田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『ドリーム・シナリオ』

2024-11-26 21:59:35 | 新作映画を見てみた

『ドリーム・シナリオ』(2024.11.26.オンライン試写) 

 大学教授のポール・マシューズ(ニコラス・ケイジ)は、妻(ジュリアンヌ・ニコルソン)と2人の娘と一緒にごく平凡な生活を送っていた。だがある日突然、何百万人もの人々の夢の中にポールが一斉に現れたことから一躍有名人となる。

 メディアからも注目を集め、夢だった本の出版まで持ちかけられて有頂天のポールだったが、ある日を境に夢の中のポールが人々にさまざまな悪事を働くようになり、現実世界の彼も大炎上してしまう。自分自身は何もしていないのに人気者から一転して嫌われ者になったポールは果たしてどうなるのか…。

 このところ『ボーはおそれている』『関心領域』『シビル・ウォー アメリカ最後の日』といった問題作を連作しているA24の製作映画。『ミッドサマー』(19)のアリ・アスターが製作に名を連ね、『シック・オブ・マイセルフ』(22)のクリストファー・ボルグリが監督・脚本を担当した。

 大勢の人々の夢の中に、なぜポールが現れたのかについての理由は説明されない。それ故、ポールが抱く困惑や恐怖が強調される。また、この上ない不条理な状況に陥っていくボールの姿を通して、インターネットミームの功罪や、群集心理の恐ろしさを感じさせるあたりがユニークだ。

 ケイジは、人一倍の承認欲求はあるものの、主体性がなく風采も上がらないポールという”一人の人物"を演じているのだが、彼はいろいろな夢の場面に現れるので、こちらはケイジが一人で何役も演じているような錯覚に陥る。このあたりは映像のトリックをうまく利用している。

 『ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄』(15)でケイジにインタビューした際に、B級アクションやホラー映画が好きなのかと尋ねると、「ホラー映画は本質的に創造力にあふれたジャンルだと思っているから僕にとっては特別なもの。個人的には超自然現象や幽霊が出てくるようなチャーミングなホラーが好き。SFにはとても興味がある、なぜならSFの形を借りて今という時代の社会や世界についていろいろなことを語ることができるからだ」という答えが返ってきた。

 また、幅広い役柄を演じ分けるコツについては、「僕にとっては興味や多様性を持ち続けることが必要なので、広範囲にわたる役柄を演じている。一つの役柄を演じ続けたり、同じタイプの映画に出演し続けることがないようにしている」と語った。

 プロデューサーも兼ねているこの映画は、彼のそうしたポリシーを如実に反映しているとも言えるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ドラマウォッチ】「嘘解きレトリック」(第8話)

2024-11-26 11:10:28 | ドラマウォッチ

「『君という人がいてくれて僕は幸せ者ですね』って、もうこれはプロポーズだろ」
「何て幸せで優しい世界。本当に大好き」

https://tvfan.kyodo.co.jp/news/topics/1454835

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「BSシネマ」『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』

2024-11-26 07:32:59 | ブラウン管の映画館

『エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事』(1994.2.23.シネセゾン渋谷)

 1870年代のニューヨーク。若き弁護士のニューランド(ダニエル・デイ・ルイス)は、美しい令嬢メイ(ウィノナ・ライダー)と婚約したばかりだったが、メイのいとこで、夫と別居してヨーロッパから帰国した幼なじみのエレン(ミシェル・ファイファー)に強く引かれる。

 だが、格式と体面を重んじる保守的な社交界では、2人の恋は許されないものだった。女性初のピュリツァー賞を受賞したイーディス・ウォートンの小説をマーティン・スコセッシ監督が格調高く映画化。アカデミー衣装デザイン賞を受賞した。

 本来、自分の趣向とは合わないこの映画を見る気になったのは、スコセッシの監督作だからというのはもちろん、ジャック・フィニイの『ふりだしに戻る』の世界が再現されているという記事を読んだからだった。

 いざ見てみると、19世紀のニューヨークの再現、衣装や小道具へのこだわり、ミハエル・バルハウスによるめくるめくカメラワークなどに目を奪われるし、スコセッシがルキノ・ビスコンティの諸作やウィリアム・ワイラーの『女相続人』(49)を思わせるような純文学映画を撮ったことに驚きもするのだが、こうした上流社会の恋愛ものが苦手な自分にはやはりピンとこないところがあった。

 それは、ファイファー、ライダーといったきれいどころはいいとしても、どうもデイ・ルイスになじめなかったことも大きかったと思う。

 それにしても、一貫して過激な題材の中で庶民の成り上がりの悲しさを描いてきたスコセッシが、なぜこの題材を選んだのかという疑問が消えないのだが、最近ユダヤ系のスピルバーグが不似合いとも思える『シンドラーのリスト』(93)を撮ったことを考えると、この映画は、ニューヨーク育ちのスコセッシが、古い時代のニューヨークを描くことに、自らの故郷に対する思いを反映させたものだったのかもしれない。

 あるいは、閉鎖的で異常性もある社交界と彼が好んで描くギャングやマフィアの世界に共通性を見付けたからなのか、などといろいろとこじつけてはみたものの答えは出ない。何か気持ちの中に釈然としないものが残ってしまった。

 この映画のタイトルデザインは、久しぶりの復活となったソウル・バス。スコセッシは『ケイプ・フィアー』(91)の時もバスを起用していたからお気に入りなのだろう。こういうところが映画狂スコセッシの面目躍如だ。


【今の一言】この映画に抱いた違和感を、スコセッシに似合う題材だった『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)が払拭してくれるかと思ったが、こちらもいまいちだった。
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/85718e5d1f88941e70bcfda3bd7cfe0e 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする