人生の日々(2020.8,10日作)
人生の日々 二十四時間 は
同じように 過ぎて逝く しかし
人生の日々 二十四時間 に
同じ時間は 一日 一時間たりとも 無い
人生に 退屈している 暇はない
人生は退屈だ そんなあなたは
自身を 生きていない
人は 眼を 持つ 耳を 持つ 心を 持つ
その眼 その耳 その心は
日々 二十四時間
動いて いるか ? 働いて いるか ?
人は日々 二十四時間 育ち 老い て 逝く
退屈している 暇はない
光陰 矢の如し
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優子の愛(完)
「わたくし お金の事も含めて、いろいろ考えたんです。わたくし、恐かったんです。沖津さんと結婚するのが恐かった、というのではなくて、沖津さんへの愛にのめり込んでゆくのが恐かったんです。わたくし、愛というものを信じる事が出来なかったんです。愛を遠いところから、客観的に見る事しか出来なくなっていたんです。沖津さんを愛していながら、心はいつも揺れ動いていました。わたくし、ずっと前のいつか、父が他所に女性をつくって家に帰らなくなった事をお話しした事があったと思うんです。そして、母が過労のために肺炎を悪化させて死んだ事なども。幼いわたしの心の中にはそんな事が深い傷を残していたんです。母は小さくて、まだ、愛が何かも分からないわたしに、一冊のアルバムをめくりながらよく言いました。
" 愛なんて、こんなに頼り無いものはないわね。これを見て。昔のお父さんはこんなにもお母さんを愛していたのよ "
分厚いアルバムの半分以上が四季、折々の、様々な場所を背景に愛を信じ切った笑顔で肩を寄せ合う、父と母の写真で埋まっていました。
" この頃が、あなたとお父さんとお母さんの三人で、一番、幸せな時代だったわね "
母はわたしが三歳の時のひな祭りの写真を指差しながら、遠いところを見るような眼差しで言いました。
そんな母には、しばらくは、父が他所に女をつくった事が本当だとは、信じられなかったようなんです。でも、現実には、父は他の女性の所に住み着くようになっていて、家へ帰る事はなくなっていたのです。最後まで父の愛を信じていた母もとうとう、これが現実なのだ、と納得したようでした。そして、それと共に、母の心からも、表情からも、次第に色艶が失われ、やつれの色が目立つようになって来ました。
父は一年程が過ぎると、月々の生活費も送って来なくなりました。母は仕方なく、働きに出るようになったのです。
母は優しい人でした。苦しい生活の中でも、わたしに辛く当るような事はまったくありませんでした。それだけにわたしは、幼心にも母の憔悴し切った姿を見るのがたまらなく辛かったのです。
わたしは父を憎みました。母を苦しめる父が許せなかったのです。
母はそんな哀しみの中で亡くなりました。
わたしは母の兄の元へ引き取られ、そこでは母に似た優しい伯父夫婦の庇護の下、母といた頃よりはずっと恵まれた、幸せな日々を過ごす事が出来ました。でも、この時には既にわたしの心の中には癒し難い、不信という観念が植え付けられてしまっていたのです。現実の総てがわたしには、裏を持った、ただの幻にしか過ぎないもののように思えてならなかったのです」
優子はそこまで話すと、ふと、俯き加減でいた眼を上げて、
「分かって下さいます ?」
と言った。
沖津は優子の話しを何処か遠い所の物語を聞くような思いで、だが、それが優子自身の身の上の事なのだという認識だけはしっかりと持ったまま聞いていた。
優子は沖津が返事を返す前に言葉を続けていた。
「わたくしが沖津さんから逃れるように結婚したのも、そんな事の訳で、決して、お金だけが目当ての結婚ではなかったのです。なんだか月並みな、メロドラマのような言葉になりますけど、わたくし、沖津さんが好きだったのです。本当に心から愛していました。ですからわたし、その愛を大切にしたかったのです。沖津さんとの間で壊れる愛の幻を見たくなかった。幼い頃の心に植えつけられた総ての物事に対する不信感、わたくしの心の中からはどうしてもその感覚が抜け切れなくて、わたくし、沖津さんに寄り添ってゆく事が出来なかったのです。恐かったのです。初めから愛のない結婚なら、たとえそれが破綻したとしても、苦しむ事はない。愛の壊れるのを恐れる必要もない。そういう訳でわたし、伯父がお金持ちとの結婚話しをして、冗談のように、一生、金に困る事はないぞ、と言った時、それが一番、確かなものに思えたのです。お金なら裏切る事はない。無論、愛情を抱いての結婚ではありませんでした。でも、愛情のない結婚程、虚しいものはありません。どんなに贅沢が出来たとしても、心の中の空虚はお金や贅沢で埋められるものではありません。一年程すると心の中の索莫としたものに耐えられなくなって、わたくし、沖津さんの子供を生みたいと考えるようになったのです。わたくし自身が心から愛した人の確かな証拠が自分の人生に欲しい。幸いと言っていいのかどうか、それまでの間に夫との間には子供は恵まれませんでした。それでわたし、漠然と考えるようになっていたのです。沖津さんとの子供を産む事によって、沖津さんへの愛も永遠のものとなる。わたし自身のこの心の空虚、索莫とした心の内も、その子供にそそぐ愛情によって救われるだろう。日々、日常、沖津さんとの愛がその子を見る事によって確認出来る。ーーですからわたくし、今日までずっと幸せでした。夫のいない事を淋しく思う事もありませんでした。夫は年齢もわたくしより倍近くも上なんですから、結婚した当初から未亡人としての生活が長くなる事は覚悟していました」
「でも、一人になってこれからは ?」
沖津は優子の孤独を思って痛む心で聞いた。
「これからは、一人になった事ですし、気ままに暮らしてゆきます。幸い、二、三の親しい奥様友達もいますので、いろいろな所を旅したり、お芝居なんかに誘ったりして」
優子はなぜか晴れ晴れした静かな微笑で言って、
「もう、沖津さんにお電話を差し上げる事も御座いません。無論、わたくしが死んだ時にも、沖津さんにお知らせする事もないはずです。娘は何も知りませんので」
優子とその喫茶店で過ごしたのは長い時間ではなかった。優子の方から沖津を促すように帰りを急いだ。
優子は別れ際に言った。
「どうぞ、奥様や御家庭を大切になさって、御幸せな日々をお送り下さい」
沖津はタクシーに乗り、一人になると座席の背もたれに深く体を沈めて眼をつぶった。
自ずと今、別れて来たばかりの優子の姿が眼に浮かんで来た。
相変わらずその美貌に衰えはないと思った。
だが、沖津の心に揺らぎの生まれる事はなかった。昔からの親しい優子という存在だったが、今の沖津に取っては、遥かなもの、遠いものとしての感覚でしか掴み取る事が出来なかった。妻の道代、そして子供達、その家庭とが沖津に取っての総てだった。「実はあなたの子供だったのです」驚きの中で聞いたその言葉もなぜか今の沖津には他人事のように思えた。実感を抱く事が出来なかった。これから後、この言葉が自分の気持ちの中でどのように作用をして来るのか、今の沖津には分かり兼ねたが、それでも沖津は確固とした思いで、現在の充実した日々の揺らぐ事はない、と自身の胸の内で確信出来た。今のこの充実した日々、沖津に取ってはそれが総てだった。それが沖津に取っての幸福だった。現実だった。それ以外は総て遠い感覚の中の幻でしかない、と沖津は思った。
完
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takeziisan様
コメント 有難う御座います
お母様の生い立ち 一生を書き留めたい
との事 是非 書いて下さい 何も難しく
改まった言葉で書く必要はないのではないでしょうか
子供や孫に語り継ぐ そんな軽い気持ちで向き合っては
如何でしょう 九十歳の詩人 柴田とよさんの詩など
難しい言葉は何一つありません 普段の言葉使いで
たんたんと日常を描写しています それでいて
多くの人人の共感を得る 是非 普段どおりの言葉で
備忘録を書くようなつもりで書いて見て下さい
もし 文字にして残さなければ その事実を知る人間が
居なくなった時には 総てのものが失われ 消えて
しまいます 是非 お孫さんにでも語り聞かせるように
御自身の言葉で お書きとめ下さい
「私にとってのブログ」 全面的に共感 人生アルバム
良いのではないでしょうか
「夏の日の恋」懐かしいですね それにしてもあの頃は
良い楽団が多かったですね その他 様々に懐かしい
良い音楽が思い出されます
「幻燈」進んでいましたね わたくし等の居た地方より
はるかに進歩的です
田舎言葉 温かいです それにしても こういう
記事を見る度に 前にも書いたと思いますが 真の
豊かさとは何か 考えさせられます
その他 セミの声 ゴーヤのジャム ブルーベリー
の記事 数々の写真 今回も楽しませて戴きました
大盤振る舞い 利益ゼロ
孫にでもですかね ついつい・・・・
いずこも同じ 秋の空
あまり長くなりますのも と思い この辺で
有難う御座いました
桂蓮様
コメント 有難う御座います
人には人それぞれ いろいろな人生がありますが
人間 今が幸せ それが一番 良い事ではないでしょうか
桂蓮様もいろいろ複雑な過去をお持ちのように
御推察しますが でも 御主人様との御幸せそうな記事を
拝見しますとなんだか自然に笑みが洩れて来ます
最悪 最低の気分 笑いました これが生きている
人間なのですね 嬉しくなりました それでも気分は
今が青春 そんな雰囲気です
「老化に立ち向かう」 以前にも拝見した記憶が
ありますが 改めて面白さに気付きました
ピグリーナ この自虐 いいですね 面白い
笑えます 御主人との場面が眼に浮かびます
加齢への戦術 箇条書き面白い それでも人間
最後は心の持ち方一つではないでしょうか 気持ちが
老け込むとどうしても物事に消極的になりますから
何時も有難う御座います 様々な事への挑戦 遠く
日本から密かに応援を お送り致します