日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

姿が消えた

2016年01月04日 | 生活・ニュース


 歳神様を迎える門松、不浄なものの侵入を禁ずる印の注連縄、子どものころの記憶ほど大きく派手ではないが、今も伝統行事は続いていてほっとする。先日もミニ門松作りの会場は大勢のひとで賑わい、個性ある飾りがつくられ、会場は華やいでいた。近所では子ども達相手に注連縄作りが毎年開かれている。慣れぬ縄作りからの挑戦だが生き生きと学んでいる。

 そんな中で近年見かけなくなった正月用の飾りがある。我が家もそれを飾り付けなくなったのはいつからだろう、思い出せない。その飾りは車の注連縄。玄関に飾る注連縄に形は似ているが小さい。年の最後の仕事である洗車をして小さな注連縄を飾り付けると、いよいよ正月だという気分にもなった。

 近郊で自家用車の普及が進み始めたのは昭和40年代の中ごろと思う。その陰には公共交通の雄であったバスの減便があった。それは交替勤務者には格別な影響を及ぼした。そうした時代だからこそ車へのいたわりは高く、家を守ると同じくらい大事に扱った。しかし、車の普及につれ、家での存在価値が低下していき、箪笥や鏡台などと同じ家具の一つに変わった、というか車を持つことが普通になった。

 この時期になると車飾りをつけた車はないか、きょろきょろするが全く見かけない。最近はスーパーでも車用は売っていないように思う。若さに満ちた新しい形が登場し、伝統的な正月行事も簡素化の傾向に感じる。だが、故郷へ帰省する混雑した光景を見ると何かほっとする。「爺ちゃん婆ちゃんにあうのが楽しみ」などという小さな子のコメントを聞くと、伝統的な日本の正月姿が残っていると安堵するのは古い奴でしょうか。
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