硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  60

2013-09-06 16:43:33 | 日記
翌日、早起きして仕事に取り掛かった。言葉が軽やかにモニターに注がれてゆくのを不思議に思いながらも、仕事の大半を片付けてから、優一が起きてくるまでに朝食の用意を全力で済ませる。

「おはよう。」

「おはよう。ご飯出来てるよ。どうぞめしあがれ。」

「いただきます。」

優一がご飯を食べている間にお弁当を詰める。いつもと同じ朝。
朝食を食べ終わると、何やらぶつぶつ言いながら仕事に行く準備を始める。これも、いつもの風景だ。スーツに着替え、カバンを持つときりりとスイッチが入る優一。この瞬間が少しきゅんとするのだけれど、今日は後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

「はい。お弁当。」

「ありがとう。じゃあ行ってきます。」

「行ってらっしゃい。」

彼を見送った後、朝ご飯を頂く。食べるのが遅いから頑張って食べて、その勢いのまま作業の仕上げに取り掛かる。今日は調子が良くて、するすると言葉が出てくる。いつもこうだったらいいのになと思いながら順調に仕上げた。

でも、時計を見ると9時を回っていて大いに焦った。成田まで2時間はかかる。12時15分発に間に合わせるには、9時半位の電車に乗らなくてはならない。気合を入れておしゃれするつもりだったのに、そんな時間はない。いつものワンピースを着て、メークもそこそこに、ジャケットをつかんで家を出た。外はよく晴れている。空気は澄んでいて、昨夜の雪が路肩に少し残っていた。

少し汚れたパンプスを履いてきてしまった事に後悔しつつも、急ぎ足で駅へ向かった。電車で新宿に出てから中央線に乗り換え、東京駅で降りた時、天沢君に「今どこにいますか?」とメールを送ると、「もうすぐ成田です。」と返信されてきた。

「私が間に合わないかもしれない。」

駆け足で階段を駆け下りて、成田エキスプレスに乗り込む。車内のアナウンスは成田空港到着時間11時57分と言っている。

「焦ってもしょうがない。もたもたした私が悪い。」

そう割り切って外の風景をぼんやり眺めた。車窓から見る風景は次第に緑の多い風景に変わってゆく。

成田空港駅に着くと、南ウイングを目指し全力で走る。窓ガラスに映る私は髪もぼさぼさで見られたものではなかったけれど、ここで遅れてしまってはまた後悔してしまう。

なりふり構わず走り続け、ようやく出発ロビーに辿り着くと、もう12時になっていて、搭乗アナウンスが流れ始めていた。
沢山の人の中から天沢君の姿を必死になって探すと、天沢君も私を探してくれていたようで、私を見つけると大きく手を振った。

やっと天沢君に辿り着いた。本当はスマートでクールな女性を気取ろうと思っていたけれど、現実はボロボロであった。

「ごめん・・・。ぎりぎりになっちゃった。」

「わざわざ見送りに来てくれてありがとう。」

「ううん・・・。そうだ、プレゼントありがとう。大事にするよ。」

「うん。お祖父ちゃんも喜んでいると思うよ。」

私は意を決して、今まで言えなかった気持ちを伝えた。

「私、あなたに伝えなければならない事があるの。聞いてくれる。」

「なに。」

「私、天沢君の事、ずっと好きだった。」

「うん。」

「本気で結婚すると思ってた。だからずっと待ち続けていた。」

「うん。」

「なのに手紙で恋人ができましたって報告だけで・・・。」

「ごめん。」

「どうしてなの。どうして私じゃ駄目だったの」

「ごめん。」

「こんなに好きなのに・・・・。」

感情が高ぶって、涙があふれてきた。もうこうなるとなかなか止まらない。周りの人がこちらを見ているけれど、そんな事はお構いなしに泣きながら天沢君の胸に顔をうずめ、ぎゅっと背中に手をまわすと、天沢君は両手でそっと私を包んでくれた。

搭乗を促すアナウンスが流れている。

「もう行かなくては。」と、天沢君が呟く。

「あ~っ。すっきりした。泣いちゃってごめんね。もう大丈夫。」そう言いながら、両手で涙をぬぐい、天沢君の胸から離れて大きく深呼吸をした。

「仕事がんばってね。世界の天沢。」

笑う彼。

「じゃあ。」

「うん。気をつけて。」

搭乗口に消える彼。手を振り見送る私。彼に何度手を振っただろうか。

5階展望台に行き彼の乗る飛行機を見ると、もう離陸準備に入っていた。轟音をとどろかせ、滑走路を滑るように加速してゆく。機首が上がったかと思うと、あっという間に3月の空に消えていった。