ピカソ ゲルニカ(2022.1.10日作)
芸術は感性だ
理論 理屈ではない
ピカソの大作 「ゲルニカ」
あの作品の複雑な構成にしても
計算して描かれたものではない
ピカソが画家として養って来た感性が
自ずとあの作品の あのような構成 技法に辿り着き
凝縮して表れた結果に 外 ならない
頭で考え 理論を積み重ねた上での
創作ではない
現実に直面した画家 ピカソの感性が
そのまま あの作品の
あの場面に凝縮し 表されている
芸術は感性だ
理論 理屈ではない
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再び 故郷に帰れず(3)
空にはひばりが鳴いていた。麦の穂が畑一面に波打って金色のざわめきを見せていた。
わたしは通りすがりの牛車に乗せてもらと、しぱらくは夢見心地のうちに揺られていた。
牛車は二又の道へ来ると右へ曲がって行った。
わたしはまた、自分の足で歩き始めた。
陽はいよいよ高くなっていた。肩に担いだ袋の中のガラクタが重荷になって来て度々、それらを捨てながら歩いた。ジュースの空き缶、破れた下着、古ぼけたマンガの一頁、また、一頁。
途中で片方の靴の紐が切れると、それを脱ぎ捨てて歩いた。そしてまた、一方の靴の底が破けるとそれも脱ぎ捨てた。遂には裸足になっていた。
無論、流れる汗のために次々に、着ていたシャツも脱ぎ捨てていた。
大きな袋の中には糸の切れたギターや、目覚まし時計の壊れたのなどが、押し込められていた。それらも道々、捨てた。それでもなお、袋の中身は重かった。
いったい、これ以上何が入ってるんだ !
わたしは腹立ち紛れに呟かずにはいられなかった。
喉が渇いた。
わたしは袋の中に手を入れ、中を搔き廻してジュースの缶を取り出すと蓋を開け、中身を口の中に流し込んだ。
冷たい流れが喉の奥を通って、胃の中に流れ込み、それがやがて腸の壁を伝わって全身に染み渡るのが、透明なガラス管を見ている時のような感覚で、手に取るように分かった。わたしは再び、元気を取り戻し、四十二キロの道程を黙々と走り続けるマラソンランナーのように一筋の道を歩き続けた。何時の間にかランニングシャツとパンツ一枚になっていた。そして、それはわたしを快適な気分へと誘った。
もう少しだ !
わたしは自分に言い聞かせた。
肩に担いだ袋の中身さえ軽くなったようだった。
何処かで正午の鐘が鳴っていた。その音は柔らかく、五月の太陽の光りの粒子で膨れ上がった空気を震わせ、長閑な田園の広がる空間をゆっくりと棚引きながら、やがて何処かへと、微かな余韻を残して消えていった。
道は遥かに続いていた。わたしは幸福だった。わたしの前には広々として、何物にも制約されない世界が広がっていた。かつてのわたしは、こんな幸福な世界に棲息していたのだ。そして、その時のわたしは総てを明確に認識していた。この光りに膨れ上がった空間が、あらゆる世界の隅々までも行き渡り、総てを至福の色で包み込んで、透明に輝かせていると。明日は、紛れもない明日であり、今日という日の確かな繋がりの中に開けている、という事を。
わたしはふと、眼を凝らした。
遠い地点に散在する森の中の一つに、見覚えのある古い藁屋根の家が見えて来た。
わたしは思わず呟いた。
あれは孫太郎の家だ !
何時の間にか、こんな所まで来ていてしまったのか !
驚きの気持ちと共に、懐かしさと喜びの感情が湧いて来た。
急かれる気持ちで自ずと足の運びが速くなっていた。
孫太郎は家に居るだろうか ?
そう思うと期待の気持ちが膨らんだ。
わたしはそこでようやく、自分の帰る場所を見出し得たような思いに捉われていた。
黒塗りの門を入ると正面に、藁屋根の、軒の低い佇まいを見せた母屋があった。
右手には母屋とは直角に納屋が別の棟を作っていた。
母屋の左手はそのまま広い庭になっていた。無数の鶏が放し飼いにされていた。
広い庭のあちこちには、蜜柑や柿、その他、様々な木の植え込みがあって、いたる所にリヤカーや、牛の繋がれていない牛車、鍬や鋤などの農機具が放り出されてあった。
母屋の中には人の気配がなくて、ひっそりとした座敷が暗い空間をつくっていた。誰か居ないだろうか ? そう思いながら暗い座敷の中を覗いていると、背後で突然、何かの木の揺れる音がした。慌てて振り返って見ると、孫太郎が槇の木で作られた塀の近くにある釣る瓶井戸の上で、被さるように伸びているイチジクの木に登り、何かをしていた。
「いったい、何をしてるんだ ! 孫、孫、危ないぞ」
わたしは思わず叫んでいた。
「大丈夫、大丈夫。楽ちん、楽ちん」
孫太郎はイチジクの木をゆさゆさ揺らしながら、しきりに枝から枝へと渡り歩いていた。
「いったい、何をしてるんだ。よせ、よせ ! 危ないじゃないか」
わたしは怒鳴った。
「平気、平気。平気のへいざ」
そう言いながらなおも孫太郎は、枝から枝へと渡り歩いていた。
だが、わたしの危惧は危惧にとどまらなかった。一瞬、孫太郎の体の重みで一つの枝が大きく揺れ曲がったと思った時には、孫太郎はその枝から放り出されるようにして、井戸の中へ落ちていった。と共に次の瞬間には、早くも孫太郎の体が水を打つ音が聞こえて来た。
わたしは慌てて井戸の傍へ駆け寄ると、中を覗いて見た。
井戸の深さはかなりのものだった。その中で孫太郎は手をバタつかせながら、しきりに藻掻いていた。
「孫 ! 孫 ! 大丈夫か」
わたしはその孫太郎に向かって大きな声で呼び掛けた。
「大丈夫かもあにもねえよ。水が冷たくてしょうがねえや。早くその釣る瓶ば降ろせよ。あに、愚図愚図ばしてっだ、このバガが」
孫太郎はわたしの呼び掛けに腹を立てて怒鳴った。
孫太郎が夏になると行く近くの川で泳ぎを覚えていた事が幸いした。手をバタつかせながらも溺れる事はなかった。
わたしは井戸の傍に掛けられてあった釣る瓶をはずすと、手早く井戸の中に降ろしていった。
空の釣る瓶は反対側に大きな石を括り付けてあっただけに重かったが、それでも間もなく、井戸の底に届いて、懸命に立ち泳ぎをしている孫太郎の頭にぶつかった。
「痛えなあ、気ば付けろ。バガ助が」
孫太郎は怒って怒鳴った。
「いいから、さっさとその桶に掴まれよ。何、マゴマゴしてるんだ。このデレ助 !」
わたしは怒鳴り返した。
孫太郎がトンボのように釣る瓶の竿に掴まるとわたしは釣る瓶を引き上げにかかった。
「ああ、楽ちん、楽ちん」
わたしの重い釣る瓶を引き上げる苦労も顧みずに、孫太郎は暢気なものだった。
それでも釣る瓶は重い石の作用でどうにか、孫太郎を引き上げる事が出来た。だが、孫太郎がようやく井戸の縁に手を掛けて井戸から抜け出た時にはわたしは、息を切らして地面にへたり込んで、
「このバカ野郎 !」
わたしは真剣に怒鳴っていた。
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桂蓮様
有難う御座います
新作 拝見しました
苦痛は正しく理解すれば・・・・
正しく理解すれば 良い言葉です この言葉
諸事全般に言い得る言葉ではないでしょうか
何事も中途半端 これが一番危ない事です
それにしても 脂肪 厄介者にされがちですが
無ければ無いでまた重大な影響を及ぼします
癌手術で入院した時 病院でひどく油っぼい食事を
出すので、家に居る時にも こんな食事はしていなかった
と言いました すると女性の栄養士さんでしたが
油分も必要なのだ 言いました 事実 平常の生活に
戻って昔通りの食事をしてましたら 年齢のせいか
なんとなく体がギシギシした感じになって来て ふと
栄養士さんの言葉を思い出し 油分を採るよう心掛けまし
た オレイン酸がオリーブオイルより豊富で
コレステロールもないという椿油ですが今では快調な日々
を過ごしています
ロシアバレー 良いですね 羨ましいです
一度 実際の舞台を見たいとは思うのですが この頃
外出自体が億劫になってしまって もう 観に行く事も
ないでしょう
コメント下さる御文章 褒めすぎどころか 真実 良い
御文章です 何も小難しい事を小難しく書くのが 良い
文章とは限りません 得てして 学者の文章などには
やたらに小難しく書かれたものがありますが そんなのは
駄文です 難しい事を優しく書く そんな文章こそが
最上の文章と言えるのではないでしょうか 実際に
物事を深く理解した人はその物の本質をズバリえぐる
事が出来ますから 難しい言葉を書き並べる必要は
ないのです どうか ここに書かれる御文章 卑下
なさらないで下さい 自然な気持ちが自然なままに伝わり
気持ちよく拝見出来ます 良い御文章です
ちょっと 御主人様に失礼ではないですか
その分 お二人の関係の仲睦まじさが直に伝わって来て
気持ちが良いのですが
今回も思わず吹き出しながら拝見しました
有難う御座いました
takeziisan様
毎回 御支援有難う御座います
ブログ 今回も懐かしく楽しく拝見させて戴きました
カワセミ 水のきれいな川にしか住まないとの事です
多分 環境がよいのでしょうね 子供の頃 カワセミの
巣があるというので川岸の土手を掘り返した事が
ありました 結局 巣はなかったのですが 当時 水も
きれいな川でもめったにその姿を見る事は
ありませんでした ですからカワセミは今でも 雉 同様
憧れの鳥です
マント ヴァー二 ポール モーリア 相変わらず
いい響きです ダスティ スプリングフィールド 初めて
聞きました 良いですね
古い写真の整理 捗りません つい手が止まって
しまって見る事にだけ没頭してしまいます 誰もが同じ
事ですね
織井茂子 歌唱力抜群でした 確か童謡歌手だったと
思いますが 君の名は にしても説得力が違います
わたくしも前歯二本が欠けています でも下の歯は
左奥歯一本がないだけであとはどうにか健在です
欠けた歯は何度治療してもすぐに駄目になってしまうので
最近では根負けして 放置したままです 見た目は別にし
て それで困る事もないものですから 現在二十五本以上
残っていると思います 昔から歯が弱くて困っていたので
すが 最近では 毎日キシリトールガムを噛んでいます
そのせいか歯茎はしょっちゅう腫れたりしますが 歯痛
はなくて 困るという事はありません
腰痛 太腿痛 いずこも同じ歳のせい でしょうか
それにしても八十歳を過ぎてからの年毎の体力衰え その
顕著な事には昔は想像も出来ませんでした 衰えの度合い
の強さに驚いています どうかこれからも御無理を
なさらず このブログを続けて下さいませ
何時も有難う御座います