日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

閉店した大判焼き店解体

2024年10月03日 | 地域

 2015年12月に「大判焼き閉店」というというタイトルで「名菓 大判焼き」の記事をアップしたが、その店が先日解体された。工事用シートの囲いが除去された空間に何か地域の歴史が消えた感じがする。また、店舗は写真のブルーシート個所だった。店内で何度か熱々を食べたが、解体跡を見て店内がこんなに狭かったかと驚いた。

 その店は、錦帯橋から歩いて5分くらい、新町のロータリーで浅尾菓子店の近く、岩国西郵便局のそば。木造洋館建ての長屋で外観は歴史ある建物様式と思っていた。いま、解体前を忍ばせるのは、ポツンと立っている錦帯橋方面行の古いバス停の標識、それは昔のまま残っている。この跡地はどんな方法で利用されるのだろうか。

 閉店になって長い年月、手入れされない外観は次第に色あせていた。それでも、よく歩いて通るところだが崩壊などの心配をしたことはなかった。きっと頑丈な昔風の木造建築技術というか大工の匠が活かされた創りがされていたのだろうと思っていた。

 店の外から手際よい焼き方が見え、子どももそれを見ながら焼き上がりを待っていた。餡は赤と白の2種類「赤幾つ、白何個」と頼む、アサギ色の紙袋に入れ手渡す店だった。寒くなると一段と繁盛していたような記憶がある。小麦粉の生地を練り、金属製の焼型に流し込み、餡を包み込んで焼く。こんな店の再登場はもうないだろう。

 (今日の575) 暑さ消え大判焼きが懐かしい
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一時停止線で

2024年09月28日 | 地域

 高齢者の交通事故で、アクセルとブレーキの踏み間違いが原因という報道は多い。そうした事故は思いのほか大きな事故になっている。私も運転する時は、しっかり意識して運転している。先日は踏み間違ではなく操作間違いの車に出くわした。

 広い道から巾5㍍くらいの狭い幅員のT字路交差点へ信号に従って左折した。ところが、幅員の狭い対向車線で信号待ちで停車の車が、一時停止線を大きく越えて止まっていた。これでは小さな角は曲がれない、私は斜めのままで急停車した。私は対向車はピカピカだが初心者マークがついているのに気づき、急がせてはいけないと思い、後続車の停止を確認して、じっとしていた。

 対向車も不適切な停車に気づき動かそうとする姿がフロント越に見える。と、後進すべきなのに前進してきた。これにはヒヤリとしたが、私には避ける余裕はない。対向車もすぐに気づき止まり、操作をし直し正常な位置までゆっくり後進し事なきを得た。これはシフトレバーの操作間違いだろう。

 車では踏み間違いや誤操作は事故につながることを、常に心しておかないといけない、改めて思った。 すれ違って通りぬける時、若い女性ドライバーが軽く会釈をされた。同じことを二度とされないようにと軽く手を挙げて応えた。報道ではレバー操作を間違えた事故は発生している。

 (今日の575) 停止線越して止まって驚いて
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野菜作り卒業か

2024年09月27日 | 地域

 山あいで野菜作りを楽しまれている人と、いつからか通りがかりに出会うと話をし始めた。会話から同期くらい、退職後の話しが主だったが何を話してもよく通じあった。菜園は退職後に健康と実益を兼ねて始めたそうだ。

 あるとき「そろそろ野菜作りを卒業したいが、地主さんが認知症で施設に入られ、返却の話が進まないで困っている」と聞かされたが、耕作は続いていた。地主さんとの話しはどうなっただろう、思いながらも尋ねはしなかった。

 しばらく出会わなかったら、段々畑の法面は雑草が伸び、猪よけの柵の内側、野菜は収穫済なのか見当たらず、除草シートの敷かれていない所は雑草が生えている。見るところ野菜作りは終えられたようで、荒れていく様子が隣の畑からうかがえる。隣の広い畑は耕作放置されてしばらく経っており、雑草や小木が背丈ほどに伸びている。その畑の栗の落ちた実は「猪の餌になる」と聞いていた。

 人の手が入らなくなった山あいの耕地は、こうして自然に戻っていくのだろうか。かつての人らは、苦労して切り開き、耕地にし、食料を確保されたのだろ。そう思うと何か忍びない。段畑の一番高いところに手作りされた物置小屋がある。その屋根の樋から配管し、散水用の雨水を溜めるタンク、これも手作り聞いているが、それがポツンと置き去りになっていてむなしさを誘う。

 (今日の575) 雑草も繁茂しすぎりゃ息苦し
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クマの出没頻発

2024年09月25日 | 地域

 数日前、市内北部の民家の庭に体長およそ1.2㍍の熊が現れた。反応したセンサーに気づいた家人が撮られた写真が購読紙の地方版に大きく載った。これまで紙面や映像で見た人里で撮られた熊とは違い、間地かで撮られた熊の姿は,脅威を抱かせるものだった。

 市民メールでクマの出没状況が入る。例年に比べ多いと感じている。日によっては5~6件ほどの時がある。錦帯橋から10数キロほど遡った上流の国道で目撃された情報も複数ある。「いちいち連絡しとったらきりがない」という話。熊に鹿や猿に猪が家の前の畑にお出でになるという人の話しでは、こうした来獣と上手く付き合う方法は自然に身に付くが、決して油断してはいけないという。

 動く熊に接したのは大昔。大分県安心院サファリーだった。熊のコーナーのコースをゆっくり走行していたら、集団で横断を始めた。仕方なく止まった。害を銜える様子はないが、窓の高さほどの背丈のある1頭が後ろら前に車をこすってのっしのっしと歩く。その時の記憶から、なんの構えもなく突然出会ったらどのくらい恐ろしいか想像できる。

 最近のクマ出没情報に頻繁に載る山間部の公民館で講座に訪れたときのことを思い出した。トイレに「クマに注意!」、挿絵は立ち上がった大きな熊の挿絵が描かれた張り紙があった。当時はさほど思わなかったが、今なら周囲に注意を注ぐだろう。栗に柿、ミツバチの巣などが被害に遇っていることが多い。気をつけよう。

 (今日の575) 熊来るなAI駆使で叶わぬか
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日本の祭り写真展

2024年09月13日 | 地域

 国の登録有形文化財の会場で年2回開かれる「日本の祭り写真展」は16回目になった。撮影者は職業カメラマンではないのでアマチュアの方。だが、撮影のための情報収集、ロケハン、撮り方の工夫や苦労を聞いていると、私には趣味を通り越した域だと、いつも感じている。

 今回は「戸畑祇園大山笠」「鳥取しゃんしゃん傘踊り」「山鹿灯篭まつり」の3つ。勇壮な祭りの様子と華やか踊り、豪華な山車の写真からはお囃子が聞こえてくる感じがする。どの祭りの写真にも共通しているのは老若男女、写っている人がみんなはつらつとした姿で写っているし撮られている。

 いづれの祭りも実際に見たことはないのだが、懐かしいものを見た、それは山鹿灯篭。現役のころ公私で利用していたスタンドのママが山鹿の出身で、店内にその灯篭が飾られていた。それには、ママの思い出が一杯こもっているという灯篭、客席からは眺めるだけで手の届かない位置に飾られていた。ママの守護神だったのかもしれない。

 歴史と伝統を感じる祭り写真展を見ながら、住まいする地のしだいに寂しくなる地域の祭りの先行きを心配している。長く地域の祭りの世話している知人は「少子化と高齢化、それに地域人口の減少が解消しないと賑いは戻り辛い」と話す。そのどれもが世話人で解決できるものではない。商店街の消えたことも大きいと笑っていた。

 (今日の575) 灯篭に描いた墨絵いつの日か
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地域の未来のために

2024年09月11日 | 地域

 「未来のために過去を知ろう」という、地区まちづくり協議会の呼びかけで地域についての勉強会が開かれた。この会のサポーターは市の都市計画課、募集も運営もサポーターで進行された。呼びかけにNHKのある番組で見るお叱りをもじって「町の歴史も知らないでそこのあなた ぼ~っと暮らしてんじゃないよ」とある。

 岩国徴古館の学芸員がミステリーハンターと称しての講師。短い時間だったが中世・近世・近代に分けての話し、途中でグループワークもあり、初対面の参加者とあれやこれや話しながら作業を進める、参考になる楽しい時間だった。

 10数年前に仲間と起こした「ご当地検定」の作業以降、地元についての関心が強まり、機会があれば耳を傾けていた。今回の勉強会は中世から始まり、大方が初めての内容で、それが近世から今に連なっている、改めて認識をした。ある豪族が地域に及ぼした多方面の動きも面白く、新しい事実も知った。手慣れたパワーポイントの駆使は理解を早めた。

 ご当地検定の作業で「地元の名前の由来を知ることは郷土への理解を増す」、そんな秘話を聞いた。私の住んでいる地域はその昔「つつじが多く咲き乱れ、錦のごとく美しく見える景色ゆえ錦見(にしみ)」となったと図書館発行の書籍で読んでいたが、講師も同じ説明だった。グループワークの最後に「つつじを植えよう」と付箋に書きワークシートに残した。

 (今日の575) デジタルじゃ無くても街は続いてた
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後に続く後輩あり

2024年08月22日 | 地域

 パリ五輪では参加国第3位というメダル獲得に沸いた五輪関連の報道もまばらになり、再び大谷選手の40:40達成への報道が増えた。五輪でフェンシングにこれほど報道が時間を割いたのは初めてではないかと思った。日本で最初に五輪フェンシングで個人戦(フルーレ)でメダルを獲得したのは太田雄貴選手で銀メダルだった。それは2008年の北京五輪。

 パリ五輪フェンシング男子エペ個人戦で金メダルを獲得した加納虹輝選手はこの太田選手の活躍を機にフェンシングを始めたという。出身は愛知県だが、高校は岩国工業高校(岩工)卒で、岩工のフェンシング部が各種大会でレベルの高いことは報道で知っていた。パリで金、という東京大会終了後に宣言した通り金メダルを獲得した。

 その岩工、加納選手の卒業後も好成績を残している。加納選手の後輩の複数が今夏のインターハイに県代表選手で出場した。そのなかの一人の選手を応援する横断幕が掲げられた。それを掲げたのは、その選手が10年以上前に卒園した保育園。この園はいつもこうした形で卒園生の応援をされている。

 昨日、母校を訪問した加納選手は約400人の全校生徒にこう語ったという。「学んでいるとき五輪でメダルを取る、出場することさえ想像していなかった。ただ地味な練習をコツコツしてきた。毎日続ければ5年後、10年後に夢や目標は必ず達成できる。次のロス五輪に向けてがんばっていく」。私はその岩工を65年前に卒業した高齢者。明日から市内で20歳未満のフェンシング全国大会「加納虹輝杯」が開かれる。

 (今日の575) 応援が力になって金メダル     
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看板が消える

2024年08月18日 | 地域

 「看板」には色々な意味があるがその筆頭に「商家で屋号・職業・売品など人目に付くように記して掲げるもの」と載っている。藩政時代からあった600㍍ほどの商店街、時代によって通りの呼称は変わっていたが「何でもそろう」街だった。郊外型大型店舗の進出は昭和風商店街をシャッター通りに変えた。

 すると次第に看板は減り、シャッターの閉まった軒が連なる。やがていくつもの元店舗はモダンな一般住宅に建て替わり、空き地は駐車場などへと通りは姿を変えつつある。いま商いしているのは指折ってみても10店舗くらいになった。どうかすると通りに人の一人も車の1台も見えないことがある。

 ひじょうに分かりやすい営業品目の書かれた看板、閉店になって随分になる。慣れ親しんだ看板を見ながら通る時、いつか再開、そんな空想をするが、空想でしかないように思う。ここでは同好会や地域行事でもお世話になったことでひいき目かもしれないが、商いをしていない看板がこんな商いもあったことを教えている。

 営業中の店も今日まで盆休みの掲示が出ている。今朝5時に「外出は極力控える、運動は中止」などの呼びかけをした熱中症警戒アラートが出ている。呼びかけのエアコンを適切に使用する、を守って家にいるのが高齢者には一番安全かもしれない。

 (今日の575) シャッターが降りれば通り人途絶え
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こうして荒れていくのか

2024年08月11日 | 地域

 月に1度は通りかかるバイバス道。いつ通っても菜園で作業されている人といつからか会話するようになった。こんな話をされたのは1年くらい前になるだろうか。問わず語りに「そろそろ野菜作りを卒業しようと思うんですが、地主さんが痴ほうになられ、施設に入られ話が進まないで困ている」と元気のない声で話された。

 その借地の昔の持ち主さんを知っているので尋ねると「その家の人から借りた」と言われる。遊んだことはないが、私より数歳上の立派な子どもさんとその母親がおられたことは知っている。私も50年以上お逢いしたことは無いので、今のことは分からないが、返地の話しが進まないということは困りごとだと思って聞いた。

 暑くなる前くらいから畑で見かけなくなり、先日通ったら畑の法面は雑草がのびている。法面下の畑を見下ろすと除草シートの張られていない所には草が伸びている。法面も畑もこんなに草ぼうぼうというのは記憶にない。借地契約の話しはついたのだろうか、状況は分からないのでそう思うしかない。

 野菜が生っているときには猪の餌場になる畑だった。時には猿もやって来ると笑いながら話されたのを思い出す。この隣の畑も耕作放置され荒れ放題になっている。こうして山あいの農地は自然のなすままに変わっていくのだろうか。そばで元気に茂っている芭蕉の群生と大きな栗の木はこうした放置畑をどう思って見降ろしているのだろう。

 (今日の575) 耕作をやめると話す日焼け顔
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一滴も降らず

2024年08月04日 | 地域

 連日気温が35度から38度の間の暑さ。予報では暑さが堆積していて暑さが休むまなく押し寄せるという。暑さがうずたかく積み重なっているとは面白い表現だがこれをやわらげる方法は予報には出てこない。夕立が来れば少しは和らぐ、気象予報士の説明ではそんな感じになる。

 このところ、毎日のように雷注意報がでているものの、その音を聞かなかったが、12時50分頃、雷が静かな音で接近中を知らせる。Y!天気を開くと強い雨雲域が近づいている。「25分後に雨が降り始めます」と強い雨雲域を示す。そのまま東進すれば間違いなく強い雨に見舞われる。追っかけるように大雨と洪水注意報、すぐに警報に変わる。

 到達予想の時間になっても降らない、チェックすると到達時間は遅れると出る。雨域は確実に接近しているものの、雷の音は当初より弱くなった感じ。JR岩徳線は強い雨で運転見合わせ、我が家から車で20分の玖珂町では1時間50㍉の雨量と県防災情報、しかし期待の雨はやってこない。

 黒い雲が消えていく、どうしたのかと雨雲域を確認すると、雨雲域が写真のあたりから急に南下している。大雨は困るが待っていたひと降りが消えたことになる。結局、1滴の雨の恵みも無かった。大雨警報はほどなくして解除、代わりに明日の熱中症警報アラートがでた。「しばらく雨は降りません」とY!の天気表示は変わる。明日も一日忙しい、耐暑して頑張ろう。

 (今日の575) 雨雲に悲喜こもごもの思いあり
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