『南極物語』(83)(1983.9.12.日比谷映画)
南極大陸に残された兄弟犬タロとジロと越冬隊員が1年後に再会する実話を基に創作。自然の力、南極の美しさや怖さ、そして犬たち…。これらは確かによく撮れているし、一見の価値はあるのだが、映画全体から見ると、もう一つ心に迫ってくるものがなかった。良く言えば、『キタキツネ物語』(78)を撮った蔵原惟繕独特の世界と言うこともできるのだが、どちらも人間が欠落しているのだ。
高倉健(例によって、寒いところでのストイックな演技、ご苦労様)、渡瀬恒彦らが大熱演しているのは間違いない。だが、例えば、『マタギ』(82)で描かれた自然や動物と人間との関係、『八甲田山』(77)における自然対人間の、人間の部分が、この映画からは浮かび上がってこない。
確かに、犬たちは見事な演技?を見せる。だが『キタキツネ物語』の岡田英次同様、小池朝雄のナレーションなしでこの映画を見たら、犬たちが何をしているのかよく分からない。百歩譲って、人間を全く頭に入れずに、犬中心で見たとしてもやはり駄目な気がする。蔵原監督をはじめとするスタッフは、南極の景観や犬たちに気を取られて、人間ドラマの部分を軽んじ過ぎてしまったのではないか。
と、くどくどと批判めいたことを書いてきたが、極寒の中でのスタッフ、キャストの苦労も知らずに、ただ完成された映画を見て、その出来不出来を論じてしまっていいのか、という人情は残るのだが…。