硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  65

2013-09-11 06:16:18 | 日記
お店につくと、翠さんとスタッフの女の子が出迎えてくれた。お店の中のテーブルはほとんどお客で埋まっていた。

夕子は翠さんじっと見ると、「あれっ・・・。翠?」というと、翠さんも「えっ。原田先輩。なんで!!」と二人して驚いていた。どうやら大学のテニス部の先輩と後輩だったようで、久しぶりの再会に互いの健闘を讃えつつ、とても喜んでいた。

お店の雰囲気はあの頃の地球屋の面影を残していて、見覚えのあるアンティークもいくつかお店に彩りを添えていた。
私達は杉の宮の街が見渡せる窓際の席に案内され腰を掛けると翠さんは簡単にメニューの紹介をして厨房に戻って行った。

夕子は可愛らしい表紙のメニューを開いてさっと見ると「これでいいんじゃない?」と言って、本日の御勧めとコーヒーを指差した。私もそれに同意しスタッフさんにオーダーした後、

「そういえばさ、あなたの好きだった天沢君。今日テレビに出るんだよ。」と、言った。

驚いた私は「えっ、どうして。」尋ねると、何処で見つけたのかを説明してくれた。

「ネットでたまたま見つけたんだけど、プロフェショナルの流儀って番組あるでしょ。あれに天沢君が取り上げられたんだよ。どこかで見た名前だなと思ってあらすじを読んで気がついたんだ。でも、驚いちゃった。彼って、今では有名なバイオリン製作者なんだってね。」

「うん。中学生の時からの彼の夢だったんだ。」

「雫、逃がした鯛は大きかったね。」

「鯛ねぇ。」そういって苦笑いをした。

「あれっ、後悔してないの」

「うん。ぜんぜん。」

「ええっ。私なら後悔しちゃうけれどなぁ。写真を見たけれどカッコよかったしね。」

「でもね。私では彼をあそこまで連れて行ってあげられなかったと思うんだ。」

「へぇ。 なにかあったの? 雫にしてはかっこいい事言うじゃない。」

「あっ。なに。ひどいそれ。いつまでもぐずぐずしてられますか。」

「おおっ。余裕だね。」

「・・・えっとね。実は私も報告しなければならない事があるのね。」

「なになに。改まって。」

「私ね。おなかの中に赤ちゃんがいるの。」

「えええっ!」その驚きはお店に響いて皆が一斉にこちらを見た。

「嗚呼。ごめんなさい。」席を立って、皆に頭を下げる夕子。かなり焦っている感じだった。目の前の水を飲んで落ち着きを取り戻すと、

「そう。それで、何カ月なの? 」

「ついこの間検診に行ったらおめでたです。て、言われてね。まだ2ヶ月なんだけど。」

「旦那さんはしっているの? 」

「う、うん。もちろん話したよ。とても喜んでた。」

私は、優一の事も話しておかなければならないと思って思い切って告白した。

「あのね、夕子もう一つ言わなければならない事があるのね・・・。」

「ええっ。今度は何? ちょっと待って気持ちを落ち着かせるから・・・。」

「うん。」

水を飲んで、ゆっくりと深呼吸をする夕子。こういう所も変わらないなと思った。

「はい。どうぞ。いいわよ。いってみなさい。」

「私の主人はね。杉村優一君なの。」

「はぁ~! 今日はどうなってるの。おどろくことばかりだわ! でもどうしてそうなったの?」

私は優一との再会と結婚に至った経過を包み隠さず夕子に話した。すると、

「もっと早く言ってくれればよかったのに。」と、言った後、「雫って意外ともてるのね。なんだか悔しいわ。」といって笑っていた。その時、私の心の霞が少しずつ晴れてゆくような心持がして、とても清々しかった。

「雫も一時の母になるんだね・・・。おめでとう。ほんとうによかったわね。 そうだ! 今日は雫と私の新たなる未来への出発を祝おうではないか!! 」

丁寧に入れられたコーヒーが届くと、「ふむ。今日の所はこれで乾杯しよう。」と、夕子が言うと私も「うん。」と言って、コーヒーカップを合わせ小さな声で「乾杯」と、言った。

出された料理は感動的に美味しく、美食家を語る夕子も「翠、なかなかやるなぁ」と唸っていた。その夜私達は大いに満足し、忙しそうに働いている翠さんに「また来るね。」と挨拶して店を出た。

新しい始まりを迎えた「地球屋」は、温かい人たちに包まれていて本当に幸せそうだった。