TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

「湯守の宿にひと夜寝て…」 吉井勇の歌碑を訪ねて

2022年03月30日 | 吉井勇


雲仙の湯守の宿にひと夜寝て歌など思う旅つかれかも
吉井勇


「湯守の宿」のロビーには、ホテルに改名する前の「湯元旅館」の看板が大切に飾ってありました。
フロントの方の説明では、この看板も吉井勇の字だそうです。

「湯守の宿」は、今は「湯元ホテル」と言いますが、その入り口に吉井勇の歌碑が建っています。



右側のがそれです。



いつもはこの石碑を見るだけでしたが、今回は湯守の宿に泊まることにしました。




温泉もですが、湯守の宿には、さらなるお宝がありました。



吉井勇に関する展示コーナーです。



吉井の書


書を前に、説明してくれているホテルの方に
「譲っていただけませんか」
「こちらはホテルの所有ではなく、加藤さんのをお借りしていますので」
「加藤さんですか、あの『湯守』の」
「はい、そうです」

歴代の雲仙の湯守役「加藤家」の名前が出てくるところに、この宿の歴史を感じました。
加藤家にとっても、このホテルにとっても吉井勇の書は何ものにも代え難いお宝に違いありません。


他にも貴重な写真が展示してありました。

歌碑の前に立たれる吉井勇と孝子夫人



「島原の子守歌」や「幻の邪馬台国」で有名な宮崎康平氏(前列左から2番目)も一緒の集合写真


仁田峠?




新聞記事


吉井勇の書籍


歌集「旅塵」と随筆「相聞居随筆」の2冊
出版されたのはそれぞれ昭和19年(1944年)、昭和17年(1942年)です。
吉井勇が初めて「湯守の宿」に泊まったのが大正9年(1920年)で、大歌行脚のときに泊まったのが昭和11年(1936年)です。歌集「旅塵」に収められている歌の配置から、また歌に詠まれた内容から、私はこの歌は昭和11年の大歌行脚のときのものだと考えます。

なお、ホテルの歌碑建立は昭和30年(1955年)で、京都祇園白川河畔に、あまりにも有名な「かにかくに祇園はこひし寝るときも…」の歌碑が建ったのと同じ年です。

ホテルのロビーには「湯守の宿」の歴史が掲示してありました。






雲仙の湯守の宿にひと夜寝て歌など思う旅つかれかも 吉井勇




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「雲仙焼の陶ものの…」 吉井勇の歌碑を訪ねて

2022年03月29日 | 吉井勇
以前もらっていた「雲仙のおさんぽマップ」です。


湯元ホテルに吉井勇の歌碑があるのは知っていましたが、地図を見ていたつれ合いが「2つあるよ」と言うのです。
そんなバカなと半信半疑で見てみると本当に2つ載っています。




先日、この「雲仙おさんぽマップ」を片手に、新たな歌碑を訪ねてきました。

ジャーン!



(揮毫は茶道と縁の深い京都大徳寺の15代管長高田明浦猊下)

夕されば雲仙焼きの陶ものの
窯のけむりも幽かなるかも


この歌は吉井勇歌集「旅塵」に載っていますが、この歌を詠んだのは昭和11年の大歌行脚で雲仙を訪れた7月14日のことではないかと思われます。それは歌碑が建っている雲仙焼窯にあった資料から推察できました。

制作中の4代目(許可をいただき撮影)


仕事の手を休めて、いろいろとお話をしてくださいました。
ギャラリーも見せてもらい






その奥には立派な茶室が



雲仙噴火の火山灰を用いて焼き上げた「油滴天目」


本に紹介されています


この本の中に、「1935年頃、茶人・繁田百鑒斉が窯を開く」と書いてありますが、1936年(昭和11年)が大歌行脚の年です。また、歌集「旅塵」が出版されたのが1944年(昭和19年)ですので、吉井が詠んだ年が特定できました。

創業したての窯元を訪ねた吉井は大いに感じるものがあったのでしょう。
雲仙を詠んだ11首の中に雲仙焼の窯の煙が詠まれていました。





夕されば雲仙焼きの陶ものの
窯のけむりも幽かなるかも
―吉井勇―



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響け、平和の鐘!

2022年03月28日 | 諫早
諫早市森山町にある横山溜池を通ったときのことです。



溜め池の中に何かあります。



ひまわりとウクライナ国旗、それに青と黄色の…

それは鐘でした。



その鐘は岸から鳴らせるように、ロープが渡してあります。


「祈願の鐘」と名付けて


平和への祈りを込めて突かせてもらいました。





この鐘は、諫早市森山町上井牟田地区の横山集落にあります。
地域の方が仕事の合間に作られたそうです。

平和を祈願して作られたオブジェと鐘、その鐘の音が、どうか世界に響き渡りますように…

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雪山和尚の供養塔

2022年03月22日 | 諫早
場所は前回と同じで、宇都の墓地横にある広場です。
そこに雪山の供養塔があります。



建物にはさまれた真ん中のがそれです。


赤いエプロンが掛けてあり、一番上の文字の雨冠しか見えてなくて、てっきり「霊」の字かと思っていたら、それは雪山の「雪」でした。説明板を見て理解し、エプロンを外して確認しました。



説明板



側面には碑建立の由来が刻んであります。


漢文です。「天祐寺」など読み取ることができ、末尾に「諫早家」とあります。
この碑文も説明板に書いてありました。


その意味も


無実の罪で打ち首にした修行僧のへの仕打ちを詫び、その御霊を供養するために建てた石碑であることが分かります。一介の修行僧だった雪山に「和尚」と敬称をつけたところからも、諫早家の強い悔恨の気持ちが伝わってきます。

雪山は天祐寺で修行する眉目秀麗な青年僧侶でした。そんな雪山に領主の側室が惚れ込み、雪山を誘惑しましたが、雪山は「自分は仏僧、修行の身」と断ります。恋心が憎しみに変わった側室は、自分で衣服を乱し「雪山から辱めを受けた」と嘘をつき、雪山に無実の罪を着せるのでした。
処刑後、雪山の無実を証明したという「雪山逆松」は大正2年(1913年)に枯れ、お祓いをして切り倒されました。その松の後に建てられたのが「雪山和尚供養塔」だそうです。
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宇都にも六地蔵(石幢)が!

2022年03月21日 | 諫早
上山は諫早の中心部にある標高122mの山です。
公園として整備されていて、下の地図のように、複数の登山口があります。



宇都口(地図の5番)から登るとすぐに墓地がありますが、その墓地の近くにちょっとした広場があり石仏が祀ってあります。

宇都口からの遊歩道


石仏群


ここは何度か訪れていたのですが、「石仏があるんだな」程度で、あまり気にとめていませんでした。
ところが、昨日久しぶりに訪ねて急にテンションが上がりました。
そこに2基の六地蔵石幢があったからです。ただし、幢身から下はありませんでしたが。

六地蔵は以前からここにあったのでしょうが、私がその価値を知らず、目には入るものの素通りしていたわけです。去年、史跡巡りのイベントに参加し専門家から六地蔵石幢について教えてもらったのがきっかけで、昨年末は諫早市内の六地蔵石幢を精力的に調べ歩きました。あれで全てだろうと思っていたので、こんな身近な所で六地蔵石幢(の上部)を発見し、驚きとともに己の傲慢、そして浅はかさを恥じました。



エプロンで隠れているので、裏に回りました。




1基は顔が壊されています。


もう1基はきれいな状態でした。


これと


これ



この広場には諫江八十八カ所霊場の第1番札所も建っています。



諫早史談会によると、この札所は以前は諫早神社(お四面さま)の荘厳寺にあったのを、明治の廃仏毀釈で壊されそうになったのでここに移したそうです。
同じように、ここに祀ってある六地蔵は廃仏毀釈の難を逃れるために移されてきたものかも知れません。元々は幢身から下もあったことでしょう。
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上山の桜咲く 意地の一輪

2022年03月20日 | 上山の四季
上山は諫早市の中心部にある標高122mの山です。
今年も上山の桜が咲きました。

登山口(東口)


まだ咲き始めですが






ツツジもちらほら


モミジの若葉


日なたぼっこする猫


分岐


ここのヤマザクラはきれいだったのですが、道に覆い被さっていたので切られました。
今年は無理かと思っていたら一輪だけ花をつけていました。


アップ


ヤマザクラの意地を見る思いでした。
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続・多良岳のマンサク '22

2022年03月18日 | 山(県内)
各地のマンサクの開花が遅れているようです。
多良岳のマンサクを見たくて、今シーズン3度目のチャレンジをしたのは3月17日のことです。
この日は時間があったので、笹岳まで足を伸ばしました。

笹岳直下のマンサク


ここのマンサクは笹岳に少し登って、上から見下ろすのがベストなのですが…


花が咲いているのは2本だけで、ちょっと物足りません。
この後、笹岳山頂を目指しました。
笹岳山頂から中山への尾根はシャクナゲの群生地で、今年の花芽のつき具合を見ておきたかったからです。

笹岳山頂からの眺め 黒木方面


尾根のシャクナゲ


花芽は?


まずまずのようです。


この後、多良岳へと向かいました。

多良岳・国見岳間の稜線


まだ咲き始めですが、あちらこちらにマンサクの黄色を見ることができました。




上宮のマンサク





石仏がある分岐地点


石仏の後ろに


有明海側


ここからの眺めが一番好きなのですが、マンサクはちょっとボリューム不足でした。

多良岳のマンサクの見頃は、もう少し先になりそうです。
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旭川ラーメン「青葉」さんの思い出

2022年03月13日 | SUWV
今朝の毎日新聞
紙面をめくっていたら「青葉」の文字が飛び込んできた。
あの旭川ラーメンの「青葉」だ。


(「毎日新聞」2022/03/13)

懐かしさが一気にこみ上げてきた。

44年も前のことである。
当時私は大学の1年生で、ワンダーフォーゲル部というサークルに入っていた。
その夏合宿で、北海道を自転車で旅していたときのことだ
(見出しの写真はそのときのサイクリング風景)

旭川で昼食にに立ち寄ったラーメン屋さんが「青葉」だった。
食べ終わって、お店の人に
「この近くにテントを張れるところはありませんか」と、尋ねたところ
「うちに泊まらんね」と、想定外の答えが返ってきたのだった。
泊めてもらうことを期待して尋ねたわけではなかった。
こちらは「木の根枕の渡り鳥」なのだから、公園か空き地でもあればと思って尋ねただけだったので、思いがけない親切にたいへん驚いた。

ちなみに、前日は滝川のバス停が一夜の宿だった。もちろん風呂など入っていない。汚い格好の、見ず知らずの5人連れを、二つ返事で泊めてくれる寛大さに驚いたのだ。

その後、テレビや雑誌で、北海道のラーメンが取りあげられる度に、「青葉」のことが思い出されていた。

今日の新聞記事は、「旭川で愛を受け取る」という見出しで、お店のスタッフが子ども連れの客に優しく対応されたことが綴られていた。記事の内容は心温まるもので、「青葉」が取りあげられたことが自分のことのように嬉しかった。私も旭川で愛をいただいた一人だからだ。
40数年前のことが思い出され、幸せな余韻に包まれる朝となった。


嬉しくなって、あの時の資料を探してみた。
あった!
ワンゲル時代のアルバムに、写真、マッチ箱、店主からいただいた名刺をはさんでいた。


翌日の朝 泊めてもらった上にお見送りをしていただいた。

マッチ箱と名刺



それから、当時の合宿ノートにも青葉のことが残されていた。書いたのはPL(パートリーダー)の阿比留さんだった。「青葉」での出来事を、例によって面白おかしく書いていらっしゃった。

合宿ノート


その中に


「青葉ラーメン」


せっかくなので、活字に。

青葉のラーメン 
旭川市四条○丁目○○号  村山吉彌
六条○丁目○○号
 PLの阿比留さんほど不思議な力を、魅力を持った方はいないだろう。おとといの札幌でのこと、昨日の有珠の噴煙もさけ、一ヶ月前、親子グマが出たという支笏湖でも無事、おまけに3000円も…。ましてや今日である。なんとしても名物旭川ラーメンを昼食に喰わんと旭川にやって来たのであるが、阿比留さんは「青葉」のラーメンを選ばれた。そして今我々は「青葉」の自宅にいる。キャンプ場を尋ねたら「うちに来い」といって仕事中なのに、わざわざ自宅まで。これもひとえに、ただただ阿比留さんの人柄のなせる技と敬服してしまった。
- 一同 -

メンバーが書いたようになっているが、書いたのは当の本人である。
活字にしたものの、写真を拡大して、直筆の方が阿比留さんらしさが伝わるかもしれない。

別のページにも


「今度旭川に来た時は必ず寄ると約束して、かろうじて別れた。おじいさん、おばあさん、おじさん、おばさん、ちえちゃん。五人の暖かい見送りだった。」

このページ全文


ここに、阿比留さんの感想が書かれていた。

上の文章に続けて
「今回はいろいろな人にお世話になってしまった。まして連発である。これも厳しい冬を過ごし、広い土地と、気持ちのいい夏の天気の中で生きてきた北海道の人の心の広さのためではなかろうか。しかし驚くべし。 -中略- 
今はどうだ、その気になれば、実際そうなったのであるけれど、駅でも何でも寝ることはできるのに、『テントを張れる所が近くにありませんかね』すぐに、『ここに泊まったら、そうしなさい』そう言ってすぐ準備をしてくれるのだから。心の広さにびっくり。できれば僕たちもそうなりたいものである。」 

今朝の新聞記事によると、「青葉」は1947年創業で現在は3代目・村山有一さんが店を切り盛りされているとのことである。「青葉」さんからいただいた親切は終生忘れることはないだろう。
「青葉」さんの益々のご発展を、心から祈念申し上げずにはいられない。

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多良岳のマンサク速報 '22 3/10

2022年03月10日 | 山(県内)
3/10
多良岳のマンサクを見ようと、午後から多良岳に向かいました。
1年前、ちょうどこの時期、多良岳のマンサクは見頃でしたので。
今年もと、期待して行ったのですが…

コースは十日前と同じです。前回も、気の早いマンサクが顔を出していないかと期待していったのですが空振りでした。
はたして今日の多良岳はいかに。

まず、アプローチ。
冬場は通行止めだった「しゃくなげ林道」が通れるようになっていました。

しゃくなげ林道入り口ゲート


道沿いにはシャクナゲが移植してありました。


この苗木が育ち、シャクナゲが咲くようになると名所になることでしょう。

登山口から一気に前岳へ(今回は25分!)


鬼の岩屋 かぼんすゴジラ!


稜線上のマンサクスポットに到着しましたが


あれ…


目を凝らしてよく見ると


まだ固い蕾でした。



残念でした。それならばと気を取り直し、多良岳(太良嶽神社上宮)へと向かいました。


多良岳到着



そして




ここのは、やっと蕾が開こうとしているところでした。
それでもマンサクの黄色が見られて少しホッとしました。

上宮直下のお地蔵さんに挨拶して


そしてこのコースの本命、多良岳と国見岳分岐にあるマンサクスポットへ。

キターっ!







まだほんの咲き始めですが、それでも黄色の花を見ることができ「咲いててくれてありがとう」と、お礼を言いたい気持ちでした。


最後のスポットは国見岳ですが、ここも少しだけ咲いていました。



分かりにくいですが、木の上の方です。




同期のTANEさんのブログに、今年は梅や花桃の開花が去年より遅いとありましたが、山の上も同じでした。

多良岳のマンサクはこれからです。このまま陽気が続けば来週あたりが見頃ではないでしょうか。

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