硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  63

2013-09-09 07:24:21 | 日記
しばらくすると、箱を抱えたおばさまとお嬢さんがお茶を持って部屋にやってきた。

おばさまは上座に用意された座布団に座り、目の前に箱を置いた。お嬢さんは綺麗な所作で「粗茶でございます。」といって、目の前にお茶と和菓子を置いて、スッと部屋を離れた。
容姿に伴った所作の美しさに、こんな人もいるんだなぁと同性ながらも思わず見とれてしまっているとおばさまが、

「今日はわざわざお越しいただいてありがとうございます。実は今日は司朗さんの事でお願いがあって来ていただいたのです。それが、この箱なんですが・・・。」と、会話を切り出した。そして、ゆっくりと箱のふたを開け、中にあった手紙を取り出し私に差し出した。

「まずは、この手紙からお読みになって頂けますか。」

「では、拝見させていただきます。」

「どうぞ。」

便箋を開くと、ラテンアルファベットが綴られていて、ドイツ語である事は分かるのだけれど、ほとんど何が書かれているのかは分からなかった。大学で少しだけかじって止めてしまった事をいまさらながらに後悔した。

「ごめんなさい。ドイツ語と言う事だけは分かるのですが・・・。」

と、言葉に詰まると、おばさまは大きく頷いて、

「そうでしょう。私もそうでした。英文なら何とか読めるのだけれど、ドイツ語となるとさっぱりで。孫娘はフランス語なら訳せるというけれど、相手はドイツ語でしょ。それで、久貢に訳してもらおうと思っても、忙しいからってとりあってくれないのよ。」

それを聞いて苦笑いをした。

「でも、送り主の方はアメリカで、ここに送られてきたというのも間違いないのだけれど、どうやら司朗さん宛てのものらしくてね・・・。送り主さんもこの贈り物をルイーゼさんという方から託されたようで、多くを知らないみたいなのね。」

「それで、どう扱っていいものやらといろいろ思案して、登志子さんに聞いたら、司朗さんが所有していたアンティークの処遇は聖司さんに任せてある事を知ったのね。それで、登志子さんに聖司さんへ連絡を取ってもらって、あなたに来ていただいたという運びになったの。」

「はい。」

「それでね。聖司さんが言うには、これは雫さんに持っていてもらった方が司朗さんも喜ぶだろうということなのね・・・。中身は人形のようだけれど。いかがかしら。」

「これを、私にいただけけるのですか?」

「そうしてもらえるとうれしいの。ぜひ貰って戴けるかしら。」

「はい。よろこんで頂戴いたします。」

「ああ。よかった。本当にどうしようかと気をもんだのよ。ようやく肩の荷が下りたわ。」

お茶を飲んだおばさまは、本当にほっとした様子だった。

「そうだ、その手紙どうします? 久貢に頼んで翻訳してさしあげましょうか? 」と、言っていただけたけれど、これは私自身が訳さなければ意味がないじゃないかと思ったから、

「いえ。私、大学時代に少しだけドイツ語を扱った事があるので、また、辞書を引っ張り出して自力で訳してみようと思います。」と、答えた。

「あら、そうなの。雫さん偉いわねぇ。じゃあ訳す事が出来たら私にも教えてくださいね。」

「はい。がんばってみます。」

この手紙を理解すれば、きっと西さんの新たな発見があるかもしれない。そう思うとわくわくしてきた。そして、この贈り物はきっと・・・。

「あの。この包みをほどいて中を見てもいいですか? 」

「ええ、どうぞ。それはもうあなたのものなのですから。」

「じゃあ、開けてみますね。」

丁寧に包装してある贈り物を手に取り、ゆっくりと解いてゆく。すると、そこにいたのは思った通りアンネローゼだった。
感動的な出会いに体がゾクゾクしてしまい、しばらくだまって見つめていた。

「あら、猫のお人形さんだったのね。」

「はい。彼女の名前はアンネローゼと言うそうです。」

「よくごぞんじねぇ。」

「西さんからお話を聞いていたのですが、こんなに早く出会えてびっくりしています。」

「そうなのね。やっぱり聞いていらしたのね。聖司さんに頼んで正解だったわ。」

おばさまはそう言って嬉しそうに微笑んだ。私はアンネローゼを包装し直し、元の場所に納めて箱のふたを静かに閉めた。

それから、しばらく二人で庭を眺めながら、たわいのないお話をしていたら、いつの間にか日が西に傾いて庭の紅葉に光が差し込んでいた。よりいっそう紅になった紅葉はその美しさを際立たせていた。
時計を見ると4時を回っていた。夕食の準備もあるからと、お暇させていただく事を告げると、「あら、もうお帰りになるの。残念ねぇ。」と言って玄関まで見送ってくれた。私は深々とお礼をして西家の門を出た。

家に着くと、さっそく箱からアンネローゼを出して男爵の横に飾って二人を眺めた。彼らは無事再会を果たしたのだ。
これは必然なのか、それとも偶然なのか私には分からないけれど、離れ離れになってから70年という時間が過ぎてやっと再会できたのは、その時間をかけなければ再会できないほどの「物語」が二人の間にあったのだろう。
その物語はドイツ語で綴られた手紙に記されているはずであり、彼らの物語をひも解く事を赦された唯一の者が私である事に嬉しさを感じていた。