TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

友の帰国が叶う

2021年12月31日 | SUWV
「友の帰国に思いを馳せて」(12/18)の続きです。

帰国の手続きがスムーズにいかず苦しんでいたT氏は、12/26に、無事に帰国することができました。本人は勿論のこと、ご家族の皆さまもほっとされたことでしょう。

このことは、T氏のブログをご覧になっている方は、ほぼリアルタイムで、SUWVの同期は、S氏がメール等で情報を流してくれたので、その日に知ることができていました。

その後のことをご存知なかった方には、お知らせが遅くなって申し訳ないです。
12/18に記事をアップした後、難航していたビザの取得が叶い、12/25にPCR検査の陰性が確認され出国、26日に帰国し、帰国時のPCR検査でも陰性でした。ハイヤーで予約していたホテルに向かい、現在、14日間の自主隔離中です。

T氏が無事に帰国でき、同期とは「良かったね」と、喜びを分かち合い、それでほっとして油断していました。
ブログで心配な状況を発信していたのだから、帰国の報はもっと早くお知らせしなければならなかったと反省しています。
ご存知なかった方には、年の瀬の最後の最後に嬉しいニュースが入ったということでお許しください。

今年も本ブログを覗いていただき、ありがとうございました。
2022年が、皆さまにとって良い年でありますよう祈念申し上げます。






コメント (2)

諫早の六地蔵石幢を訪ねて4

2021年12月29日 | 諫早
12月21日
小長井地区の「田原の六地蔵石幢」を訪ねました。

「田原口」というバス停を目指して行けばすぐだったのですが、田原の溜め池の近くとだけ聞いていたので、溜め池ををぐるりと一周して、やっとたどり着くことができました。



ここも大切に祭られていて、生花が供えられていました。



全体的に傷みが少なくきれいでした。


あれっ?
でも、なんか変…
違和感がします。


ちょっと、定員オーバーじゃない?
小さい方もいらっしゃって、この面だけで5体?

1、2、3、…


4、5…


6体より多いです。



説明板がありました。

「逆修」「天文17年」と刻まれていると書いてあります。


この後、本野地区にある「開の辻の六地蔵石幢」を訪ねました。
ここのは墓地の中にありました。




説明板



顔を潰されているのを見ると心が痛むのですが、ここのは顔がきれいだったのでホッとしました。


ゆっくりと一周





一つだけお顔が欠けていました。







せっかくですから、エプロンを外させてもらうと

3頭身の愛らしいお地蔵様が現れました。


六地蔵石幢の構造

(説明板アップ)




竿(幢身とも言うそうです)

2つに分かれていて、上竿と下竿。上竿には「厳」の文字がハッキリと読み取れます。

龕と中台

中台に彫ってある「蓮弁(れんべん)」も傷んでいません。
石幢自体の笠が役に立っていたのでしょうか。
説明板にも書いてありますが、ここの六地蔵石幢はほぼ完全な形で今に残っています。

これで諫早市内の六地蔵石幢巡りは終わりです。

12月25日には、石幢ではありませんが多良岳の六体地蔵が無性に見たくなり、多良岳に登りました。
なお、多良岳に向かう途中の長田地区西里町の天満宮近くにも六地蔵石幢があるとの情報が入ったので、山に登る前に見に行きました。それは江戸時代に建立されたものだそうですが、六地蔵の龕の部分を上下に重ねて祭ってありました。

西里町の六地蔵






セメントでつなげてありますが、元々は一対の、あるいは2基の六地蔵石幢だったのではと思われます。形は変わりましたが、今は屋根付きのお堂の中で大切に祭られています。
また、地蔵様の頭には、子どもが作ったたであろうシロツメクサの花冠が乗せられていました。

花冠は枯れていましたが、ほほえましく感じられました。


4回に分けて、諫早の六地蔵石幢について綴ってみました。

コメント

諫早の六地蔵石幢を訪ねて3

2021年12月28日 | 諫早
12月20日
多良見地区を訪ねた翌日、再び小野地区へと向かいました。小野地区は、12/4の史跡巡りで行ったところですが、もう一度じっくりと六地蔵石幢を見たいのと、前回時間の関係で行けなかった「赤崎の六地蔵石幢」を見たかったからです。

阿弥陀寺の六地蔵石幢
お寺の境内に2つ並んで建っています。左は千手観音で右の石塔が六地蔵石幢です。




近づくと

顔をセメントで修理した跡が確認できます。左の顔は、別の丸い石を持ってきて補修したようにも見えます。

説明板


六地蔵の銘文に「逆修…」「天文一四 乙巳十一月」と刻んであると書かれています。
「逆修」については史跡巡りの折りに学習しました。石塔は、普通は亡くなった人の冥福を祈る追善供養塔だそうですが、逆修塔はその逆で、自分が生きているうちに死後の冥福を祈って建てる石塔だそうです。ここの六地蔵石幢に限らず、諫早地区の六地蔵石幢では、この「逆修」の文字を見つけることができます。石に刻まれている「天文14年」は西暦の1545年で、戦国の世です。
戦でいつ命を落とすかわからない時代だったから、このような逆修塔としての六地蔵石幢が多く造られ、今日に残っているわけです。


次は、小野の「六地蔵石幢群・六基」についてです。

小野町天満宮の六地蔵石幢


そこの境内に


4基の六地蔵石幢があります。県の文化財に指定されている「小野の六地蔵石幢・六基」についての説明板がありました。



右の方からの2基を見てみると


1つ目


2つ目のは

顔がそぎ落とされています。

さらに別の2基を見てみると


衝撃のアップ

顔が取れています。

別の角度


6体の顔がすべて壊されています。これも「逆修」と刻まれた石塔なのですが、ことごとく破壊されています。

一番左の石塔

これも顔がそっくり削られています…

六地蔵石幢の竿(幢身)に刻まれた「逆修」の文字、そして地蔵様の破壊された「顔」は、平和とはほど遠かった時代があったことを今に伝えているようです。


性空寺谷の六地蔵石幢

ここには1基建っていますが、これも小野の六地蔵石幢群六基のうちの一つです。




顔に白いのが付いていたので、ここのも壊されたのかと思ったら、どうやら白い苔のようです。全体的に摩耗は少なく保存状態としてはいいようです。


赤崎の六地蔵石幢



今は大切に祭られていますが、真ん中の地蔵様の顔は削がれていました。

天満宮に4基、性空寺谷に1基、赤崎に1基の6基が「小野の六地蔵石幢群・六基」と呼ばれるものです。史跡巡りの先生もおっしゃっていましたが、このページの一番最初の阿弥陀寺のも天文年間に造られたものだから、6基ではなくて7基ではないのかとい疑問が生じます。
ところが、今回一人で回っていて、何と8基目に遭遇しました。

8基目



顔の破損はなく、全体的に良好な状態です。

建立の年代はこれから調べますが、これも他のと同じように天文年間のものだったら「小野の六地蔵石幢・基」に、看板が書き換えられるのではないかとひそかにドキドキしています。史跡巡りの先生と近いうちに確認に行きます。

(4へ続く)
コメント

諫早の六地蔵石幢を訪ねて2

2021年12月27日 | 諫早
諫早市内にある六地蔵石幢を調べたら、小野地区の他に、小長井、本野、多良見、そして天祐寺にもあることが分かりました。
一度には回りきれないので、何日かに分けて訪ねました。

12月19日 
多良見地区と天祐寺へ

まず、多良見地区へ出かけました。
最初のは、多良見図書館近くの墓地の横にありました。


中央の石仏がそれですが、近づいて見てみると

顔の破損が確認できます。また、全体的に摩耗しています。

次に、喜々津小学校横の川沿いにある「河原の六地蔵石幢」を訪ねました。

こちらは、石幢の笠も残っていたので、摩耗はさほどではありませんでしたが…


顔は同じく破損していました。破壊されたのかも知れません。

多良見地区で見学したのはこの2基で、この後、天祐寺に向かいました。


天祐寺の六地蔵石幢
天祐寺には、下の図のように4基の六地蔵石幢があり、書院横のは建立は天文10年(1541年)で、市の文化財に指定されています。


(天祐寺の説明板 一部加工)

諫早家の墓所内に3基あるのですが、ここは現在は入れません。
書院横のを見に行こうとしたら、秋の特別公開のとき以外はここも入れないとのことでした。
しかたないな… 来年の秋まで待つか、と思ったとき、過去の記憶が蘇りました。秋の特別公開なら2年前に襖絵を見に行っているぞ…そのとき、中庭に石塔があって、それを撮したな…
そうだ、あの時のが六地蔵石幢だ!
家に帰ってさっそく過去のデータを探したらありました!
我ながらよく撮していたなと、自分を褒めたい気持ちでした。

2019年11月30日
「秋の特別公開」


中庭


これだ!

何ときれいなお顔!

あの時は関心が無かったので、写真を撮っただけで素通りでしたが、今改めて写真を見ると地蔵様の顔が潰されることなく、きれいな状態で残っていることに感心します。今日見た多良見の2基とは比べものにならないほどきれいです。天祐寺は、伊佐早を治めてきた西郷氏、諫早氏の菩提寺でした。その境内ということもあって廃仏毀釈の難からも逃れられたのでしょう。近くにある四面宮(現在の諫早神社)の秘仏・四面菩薩坐像も明治の神仏分離の折に、この天祐寺に移され難を逃れています。
なお、諫早家の墓所にある六地蔵石幢は、諫早史談会の調査によれば、大永6年(1527年)頃に建立されたものだそうです。佐賀の仁比山護国寺で見たのとほぼ同じ頃です。

(3へ続く)
コメント

諫早の六地蔵石幢を訪ねて1

2021年12月26日 | 諫早
諫早の六地蔵石幢を紹介します。
六地蔵は子どもの頃から知っていましたが、「六地蔵石幢」を知ったのは今年の10月のことです。諫早市美術歴史館主催の史跡巡りで学習しました。簡単に言うと、次の写真のように、六つの地蔵をコンパクトに収めた石灯籠の形をしたものです。






初めて六地蔵石幢を見たのは、10月2日にあった湯江地区の史跡巡りのときでした。
それが下の写真です。



左側の石の塊がそれです。



何が何やら分からないほど摩耗しています。
この六地蔵は、湯江の和銅寺近くの通りにありました。




そのときは説明を聞いても「ふうん」で流していたのですが、11月の末に、佐賀県神埼郡にある二比山護国寺できれいな形で残っている六地蔵石幢に出会いました。
そのときのがこれです。



(説明板の永正14年は、西暦に直すと1517年)



そして12月4日。今度は小野地区の史跡巡りで、複数の六地蔵石幢を見ました。




写真は、小野の天満宮ですが、ここに4基の六地蔵石幢がありました。
この日の見学で先生の説明を聞き、六地蔵石幢への関心が一気に高まり、後日、この小野地区をもう一度じっくり見て回りました。さらに、諫早市内に残っている他の六地蔵石幢も訪ねて回ったのです。

(2へ続く)
コメント

多良岳の六地蔵(六体地蔵)

2021年12月25日 | 山(県内)
どうしても多良岳の六地蔵が見たくなり、急きょ見に行ってきました。












今年の山は、先月末の由布岳で登り納めでした。今回の多良岳は山というより史跡巡りの延長です。
12月4日にあった史跡巡りで、六地蔵石幢に興味をもちました。それからというもの、諫早市内にある六地蔵石幢を訪ねて回りました。多良岳のは石幢ではなく単体ですが、一つひとつがきれいな状態で残っているので、お顔や持ち物を見たくて登ったわけです。

向かって一番左



左から2番目



3番目



4番目




5番目



6番目



江戸時代に造られたということですが、雨による浸食はほとんどみられません。また、廃仏毀釈の難を免れ、よくぞ完全な形で残ったものだと感心します。





地蔵様の足の指もハッキリと残っています。



多良岳の六体地蔵は多良岳の崖の下にあります。



その高い崖が庇の役目をしているのかも知れません。
(以下の写真は、2014年2月22日撮影したものです。)



その日は雪でしたが


氷柱(つらら)を見ても分かるように、崖がオーバーハング状になっているので、雨だれはお地蔵様に直接あたらないようです。



コメント

友の帰国に思いを馳せて

2021年12月18日 | SUWV
「友の帰国に思いを馳せて」

その友は、ベトナムの若者達の自己実現に力を貸すべく、ベトナムに渡り日本語を教えていました。
でも、コロナ渦が現地の生活を「激変」させ、彼の生き甲斐を奪い取りました。
ロックダウンされた現地ですることがなくなり、彼は今、日本への帰国を熱望しています。
しかし、いくつかの障害が立ちはだかり、「1日でも早く帰国したい」と思いながらも帰国できない状況が続いています。

入国を困難にしている主な障害
①ワクチンの問題
日本政府はベトナムにアストラゼネカ製のワクチン100万回分を無償提供しましたが、彼にはその恩恵は届かず、やむなく中国製のワクチンを接種したという。日本政府はファイザー、モデルナ、アストラゼネカの3種類のワクチンしか認めていないので、帰国が叶っても2週間の自主隔離が待っています。
②スマホに「MYSOS」(入国者居所健康確認アプリ)インストールする問題
入国時にこのアプリの提示がなければ入国を拒否されるそうです。彼はスマホ不要論者でしたが、必要に迫られて購入したとのことで、この件は解決しました。
③ビザの問題
これは現在更新中とのことで、更新でき次第帰国の手続きに入るとのことでした。これまで彼は、公的証明書の取得が日本のようにスムーズに行かないもどかしさをブログで嘆いていましたが、早くこの問題が解決してくれることを願うばかりです。
④その他の問題
自主隔離のホテルやハイヤーの手配、PCR検査陰性証明書の取得など他の問題もありますが、③のビザの取得さえできればあとは先に進みそうです。

そんな彼が「帰国後に思いを馳せて」と題したブログに、帰国したら「近場の八木山に登りたい」「山とサイクリングプランの実践をしたい」「孫達と楽しく会話できるようポケモン語を…」と綴っていました。

彼の帰国を、彼の家族は勿論のこと、友人・知人みんなが心待ちしています。

そんな彼の帰国に思いを馳せて、私も新たな目標・夢ができました。
彼が近場(帰国後の拠点地から)と書いていた「八木山」を地図で調べたら、その近くに若杉山もありました。
私は、今、若杉山や三郡、宝満、四王寺山、背振の山々にとても興味をもっています。
それは先月末に行った九州歴史資料館で「九州山岳霊場遺宝」展で、それらの山々の歴史や今も残る仏像等に強く心をひかれたからです。

私の勝手な目標ですが、九州の山岳霊場の舞台となった福岡の山々に行くとき、帰国した彼と一緒に歩く機会があればと思っています。

コロナが収束し、以前のように同期会が復活したり、英彦山のときと同じようにみんなで山にのぼれる日を心待ちにしています。








上の写真は、12月4日にあった諫早の史跡巡りの様子です。専門家の説明を聞きながら地元の神社、仏閣などを訪ねました。「九州山岳霊場遺宝」展もこの関係で知りました。そして今、福岡の三郡山系や背振山系へと興味が広がっています。

PS
Tよ、逆境にあっても健康づくりは続けていると思うけど、身体はしっかり鍛えておこう。
そして、福岡の山歩きにつきあってくれ。
コメント (4)

上山の紅葉2

2021年12月15日 | 上山の四季
上山は諫早市の中心部にある標高122mの山です。
12月も半分過ぎようとしていますが、まだまだ紅葉が残っていました。

南登山口に向かう道
燃えるような赤はハゼノキです。


登り口のモミジはほとんど散っていました。




同じく登り口のメタセコイヤ


ハゼノキ


黄葉


ツツジ園周辺はまだ紅葉が残っていました。

やっと色づきはじめたモミジ葉


黄色く色づいたモミジ葉


四阿の周辺は終わりがけ


もっと奥に行くと


紅葉はこれからです。
でも、寒くなったので、赤くなる前に枯れて落ちるかも…





メタセコイヤ
大木なので存在感があります。







12月も半ばというのに、やっと黄色く色づきはじめたモミジ葉がけっこうあります。今週末は冷え込むとの予報ですので、赤く色づく前に落ちるのかもしれません。

さて、今日ので上山歩きは今年136回目となりました。
あと8回登って、今年は、目標にはとどきませんでしたが、最終的に144回登れればと思っています。
ちなみに、目標は156回(週3回×52週)でした。

コメント

トゲトゲの木の処分

2021年12月13日 | 畑・園芸・工芸・片付け
ついにトゲトゲの木を処分。

トゲトゲの木というのは、サイクリングロードの桜並木に生えていた恐ろしい木です。
夏前に何とか切り倒したのですが、幹の周りに生えているトゲが危険過ぎてその処分ができないままでした。

在りし日のトゲトゲの木




何とか切り倒す(6/17のこと)




落ちたトゲも固くて超危険!


何度か踏んづけました。


薄い靴底だと怪我をします。

トゲトゲの幹を人が通らないところまで運び、その上から普通の幹を被せて危なくないようにするのが精一杯で、そのままにしていました。




そして、12/13の午後

まずは被せていた普通の木を短く切断していきます。




キャンプ用の薪に使えそうです。


次は、本命のトゲトゲの木


怪我をしないように、トゲを避けながら


トゲが危険すぎてこれは薪には使えません。
箱詰めして焼却場に持っていきます。




トゲが落ちていたら危ないので丁寧に残骸をかき集めました。


延び延びになっていましたが、なんとか年内に片付けることができほっとしています。
明日、クリーンセンターに持っていったら完了です。


この後、枯れ枝を使ってオマケの焚き火。
焚き火と言えば焼き芋!


出来上がり


トロトロの安穏芋で、作業の打ち上げをしました。




コメント

由布岳西峰・お鉢巡り

2021年12月01日 | 山(県外)
西峰は、由布岳3度目にして初めてです。
当然、お鉢巡りも初めてです。登っているときには気づきませんでしたが、全身によほど力が入っていたのでしょう、翌日は全身の筋肉痛に襲われました。お鉢巡りはそれくらい気の抜けない、聞きしに勝るスリリングなコースでした。
ここは一人だとまず行かないのですが、今回はワンゲルの先輩と一緒でしたので、とても心強く、不安なく歩くことができました。

今回は、そんな由布岳西峰ならびにお鉢巡りの様子です。

11/29 由布岳正面登山口


登りはじめ
木々はすっかり落葉し、冬枯れの様相を呈していました。


ところが、笹は元気!


大崩山にしても祖母山にしても笹が枯れていたので、元気な笹を見ると嬉しくなります。
天気がよく、遠くの山まで見渡せます。左下には由布岳の後に登る飯盛ヶ城が見えています。


西峰と東峰の分岐であるマタエに到着。


ここは、両方の峰の間を抜けてくる風の通り道なのか、けっこう冷たい風が吹いていました。
そんな中でランチ


食べながら西峰に目をやると、岩をよじ登っている人が見えました。


昼食後、私たちも西峰に向けて出発






障子戸を越えていきます。




ここの岩場には鎖がついているので見た目ほどではありません。

登りきったところから


さらに山頂を目指して


あと一息


西峰到着


東峰が見えています


お隣の鶴見岳
そしてこれから向かうお鉢巡りのコースも


行く手に待ち構えるゴジラの背中


お鉢巡りスタート


始めはどんどん下ります


そして、本コース中最大に難関、ゴジラの背中




ヤッホー
梯子もない、鎖もない、目印のペイントもない
各自の裁量で好きに通りなさいということらしい
これが一人なら心細いのですが、今回は仲間と一緒ですので不安はありませんでした。
「そっち」「こっち」と声を掛け合いながら難所を通過
その様子です







一難去ってまた一難






さらに




やっとの思いで東登山口への分岐に


通ってきたゴジラの背中が見えます。


ちょうど人が通っていますが


軽々とした見事な身のこなしです!

そして東峰到着


山頂の気温は8℃ 天気晴れ





お鉢巡りの難路をクリアしたので、帰路はもう遠足気分


そして飯盛ヶ城を越えて


無事にゴール
行きには気づきませんでしたが、登山届のポストが由布岳の形


こうして、一人では躊躇してなかなか行けなかった由布岳西峰ならびにお鉢巡りを、山中間と一緒に無事に終えることができました。

あれから2日経ちますが、まだからだがこわばっています。鎖を持つ手、岩を持つ手によほど力が入っていたのでしょう。
長くなりましたが、これが今年の登り納めです。
コメント