田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

第37回東京国際映画祭2024開幕ほか

2024-10-28 23:42:30 | 雄二旅日記

 第37回東京国際映画祭2024が開幕。オープニングは白石和彌監督の集団抗争時代劇『十一人の賊軍』、クロージングは今年生誕100年を迎えたマルチェロ・マストロヤンニにオマージュを捧げた『マルチェロ・ミオ』。ナビゲーターは菊地凛子。


 ドラマ「池中玄太80キロ」の主人公・玄太(西田敏行)は大京通信社写真部の「大京グラフ」に所属しているという設定だった。で、その通信社の外観がたびたび映るのだが、これが実は虎ノ門の旧共同通信社のビルだったのだ。その系列会社で仕事をするようになった時、あれ、この建物どこかで見たことがあるとぞと思って考えてみたら玄太で出会っていたのだ。今は本社は汐留に移転したが、共同通信会館という名前で同じ場所に残っている。

 

 

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『映画の森』「2024年 10月の映画」

2024-10-28 09:00:47 | 映画の森

 共同通信社が発行する週刊誌『Kyoudo Weekly』(共同ウイークリー)10月28日号で、『映画の森』と題したコラムページに「2024年10月の映画」として、5本の映画を紹介。独断と偏見による五つ星満点で評価した。

70年代のテレビショーを再現
『悪魔と夜ふかし』☆☆☆

“未来の南北戦争”を描く
『シビル・ウォー アメリカ最後の日』☆☆☆

2人の女性の成長と自立の物語
『花嫁はどこへ?』☆☆☆

ジョーカーとは一体誰なのか?
『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』☆☆☆

2人の老優のラストムービー
『2度目のはなればなれ』☆☆☆

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「午後のロードショー」『ジョーズ2』

2024-10-28 07:59:18 | ブラウン管の映画館

『ジョーズ2』(78)(1985.4.7.日曜洋画劇場)

 『ジョーズ』(74)の続編。スピルバーグが断ったため、フランス出身のヤノット・シュワルツが監督した。前作から引き続き、ブロディ警察署長役のロイ・シャイダー、妻エレン役のロレイン・ゲイリー、そしてホーン市長役のマーレイ・ハミルトンが出演。

 継子扱いされることが多い映画だが、シュワルツはブロディの息子とその友人の動静にも焦点を当てるなど、それなりに頑張って撮っている。

【今の一言】シュワルツの監督作を並べてみると、『燃える昆虫軍団』(75)、この『ジョーズ2』、『スーパーガール』(84)となるから、もともと不思議なSF系の映画を作る資質を持った監督なのだろう。ただ、フランス出身だからからか、『ある日どこかで』(80)のような甘い映画も撮れるところが面白い。


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「BSシネマ」『敦煌』

2024-10-28 07:49:28 | ブラウン管の映画館

『敦煌』(88)(1988.8.20.日比谷スカラ座)

 11世紀、中国・宋の時代。科挙の試験に落ちた趙行徳(佐藤浩市)は、新たな希望を求めて新興国・西夏へと向かう。道中、西夏軍漢人部隊を率いる朱王礼(西田敏行)に徴用され同行することになった行徳は、人々との出会いや戦いを経て、敦煌の文化遺産を守るため奔走することになる。

 舞台は中国、シルクロード、砂漠と聞いて、『アラビアのロレンス』(61)のことを思い出し、果たして「ロレンス」のように自然の景観に負けない映画に仕上がっているのかという危惧が浮かんだ。

 加えて、この映画と同じく井上靖の原作を映画化した『天平の甍』(80)を見た際に感じた、中国人に扮した日本の役者が、日本語でセリフを語ることに対する違和感を覚えずに済むかということ。この2点が見る前に引っ掛かっていた。

 そして、見終わった今、そうした危惧が全て解消されてはいなかったが、この壮大なストーリーを、“大作職人監督”佐藤純彌がそつなくまとめていたし、日本映画も金さえ懸ければそれなりのスペクタクルシーンが撮れることも証明された。

 さらに、『アラビアのロレンス』のモーリス・ジャールを思わせるような、佐藤勝のスペクタクル音楽の良さも併せると、多少の不満は残るものの、スタッフ、キャストの健闘をたたえたくなった。

 何より、この映画は、戦乱と文化、無常観とロマンという、相反しながらも共存する歴史の持つ二面性を、原作の味を損なうことなく描いたところが見事だった。

 戦うことに命を懸けて散っていった朱王礼をはじめとする名もなき男たちと、敦煌の文化を必死に守り抜こうとした趙行徳ら無名の男たちを主役にし、実際に歴史に名を残した李元昊(渡瀬恒彦)や曹延恵(田村高廣)を脇役として描いているから、歴史の持つ皮肉や二面性を強く印象付けることができたのだと思う。そして、その背景には中国の壮大な国土や自然、長い歴史があり、それらが無言の内にこの映画を支えたのだ。

 ベルトルッチの『ラストエンペラー』(87)、スピルバーグの『太陽の帝国』(87)、そしてこの映画と、今や中国は映画の舞台として格好の場所になりつつつある。

【今の一言】30数年前は中国に対して、可能性を感じて、いいイメージを抱いていたのだ。

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