上山北口にある野呂邦暢文学碑横の菖蒲が咲き始めました。
今度の日曜日、5月31日の午前10時30分より、この文学碑の前で、諫早が生んだ芥川賞作家・野呂邦暢氏を偲ぶ「第35回菖蒲忌」が開催されます。
野呂氏は芥川賞受賞後も上京することなく、「私は諫早を愛しているし、諫早の風土でないと小説を書けない」と諫早の地で執筆活動を続け、「落城記」や「諫早菖蒲日記」など諫早を舞台にした小説や随筆を数多く残しましたが、心筋梗塞により42歳の若さで急死しました。
諫早市では、地元を愛し数多くの優れた作品を残した彼の死を悼み、野呂文学顕彰の集いを毎年開くことにしましたが、それが「菖蒲忌」です。この名前は、代表作である「諫早菖蒲日記」にちなんで、また氏の住居の前が諫早菖蒲園だったこと、氏が亡くなった5月に菖蒲が花を咲かせることなどから命名されました。
場所は、上山の北口ですが、この場所こそ「落城記」の舞台となった高城を望む愛宕山下です。そこに建てられている祈念碑には、氏の肖像のレリーフと「諫早菖蒲日記」の冒頭の一節が刻まれています。 → 「野呂邦暢文学碑と諫早図書館」
文学碑裏に刻まれている建立の趣意(写真だと読みづらいですが、ご一読を)
※ やっぱり読みにくかったので活字に直しました。(5/28)
野呂邦暢文学碑
日本の純文小説家・野呂邦暢氏は昭和55年諫早の地でその才能を惜しまれつつ42歳で急逝されました。幼いころから諫早に居住され、ふるさとをこよなく愛し、諫早から文学の題材を求め、その生涯において多くの作品を世に贈られました。 特に、昭和49年には「草のつるぎ」で芥川賞を受賞され、つづいて「諫早菖蒲日記」さらに「落城記」などと新しい文学の世界を創り出されました。
このような野呂氏の立派な業績にたいし、これを永く後世に伝えるため、全国の文化人をはじめ諫早市民のまごころにより、この碑を建立いたしました。
昭和61年5月 諫早文化協会