熊(2010.10.10日作)
この文章は2014年八月十七日(7回)に
掲載したものですが 今回 ロシアのウクライナ
侵攻に際し 改めて再度 掲載します
熊はロシアを形容しています
この熊は北の大地に棲息する凶暴な生き物だ
こいつは機を見るに敏で
獲物が少しでも弱みを見せると
その弱みに乗じて途端に動き出し
巨体からは想像も出来ない敏捷さで
相手を窮地に追い込み
剛毛に覆われた巨大な足で踏み潰してゆく
こいつには 森に於ける棲み分け 縄張りも
有って無きが如しで 道理が通用しない 常に
あっちを見廻し こっちを見廻し 獲物を探して
うろうろしている
時には甘い声で相手に擦り寄る気配を見せたりもするが
その心根には絶えず我欲があって
何事に於いても 我欲を満たす事ばかりを優先する
道徳心 繊細な心などこいつには 微塵もない
強圧的 暴力的な支配力だけを
剛毛に被われた肉体の奥に抱え込んでいる
おそらく広い森の中でも
巨大なこいつに好意を抱く生き物は
数多くないのに違いない
表面的には誰もが笑顔で接していても
心の奥では警戒心怠りなくて
狡猾さにかけては天下一品のこいつに
気を許してはいないのだ
煮ても焼いても食えない奴
腹黒 獰猛 嫌われ者
それがこいつ 北の大地に棲息する
この生き物 熊だ
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再び 故郷にむ帰れず(4)
その孫太郎は何時も研ぎ澄まされ、鋭く光るナイフをポットに忍ばせていた。小さな生き物を見ると決まってそのナイフで小さく切り刻んでしまわずにはおかなかった。雀、モグラ、蛇、蛙、ネズミ、猫の子等々。
彼はまず、自由に動き廻る小動物を如何にも巧みに捕まえて、手の中に握り締めると、「いいが、見でろよ、見でろよ」と言って、たちまち首根っこを捻りつぶして窒息死させた。それからが彼の独断場だった。
口から血を吐いたり、粘液性の泡を吹いたして事切れた小動物の皮を剥ぎ、丸裸にすると決まって、喉元から下腹部にかけて一直線に切り裂いて、内臓を取り出した。それを如何にも得意気に広げて見せると、
「これが心臓、これが胃だな。そっで、これが腸だ。腸ってこんなに長げえんだなあ」
などと言いながら、さらにそれ等を小さく切り刻んでいった。
傍で見ている方はその残忍さに吐き気を催すほどだったが、彼は顔色一つ変えなかった。いかにも楽し気で、観客を欺いて得意気な手品師のようにさえ見えた。
そうして内臓の処理が終わると今度はその生き物の体の分解に取り掛かった。まず初めに手と足、それから首を切り落とす。手足をもがれ、首を切り落とされて丸裸になった肉体を今度は上下にナイフを走らせて、左右に二つに切り分ける。切り分けられた肉体はそれから後、次々に小さく刻まれていった。
そして最後は総てが同じような肉の微塵切りの状態になって、孫太郎の手の中で丸められた。その丸められた肉団子を彼は小さく解きほぐすと指の先でつまんで空に向かって投げ捨てた。
何度も何度もそうして投げ捨てられる肉の固まりはやがて彼の手の中には無くなって、彼は真っ赤な血に塗れた両手を叩き合わせると、
「ほら、あんにもなぐなってしまった」
とまた、手品師のような得意気な顔で言って、笑ってみせた。
無論、わたしはその時、何故、孫太郎がそんな残忍な事をするのか分からなかったが、あるいは孫太郎はその時、自分がそうする事の意味を理解していたのかも知れなかった。そして今になってわたしは、その時の孫太郎が行った事の意味が分かるような気がして来るのだった。総ての生き物の命は消えて無くなる。後には空虚な無が残るだけだ。
藁屋根の家はなかった。わたしの眼の前には二階建ての瀟洒な瓦屋根の家が建っていた。槙の木の塀に囲まれた広い庭にはイチジクの木も井戸もなかった。無論、鍬や鋤、リャカーや牛車などもなくて、ガラス戸を閉ざした家の玄関口は劇場の入口でも思わせるような豪華な構えを見せていた。
わたしはその構えの立派さに戸惑いながら、少々の気おくれと共に、あの豪華な藁屋根の孫太郎の家はどうなってしまったのだろう ? 或いは、事に依るとここは孫太郎の家ではないのかも知れない。しばらく自分の生まれた故郷を後にしていたせいで、何か、勘違いをしてしまっているのかも知れないと思いながらも、ガラスの扉を開け、奥に向かって声を掛けていた。
「御免下さい。ーー御免下さい」
家の中から返事はなかった。
わたしは再び、奥に向かってさっきよりは大きな声で声を掛けた。
「御免下さい、御免下さい」
家の中は静かだったが、相変わらず返事はなかった。
わたしが諦めて、その玄関口を離れようとした時、突然、廊下の奥の暗がりから一人の男が姿を現して上がり框に立ち、わたしを見ると、
「あんだ、おめえ。いず帰(けえ)って来ただ」
と言った。
男はフグ提灯のように丸っこい大きな体をしていた。
その膨れ上がった腹のせいで黒い上着のボタンが掛からなかった。
襟には幾つもの金ぴかの勲章のようなものが着けられていて、これも金ぴかのベルトにはサーベルのようなものが括り付けられていた。
男は如何にも親し気に話し掛けて来たが、無論、わたしには見覚えのない人間だった。
「あのう、失礼ですが・・・・」
わたしは思わず言っていた。
「あに、おめえ、バガな事ば言うだ。おめえ、悟だっぺえ。[ながみぢ]のさとるだっぺえ。おらあ、孫だよ。孫太郎だよ」
男は満面崩れるような笑顔で言った。
「孫 ! おまえ、孫太郎 ?」
わたしも思わず大きな声で叫んでいた。
「そうだよ。孫太郎だよ」
わたしは唖然とした。
昔の素朴で垢抜けない孫太郎の面影は何処にもなかった。かと言って、歳を取り、世の中の酸いも甘いも嚙み分けた、洗練された人としての面影もまた見られなかった。何処かに成り上がり者の雰囲気をさえが感じられてわたしは戸惑った。
だが、久し振りに会った孫太郎のわたしに対する歓迎ぶりは、わたしの気持ちをもほぐしてくれた。わたしは一気に昔の自分に立ち返ったような感情の中に引き込まれていた。
孫太郎は久し振りだからと言って、わたしを奥の座敷へ通してくれた。
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桂蓮様
有難う御座います
新作 文章に無駄がなく すっきりと拝見出来
ました 出来る出来ないは判断しない ただ
行う 考えずに出来るようになる これこそが
本物です 世の中の一流の技術を持った職人さんは
いちいち 考えてはいません 総て体で覚えた事で
自然に手足や頭が働くのではないでしょうか
絵画 無論 理論は大切です 印象派 点描
シュールレアリスム 理論を知る事で理解は一層
深まります ピカソにしても持って生まれた天才の上に
理論によって得られた知識が加味され より一層の深み
のあるものが生まれたのではないでしょうか 何時か記
事の中でも書いた事がありますが ピカソが ある人に
あたなはちよっと筆を走らせただけで 高額な報酬が
得られていいですねと言った時 ピカソはそれに答えて
自分が満足の出来る一本の線を描くのに二十年もの歳月
を費やしたのだと答えたそうです この話などは
理論だけでは絵の描けないという事を如実に物語ってい
るのではないでしょうか
物を作るという事は結局 そのものの本質を掴み取る
という事で いくら理論や理屈を理解していても その
方面の感性のない人には出来る事ではないと思うのです
桂蓮様にしても お姉さまが画家の道をお勧めになった
という事は桂連様のうちにその感性を読み取り
お認めになった という事ではないのでしょうか
子供の桂蓮様が理論的に優れたものを持っていたから
という事ではないと思うのです
以前 この国に山下清という知的障害を持った放浪癖
のある貼り画家が居ました 当時 一世を風靡したもの
ですが無論 この人が理論を学び 理解していたとは
思えません ただ感性のままに貼り絵をして作品を創る
それが見る人を感動させる 結局 感性のない 理論
だけの作品は無味乾燥になります 美術学校で理論を
学ぶ 評論家的には必要な事かも知れませんが 創作者
としては 感性の次に位置するものではないのでしょう
か 感性の上に理論を積み上げ自分の芸術に深みを
加える 印象派にしてモネ ルノアールなどが自身の
感性によって表現したものが今までにない新しい
表現方法だと評価されて命名されたもので 初めから
印象派などと言う理論があった訳ではないと思うのです
音楽などもそうです 音感のない人間がいくら
カラオケで歌を勉強しても 結局は音感の優れた
子供の足元にも及ばないものです
以上 いろいろ理屈を並べて来ましたが
わたくしの芸術 世の中に対する見方 そんなものを
明らかにしてみたいと思いました
今回もコメント 楽しく読ませて戴きました
コメントの御文章にはなんの気負いもなく 自然な
感情が綴られていて 読む側も楽しくなります
何時も声に出して笑ってしまいます
楽しい記事 有難う御座います
takeziisan様
有難う御座います
今回も 様々な花々 楽しく拝見させて戴きました
小さな花でも こうしてじっくり見ると 限りない
美しさを秘めているものですね 感動的です
故郷の言葉 雪の写真 ラッセル車 雪の少ない
地方で育った人間でありながら なぜ これ程までに
これ等の景色に懐かしさを感じるのか 不思議な気が
します それにしても雪国の方々は大変ですね
余計な仕事がまた増えて・・・・
捗る 使いました 同じですね この言葉は既に
一般的になっているのではないでしょうか
雑草の山 これ全部雑草 !?
今年は寒さが応えます 年齢のせいか 或いは今年が
寒いのか・・・
長塚節 中学生の頃 「土」を読んで感動した事を
今でも覚えています 主人公に同情して泣いていました
ちなみにわたくしの居た部落は「長塚」という部落です
それにしてもよく これ等の花々をお探しですね
敬服です 名も知らぬ花々が多いです
何時も 楽しく拝見させて戴いてります
有難う御座いました