遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(359) 小説 荒れた海辺(3) 他 雑感 六題

2021-08-22 11:32:06 | つぶやき
          雑感五題(2021.5~6月作)


 1 幸福とは 心の充実度を言う
   どんな環境にいても 心が満たされている時 人は
   幸福感を抱く事が出来る
   辺境に生きる人達を 単純に不幸だ などと言う事は出来ない
   そこには現代的生活がないから 不便であり それを知らないから
   不幸だと見るのは そう見る者達の思い上がりであり
   思い込みでしかない 物が有っても無くても
   幸福そのものには変わりはない
   認識されないものは無だ それを知らなければ
   それが有っても無くても 関係ない

 2 冒険家が独り 極地や広い海原を横断する事を 単純に
   孤独だ などとは言えない
   新聞社やテレビ局 或いは諸々の
   マスコミ関係者の眼が向けられている限り 孤独とは
   言えない
   絶対的孤独とは 都会の真ん中に居ても
   絶え間のない人々の行き交いの中に居ても生まれ 誰にも
   心の内を理解されない時に言う言葉だ

 3 時代の流れの速度と 人間の焦燥感の度合いは
   比例する
   人は常に時代の波に乗り 時代に追い掛けられている 故に
   それに抗するには 自己の立ち位置を明確にする事
   自己の確立されていない人間は
   時代の波に翻弄されるだけだ

 4 芸術に於ける 反社会的とも思える行動は
   人間社会に新しい何かを付加し得た時にのみ 許容される
   凡百の愚行愚作が批難を浴びるのは仕方のない事だ

 5 芸術とは 感動に繋がるものである
   美しいものがそのまま 芸術になるとは限らない
   感動とは 意思に繋がるものである
   ある意思の下に創出されたものは 醜悪に見えても
   人の心に働き掛ける力を持つ限り 芸術に なり得る
   意思とは人間及び 人間社会を肯定し
   人間社会に働き掛ける力だ 

 6 神と一人の人間の命と
   どちらが大切か ?
   一人の人間の命である
   一人の人間の命を守れない存在など
   神と呼ぶ事は出来ない



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           荒れた海辺(3)


 それが白塗りの看板だという事はすぐに分かった。
 松の木の幹に寄せ掛けるようにして放置されていた。
 斎木は、ズボンに絡み付く茨などを手で払い除けながら、松林の中へ入って行った。
 看板のそばへ歩み寄ると奈津子を振り返った。
「やっぱり、ここに間違いないよ」
< 白浪荘 > と書かれた黒い文字が薄れかけて読めた。
 奈津子も松林に入って来た。
「何 ? 看板じゃない」
 斎木のそばに来ると言った。
「そうだよ。門の脇に掛かっていた宿の看板だよ」
 斎木は看板に眼を落としたままで言った。
「じゃあ、旅館はやっぱり、ここにあったという事 ?」
 奈津子は言った。
「ここじゃないよ。道路の向こう側にあったんだ。俺はこの松林の中を通って海辺へ行った記憶があるんだから」
「今、畑になっている所 ?」
「うん」
「それにしても、随分、この看板もボロボロね。何年ぐらい前に旅館はなくなったのかしら ?」 
「相当前に壊されたんだな。この腐り具合からみると」
 斎木が靴の先で少し力を加えると看板はぼろぼろと崩れ落ちた。
「畑の方へ行ってみれば、旅館が建っていた跡が分かるかしら ?」
 松林の間から透かし見るようにして奈津子は言った。
「どうだろう。行ってみようか」
 斎木もその気になった。
 奈津子は先に県道に戻ると、道路際まで耕されてある畑のあちこちに視線を向けてしきりにそれらしい跡を探っていた。
「すっかり耕されていて、何も分からないわ」
 斎木がそばへ行くと奈津子は言った。
 斎木も奈津子に習ってあちこち、それらしい跡を探したが、やはり、何も記憶に通じるものは探し出せなかった。
「だけど、昔、ここに旅館があったにしても、こんな人気のない所で、よく、経営が出来たわね」
 奈津子は不思議そうに言った。
「釣り客が来たんだ。それで営業出来たらしいよ」
 斎木はそう答えながら、その事を教えてくれた老人の板前を思い浮かべていた。
「今は、川の水もあんなに汚くなっているけど、昔はもっとずっときれいで透き通っていたんだ。川口ではいろんな魚が釣れたらしい」
 奈津子は斎木の言葉に無言のまま頷いていた。
 斎木は更に、老人が、自分も女将も、毎朝、墓参を欠かさないのだ、と言った言葉を懐かしく思い出していた。
 あの墓地は今、どうなっているんだろう ?
 改めてその事が気になって斎木は、ひと目、その墓地を見てみたいという衝動に突き動かされた。或いは、そこへ行けば、女将や老人の消息も何か、手掛かりが得られるのではないか・・・・
「銚子まで行くのに、時間はまだ、大丈夫だろう」
 奈津子に訊ねた。
「ええ、時間は大丈夫だけど、まだ、見る所があるの ?」
 奈津子は何もないこの場の風景の中で不思議そうに聞いた。
「この松林の向こうに墓地があるんだ。そこへ行ってみたいんだ」
「墓地 ?」
  奈津子は怪訝な顔をして斎木を見詰めた。
「うん」
「墓地なんか見て、どうするの ?」
 奈津子は言った。
「いや、昔、女将の家の墓地があったんだ」
 斎木は言葉少なにそれだけを言った。



          二



 昭和三十三年の事であった。
 斎木は東京へ出て来てから三年目を過ごしていた。
 深川にあった木造アパートの四畳半の部屋に住みながら、近くの町工場で働いていた。 
 斎木にとっては毎日が、暗く、孤独な日々であった。
 工場では使い走りが斎木の主な仕事だった。
 機械の金型を造る五人の工員達は皆、四十代から五十代の男性ばかりだった。斎木は話し相手もないままに、工場とアパートを往復するだけの毎日を過ごしていた。
 斎木の実家は山形県にあった。中学を卒業すると斎木は逃げるようにして、その実家を出ていた。継母との折り合いが悪かったせいだった。実母は斎木が四歳の時に亡くなっていた。
 父は大きな農家の長男だったが、頼りにならない人間だった。斎木の前でも気の強い継母に、何かに付けて遣り込められていた。
 継母は実母の三回忌が済むと半年後に父の元へ来た。
 その半年後に男の子を出産した。
 それから一年おきに二人の子供が生まれた。
 斎木は弟や妹が生まれる度に、露骨に邪魔者扱いをされるようになっていた。斎木の心に人間への嫌悪と不信感を植え付けたのは、この継母だった。父は継母の前では斎木を擁護する事さえ出来なかった。
 斎木はそんな父を憎んだ。心に凍えたものを抱え込んだまま斎木は、次第に孤独の中に閉じこもるようになっていた。
 学校でも斎木は友達をつくる事が出来なかった。自分から進んで友達から離れるように距離を取っていた。中学を卒業したら、誰も知る人のいない東京へ行くんだ、それが斎木に取っての唯一の希望だった。斎木の学力を惜しんで、しきりに進学を勧める先生達の言葉にも斎木は耳を貸さなかった。
 そうして上京し、始めた東京での生活だったが、しかし、それ程、容易いものではなかった。暗い性格の無口な少年は、工場でも可愛がられる事がなかった。真面目だけが取り得で邪険にされるという事こそなかったが、押し付けられるのは雑用ばかりだった。午前八時から午後九時の残業が終わるまでの間、煙草を買いに走り、汗まみれのシャッやタオルを選択させられて息をつく暇もなかった。眠るためだけにアパートへ帰るという毎日だった。
 そんな斎木に取って、日曜日に映画を観る、その事だけが唯一の楽しみとなっていた。また、心の慰めにもなっていた。それでも、その日曜日の夕刻がまた、斎木に取っては、耐えられない程の苦痛に満ちた哀しく、切ない時間でもあった。一日の終わりが近付く夕刻時、繁華街には灯りが点り、人々の動きも一際、華やいで見える中で斎木が抱き締めるのは何時も、自身の孤独だけだった。自分の周りを取り囲む周囲の華やぎも、笑いさざめきも、斎木に取っては無縁の、遠い世界のものだった。斎木を見て、声を掛けてくれる人は誰もいない。自分の周囲を取り囲む人の数が多い分だけ、街の華やぎの増す分だけ、斎木の孤独は一層、深まった。そして斎木は何時からか、その寂しさから逃れるように、当てもなく放浪の旅に出るようになっていた。自分の落ち着き場所を探すかのように、都会の雑踏を離れて見知らぬ寂れた場所を歩いている時、斎木の心は休まった。そこでは、自分の孤独があぶり出される事もなく、周囲の寂しい景色の中に溶け込んでゆく事が出来た。と同時にそんな時、斎木の心に深く寄り添っていたのは、何時も、死への思いだった。この寂しい景色の中では自分の望みのままに心の中の死の意識が同化出来る、という思いがあった。そしてそれは斎木に取っては、一つの救いになっていた。

 <白浪荘>は、八月も終わりの午後の陽射しの中で、ひっそりとした佇まいを見せていた。
 槙の塀に囲まれた屋敷の門を入ると、芝生の庭を縁取って、真っ赤なサルビアが見事な花を咲かせていた。
 斎木は強烈な色彩のその鮮やかさに眼を見張りながら、芝生の庭を踏み石づたいに玄関へ向かって歩いた。





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          桂蓮様

          有難う御座います
          蚊にやられっぱなし
          笑い声と共に拝見しました
          蚊はやっぱり殺さないと・・・
          わたくしもなるべく 生き物は殺さないよう
          気を付けていますが でも植物を食い荒らす
          人に危害を加える 殺さないわけにはゆきません
          わたくしの所では 最近 蚊の発生が少ない気が
          します 蚊取り線香なども今は不要で
          この猛暑の中 ボウフラも発生しないのでは
          と思ったりなどしています
           体の真実
          体の真実は体でしか証明出来ない
          まったくその通りですね ドリンク剤など
          わたくしも信用していません ただし
          栄養には充分 気を付けています
           体に奇跡はない 良い言葉です
          何事も理屈よりはまず実行 これが大切なのでは
          ないでしょうか 最近の御文章 とても砕けた感じで
          面白く拝見させて戴いております 素顔が垣間見えて
          好感が持てます いつも 楽しい御文章共々
          有難う御座います



          takeziisan様

          有難う御座います
           シオカラトンボ 全く同じ景色でした
          当時が鮮やかに甦ります
          郷愁かも知れませんが 当時は貧しくても
          心豊かな時代だったような気がします
          現在のように毎日毎日 追い立てられているような
          慌しさがなかった気がします
           終戦の日 この日の事はわたくしも文章にして
          このブログにも掲載しました 何時まで経っても
          記憶から消え去る事のない日です
           運動会等 当時は今より 確かに活発 荒々しかった     
          気がします それでも大過なく過ごせたのは
          何故でしょう 今は全体的にこの国は
          ひ弱になっているような気がします
           遅すぎる事はない 今を生きる この心
          大事な事だと思います 禅などでもしきりに
          その事を言っています 捉われるな 今を生きる
           これだけの畑仕事が出来るのは御丈夫な証拠では
          ないのでしょうか どうか御無理をせず何時までも
          楽しいブログ報告 お寄せ下さい
           数々の写真 川柳 相変わらず楽しませて
          戴きました 有難う御座います