あるみまんの本日の修行

競技者としては引退しましたが、
楽しく完走する為には、
まだまだ修行が足りません、
楽しみのために日々修行です。

ダイアリー1997その1

2005-07-30 | ダイアリー
前年の11月にK松崎プロのアドバイスを実践するために、ある決断する。
バイクが得意をやめにした、プライドを捨ててインナー42Tを39Tにチェンジした、フリーも13T~23Tのワイドレシオの設定にする。全てはハワイを目指す為に自分のレースパターンを変えようと思った。

1月 館山若潮マラソン、2年ぶりに出場するが、あるチャレンジをした。
心拍トレーニングの成果を見るために、ターゲット・ゾーンで全コースを走った。
マフェトン博士の180公式で割り出した下限135拍~上限145拍のターゲットゾーンで走りきる、一部後半の激坂ではオーバーする所もあったが、ほぼ
全コースを走ることが出来た、結果3:40:41で、イン・ゾーン3:36:20のタイムが出る、あまりの遅さに唖然、1流選手だとターゲット・ゾーン内でサブ3だそうで、私は4流選手であることを自覚する、これ以降フルマラソンレースには出るのはやめた。

2月 H野夫妻、横浜より茅ヶ崎に引っ越す、さらにJOYからエイド・ステーションへ移籍、仕事もリトル・バンガードの社員となる、この頃から徐々に一人練習に切り替える、前年びわ湖でつぶれたのは明らかにオーバーワークに原因があると悟ったための決断である、確かに実力者と練習すると一時自分のレベルも上がると思うが、それを継続するには私では力不足であった。5年間走りつづけて体も悲鳴を上げ始めたので、高負荷高頻度を低負荷高頻度に変える。

3月 H野氏より、全年ハワイで買ってきたケストレルのフレームを買ってくれな
いかとの相談を受ける、QRからの供給を受けることになったので、もう乗れない
からとの事であった、最後の頼みと思い承諾する。ハート・ヴューに持ち込み、オールディュラエースで組んでもらうも。活動資金に又、底が見えた。土曜の練習が又出来なくなる。(バイトの為)I奈さんが横浜市民病院に入院した、一大事であった、何度か見舞いに行く「負けないから、戦うからと」といつも言っていた、返す言葉が見あたらなかった。宮古島まであと1ヶ月であった。色んな思いが交錯する中、それでも練習するしかなく、自分自身のちっぽけさを改めて悟る、逆に励まされたような気がした。

4月 宮古島へ、JOYツアーは前年の倍になる、ジロー村宿泊者だけでも11名
師匠のI田氏も参加する、師弟対決第2ラウンドである。前年とは打って変わり
熱い日であった。7:30スタート、このとき初めて、海中にある応援ボードを確認「中間地点、あと半分!ワイド!」と書いてあった、前年は見る余裕が無かった。程なくスイムアップしてバイクへ、バイクは意識して押さえ気味で行くが抜かれる事はあまり無い、抜いていくのは二桁ゼッケンのシード選手だけ、抜かれるとめらめらと闘争心が沸いて抜き返したくなるが、我慢してバイクゴール。ランニングスタート、明らかに前年と違う、足が前に出る、足が残っているという状態を初めて体感、折り返して、30km付近の上り坂で、T峰氏に会う、すれ違い様に順位を教えてもらう、「90位だぞ~」と「うそだろ~」と思った、「本当なら来年シードじゃん」ランに力が入ったさらに加速(気持ち的にはであるラップは確実に落ちていた)残りの距離で3人抜く、市内に帰ってきてすうさんの背中を確認するも距離がありすぎた、競技場のゲートの前でさらに一人抜いて、ガッツポーズで競技場を半周、そしていつものパフォーマンス後ゴールテープを切った9:23:33 86位(シード獲得)完走、師匠に先着する、ロングでは初めてであった。あとはびわ湖での完全決着へ、、、

5月 休養もそこそこに、びわ湖に向けて再始動、6月29日のびわ湖をピーク
にするため、強化期を6週間に設定ひたすら修行(「本日に修行」はこの
頃からである)5/1~6/13で122時間、スイム48300m、バイク、1338km(自走)エアロバイク、280km(1時間30kmとして加算)ランニング、461kmを達成、体脂肪が7.6%になる。あとにも先にもこれ以上やったことは無い。しかしK村氏は同じ量を1ヶ月で達成していた、(参りまた、、、)びわ湖が待ちどうしかった。、、、バイクは今の愛車ケストレルに変わっていたが、まだ乗りこなしてはいなかったと思う、ポジションがいまいちであった。それでも不安はなかった、、、、思いはびわ湖へ募る。

6月 15日の熱海行きのロングライドを最後にテーパに入る、ハート・ビューへ
バイクを整備に出し、ポジションの微調整、DHバーの肘掛を上げてもらう、20mmを25mmにしてパットを厚いものに変えたら呼吸が楽になった。27日びわ湖へ出発、同行者はすーさんと彼女の玲ちゃん(現すー夫人)なりすけ君とは中井で合流、なりすけ君とは初めての遠征であった、中井ではH野氏引きいるエード・ステーション軍団とも合流、K村氏はそちらでの参加、宿泊はなんと彦根プリンスとのこと、リッチである。私たち4人はいつもの「千松園」であった。

彦根到着、すぐに選手登録に、来年のびわ湖開催要望の署名を地元ボランティア
の方がやっていた、「もう来年は無いんだと」改めてことの重さをかみ締めた。
既にTJ誌上に「今年限りか?」という記事が掲載されていたが、新聞発表もあり
事実であったことを重く受け止める。選手登録を済ませ宿へ、なりすけ君は夜勤
明けなので、速昼寝をした、再び彦根へ競技説明会に出向く、終わり前退席しよ
うと何十人かの人たちが席を立ち、競技委員から注意を受ける、「今年で最後に
なってしまうのは、お前たちみたいなマナーの悪いやつがいるからだぞ」と心の
中で言った。説明会後カーボ・パーティーへ、池田氏、小松崎プロ、にあう、釜石
の鉄人、T 洋氏とは一年ぶりの再会、話が弾んだ、翌朝、松原水泳場で、すー
さんと泳ぎ、朝食後、ゴールの長浜ドームまでバイクの試走に、午後バイクを預託
後、I田氏とランニングで彦根城見学に、「もう来ることも無いんだね~」「最後だから見学しておこうか、」最初で最後の彦根城見学であった。

エピソード  「千松園」は鉄人くらわんかの定宿でもあった、くらわんかのバイクのメカニックの人がバイクメンテナンス中、S本さんが(ちゃんこさん)城本バイクでやって来て、「お~わしのも見てくれんか!」と開口一番、「お前、自転車屋やろぉが~」とメカニックの人「お~わしは売るのはうまいじゃが、直すのはよーやらんのんよぉ~」と城本さん、吉本の漫才を見ているようでおかしかった。本当に直してもらっていたのはもっと笑えた。

昼ごろから強風が吹いていて、まるで海のような波が立っていた、夕方さらに強く
なる、中止になるのかと?心配であった、夕食は豪華版で4人で感激した、何が
出たのは覚えていないが、豪華であったことだけは覚えている。翌朝彦根プリンスへ、スイムが中止になる、バイク&ランで開催とのこと、がっくりときたが、すぐ気持ちを切り替えた、ゼッケン順の時間差スタートを待つ、センサー感知後バイクスタート、風が強く翻弄された、時折雨も降り路面がすべる山間部では転倒する人も多く、小川に落ちてるバイクもあった。

何とか無事にバイク終了ランニングへ、宮古島と一緒で足が軽いような気がしたが、強風の中の180kmである、やはり必要以上に足を使ったようである。ペースは上がらない、しかし落ち込みもあまり無い、25km付近、横浜鉄人会のT越氏に追いつく、湖岸道路に出た、風は相変わらず強く帽子が何度も飛びそうになる、30km付近でまたしても池田氏に追いつかれるが、時間差スタートで20
分、私にビハインドがある、このまま背中の見える距離を保てば私の勝ちだと思うが、I田氏もそれは百も承知で、抜く前に「20分差をつけますよ」と言って抜いていく、ペースを上げた。私も必死で追いていく、長浜市内に入り残り5kmI田氏に追いつくが抜けない、彼も意地を見せる、残り2kmI田氏スパート最後の意地を見せた、これには追いていくことが出来ず、おいていかれた、

私もラストスパートのようなことをして(スパートとはいえない)長浜ドームへ
ゴールテープを駆け抜けた、今回万歳ゴールはせず普通に駆け抜ける。先にテープを切っていたI田氏とがっちりと握手、「やられましたね、」とI田氏20分差をつけることは出来ず、去年の決着が付いた。しばらくしてなりすけ君すーさんもゴール、すーさんはドラフティングでペナルティーをとられたそうで自分だけ取られたと憤慨していた、一緒にいたのはS本さん(ちゃんこさん)であったそうだ。

エピソード 翌日彦根プリンスのカフェテリアにすーさん、玲ちゃんといたところ
城本さんがきて、すーさんに「昨日は気の毒やったなぁ~」「申し訳ないなぁ~」
と、「あれはないですよね~」とすーさん、「マーシャルもわしには言えんのよ~」と城本さん、悪いのはS本さんであったようだが妙に納得してしまった。

ゴール後I田氏が自分も疲れているにもかかわらず、車で私たちを千松園まで送ってくれた、ありがたかった。その日の夕食は前日よりさらに豪華版で、鹿肉のステーキと鮎の塩焼きだけはめちゃくちゃ美味しくて、今でも覚えていた。翌朝すーさん、なりすけ君と昨日泳ぐことの無かった松原水泳場に行き写真を撮る、宿に戻り精算するとき女将さんが、「来年は、御こしにはならはりませんのやろ~」と(この表記は正しい近江弁ではないかも知れませんがあしからず)寂しそうであった。

アワードへ行く、I田氏、K村氏、H野氏、たちと合流、T 洋氏とも合流さらにハート・ビューのチームメイト、I出K範氏とも合流、話が弾んだ、ハワイへのコールが始まる、濱野氏、川村氏、なりすけ君、コールされハワイをゲット、私のNOはコールされなかった、しかし思い切りやったと言う実感が強く、修行もこれ以上できないという所までやった、悔いは無かったが、髪をどうしようかと思った、(前年のびわ湖から切って無かったのでかなりの長髪)ハワイへ行くまで切らないといってしまったので、、、、、宗旨替えするか、、、

第13回 アイアンマン・ジャパン・イン・びわ湖(バイク&ラン)

1997/6/29  9:19:57 141位(エージ42位)完走

2週間後、滋賀県教育委員会(びわ湖の主催者)よりロールダウンされたとの
連絡が入る、嬉しかった!!

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