『ペギー・スーの結婚』(86)(1988.1.22.)
ペギー・スー(キャスリーン・ターナー)は、高校時代に出会った夫・チャーリー(ニコラス・ケイジ)の浮気が原因で、今は別居生活を送っている。
ある日、彼女は高校の同窓会でクイーンに選ばれ、興奮のあまり卒倒、25年前にタイムスリップしてしまう。心は大人のまま高校生に戻ったペギー・スーは青春をやり直そうとするが…。
フランシス・フォード・コッポラ監督のロマンチックでハートウォームなファンタジー。モチーフはバディ・ホリーの同名曲。ジョン・バリーの音楽が美しい。ただターナーが現在と過去のペギー・スーを熱演しているが、さすがにティーンエイジャー役は少々無理があった気がする。
この映画は、コッポラ版の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)と宣伝されているが、やはりコッポラはスティーブン・スピルバーグやロバート・ゼメキスとは違うと感じた。
それは“大人の目”でタイムスリップものと取り組んでいる点で、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ほど面白くはないが、その代わり心に残るものがある。
誰もが、今の記憶を持ちながらちょっと昔に戻れたら、もう少しましな人生が送れるかもしれないという、実現しない願望を抱いている。けれども、例えその願望がかなえられたとしても、人は果たしてもう一度初めから人生をやり直すのだろうか。未来を幸福にすることはできるのだろうか。この映画は、そんな疑問を問い掛ける。だから、主人公が本当にタイムスリップしたのかも曖昧に描かれている。
今の自分は、過去の積み重ねや選択によって存在しているのに、あの時ああしていれば…と悔いがちだ。だが、例え過去に戻れたとしても、結局は同じような選択をし、そう代わり映えのしない人生を送るのではないか。ならば過去は過去として、未来をより良い方向に向けていくことが大切なのではないか。それがこの映画のテーマである。
と、ここまで書いてきて、これはコッポラ自身にも当てはまるのではと思えてきた。『カンバセーション…盗聴…』(73)『ゴッドファーザー』2部作で頂点を極め、『地獄の黙示録』(79)でおかしくなり、以後は必死になって元の自分に戻ろうとあがいている姿は、この映画のペギー・スーと重なるところがあるからだ。
【今の一言】結局この後もコッポラは“完全復活”とはならなかったと思う。