の
内容がしっかりしていて 聴いていても気持ちが
良いです
ツベルクリン 同じ年代の懐かしさで一杯です
「ネコよりまし」これには参ります
楽しい一時を有難う御座いました 花々のお写真
楽しませて戴きました