生きるのだ(2023.2.8日作)
生きるのだ
生きねばならない
わが人生を 自身の為に
他人がなんだ
社会がなんだ
年齢がなんだ
わたしはわたしの為に
今 この時 この瞬間を
生きる 生きるのだ
今 この時 この瞬間は
誰のものでもない
誰の為のものでもない
総ては自身のもの 自身の為のもの
やがて訪れる 最期の時 その時には
人が人として この世を生きた
わが人生に悔いなし
笑顔で言うため その為に
自身の人生 自身の時
今 この時 この瞬間を 精一杯
生きる 生きるのだ
生きねばならない
未来は見ない
過去は捨てた
今 この時 この瞬間を
精一杯 生きる
人生は一日一日の積み重ね
今日の日 一日一日をより良く生きる
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私は居ない(13)
「ちょっとお伺いしたいんですが。此処は二丁目十四番地でしょうか」
私は聞いた。
男はその時、初めて、興味を見せたかのような表情で私の顔を見詰めたが、それでも言葉はなかった。
私は老人の耳には言葉の意味が届いていないのだろうかと思い、もう一度ゆっくりした口調で、赤銅色に日焼けした皺の深い顔を見詰めながら聞いた。
「二丁目十四番地は此処でしょうか」
すると男は、まるで私の視線を避けるかのように仕事の手元に視線を移しながら、
「そうだ。此処は二丁目十四番地だあ」
と、ぶっきら棒に言った。
「そうですか。有難う御座います。それで、改めてお聞きしたいんですが、昔、此処に高木さんという名前の御家族は住んでいなかったでしょうか」
老人は私の言葉を聞いて考える様子もなかった。
「高木 ? 高木なんて居ねえだ」
と言って、体の前に広げた仕事に手を戻した。
大きな丸桶の中には殻の着いたままの牡蠣がいっぱいに入っていた。
老人の男は牡蠣をむく仕事をしていた。
「昔、東京の深川で芸者をしていた方の家ですけど」
私はなんとなく、老人の記憶に頼り無さにも似た感じを持って、念を押すようにして聞いた。
「芸者 ?」
男はその言葉にふと興味をそそられたように私の方を振り返ると、好奇心に満ちた視線を私に向けた。
「はい」
私は初めてこの時、なんらかの手応えを得た気持ちになって、急かれるような思いで答えていた。
「芸者なら、おらあえ(家)の妹も芸者ばしてだだあ」
と、男はすぐに自分の手元に視線を戻してぶっきら棒に言った。
男の思い掛けない言葉に私は胸を突かれたような思いがした。
男の如何にも不愛想な応対にも係わらず、自分が一歩、真実に足を踏み入れたような気がして、軽い興奮にも似た感情を意識していた。
しかし、それもまた、束の間だった。私の頭の中にはすぐに、郷里にはもう誰も居ません、と言った〆香と名乗った女の言葉が甦っていた。
とすると・・・・。
その芸者というのはまた、別の人か ?
しかし、あの女の口にした住所と此処は一致する。
どういう事なのだ ?
結局、私の混乱は収まらなくて、
「お宅の妹さんも芸者をなさっていたんですか」
と、聞くより仕方がなかった。
「ああ」
男は、武骨な手で牡蠣をむく仕事を続けながら言った。
「高木さんという名字の方で、昔、二丁目十四番地に住んでいて、東京で芸者をしていたという人は知りませんか」
「そんなものは知んねえ。俺あ、ガキ(子供)の頃がらずっと此処さ居っだあ」
男の口調は相変わらず不愛想だった。
「お宅の妹さんは何処で芸者をしていたんですか ?」
私は、しつこい質問で不愛想な男の機嫌を損ねないようにと気遣いながら、静かに聞いた。
「何処でが知んねえ」
男は仕事の手を休める事なく、いとも軽々と次から次へと硬い牡蠣の殻をむいていった。
「その妹さんていう方は、今もお元気なんですか」
手早い男の作業に見入りながら私は聞いた。
「今は居ねえ。死んじまった。ずっと昔に死んじまった」
なんらの感傷も見せずに老人は言った。
だが、私はその言葉と共に、産後の肥立ちが悪くて死んだ、と言った川万の元女将の言葉を思い出していた。
「なんで亡くなったんですか。病気か何か・・・ ?」
「ああ、女将さんの話しでは胸ば患って死んだつうこった」
老人の言葉は相変わらず他人事のように乾いていた。
「芸者をしていた時にですか !」
自身を納得させるかのように私は言っていた。
「ああ、妹は十五の時に芸者に 出て、それっきり、え(家)さけえら(帰)ねがった。けえって来た時には、はあ(もう)、へえ(灰)になってだだあ」
私はこの時、川万の元女将の言葉を大方、真実と受け止めていた。
病気とお産の違いはあっても、言う事が一致している。
という事は、〆香と名乗ったあの女の言葉は・・・・・?
「いつ頃、亡くなったんでしょう」
私は疑問を抱いたまま聞いた。
「戦争め(前)えだ」
老人は言った。
「実は、この二丁目で、やはり戦前に芸者に出ていて亡くなった女の方がいるんですよね。それで、その芸者さんの身元を調べてみたいと思って、今日、お伺いした訳なんです。お宅の妹さんの芸者の時の名前はなんと言ったのか御存知ですか」
「なめえ(名前)までは分がんねえ」
「妹さんには、お子さんはいらっしゃったんでしょうか」
「子供なんぞはいねえ。妹は芸者だった」
「わたしが今日、知りたいと思って訪ねて来た女の方は、芸者をしていたんですが、産後の肥立ちが悪くて亡くなっているんですよ」
「産後の肥立ちが悪くて ?」
老人は突き返すように言ってから、そんな事には関係ないとでも言うように、
「妹は肺病で死んだんだ」
と、投げ捨てるように言った。
後は取り付く島もない様子だった。
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桂蓮様
有難う御座います
お身体 あまり快調ではない御様子
どうぞ お大事になさって下さい
年齢を重ねるに従って 一年が若い時の一年とは全く赴きを異にして来て
衰えが確実に認識されるようになります
悲しい事ですが これが人の生きるという事の現実ですね
バレーなどはそれに 抗する為の格好の素材ではないでしょうか
頑張って下さい
「正しく立つ」 再読させて戴き 改めて良い言葉の並んでいる事を
実感しました
一週間 二週間 三週間 やがて習慣化する
正にその通りです そして その時に初めて本物になる
身体で覚える 知識の基本です 世の中にはハーツウものが
満ち満ち 溢れている それを読んで知った気になる 会得したと思っている
いい気なものです アメリカの詩人も言っています
「後ろ足で立つ犬は長続きしない」
ハーツウで得た知識など 結局 それと同じです
知るという事 身体で覚える 無意識の世界に属する事です
体が 意識が 無我のうちに働く 動く その時
初めて知ったという事が出来る 本物の知識を身に付けたという事になる
この御文章を拝見して 改めて認識を深くしました
有難う御座いました
どうぞ くれぐれも御身体 御健康にはお気を付け下さいませ
takeziisan様
有難う御座います
ただお礼の気持ちだけで書いていますこの文章を
御丁寧にお扱下さって感謝申し上げます
どうぞお断り戴く必要は御座いませんので
今後とも宜しくお願い致します
美しい富士の写真 気持ちの洗われるような景色です
以前にも書きましたが河口湖へ旅行をした時のホテルの窓から
間近に見た富士山の姿を改めて思い出しました
間近に見た富士山の姿を改めて思い出しました
それにしても美しい写真の数々です
気持ちの安らぎを覚えます
屋号 地方ではみな屋号で呼び合いますね
わたくしの里でもそうでした でも 電話帳など
勿論 ありませんでした 平成七年という事で納得です
ウエストサイド物語 公開当時 大反響を呼びました
わたくしは評判につられて映画館ですぐに観ました
ダンスシーンに圧倒されました
チャキリス ナタリーウッドは勿論ですが
何故か当時 初めて眼にした リタ モレノが強く印象に残りました
以来 リタ モレノはわたくしの記憶に残る俳優の一人になりました
懐かしい話しです
レンギョウ 当時 ホテル大谷に行く前の道に見事に咲いていた
レンギョウの鮮やかな黄を思い浮かべます
ホテルで行われた行事と共に 若かりし頃の懐かしい思い出です
ミモザと言うと「ミモザ館」というフランス映画の題名がすぐに思い浮かぶのですが
映画そのものは観ていません
スイミングの効果 列挙を拝見するとわたくしなど
これに金を掛ける必要があるのか などと思ってしまいます
わたくしの居た里は銚子とは少し離れた東京寄りの
九十九里浜に近い場所でしたので夏などはよく海に行き
荒波にもまれて泳いでいました ですから
近くに川もあった事と交えて泳ぎは自然と身に付いたものになり
水泳を習うなどと言う事が無駄な事のように思えて来てしまうのです
今は勿論 泳ぐ事はしませんが 健康維持の為に体を動かす事だけは
毎日 欠かさず実行しています
お陰様で今のところ 不調なところは何処にもありません
五 六年前 健診で見つかった大腸がんも三十センチ程
大腸を切除して今はなんらの問題もありません
至って健康です
今回もブログ いろいろ楽しませて戴きました
有難う御座いました