先日彦山で見た道端の地蔵さまの印象が強烈で今も脳裏に残っている。
首が破壊され新たにセメントなどで修理された石仏はこれまでも目にしたことがあるが、その地蔵さまのものであったろう頭部が足下に置いてあったのは初めてのことだ。さらし首を見るようで禍々しく感じるのは私だけだろうか。
道端の地蔵さま
この時点では気づかなかった。お参りをしようと近づいたら…
お顔が新しいものにすげ替えられていた。
足下に目をやると…
「えっ!」と思った。
この頭部はこの地蔵さまのものでは?
もしそうだとしたら、修理をした後でこの頭部が発見されのだろうか。
初めから近くにあったのならこの頭部をセメントで付けるはずだから。
それとも別の石仏の頭部だろうか…
どういう経緯でこうなったかは分からないが、切り離された首がなんとも痛々しい。
この日最後に訪れた虚空蔵堂でも、祀ってある石仏のいくつかは頭部が修理されたものだった。
首が破壊され新たにセメントなどで修理された石仏はこれまでも目にしたことがあるが、その地蔵さまのものであったろう頭部が足下に置いてあったのは初めてのことだ。さらし首を見るようで禍々しく感じるのは私だけだろうか。
道端の地蔵さま
この時点では気づかなかった。お参りをしようと近づいたら…
お顔が新しいものにすげ替えられていた。
足下に目をやると…
「えっ!」と思った。
この頭部はこの地蔵さまのものでは?
もしそうだとしたら、修理をした後でこの頭部が発見されのだろうか。
初めから近くにあったのならこの頭部をセメントで付けるはずだから。
それとも別の石仏の頭部だろうか…
どういう経緯でこうなったかは分からないが、切り離された首がなんとも痛々しい。
この日最後に訪れた虚空蔵堂でも、祀ってある石仏のいくつかは頭部が修理されたものだった。