この日二時頃僕は、日本蕎麦屋で昼食をとって帰途についていた。携帯が鳴った。前夜、15~16年ぶりに一緒に飲んだ友人からだった。また飲もうぜ、という内容だった。電話を終え、EVで9階の会社に戻る。2時半過ぎ。バッグにnotePCを入れ、出かける準備をする。……グラッ!!
……グラッ!! グラッ、、、グラッ……と連続。これくらいの揺れは、たまにあった。
一応、一人は入口のドアを開けに、もう一人は非常階段方向に走り出す。
が、いつもと違った。揺れ方が大きく変わる。
ガガガッ、、ガラッ、、ガガ、ガッチャン、、ガッー!!
バタン、ガチャン、ギシギシ、ドタッ、ガッシャーン、あらゆる音が鳴ったのだろうが、激震の衝撃がすべての音を消した。
もう一段階大きな揺れがくると、もしかして最後になるかも? と思った。
やがて大きな揺れは一旦収まった。部屋の中の惨状は見るも無残だった。しかし、余震が続くため外に出る。眼前に避難民が溢れていた。近くの公園は満杯。営業で出ている者に連絡して、直帰を指示。今いる六人で、川越街道を下った。時計に目を落とすと16:25。途中、下赤塚のバーミヤンで腹ごしらえ。30分ほどして出発。家に到着したのが21:45。一人、熊谷方面の男を車に乗せ22:15ころ出発。家に戻って寝たのが翌3:30。
悲壮感の漂う連日のテレビ映像は、人間に厭世観を醸し出す。そして、さらなる難問が、日記を書こうとする僕の意欲を削いでいく。
災害にあった人たちに、なんと慰めればいいのだろう。言葉がない。うすっぺらな慰めの言葉なら、何も言わないほうがいい。
過去に、全世界が国家興隆の象徴として注目した日本を、今度は没落の始まりとして注目し始めた、のかもしれない。
でも、ザッケローニが言った。必ず日本は立ち直ると。
そうだ。そうなる。信じてがんばろう、と。
()