雑感四題(2023.2.10~15日作)
Ⅰ 振り向くな
人間の眼は常態 前を見ている
人が持つこの基本の型が
人が生きる上での形を象徴している
人は常に前を向き 進んで行かなければ
生きられない
後を振り向いて歩いて行けば
つまづくだけだ
2 笑い
笑いを取ろうとするな
芸が卑屈になる
人の心に触れる真実を探り当てた時
真の笑いが生まれる
3 この道をゆく
この道の今を生きる
明日という日は無
今日 今のみが現実
4 メダカ
メダカはメダカ
自身がどんなに
メダカでないと自惚れ 宣言しても
メダカの群れの中で泳いでいる限り
メダカはメダカ
鯉は滝を登る
ーーーーーーーーーーーーーーー
私は居ない(7)
「伯父さん、これは一体、どういう事なんですか」
私は伯父に聞いた。
「多分、違いはないのだろう。でも、俺には分らん」
伯父は憮然として言った。
「結局、何も分からないという事ですか。この方達が川万の元女将か〆香という芸者さんだったのか、それで、私が何処から来て、誰の子供だったのか、何も分からないという事ですか ?」
「分からないね。ただ俺は、俺が知っている事実を言う事しか出来ない。はっきりしている事はそれだけだ」
結局、そうして私達の川万訪問も、なんらの真実を見い出す事も出来ずに終わった。
私は、あのようにして互いに否定し合う元女将と〆香と名乗る女との間には何か、気まずい出来事でもあったのだろうか、と想像してみた。
だが、それでもなお、納得出来る思いには至らなかった。
第一、ああして二人が共に、私の存在を否定するという事自体がおかしな事だった。二人が、満更、お芝居をしてい様にも受け取れなかった。真剣に言い合う姿が何よりも真実を表しているとしか思えなかった。
そして私は、あるいはその姿の裏には何か、更に深い真実が隠されているのかも知れない、とも推測してみた。
しかし、そこまで来ると何も分からなくなった。総てがすぐに手が届きそうでいながら、掴み取ろうとすると手の中をすり抜けていった。
何か、訳の分からないふわふわした物体が事実と真実の間にあって、それが微妙に揺れ動いていた。
真実・・・・いったい、私は何処から来て 、誰の子供なのか ?
それとも、真実などというものは元々無くて、ただ事実のみが存在するという事なのか ? 私は此処に居る。現に、こうして此処に存在している。
それは紛れもない事実だった。
そして、私が生まれたのは ?
その真実が分からなかった。
それぞれ、三人の証人がそれぞれに異なった事を口にする。
それでも三人は自分の知る真実を口にしている心算でいるのだ。
三人に取ってはそれぞれが自身の真実なのだ。
私はふと、私が今、自覚している私の年齢もあるいは、本当に間違いのない年齢なのだろうか、と思ってみた。もっと早く、またはもっと遅く生まれたのではないのか ?
総てが私に取っては疑念の闇に包まれた謎に思えて来て、遣り切れない気分に陥った。
川万から帰った後、私は何がなんだか分からないままに、気の抜けたような思いで空虚な日々を過ごしていた。
それでも気分はそれ程、沈んではいなかった。五日目にはもう、何がなんであれ、どうでもいいや、という気持ちになっていた。
私の出自の秘密が分からなくても、今の生活に困る事はないのだ。
不都合の生じる事もない。
そう心が決まると私は、再び、元の生活に戻っていた。同人誌に載せる心算で書いていた書きかけの評論に手を付けた。予定の半分も進んでいない文章だった。
同人雑誌の編集仲間とは何かと集まって議論を交わしながら、よく飲み合った。
私は一人だったが、孤独ではなかった。母の健在だった頃からの二人のお手伝いさんはそのまま残ってくれていて、以前通りの気兼ねのない生活が続いていた。余計な出自への疑念など振り払ってしまえば、思い煩う事など何もなかった。
私は幸福だった。
半年間というものは夢のように過ぎた。
書きかけの評論もどうにか完成に漕ぎ付けて、四半期毎に発行する同人誌の編集も済み、後は印刷に廻すだけになっていた。
一息ついた思いの中で私は空っぽになった頭で、所在ないままに、雑誌編集に没頭していた間は全くと言っていい程に忘れていた自分の出自に付いての疑念をふと、思い浮かべていた。総ては依然として謎のままだったが、もう、当時のように強く気持ちに訴え掛けて来るものはなかった。それでも私は、空っぽになった頭で以前の出来事を反芻するのと同時に、軽い気持ちの興味にも引かれていた。
半年程前、伯父と共に川万を訪ねた時、〆香と元女将を交えての遣り取りには、なんの真実も見い出せなかったが、唯一、〆香と元女将の証言の中で一致したものが、〆香と名乗る女の出身地が銚子だという事だった。
私の空っぽの頭の中では、その事への興味がひどく立ち上がっていた。
私は気まぐれ気分のままに、取り敢えず、当分は何もする事のない身で退屈しのぎに、その言葉が真実なのかどうか探ってみようかという、思いも掛けない悪戯心に取り付かれた。そして、そう考えると、奇妙にそれは名案のようにも思えて来て、あるいは、そこから何かの真実が掴み出せるかも知れない、という思いにも取り付かれていた。以前のように、何がなんでもという強い思いはなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
takeziisan様
十年ひと昔 遠出はしたくない
総てが億劫になり やれやれと思いながら重い腰を上げる
全く 歳は取りたくないものです
電話は未だに固定電話 詐欺の電話 勧誘電話
引っ切り無しです ですから音が鳴っても受話器は取りません
必要電話はそれとなく察しがつきますので その時だけ取ります
携帯電話も腕時計もやめました もともと電話嫌いですので
携帯も持ちません 別に不便だとも思いません
ですが今時 携帯を持たない人間はガラパゴスです
アフリカの奥地の人々までもが携帯電話を手にしているのを見る時代です
本も購入しません
もともと本好きで若い頃はやたらに買い集めたものですが
お蔭で読みたい本はほとんど手元にあります
今時の軽薄なハウツー本など購入する気にもなれません
ブログネタ ? 人間 生きる上に於いては目的が大切ですね
目的があればそれに向かって日々 生きられる
川柳 ブログのネタ探し ブログのネタを探して歩いている間にも
川柳が口を突いて出るのではないですか
そこまでゆけば もう 本物
ヘップバーン いろいろ有名作品に出ていますがわたくしも
以前 ラストーンに付いて書いたブログの中で
ローマの休日のラストシーンに付いて触れています
主人公の女性と記者の遣り取りの後 主人公は重い扉の向こうへ・・・
そこはもう 記者の足を踏み入れる事の出来ない場所
「第三の男」の有名なラストシーンと共に強い感動をもたらす
ラストシーンとして 他の幾つかの作品と共に取り上げました
いいラストシーンです
弥生さんーー 淡い初恋・・・
誰にもあるのではないでしょうか
懐かしい思い出ですね
ーー人生は一瞬の夢 束の間のまぼろし
過ぎ逝く時は 永遠に還らないーー
トニー谷似の先生 この記事を拝見したのも五年前ですか
覚えています でも わたくしの方の学校では当時
比較的 男女間は開かれていました
改めて拝見して ちよっと驚いています
植物園 花は満開 ?
これからの季節が楽しみです
今回も楽しい記事共々 有難う御座いました
わたくしも高齢の身 日々 大切に生きてゆきたと思っています