びわ湖より2週間後、ロールダウンでハワイの切符を手に入れた、嬉しいが現実
は厳しい、休みは取れるか?旅費は?その他色々、年明けには長男の高校受験
も控えており、問題は多かったが、家族の理解だけが救いであった。
7月後半より旅費稼ぎのアルバイトの日数が増える、土曜、日曜の区別無くやる
当然お盆休みは全部バイト、西武トラベルへの振込期日までひたすらバイト、何とか旅費は稼ぎ出して一安心したが、練習はびわ湖前の半分に減ってしまう、完走だけを目的に切り替えた。あとは有給休暇の許可を貰うのみ、1番の問題である。
9日間の要求を2日削られたが何とかOKを貰い一安心する、同行者はなりすけ君
なんとなく珍道中の予感、、、、、
10月 この年日産カップは10月開催でグレン・マンガム選手が3連覇をした、
JOYの仲間と供にスイムボランティアをやる、いよいよ来週はハワイだ。
15日、成田よりハワイへ、西武トラベルの不手際で重量オーバーの超過料金
を請求されるが、込みこみの値段だと(旅費に含む)突っぱねる。西武の担当者
に連絡してようやくOKが出る、担当者の連絡ミスであった。ごたごたしたが
無事に出発する、ホノルル経由でハワイ島へ、ついにコナ空港へ降り立つ
タクシーでキングカメハメハリゾートへ、もう気分はアイアンマン一色、早々に
色んなブースを見て回る、初日はこんな感じで過ぎていく、夕食には、飛行機も
一緒であった、新潟のH谷川S治氏と供に外のレストランで取る、何を食したか
覚えていない、
翌日、カイルア・コナで泳ぐ、ビーチの狭さには驚いた、1200人も入れるのかなと思った、水は辛い。ここでK村氏、H野氏、H夫妻と合流、彼らはコンドミニアムに宿泊していた、今日のカーボのためにキンカメの駐車場のチケットを頼まれた、フロントで説明できず、「ぱーきんぐチケットプリーズ!」と言うとくれた。
夜 カーボパーティーに行く、オフシャルのホテルなので移動時間が少なくて
良い、なんだかめちゃくちゃ人が多い、とりあえず席を確保、料理の種類、量は
豊富であったが、正直美味くない、それでも「今年は良い方だ」とK村氏、5回目ともなると、手馴れたものである、抽選でアイアンマンに出場する、アメリカ本土の人のビデオが流され大いに受けていた、英語は解らなかったが、廻りが笑うので
一緒に笑う、ほんとの意味は解らず、意外だったのは、なりすけ君が結構堪能
であったことで。彼が通訳してくれた。(本当です、買い物等ちゃんと会話になってました。)とにかく料理はまずいが、カーボは楽しかった。
翌朝再びビーチへ、オフシャルのスイムキャップなどを配っていた。2枚貰う、
昨日コナで結婚式を挙げた、K藤夫妻が、ビーチに私を訪ねてきてくれた、K藤氏
は瀬谷在住で、共通の友人を介してお互いの存在をしったが、会うのは初めてで
あった。今回は婦人が選手で、私と同じく初ハワイであった、氏はびわ湖とカナダで惜しくも逃したそうで、「私の分も頑張ってください」などと言うが、頑張れるほど練習はしてないので、正直に現状を話しておいた、「それでも頑張ってください」と無理難題を言われたので困ってしまう、悪気は無いからまぁ良いか。
前日 バイクの試走を60kmほどしたのでこの日は行くつもりは無かったのだが
なりすけ君に付き合い、パンクしてしまった。スペアにするつもりでいたタイヤで
あったが、スペアが1本では心細いので、何とか感とか(名前を忘れた)いう
有名なTAショップへ、T-UFOの日本では赤いやつが60ドルもしてびっくり
「たけぇ~よ」となりすけ君、私もそう思ったが背に腹は変えられず、購入する。
ホテルに帰り、タイヤを決戦用に張替え、つけてた物と購入した物をスペアに
して、再整備後預託に、日本人ボランティアも大勢いて、「頑張ってください」と
声を掛けられる、人の自転車など観察していると、トップチューブにパワーバー
を沢山貼り付けている自転車を発見、いまどき珍しいな見てると、持ち主がやっ
てきた、なんとすーさんの後輩のM月まこと君(もっち)であった、彼とはコナ空港でも会っていたが、しばし談笑、思い切りパワーバーのことを笑うと、全フレーバーを付けたと自慢げにいう。面白い男である。トントラ(東北大学TA部)もワコーズに負けず劣らずで面白い!!時差ボケがひどくなってきたが、いよいよ明日は、アイアンマンである。
時差ぼけで熟睡できない、何度も起きた、いつの間にかAM3:30起きる時間
になる、西武トラベル参加者のみ、おにぎりと味噌汁の朝食が用意されていて
これは嬉しかった、会場に行く、ナンバーリングをしてバイクに空気をいれた、
部屋に戻りしばし休息、H夫妻とH谷T夫君がトイレを借りに来た、陽子さんはだいぶナーバスになっていて、ご主人に当り散らす、そんなやり取りを見るとこちらまで緊張してくる、いい迷惑だと思った。後日なりすけ君と「人の部屋で夫婦喧嘩しやがって!」と笑い話になる。
スイム会場に、夜が明けてくる。狭いビーチは選手でいっぱいである、岩で足を
切らないように、JALの機内で貰ったサンダルを履いていく、スタート前にそばにいた応援の女性に(多分アメリカ人)にさしあげる。「サンキュー!!」と言ったような言わないような、きっと迷惑だっただろう。
スタート!!廻りはみんな速い、あっという間に回りはいなくなりすごく泳ぎやすいひたすらマイペースで、折り返しのヨットが見えた、折り返すと朝日がまぶしく、ミラーレンズが必要なことが良くわかった。オープンウォーターでのノーウエットスイムは初めてであった、自分のスイムはだいぶスーツに助けられていたことが良く解った。
スイムゴール、バイクトランジットへ、バイクの少なさにびっくり、ボランティアは一人に一人必ず付いてくれて適切な指示をくれる、英語は解らないが、解る
単語が出るとニアンスは理解できた。バイクスタート、キンカメの前の激坂で
HN之氏が応援していた、解ったようで声を掛けてくれた、長いバイクが始まる
クイーンKは単調で辛い、右は溶岩台地、左も同じく、眠くなるのは本当であった
何度かこけそうになる。折り返すと今度は向かい風が辛い、下りでも漕がなけれ
ば進まない、登りはもっと進まないこんなに辛いバイクは初めてであった、
さらに給水の水にあたったようで腹まで変調をきたす、とうとう我慢できずバイク
を降りて、溶岩台地にしゃがむ、、、、、、、正直私のレースはここで終わった。
120km付近であった、このあとは固形物を全く受け付けなくなり、バイクゴールでは、ハンガーノック寸前であった。ボランティアは献身的で、へたっていると着替とか手伝ってくれる、日焼け止めとかは両手にてんこ盛りで、厚さ3mmくらいに塗ってくれた。おいおい塗りすぎじゃねーの思ったが、塗られた後なのでどうしようも無く、あきらめるが、厚さ3mmの意味がゴール後解った。
コーラを三杯飲んで、ランスタート、アーリードライブを走り始める、庭先にデッキチェアーを出してみんな応援してくれる。ヘロヘロなので手を上げる元気も無い
5km付近「アルミさ~ん歩いちゃだめっすよ~」との声、なりすけ君であった。
彼のランは切れていた、あっという間に見えなくなる。このあと完全につぶれた
クイーンKも全部歩く、エナジーラボの入り口でM月君(もっち)が「アルミさん!ガンバ!!」と声を掛けてくれたが、頑張れない!!エナジーラボでは日が
沈んだ、夕日が綺麗であった。これが見たかったんだなと思い、胸が熱くなる
なぜか涙が出てきた。再びクイーンKを歩く、日は完全に落ちて真っ暗である、
今年はユダヤのお祭りと重なったために「満月に一番近い土曜日」の開催で
は無く、「満月に一週間早い土曜日」の為、月明かりは無く、その代わり満天の
星空であった、同じくつぶれて歩くアメリカ人選手が「ユアーラッキーマン、何とかかんとか、スター何とかカンとか」と話しかけてきた、指で星空を指差しながら
言ったので意味は解った、星が見えるアイアンマンは初めてなんだそうで
だからお前はラッキーだということなのであろう、「大きなお世話だ馬鹿野郎」と
笑いながらいってやった。彼も笑っていた、意味は解らなかったのであろう。
35km付近のエードで暖かいコンソメスープを飲む、クラッカーも食べられた、
少し元気が出てきた。歩きながらグゥーのチョコレート味を食べる(飲む?)
これは利いた、少し走れた。キンカメが見えてきた、又涙がでた。毛布をまとった
ホームレス風のおじさんが「ユァー・グレィティストメン!!何とかカンとかティァー」と声を掛けてくれた。泣いてはいけないと言う事なのだろう、嬉しかった。「サンキュー・メーン」と返す。一気に下りアーリードライブへ、あと2km、完全に復活する、ウイニングロードは観客で一杯、全員とタッチしたかったがそれは無理「タカーシ・ナガーノ・フロム・ジャパーン」「ジャパニーズ・サムライ!!」「コングラッチレーション」と場内放送が聞こえた。ゴール前振り返り、「さんきゅう・べりぃまっち・あいらぶゆう」と言って万歳ゴールをする。けっこう受けた。
※「ジャパニーズ・サムライ!!」の意味はこの当時前年より伸ばしていた髪が
かなり長く、後ろで束ねていて、束ねた髪をキャップのサイズ調整の空きから
出していた為、髷に見えたのであろうと推測する。
エピソード 水あたりの件を翌日アワードでみんなに話すと、K村氏いわく
「え~水飲んだんですか?」「エイドの水はだめですよ」「まずくてもドリンク
にしなきゃ」と、、、レース前に言って欲しかった、、、、
エピソード 日焼け止め3mm厚の意味、そのくらい塗ってもバリバリに
日焼けする、翌年の宮古島の時まで、ナンバーリングの後がわかるくらい
焼けていた。
ゴール後記念写真をとられ、その後マッサージを受ける、ホテルに戻ると
なりすけ君とH陽子さんが待っていた、お互い健闘をたたえあう、
風呂へ入る、湯を出しながら眠ってしまった、溺れる寸前になりすけ君に助け出
れた、彼は命の恩人である。最終ゴールを見に行く、お祭り騒ぎであった。
長い熱い一日が終わる、自分だけのゴールを初めて体験した。
ハワイを目指して7年、トライアスロンデヴューして6年経っていた、夢は叶うものだとこのとき実感する、この日私は「アイアンマン」になった。
翌朝、まだ夢の中にいるような感じで目覚める、なりすけ君はもう既に起きて
朝の散歩に行ったようであった。朝食後バイクを引き取りにコナ・コースト・リゾートへ、西武トラベルの用意してくれたバスに、顔パスでS本さん(ちゃんこさん)とM塚選手も乗り込んできた(乗車前ミーハーのなりすけ君が宮塚選手と並んで写真を撮ったのは言うまでも無い)ほとんどの選手は、アーリードライブをジョギングしながら、コナコーストへ向かっていた、改めて外国人選手(ここでは私たちが外国人であるが)の身体的強さに驚く、何人かの日本人も走っていが、、、、
バイクを引き取り写真を買いホテルに戻る、昼食は西武主催の日本人完走パーティーがあり、出席するが、暑くて早々に退散、なりすけ君とスーパーへ最後の買い物に、色々買い込みホテルでパッキング、バイクケースにも色々詰め込む夜、アワードパーティに、K村氏、H野氏、H夫妻、新潟のH谷川S治氏と合流する、ファイヤーダンスやら、色々なことをしてたみたいだが、記憶にあまり残っていない、表彰式がはじまる、女子優勝はヘザー・ファー、総合優勝はトーマス・ヘルリーゲルであった。エージ優、入賞に何人かの日本人選手も壇上に上がった、同じ時間と感動を共有してそしてパーティーは終った。
翌日、コナ空港へ、空港へ向かうバスの中で、帰りのチケットが無いと、なりすけ
君が真っ青になる、添乗員さんは手馴れたもので「このままハワイに残ってくださ
い」と本気とも冗談ともつかない返事、バスの中大爆笑、なりすけ君のほかに
もチケット不明者1名あり、そちらも泣きそうな顔に、空港に着くなりバイクケースを開けて、せっかくパッキングした、荷物を出してチケットを探す。ありました、なりすけ君ほっとした顔と残念そうな顔が入り混じる、ハワイに残りたかったのかな?K村氏と成田で落ち合う確認をして、K村氏は一足先に帰国、私たちも
ホノルルへ、トランジットの待ち時間、なりすけ君体調が悪くなる、今朝凍った
パインの缶詰を食べてそれに当たったようである、搭乗後、スチュワーデスのお姉さんに薬を貰い、3座席つぶして成田まで寝ていく羽目になる、最後にやってくれました、それでも無事に成田着、新潟のH谷川S治氏ともここでお別れ、「佐渡か、村上で会いましょう」と握手して別れる、北ウィングにK村氏がいるので、成田パーキングの送迎車を廻してもらいK村氏をピックアップ、夕方の渋滞にはまる前に都内をクリアして帰宅した。
翌日朝、美容院へ、二年半伸ばした髪を切った。夢のような一週間が終わる。
ハワイ以降、心に穴が開いてしまったようで、燃え尽きたのか、疲れたのかは
解らないが、練習はするものの、いまいち力が入らず、それでも11月には
宮古島に申し込む、この年はシードを取っていたので、気は楽であった。
12月、宮古島よりクリスマスプレゼントがきた、出場決定である。とりあえず
目標ができたが、心にはまだ穴が開いていたと思う。
4月 全日本トライアスロン宮古島 9:23:33 86位完走(シード獲得)
6月 アイアンマン・ジャパン・びわ湖(バイク&ラン)9:19:57 141位完走
10月 アイアンマン・ハワイ 12:44:10 1017位完走
1997練習合計
スイム 271600m
バイク 7259km
ランニング 2590km
自分の心の中で、違うトライアスロン(ハワイにいく為だけではない)が目覚め
つつあることに気づいたシーズンの終わりであった。
は厳しい、休みは取れるか?旅費は?その他色々、年明けには長男の高校受験
も控えており、問題は多かったが、家族の理解だけが救いであった。
7月後半より旅費稼ぎのアルバイトの日数が増える、土曜、日曜の区別無くやる
当然お盆休みは全部バイト、西武トラベルへの振込期日までひたすらバイト、何とか旅費は稼ぎ出して一安心したが、練習はびわ湖前の半分に減ってしまう、完走だけを目的に切り替えた。あとは有給休暇の許可を貰うのみ、1番の問題である。
9日間の要求を2日削られたが何とかOKを貰い一安心する、同行者はなりすけ君
なんとなく珍道中の予感、、、、、
10月 この年日産カップは10月開催でグレン・マンガム選手が3連覇をした、
JOYの仲間と供にスイムボランティアをやる、いよいよ来週はハワイだ。
15日、成田よりハワイへ、西武トラベルの不手際で重量オーバーの超過料金
を請求されるが、込みこみの値段だと(旅費に含む)突っぱねる。西武の担当者
に連絡してようやくOKが出る、担当者の連絡ミスであった。ごたごたしたが
無事に出発する、ホノルル経由でハワイ島へ、ついにコナ空港へ降り立つ
タクシーでキングカメハメハリゾートへ、もう気分はアイアンマン一色、早々に
色んなブースを見て回る、初日はこんな感じで過ぎていく、夕食には、飛行機も
一緒であった、新潟のH谷川S治氏と供に外のレストランで取る、何を食したか
覚えていない、
翌日、カイルア・コナで泳ぐ、ビーチの狭さには驚いた、1200人も入れるのかなと思った、水は辛い。ここでK村氏、H野氏、H夫妻と合流、彼らはコンドミニアムに宿泊していた、今日のカーボのためにキンカメの駐車場のチケットを頼まれた、フロントで説明できず、「ぱーきんぐチケットプリーズ!」と言うとくれた。
夜 カーボパーティーに行く、オフシャルのホテルなので移動時間が少なくて
良い、なんだかめちゃくちゃ人が多い、とりあえず席を確保、料理の種類、量は
豊富であったが、正直美味くない、それでも「今年は良い方だ」とK村氏、5回目ともなると、手馴れたものである、抽選でアイアンマンに出場する、アメリカ本土の人のビデオが流され大いに受けていた、英語は解らなかったが、廻りが笑うので
一緒に笑う、ほんとの意味は解らず、意外だったのは、なりすけ君が結構堪能
であったことで。彼が通訳してくれた。(本当です、買い物等ちゃんと会話になってました。)とにかく料理はまずいが、カーボは楽しかった。
翌朝再びビーチへ、オフシャルのスイムキャップなどを配っていた。2枚貰う、
昨日コナで結婚式を挙げた、K藤夫妻が、ビーチに私を訪ねてきてくれた、K藤氏
は瀬谷在住で、共通の友人を介してお互いの存在をしったが、会うのは初めてで
あった。今回は婦人が選手で、私と同じく初ハワイであった、氏はびわ湖とカナダで惜しくも逃したそうで、「私の分も頑張ってください」などと言うが、頑張れるほど練習はしてないので、正直に現状を話しておいた、「それでも頑張ってください」と無理難題を言われたので困ってしまう、悪気は無いからまぁ良いか。
前日 バイクの試走を60kmほどしたのでこの日は行くつもりは無かったのだが
なりすけ君に付き合い、パンクしてしまった。スペアにするつもりでいたタイヤで
あったが、スペアが1本では心細いので、何とか感とか(名前を忘れた)いう
有名なTAショップへ、T-UFOの日本では赤いやつが60ドルもしてびっくり
「たけぇ~よ」となりすけ君、私もそう思ったが背に腹は変えられず、購入する。
ホテルに帰り、タイヤを決戦用に張替え、つけてた物と購入した物をスペアに
して、再整備後預託に、日本人ボランティアも大勢いて、「頑張ってください」と
声を掛けられる、人の自転車など観察していると、トップチューブにパワーバー
を沢山貼り付けている自転車を発見、いまどき珍しいな見てると、持ち主がやっ
てきた、なんとすーさんの後輩のM月まこと君(もっち)であった、彼とはコナ空港でも会っていたが、しばし談笑、思い切りパワーバーのことを笑うと、全フレーバーを付けたと自慢げにいう。面白い男である。トントラ(東北大学TA部)もワコーズに負けず劣らずで面白い!!時差ボケがひどくなってきたが、いよいよ明日は、アイアンマンである。
時差ぼけで熟睡できない、何度も起きた、いつの間にかAM3:30起きる時間
になる、西武トラベル参加者のみ、おにぎりと味噌汁の朝食が用意されていて
これは嬉しかった、会場に行く、ナンバーリングをしてバイクに空気をいれた、
部屋に戻りしばし休息、H夫妻とH谷T夫君がトイレを借りに来た、陽子さんはだいぶナーバスになっていて、ご主人に当り散らす、そんなやり取りを見るとこちらまで緊張してくる、いい迷惑だと思った。後日なりすけ君と「人の部屋で夫婦喧嘩しやがって!」と笑い話になる。
スイム会場に、夜が明けてくる。狭いビーチは選手でいっぱいである、岩で足を
切らないように、JALの機内で貰ったサンダルを履いていく、スタート前にそばにいた応援の女性に(多分アメリカ人)にさしあげる。「サンキュー!!」と言ったような言わないような、きっと迷惑だっただろう。
スタート!!廻りはみんな速い、あっという間に回りはいなくなりすごく泳ぎやすいひたすらマイペースで、折り返しのヨットが見えた、折り返すと朝日がまぶしく、ミラーレンズが必要なことが良くわかった。オープンウォーターでのノーウエットスイムは初めてであった、自分のスイムはだいぶスーツに助けられていたことが良く解った。
スイムゴール、バイクトランジットへ、バイクの少なさにびっくり、ボランティアは一人に一人必ず付いてくれて適切な指示をくれる、英語は解らないが、解る
単語が出るとニアンスは理解できた。バイクスタート、キンカメの前の激坂で
HN之氏が応援していた、解ったようで声を掛けてくれた、長いバイクが始まる
クイーンKは単調で辛い、右は溶岩台地、左も同じく、眠くなるのは本当であった
何度かこけそうになる。折り返すと今度は向かい風が辛い、下りでも漕がなけれ
ば進まない、登りはもっと進まないこんなに辛いバイクは初めてであった、
さらに給水の水にあたったようで腹まで変調をきたす、とうとう我慢できずバイク
を降りて、溶岩台地にしゃがむ、、、、、、、正直私のレースはここで終わった。
120km付近であった、このあとは固形物を全く受け付けなくなり、バイクゴールでは、ハンガーノック寸前であった。ボランティアは献身的で、へたっていると着替とか手伝ってくれる、日焼け止めとかは両手にてんこ盛りで、厚さ3mmくらいに塗ってくれた。おいおい塗りすぎじゃねーの思ったが、塗られた後なのでどうしようも無く、あきらめるが、厚さ3mmの意味がゴール後解った。
コーラを三杯飲んで、ランスタート、アーリードライブを走り始める、庭先にデッキチェアーを出してみんな応援してくれる。ヘロヘロなので手を上げる元気も無い
5km付近「アルミさ~ん歩いちゃだめっすよ~」との声、なりすけ君であった。
彼のランは切れていた、あっという間に見えなくなる。このあと完全につぶれた
クイーンKも全部歩く、エナジーラボの入り口でM月君(もっち)が「アルミさん!ガンバ!!」と声を掛けてくれたが、頑張れない!!エナジーラボでは日が
沈んだ、夕日が綺麗であった。これが見たかったんだなと思い、胸が熱くなる
なぜか涙が出てきた。再びクイーンKを歩く、日は完全に落ちて真っ暗である、
今年はユダヤのお祭りと重なったために「満月に一番近い土曜日」の開催で
は無く、「満月に一週間早い土曜日」の為、月明かりは無く、その代わり満天の
星空であった、同じくつぶれて歩くアメリカ人選手が「ユアーラッキーマン、何とかかんとか、スター何とかカンとか」と話しかけてきた、指で星空を指差しながら
言ったので意味は解った、星が見えるアイアンマンは初めてなんだそうで
だからお前はラッキーだということなのであろう、「大きなお世話だ馬鹿野郎」と
笑いながらいってやった。彼も笑っていた、意味は解らなかったのであろう。
35km付近のエードで暖かいコンソメスープを飲む、クラッカーも食べられた、
少し元気が出てきた。歩きながらグゥーのチョコレート味を食べる(飲む?)
これは利いた、少し走れた。キンカメが見えてきた、又涙がでた。毛布をまとった
ホームレス風のおじさんが「ユァー・グレィティストメン!!何とかカンとかティァー」と声を掛けてくれた。泣いてはいけないと言う事なのだろう、嬉しかった。「サンキュー・メーン」と返す。一気に下りアーリードライブへ、あと2km、完全に復活する、ウイニングロードは観客で一杯、全員とタッチしたかったがそれは無理「タカーシ・ナガーノ・フロム・ジャパーン」「ジャパニーズ・サムライ!!」「コングラッチレーション」と場内放送が聞こえた。ゴール前振り返り、「さんきゅう・べりぃまっち・あいらぶゆう」と言って万歳ゴールをする。けっこう受けた。
※「ジャパニーズ・サムライ!!」の意味はこの当時前年より伸ばしていた髪が
かなり長く、後ろで束ねていて、束ねた髪をキャップのサイズ調整の空きから
出していた為、髷に見えたのであろうと推測する。
エピソード 水あたりの件を翌日アワードでみんなに話すと、K村氏いわく
「え~水飲んだんですか?」「エイドの水はだめですよ」「まずくてもドリンク
にしなきゃ」と、、、レース前に言って欲しかった、、、、
エピソード 日焼け止め3mm厚の意味、そのくらい塗ってもバリバリに
日焼けする、翌年の宮古島の時まで、ナンバーリングの後がわかるくらい
焼けていた。
ゴール後記念写真をとられ、その後マッサージを受ける、ホテルに戻ると
なりすけ君とH陽子さんが待っていた、お互い健闘をたたえあう、
風呂へ入る、湯を出しながら眠ってしまった、溺れる寸前になりすけ君に助け出
れた、彼は命の恩人である。最終ゴールを見に行く、お祭り騒ぎであった。
長い熱い一日が終わる、自分だけのゴールを初めて体験した。
ハワイを目指して7年、トライアスロンデヴューして6年経っていた、夢は叶うものだとこのとき実感する、この日私は「アイアンマン」になった。
翌朝、まだ夢の中にいるような感じで目覚める、なりすけ君はもう既に起きて
朝の散歩に行ったようであった。朝食後バイクを引き取りにコナ・コースト・リゾートへ、西武トラベルの用意してくれたバスに、顔パスでS本さん(ちゃんこさん)とM塚選手も乗り込んできた(乗車前ミーハーのなりすけ君が宮塚選手と並んで写真を撮ったのは言うまでも無い)ほとんどの選手は、アーリードライブをジョギングしながら、コナコーストへ向かっていた、改めて外国人選手(ここでは私たちが外国人であるが)の身体的強さに驚く、何人かの日本人も走っていが、、、、
バイクを引き取り写真を買いホテルに戻る、昼食は西武主催の日本人完走パーティーがあり、出席するが、暑くて早々に退散、なりすけ君とスーパーへ最後の買い物に、色々買い込みホテルでパッキング、バイクケースにも色々詰め込む夜、アワードパーティに、K村氏、H野氏、H夫妻、新潟のH谷川S治氏と合流する、ファイヤーダンスやら、色々なことをしてたみたいだが、記憶にあまり残っていない、表彰式がはじまる、女子優勝はヘザー・ファー、総合優勝はトーマス・ヘルリーゲルであった。エージ優、入賞に何人かの日本人選手も壇上に上がった、同じ時間と感動を共有してそしてパーティーは終った。
翌日、コナ空港へ、空港へ向かうバスの中で、帰りのチケットが無いと、なりすけ
君が真っ青になる、添乗員さんは手馴れたもので「このままハワイに残ってくださ
い」と本気とも冗談ともつかない返事、バスの中大爆笑、なりすけ君のほかに
もチケット不明者1名あり、そちらも泣きそうな顔に、空港に着くなりバイクケースを開けて、せっかくパッキングした、荷物を出してチケットを探す。ありました、なりすけ君ほっとした顔と残念そうな顔が入り混じる、ハワイに残りたかったのかな?K村氏と成田で落ち合う確認をして、K村氏は一足先に帰国、私たちも
ホノルルへ、トランジットの待ち時間、なりすけ君体調が悪くなる、今朝凍った
パインの缶詰を食べてそれに当たったようである、搭乗後、スチュワーデスのお姉さんに薬を貰い、3座席つぶして成田まで寝ていく羽目になる、最後にやってくれました、それでも無事に成田着、新潟のH谷川S治氏ともここでお別れ、「佐渡か、村上で会いましょう」と握手して別れる、北ウィングにK村氏がいるので、成田パーキングの送迎車を廻してもらいK村氏をピックアップ、夕方の渋滞にはまる前に都内をクリアして帰宅した。
翌日朝、美容院へ、二年半伸ばした髪を切った。夢のような一週間が終わる。
ハワイ以降、心に穴が開いてしまったようで、燃え尽きたのか、疲れたのかは
解らないが、練習はするものの、いまいち力が入らず、それでも11月には
宮古島に申し込む、この年はシードを取っていたので、気は楽であった。
12月、宮古島よりクリスマスプレゼントがきた、出場決定である。とりあえず
目標ができたが、心にはまだ穴が開いていたと思う。
4月 全日本トライアスロン宮古島 9:23:33 86位完走(シード獲得)
6月 アイアンマン・ジャパン・びわ湖(バイク&ラン)9:19:57 141位完走
10月 アイアンマン・ハワイ 12:44:10 1017位完走
1997練習合計
スイム 271600m
バイク 7259km
ランニング 2590km
自分の心の中で、違うトライアスロン(ハワイにいく為だけではない)が目覚め
つつあることに気づいたシーズンの終わりであった。
は思いますが、、、、、