ロサンゼルス・エンゼルスからFAとなっていた大谷翔平が、ロサンゼルス・ドジャースと合意したと発表した。破格の年俸はともかく、チーム力、けがのケアなどを考えると、順当な選択だと思う。
「ホームラン・ブギ」
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大谷翔平ホームラン王を獲得
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/14094225a4fc66cc769f2eb5a896457e
ドジャースの本拠地であるドジャースタジアムには一度だけ訪れたことがある。
2001年6月20日、午後4時過ぎ、ロス在住の友人がホテルに到着。チャイナタウンで軽く食事をした後、友人が運転する車でドジャースタジアムに向う。車は軽いいろは坂のようなワインディングロードを登っていく。これでは車がなければ完全にアウトだ。やっぱりアメリカは車社会なんだと改めて実感させられた。
車窓の左側にいよいよドジャースタジアムが見えてきた。いよいよメジャー球場デビューだ。早速スーベニアショップで友人たちへの土産を物色。均等にTシャツにした。〆て100ドル。さて、チケットを買ってスタジアムに入る。
残り日が照らすスタジアム内はきれいに整備され、天然芝が鮮やかな緑色をなし、練習中のドジャースの選手の白いユニフォームが映える。席は三塁側(アメリカは日本とは逆で、ホームチームのベンチが三塁側の所もある)の内野席の中間あたり。スタジアム全体が見渡せてロケーションはいいのだが、階段が狭くて急なので、降りる時にちょっと怖い感じがする。横で走り回っている子どもたちは、一体どういう神経をしているんだ。
午後7時、地元のアカペラグループがアメリカ国歌を高らかに歌い上げる中、さまざまな人種の人たちが、一斉に立ち上がる光景は感動的だった。
午後7時10分、対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦の試合開始。ドジャースの先発は韓国出身の朴賛浩(パク・チャンホ)。成績を見るとすでに8勝を挙げており、エース級の一人になったようだ。以前に比べれば球速は多少落ちたようだが、その分コントロールがよくなった感じがした。
ゲームは、ドジャースが2点先制したが、ダイヤモンドバックスが3点取って逆転し…と書くといかにも好ゲームのようだが、実はそうではない。投手戦といえるほど両投手の出来がいいわけではなく、いわゆる貧打戦なのだ。ドジャースからダイヤモンドバックスに移籍したセカンドのクレイグ・カウンセルが、2度のファインプレーを見せてくれたのが救いになった。
さて、最初のうちは初めて訪れたスタジアムの雰囲気にただ酔っていたのだが、慣れてくると締まらない試合がちょっと退屈になってきた。隣にいる友人は野球にはほとんど興味がないのでなおさらだろう。
それに観客のマナーも悪く、プレー中なのにあちこちでビーチボールの投げ合いが始まるし、無意味なウェーブもしばしば起きる。もちろん、それはあまりにも不甲斐ないホームチームに対する怒りも込められているのだろうが、これには正直なところ、幻滅させられた。
確かにドジャースは弱くなった。3割バッターが一人もいないし、まるで打てそうに見えないのだ。野茂英雄がいた頃からの生き残りは、朴とエリック・ケアロスと、代打で出てきた阪神からの出戻りのデーブ・ハンセンぐらい。今の選手たちにはあまりなじみがないので、ちょっと気分が沈んできた。やっぱり、FAなどで選手が頻繁に移籍してしまうのは、よくないのでは?と改めて思った。
それで、俺たちの横に陣取った、夫は白人、妻は東洋系、子どもの1人は黒人という不思議な一家の奥さんの熱狂的な応援を見ている方が面白いと感じる始末…。
で、セブン・イニング・ストレッチでみんなが声を合わせて「私を野球に連れてって=テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボール・ゲーム」歌うシーンでちょっと盛り返し、代打で出てきたマーキス・グリッソム(彼も以前はアトランタ・ブレーブスにいた)が同点ホームランを打ったので、さらに盛り上がった。こうこなくちゃ。おっとホットドッグを買うのを忘れていた。あわてて売店へ走る。これは期待にたがわずうまかった。
そして同点で迎えた9回裏。2番バッターがヒットで出塁すると、何とダイヤモンドバックスのベンチは3番4番を連続敬遠し、5番のケアロスとの勝負に出た。ここで生え抜きのケアロスが燃えてサヨナラ打でも打てばこれまでのうっぷんも一気に晴れたのだが…。
何と結果は押し出しの死球でサヨナラという珍事が起きた。あまりにもあっけない、消化不良な終わり方となった。これはもう笑うしかない。というわけで、俺のメジャーの球場デビューは、ほろ苦いものとなった。イーグルスの「ハートエイク・トゥナイト」に送られながら、スタジアムを後にした。
【今の一言】22年前のメモ。この年はイチローがメジャーデビューして衝撃を与えたが、その20年後にまさか大谷のような選手が現れるとは誰も予想していなかった。