神 仏 教会 神社仏閣(2023.1.10日作)
神 仏 教会 神社仏閣
総ては虚構ーーー
で あるなら
それを尊び 敬はなくてよいのか ?
否 !
神 仏 教会 神社仏閣 そこには
それを建立した人達 各々
それぞれの人の 心 魂が宿っている
神 仏 教会 神社仏閣
全知全能の神 仏は 存在しなくても
人が 人として 人の道を生きる 道標としての
心に抱く 神 仏は その人の心の中に 存在し得る
他者の批判 否定出来るものではない
全知全能の神 仏は 存在しない
全知全能の神 仏は存在しなくても
一人の人間 人が 人の道を生きる 規範
道標としての神 仏は その人の心の中に 存在し得る
教会 神社仏閣 豪奢な建立物は その人達が建立した
その人達の心の表象 誰にも
その心を侵す権利はない
人は心 心は人
人は人の心 それが悪の心でない限り
侵してはならない
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私は居ない(5)
「とにかく、こんな所で立ち話ではなんですから、上がってくれませんか」
私は女を書斎に招いた。
女は確かに、父の事をよく知っていた。父の顔立ちは勿論、細かな癖や好んでいた煙草の事、酔うと口癖のようにカチューシャの歌を唄った事、趣味で世界中の豆本を集めていた事、そして、この事は女が、父とかなり深い関係にあった事実を裏付ける一つの証拠のようにも思えた。なぜなら、父は豆本収集の趣味を殊更、世間に吹聴してはいなかったと母から聞いていたからだった。また、そんな父の思い出を口にする女の表情には何処となく懐かしさと共に、幸せそうなとも言える輝きがあった。そして時には涙ぐんだりもした。
私は次第にこの女が、私の探している〆香かどうかは別として、父とは何らかの関係を持っていた事は疑いがないと思うようになっていた。そこで私は改めて聞いてみた。
「父との関係はどの位、続いたんですか」
女は澱みもなく答えた。
「二年とは続きませんでした。社長さんは心臓の御病気で亡くなられてしまったものですから」
私はなんとなく、奇妙な気持ちになっていた。
もし、この女が、自ら名乗るように〆香であるなら、亡くなった母の言葉が本当だったとして、私の母親だという事になる。私の体の中にこの女の血が流れているのだ。
女の余り見栄えのしない存在と共に私は、妙に居心地の悪さを覚えていた。同時に、一概に憎めない気持ちにもなっていた。
だが、それでも私には、不思議な思いの拭い切れないものがあった。自分が〆香だと言いながら女は、私に対して、殊更に特別な感情を見せない事だった。私がもし、本当に〆香の子供だったとしたら、この〆香と名乗る女ももう少し、私に対する何らかの感情を表に現わしてもいいはずだ。それなのに女は石のように無表情だった。
私はまたしても、死んだ母のあの言葉は嘘だったのかという、深い疑念に捉われるのと同時に、女に対する不信感をもやはり拭い去れなかった。私は聞いてみた。
「父との間に子供は ?」
「いいえ、御座いませんでした」
女はきっぱりと言ってから言葉を継いだ。
「わたくしは、たとえお父様と一緒になれなくても欲しいと思ったのですが、許して下さいませんでした。一度は身ごもった事もあったのですけれど」
私は黙って頷くり仕方がなかった。
この時、私は、この女に関してはもう、どうでもいいと思うようになっていた。たとえ、女が〆香であろうとなかろうとわたしの出自には関係ない。それで私は気楽に聞いていた。
「昭和十五年当時、東陽町に居た芸者で〆香と名乗ったのは何人居たんだすか」
「〆香はわたし一人でした」
「他の置屋さんにも居なかったんですか」
「はい。居りません」
「そうですか」
そう言ってから私は事情を説明するように言葉を続けた。
「実は、私の母が半年程前に亡くなったんです。その時、母は、おまえはわたしの本当の子ではない、おまえの本当の母親は東陽町に居た芸者の〆香だと言って亡くなったんです。私は勿論、そんな事は初耳でしたし、びっくりして、真偽を確かめる為に父の書き物や持ち物などを調べてみたんです。でも、何も母の言葉を裏付けるようなものは見付からなかったんです。それでいっそ、東陽町に行って〆香という人に会ってみようと思い、〆香が居たという川万を訪ねた訳なんですが、当時の女将だったという人は、〆香はもう死んでいる、と言ったんです。それに、〆香の子供も生後十日程で死んでいるっていう訳なんです。私は何がなんだか分からなくなって、当時の事を知る、私に取っては唯一の人の伯父を訪ねて真相を確かめてみようと思っていた矢先にあなたがお見えになったという訳なんです。でも、私にはあなたの話す事を聞いてなおさらに、何がなんだか分からなくなりました。あなたも川万の元女将も全く頓珍漢な事を言う」
「そうですか」
女は別段、驚くふうも不思議がるふうもなく言ってから、
「当時の東陽町には、わたしの他に〆香と名乗る芸者は居ませんでした。お母様がそのように仰ったのは多分、何かの間違いに違いありません。それに、川万の元女将だという方の話しも全く嘘です。さっきも申しましたように、川万の当時の女将はもう二十五年も前に亡くなっているのですから」
と続けた。
私は女の言葉をそのまま信じてもいいのかどうか分からなかったが、また、何か事があった場合を考えて、一応、女の住所を聞いてみた。
女は厭がる様子もなくハンドバッグから名刺を取り出して机の上に置いた。保険の外交員をしながら、今は一人暮らしをしていると言った。
女が帰って行くと私は頭を抱え込んだ。
何故こう、みんなが変な事を言うのだ。母の言葉が、死の間際の母特有の戯れ事であったとしても、何故、あの川万の元女将だったという人の言葉と、不意に訪ねて来た〆香と名乗る女の言葉が食い違うのだ。
私は兎も角、伯父を訪ねてはっきりした事を聞いてみるより仕方がないと思った。
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桂蓮様
有難う御座します
旧作 幸せの裏側
英文との合わせ読み再度 楽しませて戴きました
坐禅に入った因が理解出来 興味深く拝見しました
日常にそれが滲み出て来るという事は
身に付いて来ているという事でしょうね
六カ月先のバレーの舞台 不可能かも この言葉に
バレーの難しさ 奥深さを教えられる気がします
どうぞ 頑張って下さい 何事に於いても諦めたら負け
バレーにしろ 坐禅にしろ 打ち込めるものがあるのは
幸せな事ですよね 無理をなさらず ニチニチ コレ コウニチ(日日是好日)
ここにも禅の言葉が生きて来ます
何時もお励まし下さり 有難う御座います
改めて御礼申し上げます
takeziisan様
有難う御座います
いろいろ新しい知識 なる程 と思いながら拝見致しました
「愛しのモーリー」「冬の星座」どちらもいい味です
殊にカントリー 初めてでして なかなかだと思いました
カントリーは何に限らず いい味を持っていますね
それにしても編曲によってこんなにも変わる 面白いです
金子みすゞ どの詩も素朴でいいです 日常を巧みに詩っています
全集を持っています
シェリー 西風の賦 イギリス詩集のシェリーの
頁に栞が挟んでありました
暇な時に何気なく開いて見たりしています
四の後半部分 特に共感します
「ベンハー」有名な大作ですね ですが未だに観ていないです
機会は何度もあったのですが
どちらかと言うとスペクタクルよりも 日常に於ける
心理的な作品を好むものですから
北帰行 寮歌 初めて知りました
発表当時 その歌の内容から左翼の人達の夢が破れ
失望感と共に北へ帰る様を唄った歌ではないかと話題になった事がありました
旅順での校歌 なんとなく納得出来ます
方言 こわっぽいーーわたくしの方で「こわい」です
いずれにしても遠いようで そう 変わりはないものですね
野菜 大変だとは思いますが なんとなく楽しそうです
自分の庭で小さな農園など持つ事が出来たらな などと思ってしまいます
何時も楽しい記事共々 お眼をお通し戴く事に御礼申し上げます
有難う御座います