五月二日は一応結婚記念日
五月二日は、結婚式を挙げた日です。
が、義母お得意の私への『意地悪』で、結婚式にわざと印鑑を忘れたので、
結婚式当日に入籍が出来ないで、島根県安来市に移ってから、叔父や義父に記入して貰ったのを送って貰って、安来市役所に婚姻届を提出しました。
写真を見て思い出すのも辛い思い出なので、写真は封印。
変わり者の義母の行状に狼狽えながら
一人娘の行く末を案じて泣きそうだった母の悲しそうな顔が忘れられません。
婚約中に「私と一緒に買い物をしたい」と言われたので、デパートに行き私が
勧められた服を試着していると、試着中に勝手に帰ってしまいました。
バッグも当時の私では(今もですが・・・)到底考えられないような値段の高いブランド品を選んで、
「家の嫁として恥ずかしくない様に」とか言い張って、購入する様に命令。
当時はクレジットカード等持っていませんし、借金をして高いブランド品を買ったこと等無かったので、
大層驚きました。
当然のこと、現金をそんなに持っていませんし、困り果てて、お店の方に事情をお話して
後日、貯金をおろして嫁入り道具の一つとして仕方なく購入しました。
結婚式の打ち合わせの約束の時間をわざと間違って伝えたり、
あら探しをする変な興信所みたいな所を使って、私の周辺を調査したり、
嫌がらせの電話を毎日のように掛けて来たりして、
兄も嫂もとても迷惑して疲れ果ててしまい、本当に嫌になっていました。
「やめるかね。」
と母も言ってくれましたが、(やめたいと言える立場ではありません。)
13歳で父親を亡くして、17歳で長兄のところに嫂が嫁に来て、
三年連続で年子の甥や姪の誕生。
代も兄に代わり、母も無賃の労働者としての役割を除けば、半分厄介者扱いされていました。
兄三人の末っ子の私に居場所はありません。
母を悲しませたくない。
ただそれだけだった様な気がします...
頑張るから...」
結婚式の前日、安来市に赴任していた夫が帰って来ましたが、
義母お得意の『意地悪』で夫と会うことが出来ませんでした。
正直言って、結婚式に、夫は来ないのではないかと思っていました。
叔父の言葉を借りれば、「会社の結婚式」が一応無事に終了。
新婚旅行も『意地悪』で無し。
式の後、直ぐに三島駅から新幹線で、赴任地島根県安来市にとんぼ返りの強行軍。
結婚後 島根県に移り住む私に、
夕方三島駅に私の教え子たちが大勢見送りに来てくれました。
私の苦悩等何も知らない教え子たちは、
口々に「先生、お幸せに!」「幸せになってくださいね!!」と声を掛けてくれました。
二人で、新幹線に乗り込むと、
ホームでの生徒たちとの別れの光景を見ていた乗客の方々から
突然
「先生、結婚おめでとう!!」の大コール。。。
「おめでとうございます!!」「おめでとう!!」
指定席に着くまでも、全く知らない多くの皆様から心のこもったお祝いのお言葉を掛けて頂きました。
本当に心の底から嬉しくて、有り難くて嬉し涙がこぼれてきました。
降りる時にも、わざわざ「おめでとうございます。お幸せに!」とか「おめでとう」
と声を掛けて下さる方も沢山いらっしゃいました。
まるで天国の父親や、亡き祖父母たちが応援してくれているようでした。
決して平々凡々の結婚生活ではありませんでしたが、
あの日三島駅で旅立ちを見送ってくれた教え子たちや
何よりも新幹線の中でエールを送って下さった方々にお力を頂いての45年間の結婚生活だったと思っています。