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TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

浩然の気 ~ 小説「劉邦」より

2014年05月27日 | エッセイ
(浩然の気を強く感じる森の中)


毎日新聞に連載されている宮城谷昌光氏の小説「劉邦」を読むのが、毎朝の楽しみです。
劉邦もですが、劉邦を支える家臣達の描写がじつに面白い。
その中でも張良が病に伏せたとき、山に入ることで病を癒すくだりは大変興味をもちました。

病気が長引く張良が、劉邦に山に居を移すことをお願いする場面です。

  「『その病身で、あの山に登る…』
   眉をひそめた劉邦は、許可しなかった。
   が、張良が山気を欲していることを知り、ついに輿を用意させ、みずからつきそった。
   人には治せない疾病は山に治してもらうしかない。」 -「劉邦」294話-

それから十日後、張良が元気になって劉邦の元に帰ってきた場面です。

  「『おう、子房どの、快癒なさったのか』  (注:子房は張良の字)
   この曹参の声に足を停めた張良は、軽く頭を下げて、
   『山の不思議な力が病患を排払してくれました。ご心配をおかけしました』
   と、いった。なるほどその声には悴(やつ)れがまったくない。」 -「劉邦」297話-

張良、彼がいなかったら劉邦は天下を取れなかったとまで言われた天才軍師・張良。
兵法だけでなくいろいろなことに長じていた張良が、療養のために自ら山行きを選択したのには確信があってのことだったのでしょう。

前回のブログにも書きましたが、これが「浩然の気」ではないでしょうか。
「浩然の気」、辞書には「天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気」と書かれています。
非科学的なようですが、私も、自然には人を元気にしてくれる力があると経験的に感じています。
場所はどこであれウォーキングをすれば爽快感がありますが、とりわけ山歩きはその効果が大きいようです。
気分が晴れる、頭が冴える、やる気が出てくるなど自分自身の内面の変化をはっきりと自覚できます。
寝たきり老人にならないように足腰を鍛える意味もありますが、心の健康を維持するために、何よりも日々の生活に張りを持たせるために今後も山登りを続けていきたいと思います。
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浩然の気 ~ 九千部岳

2014年05月25日 | 山(県内)
九千部の吹越側登山口から少し行ったところです。


とても静かです。野鳥のさえずりの他は一切物音がしません。
雲仙の喧噪が嘘のようです。
五感を研ぎ澄まし、じっくりと自然と対話をしながら歩を進めました。
最も幸せを感じるときです。
体力的には、雲仙の3峰を周回した後なので疲れているはずなのですが、精神はどんどんと浄化されていくのがわかりました。
私をどんどん元気にしてくれる山の力、これが浩然の気というものではないでしょうか。
これぞ山歩きの神髄です。

雲仙と比べれば地味な山ですが、ピンクの花が道の所々にひっそりと、あるいは群れになって咲き誇っています。
その中をゆっくりと、ゆっくりと歩を進めました。



















遠景は午前中に登った雲仙の山々です。同じ山域ですがこちらは(九千部)とても静かでした。



この日の九千部登山は一応計画には入れていました。ただし、私の体力がともなえばの話でしたが。
幸い体力に余力があったのと、雲仙周回に物足りなさ(精神的な充足感)を感じたので九千部に挑みました。
結果的には行ってよかったです。
静かな山の中で精神を解放させ、十分に山に癒やしてもらいました。
最近、パワースポットという言葉を耳にしますが、このパワースポットも同源だと思います。
ただ、人がいっぱいいる中では、自然のパワー(浩然の気)と自己の精神との共鳴はできないように私は思います。
みなさんはどのように思われますか。



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ミヤマキリシマ ~ 雲仙周回(妙見岳・国見岳・普賢岳)

2014年05月24日 | 山(県内)
3週間ぶりに山に登りました。(2週続けて休みに仕事が続いたものですから…)
この時期は雲仙のミヤマキリシマです。本当は先週行きたかったのですが…。


妙見岳



国見岳への縦走路 奥のもっこりが国見岳



国見岳の登り



普賢岳山頂にて本日のお昼。おにぎり弁当・ミヤマキリシマ添え、最高!



下山後、吹越から本日登った国見岳を見上げる。



本来ならこれで家路につくのだが、ここからさらに九千部岳に向かう。
雲仙が多くの人で賑わっていたのに対して、九千部はひっそりとしていました。
(次回に続く)
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白馬 「しろうま」の思い出

2014年05月22日 | 山(県外)


社会人になって山の装備を一通りそろえました。
テント、シュラフ、コッフェル、ブス625、アタックザック、水ポリ、ガスポリ。
支払いは月1万円の月賦にしてもらいました。
アタックザックを背負ったときは、キスリングと違いそのハイカラさに、「これぞ社会人の登山」と感激したものでした。

1983年夏に、先輩のS本さん達と白馬に行きました。
電車の中、メンバーに「明日はいよいよ『しろうま』だね」と言っていたら、車中の学生さん達に笑われました。
失礼な失笑です。「『しろうま』だって…」という感じで。
むっとしましたが、そこは社会人、何もなかったかのようにやり過ごしました。

白馬駅は「はくば」、スキー場も「はくば」。でも、山は「しろうま」です。
これは固有名詞ですので、断じて「しろうま」なのですが、私たちが言い間違えたかのごとく笑われてしまいました。
前回の「テルモス」と「サーモス」のように、言葉の違いの延長でふと思い出した白馬の思い出でした。


1983年7月28日 白馬大雪渓


白馬山荘 ご来迎を見ようと集まった人、人、人…


初めてのアタックザック
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THERMOS 「テルモス」の思い出

2014年05月20日 | SUWV
ワンダーフォーゲル(Wandervogel)はドイツ語です。(そもそも、ワンダーフォーゲル発祥の地がドイツですから)
それはさておき、山の道具はドイツ語がそのまま外来語として定着しているものが多くあります、寝袋をシュラフと言うように。ちなみに、英語ではスリーピングバッグ(Sleepingbag)です。
他にもリュックサック、ザイル、アイゼン、コッフェル、ツェルト、テルモス…。

テルモスは魔法瓶のことですが、テルモス自体が魔法瓶のブランド名でもあります。
職場で、「THERMOS」の水筒を持ってる同僚がいたので、「おっ、テルモス」と言ったら「これ、サーモスじゃ?」と言われ「えっ!」と思いました。
ワンゲル時代、先輩達がテルモスと言っていたので、何の疑問も抱いていませんでした。
調べてみたら、ドイツのテルモス社が世界で初めて真空断熱魔法瓶を製品化したそうで「テルモス」と命名したそうです。(THERMOSのドイツ語読みがテルモス、英語読みがサーモス)その後アメリカ、イギリス、カナダでもテルモス社から商標を譲り受け製造するようになり英語圏で「サーモス」が広がったようです。いま出回っているのはアメリカの製造メーカーなので「サーモス」と呼ぶのが正解です。

ブランド名は別として、私たちの年代は、山の道具としては魔法瓶はやはりテルモスです。
その「THERMOS」ですが、新商品が出るということで、旧モデルを安くで買うことができました。私にとっては初めてのテルモスです。学生時代から欲しかったのですが何分高価なもので…。

そういえば、二十歳のとき(30数年も前ですが)、秋のパーワンで、穂高から槍が岳の縦走をしました。岳沢から前穂に向かう途中の休憩で、テルモスに入れていたホットココアを飲みました。S島の個人装備のテルモスだったと思いますが、その時、彼の手元が狂って谷底に落としてしまいました。
カラーンと響きわたった甲高い音と、あのとき飲んだココアの温かさをふと思い出しました。


1979年・秋 穂高~槍ヶ岳縦走


澄み切った秋空のもと、遥か彼方に見える槍ヶ岳を目指す


槍ヶ岳山頂
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元祖「天山歩荷」2 富士登山・後編

2014年05月16日 | SUWV
二日酔い、失礼、高山病と闘いながら富士山頂を目指す佐大ワンゲルOB会東京支部の運命やいかに。
後編の始まりです。(元祖「天山歩荷」を貼り付けるだけなのでこんな楽なブログはありません…)







三十数年前のこととは言え、個人情報の部分を一部割愛させていただきました。
天国で阿比留さんが怒っているかもしれません。
「そんなやわなやつは、佐大ワンゲルにはおらん!」と。
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元祖「天山歩荷」2 富士登山前編

2014年05月15日 | SUWV
前回に引き続き、阿比留さんの元祖「天山歩荷」から、No,5の富士登山を綴った珍道中(オッと失礼)を2回にわたって紹介します。







早くも高山病に悩まされるご一行様。大変失礼ながら、その原因について言わせていただきます。
前日の深酒による体調不良も原因の一つと考えられますが、それではないようです。このメンバーの前日の深酒はいつものことのようですから…(失礼)
原因は、5合目で気圧に体を慣らすということをしていないからです。
富士スバルラインを使って一気に5合目に行っていますので、体が気圧に順応していません。
5合目では、最低でも1時間はゆっくりして高度に体を慣らすことが必要です。
大先輩方にエラそうに意見をしていますが、実は8年ほど前に、「初めての富士登山」なるツアーで行ったときに、専門のガイドさんが言っていたことの聞きかじりです。「5合目でゆっくりと気圧(高度)に体を慣らすこと」これが富士登山の秘訣のようです。

はたして、このご一行様の富士登山はなるのか、必見の後編に続く。
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元祖「天山歩荷」

2014年05月13日 | SUWV


私のブログ名「TENZANBOKKA78」は、上の写真の「天山歩荷」を多分に意識したものでした。
今は亡き阿比留さんが、33年前に佐大ワンゲル東京OB会新聞として発行されていたものです。
後輩である私も、ありがたく拝読していました。
そして、大切にとっていました。

その3号の編集後記に、次のように書かれています。

「…途中略… それを記念し今号より紙面を大きくし、東京OB会新聞も佐大ワンゲルOB会新聞と変更させていただきました。というのは、例えば長崎の○○某が長崎支部として4号を発行したり、福岡支部が気ままに6号を発行したりしてもいいのではないかと。そのうち同じ号が2つも3つもできたりすれば楽しいのではないかと。それに近頃、『天山歩荷』を送ってくれという不届き者が九州各地に出没しているので。『天山歩荷』という名称を東京支部が独占しては悪いのではないか、何しろ天山歩荷は一人一人の思い出でもあるしと殊勝に考えましてこのようにした次第。-以下略-」

今回、あらためて読み返して、阿比留さんの遠大な志に頭が下がりました。
私は「TENZANBOKKA」とローマ字表記にしていますが、勝手に天山歩荷を標榜し申し訳なさも感じています。
阿比留さんの「天山歩荷」は、支部の、あるいはOB会全体の情報発信紙でしたが、私のは一個人のそれに過ぎませんので…。
ただ、一個人のブログですが、将来的には多良岳や上山のオリジナルな資料にまとめられないかなとは思っています。
また、ときおり30数年前のワンゲル時代の記事もアップしていますが、あの頃を熱く生きた私たちの存在証明にでもなればとも思っています。元祖「天山歩荷」の足下にもおよびませんが、これからも「TENZANBOKKA」を続けさせていただきます。


以下は、元祖「天山歩荷」の記念すべき第1号です。古くなって読みづらい部分もありますが、阿比留さんらしい文体が懐かしいです。
また、山で酒をきらし、山小屋で従業員のパーティーサイズのレッドを買う件はさすがに豪快です。










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五島釣りサイク

2014年05月10日 | SUWV
大学3年生の夏、最後の合宿が終わり現役を引退した。
開放感もあり、同期の3人で五島に釣りサイクリングに出かけた。
それぞれの合宿の成功祝いも兼ねた、慰安旅行のようなものだった。
1981年9月のことだった。

半分遊びなのだが、盛大に(?)見送ってもらった。


休憩。それぞれの自転車のフレームには釣り竿をくくりつけている。




佐世保から有川に向かうフェリーの中。乗船後早くも乾杯。


上五島空港に渡る橋の下に2泊。ひねもす釣り三昧…



超大物を釣り上げる予定だったが…


雑魚ばかりだったが、それを肴に飲むわ、飲むわ毎晩宴会。





最終日は、有川の蛤浜の海水浴場で泳ぎ、そこのキャンプ場に泊まる。
ここでも長崎の地酒「笑美福」を飲み過ぎてしまった。
酔っ払い、太鼓代わりにコッフェルの底をブキでバンバンたたいてボコボコにしてしまった。

蛤浜 水は透明で、遠浅の海水浴場。


蛤浜のキャンプ場 


ワンゲル時代、山一筋だった末永が「自転車は楽勝と思っていたら、そうでもないな…」と言っていた。
彼は、山、とりわけ南アルプスを愛し、正統派の山登りの精神を後輩に伝えた。
もっと、もっと彼と酒を飲みながらいろんな話をしたかったな…
それができないの残念でならない。
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赤テープに導かれ、山を彷徨う

2014年05月08日 | 山(県内)



先日、多良山系でこれまで行ったことがない次の3つのコースを歩いた。

 ①中山キャンプ場~ひぐらしの滝~前岳の沢(オオキツネノカミソリ群生地)
 ②多良岳北壁ルート
 ③笹岳~中山キャンプ場(ツクシシャクナゲの群生地)

初めてのコースなので、少々迷いはしたが、ルートを探しながら歩いた。
ところが、最後の最後になって、③の笹岳から中山キャンプ場に下る道で迷ってしまった。
レスキューポイント26地点である。

笹岳のシャクナゲの群生がどこまで続いているのかを確認したかった。そのため、ふだんは利用しない中山キャンプ場に車を回し、そこを出発・ゴール地点として①→②→③のコースに挑戦した。

さて、笹岳ルートのシャクナゲはその多くは蕾であったが、今年の見納めとばかりにそれらを愛でながらやせ尾根を降りていった。途中からかなりの急勾配になった。加えて、足下の落ち葉がサラサラに乾燥していて滑るので、木の枝につかまりながら急斜面を慎重に高度を下げていった。
ところが、ゴールを目前にして、レスキューポイント26地点で道が分からなくなった。ポイントの右手に赤テープがあり,その先にもさらに赤テープが続くので、それをたどっていったらガレ場に出た。それを横切るのか降りるのかがわからない。26地点に戻りその周辺を何度も探すが赤テープ以外は目印を見つけることができなかった。意を決してガレ場を下ることにした。滝さえなければ下に行き着くだろうと思って行っていたら、数分も行かないうちに金泉寺からの下山道に出たのでほっとしたが、明らかにルートを外してしまった。本日唯一の失敗である。

この日は、地図にないコースを3つ歩いたが、何度も赤テープに助けられていた。
まず、中山キャンプ場からひぐらしの滝まで行くのにずいぶんと迷った。怪しくなったら引き返し、目印となるケルンやテープを探し、それらに導かれて何とか滝に到着することができた。オオキツネノカミソリが茂っており、それを踏むまいとして道がわからなくなった。何度も何度も行ったり来たりして、オオキツネノ中を行く以外に道はないという結論に達した。オオキツネノカミソリの中を慎重に進むと、案の定、茂みの中に赤のペンキの付いた大きなケルンを見つけた。そこから前岳と864の鞍部までケルンをたどりながら登っていった。初めての道で心細いときに、それがルート確定を示す赤テープを見つけたときの安堵感は、一種の快感である。
前岳の急登の途中から北壁を目指した。道なき道を慎重にルートハンティングをしてたどり着いた「北壁」は、その名に違わず,垂直の壁が300mにわたって連なっていた。この冬の大雪で木々がかなり傷んでいたが、雪に耐えたシャクナゲがひっそりと蕾を付けていた。落石に合わないことを祈りながら歩を進める。無事に一般登山道との合流を果たした後は,今回の目的だった笹岳から中山キャンプ場に下るだけであった。うまくいき過ぎの観はあったが、やはり最後にアクシデントが待っていた。
冒頭に述べた、レスキューポイント26地点での道迷いである。
結局、26地点でのテープが誤りで、テープに惑わされず尾根をたどればよかったようである。無事に下山できたからよかったものの一つ間違えば大事であった。
あの赤テープは何だったのだろうか、他の場所ではいっぱい助けてもらったというのに…

ケルン  これを頼りに沢を登っていった


赤テープ+ケルン  暗い谷間でこれを発見、この道で間違いなかったとホッとした瞬間でした


鞍部で分岐を意味していた目印


多良岳北壁  切り立った崖が300m続く


北壁に咲くツクシシャクナゲ






笹岳山頂部のツクシシャクナゲ


笹岳~中山キャンプ場のやせ尾根に咲くツクシシャクナゲ


間違って下山したところの近く 本当はもっとキャンプ場側に着くはずだったのだが…


中山キャンプ場入り口 ツクシシャクナゲののぼりが立っていた


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