遺す言葉

つぶやき日記

遺す言葉(429) 小説 私は居ない(3) 他 過ぎ逝く時 他

2023-01-08 13:05:18 | つぶやき
            過ぎ逝く時(2022.12.5日作)


 歳月は
 放って置いても 過ぎて逝く
 人はその前で 無力 出来る事はない  
 人はただ 今という時の中で 自分にとって
 何が必要なのか 何をすれば良いのか
 何をしなければならないのか それのみを
 熟慮すること 人に出来る事は ただ それのみ
 過ぎ逝く時の中で人は無力


           飛躍(2022.12.5日作)
 

 苦しみは 人にとっての次の
 飛躍への 準備期間 踏み台 その
 苦しみの中で 足を踏み外したら
 終わり これまで生きて来た
 人生の総てが 無に 帰してしまう
 苦しみの中で 何を学び 何を掴むか
 苦しみの因を探り当てた時 人は
 次の段階 高みへと飛躍出来る
 新しい境地を掴み得る





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             私は居ない(3)



「ええ、そうですよ」
 元女将はなんの疑いもないように柔らかな微笑と共に言った。
「その横川産業の社長と〆香という人の間に出来た子供が死んだんですか ?」
「そうですよ。月足らずで生まれたものでね」
「 ?・・・・・・」
 私は言葉が出なかった。
 それから暫くしてから、
「本当ですか ?」
 と、疑うように聞いた。
「本当ですよ。なんで、わたしが嘘を言わなければならないんです ?」
 今度は元女将が信じられないような顔をして聞いて来た。
 私はその元女将の言葉に返す言葉を知らなかった。そして、だとすると、母の言った言葉が嘘だった、という事になるのだろうか 、とも考えた。
 またしても母は、その死の間際に於いてまで、私に一杯食わせたのか ?
 しかし、私にはなんとなく、如何な母とはいえ、死の間際に於いてまで冗談を口にするとは考えられなかった。
 薄れゆく意識の中で母は、私が差し出した手を握ったまま最後の力を振り絞るようにして、その言葉を口にしたのだ。一生、抱えて来た心の中の重荷を解き放つかのように。
 と、すると母は、〆香ではない他の女の誰かの子供を、当時、父が交際していた〆香の子供と勘違いしたのだろうか ? 
 私は、あり得ない事ではない、と思った。そして、母自身はどうだったのだろう、とも考えた。
 母は子供を産まなかったのか ? 私という子供を ?
 私には何がなんだか分からなくなった。
 母の最後の言葉の真実を探るための訪門が、かえって私に一層の混乱をもたらしていた。
 私は元女将の下を辞去すると、取り敢えずわが家に戻った。
 これから、どうしようか ? 
 なんだか、狐につままれたような、訳の分からない話しだったが、かと言って、それで私がこれから生きてゆくのに困るという話しでもなかった。私は私として現在、紛れもなくここに存在していて、困る事は何一つない。私を産んだ母親がどうあろうと、私の育ての母親が亡くなってしまった今となっては、どうでもいい事だった。私は亡くなった母親に育てられ、現在、こうして居る、それが紛れもない真実なのだ。
 私は深川の元女将を訪ねたあと、訳の分からない話しを聞いて腑抜けのようになっていた。
 取り敢えず、私が生きてゆくのに必要でもない雑事は放り出して置いて、次の同人誌に掲載する論文にでも取り掛かろうかと、考えた。
 事実、二、三日はその事は頭にも浮かばなかった。論文の構想に思いを費やした。
 それから一週間程して、いよいよ執筆に入ろうとして思念を凝らした時、不思議に集中した頭脳の中に深川の元女将との遣り取りが浮んで来て、論文への思考を邪魔した。そしてそれは、払い除けようとすればする程しつこく絡みついて来て、私を混乱に陥れた。筆の進まないままに私は二日、三日と過ごした。そして、とうとう、その混乱ぶりに業を煮やして論文は放り出した。
 改めて私は空白になった頭で元女将との遣り取りを反芻していた。
 いっその事、母親が最期に残していった言葉の真実をとことん、突き止めてみようかという思いに辿り着いた。
 私は考えた。
 あの元女将のほかに、〆香という芸者の存在を知る者は ?
 〆香自身に会えればそれに越した事はなかったが、その〆香は死んだと言う。
 他に誰か、当時を知る人はいないだろうか ?
 当時の芸者仲間に当たれば分かるかも知れなかったが、その人達の消息が分からなかった。
 考え込んだ末に思い浮かんだのは、母の兄に当たる伯父だった。
 この伯父は経済学者で、現在、八十歳を超えたかどうかの年齢で今なお、かくしゃくとして新聞、雑誌はなどに寄稿していた。
 若い頃から世間の広い伯父で、花柳界にも足を運んでいた事は母からも何度か聞いていた。
 私が電話をすると伯父は、日曜日の午後なら会えると言った。
 三日の間があった。
 私は伯父のその返事を聞くのと共に、そうだ、もう一度、母が遺していった物の中に何か、〆香に付いての手掛かりになるような物などがないか、調べてみようと思い付いた。
 父が企業経営者だっただけに、夥しい書類などが残されいていたが、母当てへの手紙なども含めて、やはり、〆香に関する物は見当たらなかった。
 そうこうしている間の、伯父に会う日の前日、午後も日暮れに近い時刻に一人の訪問者がわが家にあった。
 お手伝いの一人が、女の人が旦那様にお会いしたいって見えました、と伝えて来た。
 玄関に出てみると、別に粗末な身なりではないにも関わらず、何処か、見映えのしない五十歳か六十歳位と思われる女性が一人、ハンドバッグを抱えて立っていた。
 私には見覚えのない女性だった。
 女は私の姿を見ると丁寧にお辞儀をして、
「突然、お訪ねなどして申し訳御座いません」
 と、へりくだった様子の挨拶をした後、
「あのう、横川様のお坊ちゃまでいらっしゃいますか ?」
 と言った。
「はい、そうです」
 私は何かしら異様な感じに捉われながら、訝し気に返事をした。
 すると女は、
「わたくし、人づてに聞いて参ったので御座いますが」
 おずおずした様子で言った。
「?・・・・・」
 私は何がなんだか分からなくて、ただ黙って女の顔に視線を移すと女は、
「〆香という昔の芸者をお探しになっていらっしゃるとの事で・・・・」
 と言った。
「ええ」
 私はやはり、何か奇妙な違和感に捉われながら、相変わらず訝し気な返事だけを返した。
 すると女は、
「〆香の事をお聞きになって、どうなさるのでしょう ? 何かお調べですか」
 と聞いて来た。
「いえ、別に・・・・。あなたはその〆香を知ってるんですか」
 私はなんとなく、女が私の秘密の領分に踏み込んで来るような不快感を覚えてぶっきら棒に言った。
「実は、わたくし、その〆香と申した者で御座います」
 女は、はっきりと言った。
「・・・・あなたが〆香 ?」
 私は自分の眼を疑うような思いで聞き返していた。
「はい」 
 女の返事は確固としていた。
 ためらいや後ろ暗さを感じさせるものは何もなかった。






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           桂蓮様


           有難う御座います
            大変な年越しになりましたね
           それでも良くおなりになって何よりです
           その酷い中 ブログ掲載 御立派です
           病気にはなんの利益もない
            実際 病気程 人間に取って理不尽なものはないですよね
           幸い わたくしは今のところ無事ですが 寒さ厳しい折り
           注意しなければと心掛けています
            今年もまた つまらない文章を始めました
           宜しくお願い致します
            何時も有難う御座います どうぞ 御主人様共々
           充分にお気を付け下さいませ
            バレーがあれば日々の生活への意欲も湧く よい御趣味をお持ちです
           とへうぞ 頑張って下さい バレーの練習 成果
           良き御報告 楽しみにしております



           takeziisan様


            有難う御座います
           留守にしていた分のブログ 拝見させて戴きました。
           まず美しい写真の数々 堪能しました 清々しい気分に包まれます
           晴れ渡った空の青 いいですね 気持ちが洗われます
            2013  2014年 振り返り記事 随分 古くからの腰痛なのですね
           わたくしも若い頃 神経痛持ちだったのですが 地道に自己流体操を続けて来たせいか
           最近ではほとんど出ません 今でも体操は続けていますが
           この頃は寒いためなかなか布団から離れられず その間
           仰向けになったまま布団の中で左 右の足を伸ばし腰を交互にうごかしたり縮めたり
           膝を立てては同じように腰を交互に動かしています       
           結果は明らかに腰が軽くなり 起きる時にも楽です
           その他 いろいろ自己流体操を積み重ね 筋肉を鍛える事  血行を良くする事を心がけています
            方言 「しゃばじゅう」思わず笑ってしまいました
           いいですね この表現 方言は良いです 柔らかいです
            賀状 餅つき やめる クリスマスは遠い昔の話し
           総てが一人の人間の人生を物語ります 結果は生ある物の宿命
           静かに受け止めるより仕方がないようですが それだけまた
           生きて来た人生の豊かさを物語るものではないでしょうか
           思い出は心の宝物だと思います
            豊富な茸 わたくしの地方ではそれ程 豊富ではありませんでしたが
           松露がよく出ました これはきれいな砂地の大きな松林にしか出ないという事で
           今はもう その話しは聞きません
           鳥取砂丘にも松露が出ると聞いた事がありますが     
           今はどうなのでしょう
            読書 読みましたね 北越雪譜 懐かしいです
            ララのテーマ タラのテーマと勘違いして
           風と共に去りぬ かと思ってしまいました
            ドクトルジバゴは観ています
             何時も有難う御座います 今年も美しい写真の数々と共に
           ブログ記事 楽しませて戴けたらと思います
            有難う御座いました