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TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

もうすぐ化けます

2018年07月31日 | 上山の四季
奇跡の軌跡  命をつないだ上山のユリ」の続きです。

まだかまだかと持ち続けていますが、もうすぐ化けそうです。










約1か月前、ただの草でした。



4年の眠りから覚めた草が、今まさに化けようとしています。
艸(くさ)が化けて花に。
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夏の多良岳 西野越のオオキツネノカミソリ

2018年07月30日 | 山(県内)
昨日は先輩方の、そして今日は私とE崎の多良岳・オオキツネノカミソリ鑑賞登山の予定でした。多良岳登山が2日に別れたのはどうしても日程の都合がつかなかったからです。ちなみに今回多良岳登山の参加予定者は、鹿児島、熊本、福岡、佐賀と私以外は県外のみなさんでした。ところが台風12号が発生したためにそれぞれ2日前には中止の判断をしました。あの台風の進路だったら当然の判断です。

はたして今日。雨風が強ければきっぱりとあきらめもつくのですが、台風はどこに行ったのというような天気でした。もっとも今日の私は、土日のハードな仕事の振替でお休みでしたのでこの天気ならと一人で登ることにしました。

E崎とは中山キャンプ場から登るようにしていましたが、登り初めが遅かったので最短コースである高来町の金泉寺登山口から登ることにしました。超楽勝コースです。



登り口


入ってすぐの広場 四阿があります


このコースは20分で金泉寺ですが、石段が続きます。





道の脇にオオキツネノカミソリがちらほら咲いていました。




あっという間に金泉寺!


なんだろう?


台風による倒木かと思ったら、山小屋前にある休憩用のテーブルを新調しているようでした。



古いテーブル


新しくなったテーブル




真新しい木目に映える豪華のり弁ランチ!


ちなみにここの気温は22℃ 下界の暑さがウソのようです。





腹ごしらえを終えたら今回の目的である西野越へ(金泉寺から平らな道を5分)


さらに分岐を下ること3分

咲いていました!




オオキツネノカミソリに混じってウバユリも!







なぜか沢ガニさん!



来年こそはみなさんで登りましょう。オオキツネノカミソリが咲き乱れる秘境ルートをご案内します。


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諫早・万灯川まつり

2018年07月26日 | 諫早
諫早万灯川まつりは、今から61年前の昭和32年7月25日に起きた諫早大水害の犠牲者の冥福を祈るために毎年この日に行われます。

午後7時半を回り、夜のとばりが下りる頃



よく見ると、本明川河川敷には万灯に火をともす人達がスタンバイしています。

そして点火





四面橋の上から





川沿いにはたくさんの出店が並びます。
災害の記憶を継承するためには、子ども達の楽しみを用意して会場に来させることも必要かも知れません。花火も同じです。



そして8時。鎮魂の花火が打ち上げられます。



8時半には花火も終わり、それぞれ帰路につきます。



9時には河川敷にともされていた万灯の火も消えます。
この「川まつり」はレクイエムの祭りで、「日本で一番短い祭り」とも言われています。

道の所々にお参りできるよう祭壇が設けられています。


電装された眼鏡橋



そして、まつり会場の近くで静かに佇む眼鏡橋(午後10時までは交通規制で入れません)。


この橋も犠牲になられた人達の冥福を祈っているはずです、一切の言い訳をすることなく…
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2018・多良岳のオオキツネノカミソリ

2018年07月24日 | 山(県内)
先日行われたワンゲルの飲み会の折りに、「オオキツネノカミソリ鑑賞・真夏の多良岳登山」を提案したところ、後輩のE崎がのってくれまた。
E崎との山行は来週ですが、その下見にちょっくらと修多羅の森に避暑がてら行ってきました。





木の周りにいっぱい取り囲むように咲いていました。




少し森の中に入ると、どこもかしこも辺り一面オオキツネノカミソリです。










オオキツネノカミソリと同じく黄金に光るヒメシャラを発見。
よーく見ると隣の木の右側にも黄金色が見えます。


別の角度から見ると、隣の木の真下を通る形で根を張っていました。
驚くことに、ヒメシャラは根っ子も黄金色でした。


黄金の根っ子とオオキツネノカミソリ


実はこのヒメシャラ、大きな岩を受け止めていました。
その圧に耐えられたのも立派な根っ子のおかげでしょうか。











今回は、林道多良岳横断線沿いの修多羅の森にある水神さんから歩きました。
水神さんまでは車で行けるので、このコースは超楽勝でした。




その水神さんですが、諫早市のホームページには次のように紹介されています。

「この池は『水神池』といって、地元では『水神さん』として奉られています。ここから湧き出る水は弱アルカリ(軟水)で良質、枯れることがありません。湧水は幻の名水ともいわれ、この名水を求め連日県内外から多くの水汲客が訪れています。パイプからの水は、池の湧水を直接取水しているので池の表面水より良質です。」








来週E崎と歩くのは、いちおう本格的な夏山登山の予定です。どうなるか乞うご期待ください。
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テントの思い出…

2018年07月16日 | SUWV
前回ブログに、息子に譲ったテントのことを書いたらテントのことがいろいろと思い出された。

就職したのは37年前のことだ。給料がもらえるようになり2つの大きな買い物をした。
一つめはカメラだった。CanonAE1プログラムに明るめの50mmレンズを付けて10万円だった。
もう一つはアウトドア用品で、テント、ブス、コッフエル、シュラフ、ザック、水ポリなどでこれも全部で10万円した。それぞれを毎月1万円の月賦で購入した。
カメラはワンゲル時代から欲しかったが学生には高嶺の花だった。また、学生時代の延長としてアウトドアをするには自分用の装備品が必要だったので就職を機に迷わず買いそろえた。

その時購入したのがダンロップのH型テントである。
当時はダンロップテントが流行っていた。ヒマラヤ遠征隊がそれを使って登頂に成功したところによる宣伝効果が大きかったのだろう。実際に使ってみて、設営のしやすさや居住性、強度において申し分なく、加えて従来の同じ性能のテントより劇的に軽量化されているのを体感し、これなら流行るのもさもありなんと十分に納得した。


当時のテント


1979年の1月の追い出しワンデリングの1コマ。全部員総出のイベントだけあって部にある全てのテントが使われた。一般的な屋根型の他に、当時は革新的だったカマ天やウインパーも動員された。カマ天(かまぼこ型テント)やウインパーは厳冬期用のテントで、風雪に対しては強いがその重量は半端ではなかった。


1978年の夏合宿で使用したのはごく普通の屋根型テントだった。


ここは支笏湖か洞爺湖のどちらかの湖畔だが、大雪山にもこのテントを担いで登った。


1979年3月 春合宿


これも屋根型テントの部類だが、支柱と支柱の梁にポールを1本渡して強度を上げる構造になっていた。私たちはこのテントを「リー棒」と呼んでいた。渡しのポールの形状が麻雀の千点棒に似ていたからだ。


1980年3月 春合宿


最強のテント「ウインパー」
このテントのおかげで屋久島の山の中の暴風雨から生還できた。大げさでなく本当にそう思う。同じ場所にテントを張っていた他の2パーティーはテントをつぶされ私たちのウインパーに避難させたのだから。屋根型テントが前後にそれぞれ1本の支柱を立てるところを、このウインパーはそれぞれ2本の支柱をテントの縁を通す形でクロスさせ強度を上げている。天幕本体の生地も丈夫でその分重い。本体、フライ、支柱と数人で分担して登らないと半端ないくらい重い。しかし、その分絶対的な安心感がある最強のテントであった。


1983年6月 坊がつるキャンプ場


社会人2年目。ミヤマキリシマを見に昔の仲間と登ったときのもの。写真からも分かるように、キャンプ場にはダンロップのテントが多く張られていた。冒頭にも書いたように当時テントと言えばダンロップというくらい流行っていた。私が買ったのはそのH型といわれる物で3シーズン用だった。



これは当時のカタログだが、オプションで前張りを買い足した。

九重、白馬、多良岳などの山に限らず、30数年前のアウトドアブームの時にも、大型の家型テントをよそ目に、このドームテントでファミリーキャンプをした。

最後に使ったのは祖母登山のときだ。今から9年前になる。

2009年9月 尾平


「ほしこが」という宿泊施設の玄関前に設営、けっこう目立った。


このテントは本体1980g、ポール840g、テント前張400g、ペグ480gで一式3700g。当時はこれくらいの重さはどうってことなかった。むしろその画期的な軽さは自慢でもあった。


さて、息子に譲ったエアライズ2は1810g。二人用とはいえさらに半分の重量だ。


最後に、その息子と二人で九重にキャンプに行ったときの1枚。



当時流行りのタープや2バーナーもなく、何とも質素なキャンプ風景だ。でも、自慢のダンロップテントで息子とワイルドなキャンプができたことはよき思い出だ。
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テント

2018年07月16日 | 山にまつわる話
息子より写真が届きました。
職場の先輩とキャンプに行ったとのことでした。



奥に見える小さなテントがそれです。
譲ったテントが役に立っているのを見て嬉しく思ったところです。





このテントは9年前に祖母・傾を縦走しようと思い立ち購入していたものでした。
ところがこの山行は計画倒れに終わりました。

その後、このテントは使うことなくたんすの肥やしとなっていました。
今年の春、大掃除をした折に眠ったまま未使用のテントをどうするか思案しました。
山岳用にと数あるテントの中から選びに選んだライペンエアライズ2ではありましたが、これからも使うことはなさそうです、年も年だし…。そう考えたら少し寂しい気持ちになりましたが、息子にテントの話をしたところ「ほしい」とのことだったので譲ることにしたのでした。

そして届いたのが今回の写真です。
ファミリーキャンプでは狭くて使い勝手が悪いかも知れませんが、使いこなす中でこのテントの良さが分かってくると思います。
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奇跡の軌跡  命をつないだ上山のユリ

2018年07月08日 | 上山の四季
あの上山のユリがわが家に根付いてくれました。

今年の4月、イチハツの後方にモジャモジャしたものを見つけたときには思わず声を上げました。


「あっ!上山のユリ」と。


6月 さらに大きくなっていました。



このユリの茎は、4年前の上山のユリの子孫です。





「こんなに大きくなって…」と、いとおしくてたまりません。



4年前も「奇跡のユリ」と題して本ブログで何度か紹介しましたが、その「奇跡のユリ」のさらなる奇跡とばかりに一人で盛り上がっています。その理由ともいうべきここまでの軌跡を紹介します。


あれは今をさかのぼること4年前、平成26年の夏のことです。
そのユリは上山の道端にひっそりと花を咲かせていました。

(H26.8.23)


この花がわが家に根付いてくれたユリの親です。






次に行ったときには花は落ちていました。

(H26.8.26)





その1か月後には子房がふくらみ、新たな命の準備が進んでいました。

(H26.9.28)



ところがです。翌月訪ねた時には除草作業が行われていて、すっかりと刈り取られていました。
これはショックでした…



落胆してしみじみ眺めていたら、その場に横たわっている刈り取られたユリに気づきました。



そのまま自然に葬ってやろうかとも思いましたが、このユリには愛着があったので、わが家に連れて帰り水栽培をすることにしました。

(H26.10.5)


そして2か月後

(H26.12.6)






たくさんの種ができていました。



あのユリが、刈られた後も頑張って残してくれた種をわが家の周辺にまくことにしました。
あの時は、種まきというよりも散骨しているような気持ちでした。
「よく頑張ったね」と言いながら、家の前やつつじ園の周辺にまきました。


そして次の年、さらに次の年と新たな命は見られませんでした。
ユリの種は発芽まで数年かかるということは知ってはいましたが、やっぱり無理だったかとあきらめました。
4年目の今年などはもうすっかりと忘れていました。

そんなときに見つけたユリの茎、驚きです。そして感動です。
また声を掛けてやりました、「頑張ったね」と。


今朝のユリです

(H30.7.8)





さらに生長していました。花を咲かせてくれるのが待ち遠しくてたまりません。
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上山 崖崩れ

2018年07月05日 | 上山の四季
台風一過の7月4日、上山の登山道で大きな崖崩れが起きていました。











実はこの場所、今年の4月7日に小規模の崩落が起きていました。


岩が2個ほど落ちた程度でしたが…



よく見ると、崖にすき間が生じていました。





ここから水が入って亀裂が大きくなったのでしょうか。

上山にはこの程度の小規模の落石現場は、他にも数カ所あります。
小さな崩落が、大きな崖崩れの前兆であるとすれば他の場所でも注意が必要です。

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