TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

一枚の写真より2 ~ '78 夏 北海道サイクリング・合宿後

2016年07月31日 | SUWV
この1枚は、合宿解散後の1枚である。
利尻島に向かう前の稚内港と思われるが…(定かでない)



典型的な「カニ族」である。
当時の北海道には「カニ族」や「エビ族」がたくさんいたが、私は正統派の「エビ族」であった。
(注 「カニ族」はキスリングを背負って旅する人のこと。大きなキスリングがカニの甲羅に見えることからこの名がついた。「エビ族」は自転車で旅する人のこと。当時はドロップハンドルが主流で、背中が前屈みに曲がることからこの名がついた。)

【合宿ノート】



-前略-
「が、誘惑に負けてしまった。テントを張るのはずぶぬれは目に見えているので、ない金をはたいて民宿にする。民宿『山田』-。
車で北海道をまわっている三人と相部屋。ビールを少し飲ませてもらい、ばんめし。イカのさしみ、クロイオの吸い物(食べ放題)、同じくフライみたいな…。イカのみそ煮、カボチャ、ワカメの酢につけたやつ、etc。めしを7杯、オニは6杯食べた。
今日はお祭。民宿の表にはステージができていて、僕の出番を待っている。-のど自慢大会-
地元の人たちがカラオケをバックにやっている。旅の想いに、とびいりとして出演。司会者がいろいろと前口上をやって僕を紹介した。何を歌お-かな-。北海道だから函館の人がいいかな-、が前奏がないとちょっと。結局『あなただけを』を歌うことにした。う、う、う、少し歌って忘れてしまった。えーい、色々ごまかして手拍子がないだの、それ行くぞだので、思い出してステージでとんだりはねたり。酔っ払いのおじちゃんが喜んでいる。
ステージからとびおりて帰ると、何と、係の人が封筒をくれた。げっ、1000円も、もうかってしまった。わ-い、わ-い。
つまみを買って、先の三人とともにホワイトを飲んだ。」

以上、ノートを活字に直したが、阿比留さんの直筆の原文の方が味があって面白い。写真を拡大すると原文で楽しめます。
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一枚の写真より ~ '78 夏 北海道サイクリング

2016年07月30日 | SUWV
昔撮った写真が必要になりあれこれ探していたら、懐かしい写真が出てきた。
78年夏の「北海道サイクリングパート」のものだ。



ここがどこだったか記憶が定かでない。
小休止をしている横を、車が砂ぼこりを巻き上げながら走っている。
当時の北海道の内陸部はこんな感じだった。国道ではあるが未舗装の砂利道はけっこう多かったように記憶している。
あのときの合宿ノートに以下の記載があった。

7月23日
「美笛峠までのつらいつらいじゃり道。強い日差しの中、車が来るたびに土砂ぼこりを浴び、ガタガタ道についには手の力もつきた。中には親切な車もいた。僕らの横を通り過ぎるときにゆっくり行ってくれたり、もっと親切なのはバンバン飛ばして大量のほこりをかけてくれて…ありがとうごぜえますだ。」(阿比留)

「自転車はホソウ道路でなければ地獄である。今日は、その地獄をしっかり見てしまった。口で息をすると口が土だらけになってしまうので、鼻で息をすることにした。しかし、重い荷物を積んでの凸凹道では無理だった。気づいたときには口の中はざらざら、鼻の奥はキンキンと痛い。」(鬼塚)



砂利道で苦労したのは土砂ぼこりだけではなかった。もう忘れていた記憶が合宿ノートには綴られていた。



8月1日
「糠平湖を過ぎて2度目の上り坂。後ろから来た自動車がクラクションを鳴らし、運転手が何やらわめき、後ろの方をしきりに指さしている。阿比留さんの自転車がパンクしたのかなと思って引き返すと案の定だった。タイヤをはずし、チューブを取り出しパンクの場所をすばやく見つけ修理完了。さすがPLと思っていたら空気を入れてもぜんぜんふくらまないのである。もう一度チューブを取り出す。さらに2ヶ所のパンクを発見。ところが残りのパッチは2枚で、これを使い切ったら後がない。そこで1枚のパッチを半分に切って使うことになった。これで直ったと思ったらまだ空気が入らない。さらに4ヶ所…、残りのパッチは1枚。これではどうしようもと思ったところに向こうからサイクリスト登場。『ラッキー!』とボクと阿比留さんは心の中で叫んだ。ところがだ…、見つけた穴をふさいでも新たな穴が見つかり同じことのくり返しとなった。そうこうしているうちに鬼塚さんがたまりかねて歩いてくるのが見えた。結局はパンクは直らなかった…」(筆者)

同じ日の阿比留さんの記述

「きのうにひき続きジャリ道。4人は自転車で北海道最大の難所、アルプスに例えるなら大キレットか不帰のケンか、オニの頭かというところであろうか。かくして阿比留氏のタイヤは先に述べたとおりである。上士幌まで後15㎞くらいのところでそうなったわけであるが…。この間実に1時間30分。水入りに大格闘であった。敵は多く、まずは根性あるパンク、続いて砂ぼこり、そして日差し。この3つの敵のスクラムは強くさしもの阿比留氏もやや押され気味であった。すでに豊かな黒髪は老人のそれと変わり、精悍に日焼けしたその肌の毛穴という毛穴はすっかり砂の軍団に埋めつくされ、そのランランたる両目はホコリのため、はや真っ赤に充血。阿比留氏の運命やいかに…
ついにその長い戦いに終止符を打つときが来た。勝利の女神は阿比留氏にささやいた。
『あんたの負けよ。』
が、これくらいでひるむ彼ではなかった。さすが、彼は完全と立ち直り、土砂ぼこりの中を突き進んでいったのであった。上士幌まで14㎞。彼の胸中を去来するものは何か。彼はモクモクとモクモクしたホコリの中を押して行ったのだ。
とまれ、運命の神もこんな彼を見捨てるはずがあろうか。峠でオニ達がさっそうとはいえないもののジャリ道を上士幌に下っていく姿を見つめ、ただひたすらに自転車を押していくその彼の頭上に、いやハッキリ言うなら後方に女神はいた。
パンクした自転車をバンに乗せてもらい、彼は乗れないのでロードを強行した。激しく車のコンボイが通り過ぎる。おー、なんとすばらしい。彼の唇からは歌が、その顔からはほほえみが…
歩くこと5~7㎞。上士幌まで8㎞もあろうか。両サイドには牧場が広がり、彼の前には真っ直ぐな道が続いていた。
『のどが渇いた。水、水はないか』そんなものはどこにもなく、渇きはやがて痛みに変わった。そのとき彼はまさに天の声を聞いた。とたんに左手をパッとあげた。キー!車のとまる音。

かくて彼は上士幌駅へ着、オニと再び会うことができ、二人はヒシとだきあったのであった。」


【合宿ノート】



その表紙


上の方に、「78年7月16日印刷 8月5日発行 責任者:阿比留」の文字が…
(写真を拡大したら読めますよ。)


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にがごり

2016年07月27日 | 島原


今は島原でも「ゴーヤ」と言う人が多くなりましたが、私が小さい頃は「にがごり」または「にがごい」と言うのが一般的でした。

あの頃「にがごり」と聞くと、その音の響き以上に口の中に苦みが走り思わず顔をしかめました。パブロフの犬みたいに…

当時のわが家の「にがごり」料理というと、「にがごり」を二つに開いてワタ(種)を取り、それを4~5㎝の短冊状に切り、ワタのあった部分に油味噌をのせて七輪で焼くというシンプルなものでした。それを祖父などはウマいウマいと食べていましたが、とても子どもの手に負えるものではありませんでした。その苦みたるや今のゴーヤチャンプルの数倍はあったように思います。





今年もたくさんの実をつけた「にがごり」は、夏に打ち勝つための栄養源です。
子どもの頃あれほどイヤだった苦みが、今では夏ばて気味のからだに、食欲のスイッチを入れてくれる何ものかに変わりました。



今、わが家ではもっぱらサラダにしています。
スライスして湯がいたものにポン酢をかけるだけの実にシンプルな食べ方です。



もし50年前の子どもの頃に戻ったとしたら、こんな苦くて青臭いものを食べられたかどうか疑問です…

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万灯川まつり  諫早大水害慰霊の日

2016年07月26日 | 諫早
諫早は59年目の慰霊の日を迎えた。
犠牲者630人という甚大な被害を出した諫早大水害は59年前の1957年7月25日のことである。
亡くなられた方の御霊を慰霊するため、川原では万灯の準備が進められた。









慰霊祭だが、「万灯川まつり」と言うことで、川岸には出店が並び、多くの人で賑わう。





ふだんはひっそりとしている河沿いの公園に佇む「祈りの像」も、この日ばかりは…



本明川沿いの高城公園にある大悲観世音にお参りする高校生


日が沈み、犠牲者の魂を弔う万灯に火がつけられた。(ここからの写真は昨年のもの)









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2016年07月24日 | エッセイ
満開の向日葵畑


昨晩はワンゲルの同期会が盛大に行われたようで、参加されたみなさま、そして幹事のSさんお疲れ様でした。私はお祝い事と重なったために今回は参加できませんでした。来年の1月にみんなに会えるのを楽しみにしています。

さて、梅雨が空け夏本番となりました。多良岳のオオキツネノカミソリもそろそろ見ごろではないでしょうか。しばらく山から遠ざかっているので、近いうちに多良岳に登ろうと思っているところです。
それまでに少しは体を鍛えねば…

2週間ぶりのブログ更新です。
今回は、久しぶりに帰省した息子とお出かけをしたので、その様子をアップします。


うまいものを食べさせようと、最近私自身がハマっているうどん屋さんへ

「鶏天ざる」の大盛り。
うどん、鶏天ともに絶品で、いつ食べても大満足です。


その後は、ハスを見に唐比へ。
真昼の暑い中でしたが、ハスを見たことがないというので連れて行きました。
琵琶湖のハスが忽然と消えたことがニュースになっていましたが、ここのハスや睡蓮はいたって元気でした。
















愛野から唐比に向かう途中の畑に植えられていた向日葵


一面、夏の暑さに負けない鮮やかな黄色。
今、夏の真っ盛り。
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青空… 梅雨明け!

2016年07月18日 | エッセイ


久しぶりに青空が広がりました。
朝からセミ鳴きまくりで、一気に夏本番モードに突入しました。
夕方のニュースでは九州地方が梅雨明けしたことを伝えていました。
夏山シーズンの到来です。


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久しぶりの上山

2016年07月10日 | 上山の四季
私のホームグラウンドの上山です。
昨日、久しぶりに歩きました。


道ばたには夏草が生い茂っていました。



足下には…


合歓木(ねむのき)

連日の風雨で花が落ちていました。


おっと!倒木発見。


4月の大地震のとき、岩が転げ落ちていたあの崖がまた崩れていました。

今度は大雨による土砂崩れのようです。


梅雨はまだ空けきらず蒸し暑い中でしたが、高校生がトレーニングに励んでいました。
地元の、諫早高校陸上部のみなさんです。


私は久しぶりの上山で、なまった体からは汗が噴き出す始末でしたが、元気にトレーニングをする高校生の姿を見て、「また体を鍛え直さなければ」という思いが静かにわいてきたところです。この上山歩きは私の生活の一部だったのですが、5月、6月とそれぞれ1回しか歩くことができませんでした。7月に入り、今年も後半戦にさしかかったわけですが、前期の上山歩きは25回で、過去最低のペースです。常々、「忙しい時こそ野山を歩いて浩然の気を養う」をモットーにしているのですが…
今年の夏山はどこに登るかまだ決めていませんが、「とにかく体を鍛える。時間のなさを言い訳にしない」と決意を新たにしたところです。

さらに歩を進めると… ありました。
雑草に混じって元気に育っているあの「奇跡のユリ」を今年も見つけることができました。


そして山頂の展望台。階段の両脇の樹木も一気に夏モードです。


左側には合歓木


展望台からの景色

雲仙方面


多良岳方面


久しぶりの青空ですが、これを「梅雨の晴れ間」というのでしょうか。
とにかく蒸し暑く、この1時間後にはまた雨が降り出しました。
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唐比のハス園

2016年07月03日 | 諫早
「諫早市森山町の唐比ハス園で、ハスの花が見ごろを迎えている。約2ヘクタールの園内にピンクや白など13種のハスの他、スイレンなども植えられている。ハスの見ごろは8月中旬まで。」(7/3 毎日新聞)

朝刊の記事に触発されてさっそく見に行ってきました。
ところが、新聞を見たのは私だけではなかったようです。
ふだんは静かな唐比にたくさんの車がつめかけ、駐車場は満杯。
パトカーが来て交通規制がしかれていました。

それはさておき、可憐なハスの花を見てください。











ハスの葉は水をコロコロとよくはじきます。




次の2枚は睡蓮です。




日曜日だったので大勢の見物客でした。

















新聞記事にもあったように、唐比のハス園にはハスだけで13種類あるそうです。
(唐比ハス園の案内板の写真)





梅雨の晴れ間にいい目の保養ができました。
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