硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

あとがき

2013-09-13 17:22:32 | 日記
「耳をすませば」彼と彼女のその後。最後まで読んでいただきありがとうございます。
この映画が再放送をされるたび、「二人はこの後どうなったのかぁ」と思っていたのですが、時を経て、このような形でその続きを作ってしまうとは夢にも思いませんでした。

32歳の雫さんと天沢君を描くにあたり配慮したのは、この作品の監督である近藤善文さんの描かれた世界観を崩さずに成長した彼らの物語を語る事が大切な条件なのかなと思ったところです。

しかし、読んでくださっている方の中には「耳すま」ファンの方もいらっしゃって、こんなの「耳すまじゃねえよ」と思われている方もいるかもしれません。そう思われたならばそれは僕の力量不足ございます。本当にごめんなさい。

それから、この物語を進めている間に、コメントを下さった方がいらっしゃいました。
とても嬉しく思い、物語を進める上で大変励みになりました。どういった方法でお返事をさしあげてよいのか分からないので、この場を借りてお礼を申し上げます。

拙い文章で読みにくい所も多々あったと思いますが、最後まで忍耐強くお付き合い戴きありがとうございました。
ブログは、日常的なものに戻りますが、そちらも、時々観に来ていただければ幸いです。

話を作って行く上で、影響されないように控えていた「風立ちぬ」。これから観に行こうと思います。楽しみだなぁ。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  最終話

2013-09-13 17:08:24 | 日記
12月。クリスマスカラーに飾られた街は華やかさと年末の慌しさを醸し出していた。
食材の買い物を済ませ、家に戻ると早速「手紙」の翻訳の仕上げに取り掛かった。
ルイーゼさんが想いをつづった手紙は、翻訳を進める私の価値観や常識を覆し、深い感動を与えた。

「うん。これでいい・・・。ようやく出来たわ。」

私は間違いがないかもう一度最初から読みなおすことにした。

「愛する司朗へ。」

「今、私はこの手紙があなたのもとに届く事を強く願いながらペンをとっています。

司朗が突然帰国を余儀なくされた後、私の心には淋しさと悲しさが残りました。それはどうやっても埋める事の出来ない感情でした。何通か日本に向けて手紙をさし上げましたが、返事が返ってこない所から、あなたも大変な境遇に置かれているのだと察していました。

でも、悲しみに耽っているほど時代は私達に優しくありませんでした。貴方も知っている通り、私の父はアーリア人でしたが母はユダヤ人であった為、私達家族は国から避難するしかありませんでした。後に、水晶の夜と呼ばれた悪夢の翌朝、役所勤めの父はその情報をいち早く知り、その日の内にビザを取得し、その夜限られたものだけをカバンに詰めて列車に乗りました。SS等による厳しい検閲も父が上手くかわしてくれたので、イタリアのジェノバから船に乗って、上海と言う所に辿り着きました。しかし、そこに待ち受けていたのは想像を絶するひどい生活環境でした。それでも父と母と私は生き延びるため、家と職を探して助け合いながらなんとか生きていましたが、環境の悪さと疲労から母が体調を崩し医者に頼らなければならなくなって困っている時、私の職場先で上海に駐屯している日本人の軍医さんと知り合いました。私はあなたから教わったつたない日本語で母の病状を告げると、快く診てくださいました。あの頃の日本兵のイメージは良いものではありませんでしたが、彼だけは別でした。きれいなドイツ語を話し、どんな状況でも知性を正しく働かそうと心がけていた方でした。 母が回復に向かう頃、少しだけお話した事があって、私がどうして日本語が話せるのかと尋ねられたので、司朗の事を話すと彼は大変驚いていて、学生時代、司朗に大変お世話になった人だったということが分かりました。その時私は運命とは不思議な縁で繋がっているものなのだなと思いました。軍医の彼は困りごとがあれば何でも言ってきてくださいと言ってくださったので、その事を父に話すと、親戚がアメリカに渡っているから、アメリカ行きのビザを取得して、親戚を頼ることはできないだろうかと言う事になりました。その頃私達に住むゲットーには多くのユダヤ人が住んでいて、多くの人達がアメリカ行きを望んでいました。でも、時代が時代であった為ビザの発行も簡単に取得できるものではありませんでした。
でも、彼は何とかしましょうと言って、苦心してビザを発行してくれるように色々な方に頼んで頂けました。 そのおかげで私達家族は、無事アメリカに渡る事が出来ましたが、アメリカと言う国はあなたの日本と戦争を始めてしまった。
胸が張り裂けそうな思いでした。そして、もうあなたに逢える事はないんだと、その時思ってしまったのです。今思えば愚かだったのかもしれませんね。

ひどく長い戦争がようやく終結した後、私はアメリカで知り合った男性と結婚しました。そして、子供も2人もうけて幸せな日々を送れるようになり、生活にも余裕ができた頃、ドイツに旅行で訪れました。父と母はドイツ旅行なんてと強く反対をしていましたが、私にはどうしても行かなければならない理由があったのです。

家を飛び出す時、私は慌てて「アンネローゼ」を布でくるみワイン用の木箱に入れ、庭先の木の下に穴を掘って埋めてきたからです。私は故郷をめぐる旅をしながらも司朗との約束を果たす為、生家を尋ねました。家は跡形もなく無くなっていましたが、庭先の木だけはしっかりと根を張り、更に大きく伸びていて、新しい葉をつけていました。
記憶をたどり、土を掘り返すと、「アンネローゼ」が美しさを保ったまま気の箱の中で眠っていました。
主人は驚いていましたが、私の大切な宝物である事を伝えると理解をしてくれて、無事「アンネローゼと共に帰国できたのです。
しかし、「アンネローゼ」と「男爵」の秘密は私しか知り得ない事なので、新しい箱を買ってきて、あなたに手紙をしたためて、また眠らせてしまいました。それは私が亡くなった時、私の子供達、孫達が気づいてくれて私の遺志を汲んでくれるだろうという未来に、二人の再会を託す事にしたからなのです。

長くなってごめんなさい。でも、あなたと再会できなかった言い訳をどうしても綴っておきたかったのです。これで、赦してもらえるとは思いませんが、もし天国であったらまた、あの時のように私を優しく抱きしめてください。

貴方と行ったケルン大聖堂やノイシュヴァンシュタイン城。ライン川の畔。そして帰国直前に、私が子供のように駄々をこねてお願いをした、アールベルグ・オリエント急行に乗ってスイス旅行したときの事。
すべての出来ごとが昨日のように思い出されます。貴方と過ごしたあの短い月日は、今も「アンネローゼ」と共にあります。司朗、本当にありがとう。今でも貴方を愛しています。」

「ルイーゼ・フリードリッヒ」

手紙を読み終え、二人を見つめると何か話しかけてきた様な気がした。
 
耳をすますと、それはたしかに「ありがとう」と聞こえた。私は嬉しくなって、

「お礼を言わなければならないのは私だよ。ありがとうね。貴方達の物語はきっとこの子にも伝えるからね。」と、お腹に手を当てて返事をすると、冬の低い雲の切れ間から光が差し込み二人のエンゲルス・ツィマーが美しく光かがやいた。

                       おしまい。