TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

もうすぐ菖蒲忌  野呂邦暢氏を偲んで…

2015年05月27日 | 諫早


上山北口にある野呂邦暢文学碑横の菖蒲が咲き始めました。





今度の日曜日、5月31日の午前10時30分より、この文学碑の前で、諫早が生んだ芥川賞作家・野呂邦暢氏を偲ぶ「第35回菖蒲忌」が開催されます。
野呂氏は芥川賞受賞後も上京することなく、「私は諫早を愛しているし、諫早の風土でないと小説を書けない」と諫早の地で執筆活動を続け、「落城記」や「諫早菖蒲日記」など諫早を舞台にした小説や随筆を数多く残しましたが、心筋梗塞により42歳の若さで急死しました。
諫早市では、地元を愛し数多くの優れた作品を残した彼の死を悼み、野呂文学顕彰の集いを毎年開くことにしましたが、それが「菖蒲忌」です。この名前は、代表作である「諫早菖蒲日記」にちなんで、また氏の住居の前が諫早菖蒲園だったこと、氏が亡くなった5月に菖蒲が花を咲かせることなどから命名されました。
場所は、上山の北口ですが、この場所こそ「落城記」の舞台となった高城を望む愛宕山下です。そこに建てられている祈念碑には、氏の肖像のレリーフと「諫早菖蒲日記」の冒頭の一節が刻まれています。 → 「野呂邦暢文学碑と諫早図書館




文学碑裏に刻まれている建立の趣意(写真だと読みづらいですが、ご一読を)


※ やっぱり読みにくかったので活字に直しました。(5/28)

野呂邦暢文学碑

 日本の純文小説家・野呂邦暢氏は昭和55年諫早の地でその才能を惜しまれつつ42歳で急逝されました。幼いころから諫早に居住され、ふるさとをこよなく愛し、諫早から文学の題材を求め、その生涯において多くの作品を世に贈られました。 特に、昭和49年には「草のつるぎ」で芥川賞を受賞され、つづいて「諫早菖蒲日記」さらに「落城記」などと新しい文学の世界を創り出されました。
 このような野呂氏の立派な業績にたいし、これを永く後世に伝えるため、全国の文化人をはじめ諫早市民のまごころにより、この碑を建立いたしました。

                        昭和61年5月 諫早文化協会
コメント

閑かな上山

2015年05月26日 | 上山の四季
閑かな森の中、まずはキノコ。


童話の世界のようですね。


スズランの花を思わせる白い花、これはネジキの花です。





思わずドッキリ!日だまりの中で、のどかに日光浴するヘビ。




とても性格が穏やかなヘビでした。私が近づいても逃げもせずに、3分ぐらい写真のモデルになってくれました。元来ヘビが苦手な私ですが、このシマヘビ君とはお友達になれそうです。

こんな光景もありました。木じたいはまだ朽ちていませんでしたので、落雷でしょうか?


前回も紹介した白いツユクサです。




上山は、気分転換に週に一回は登るようにしていますが、その度に小さな発見があります。
コメント

発見! 白いツユクサ

2015年05月25日 | 上山の四季
いつもの上山、いつもの東口、遅咲きのつつじが出迎えてくれました。
入ってすぐのところに白い小さな花の群れがありました。ドクダミの花と思っていたら…





この葉っぱはどう見てもツユクサです。白いツユクサ?


家に帰ってさっそく調べました。花の特徴は小さな白い三角形で、雄しべが6本あり、しかも毛が生えている…、ありました!これは「トキワツユクサ」といわれムラサキツユクサと同じ仲間でした。
コメント

ホタル乱舞中でしたが…

2015年05月24日 | 諫早



今度こそ乱舞するホタルの写真をと思っていたのですが…、とてもアップに耐えうるものではありませんでした。夜の眼鏡橋の雰囲気だけ紹介します。ホタルを見る家族連れで、昼間の数倍の人出でした。


コメント

龍造寺隆信

2015年05月23日 | 諫早
「龍造寺隆信終焉の地」、「沖田畷古戦場跡」 
この案内の看板の横を、私は高校時代の3年間、毎日のように自転車で通っていた。しかし、龍造寺隆信も沖田畷の文字も記号でしかなく、その読み方さえ気に留めることはなかった。40年も前のことである。もし、あの頃島原市北門町にある沖田畷(おきたなわて)古戦場跡を訪れていたら、荒涼とした松原に戦の名残を感じ、諸行無常の感慨にひたることができたかも知れない。あの頃のあのあたりは、まだ何もない荒れ地だったような気がする。今は工場や大型店舗が建ち並び、そのすき間にぽつんと、取り残されたかのようにかって戦場であったことを物語る供養塔だけが佇んでいる。










龍造寺隆信を知ったのは滝口康彦氏の小説を読んでからである。氏のいろいろな作品に龍造寺の名前が多く出てくる。また、今私が住んでいる諫早は、龍造寺氏と関係が深い。江戸時代に諫早を治めていた諫早氏は龍造寺氏が姓を改めたものだ。
五州二島の太守とその勢力を誇っていた龍造寺氏は、1584年の沖田畷の戦いで隆信が戦死して以降衰退の一途をたどるが、1587年太閤の命で伊佐早の西郷氏を滅ぼし、替わって伊佐早の地を与えられ2万6千石の主となることができた。しかし、元は龍造寺の家臣でありながらその領地を横取りした鍋島氏が新しい領主となると、いつまでも主家である龍造寺を名乗るわけいかずに、1611年に龍造寺家晴は諫早家晴と名前を改めたのは歴史の事実である。なおこの時、地名も読み方は同じだが、「伊佐早」から「諫早」に変わっている。

時は流れ1869年、諫早氏16代当主・諫早一学氏が諫早市高来町にある和同寺に龍造寺隆信の墓碑を建立した。和同寺は、沖田畷で戦死した隆信の遺体を荼毘したところと言い伝えられている。


諫早市高来町にある和同寺


その裏手にある龍造寺隆信の墓碑






ここ和同寺からは、海をへだて、隆信が戦死した島原の山を遠く望むことができる

コメント

ヒイラギ

2015年05月23日 | その他
柊(ひいらぎ)の葉っぱです。



この前、同期と博多で飲んだときに葉が丸い柊の話をしたところ、みなさん一様に驚いていました。造園業のMさんからの受け売りですが、柊の木も人間と同じで、年をとると丸くなり、角がとれるらしいよと言ったところ、すかさずSさんが、「私なんか年とってもぜんぜん角とれんけどね」と言ったものですから、一同大笑いしました。
それはさておき、丸い葉の柊です。一本の木ですが、丸い葉と、少しギザギザと、ふつうのギザギザ葉っぱが混在していました。





節分の鬼よけの柊に、丸い葉の柊を使っても効果はあるのかな…
コメント

眼鏡橋のホタル

2015年05月22日 | 上山の四季
諫早市の眼鏡橋に舞うホタルが、5月19日の毎日新聞で紹介されました。




諫早公園の眼鏡橋



ここをホタルの名所にもしようと頑張っている人がいます。(「広報いさはや 6 No,123)



ホタルの幼虫を保護するために、水路にはネットがかけられています。






ホタルの乱舞する様子を紹介しようと思っていたのですが…、撮影失敗!(撮影日時は5/21 の21:11ですが、露出を失敗して昼のような写真になりました。未熟者です)
実は下の方にある黄色い点がホタルなのですが、上手に写すことができませんでした。これは皆既月食を写すのと同じくらい難しいです。また研究して上手に写せた物を後日アップいたします。
コメント

ドクダミの花

2015年05月20日 | エッセイ
ドクダミの花が咲きました。今、庭のあちらこちらに白い可憐な花を咲かせています。






ドクダミの花がかわいいと思えるようになったのは最近のことです。ドクダミ特有の臭いがイヤでしたので、その花にはまったく関心がありませんでした。というよりも、花が咲く前にドクダミを見つけると生えてきた先からかたっぱしから引っこ抜いていました。ところが家内は逆で、ドクダミはかわいいと言ってはよく部屋に活けていました。そんな家内の影響でしょう、ドクダミの花をこうしてブログにアップするまでになりました。



ところで、昔はその強烈な臭いと名前から「ドクダミ」には「毒」があると思っていましたが、調べてみるとまったく逆でした。語源は「毒を矯(た)める」で毒を矯正する、つまり解毒作用があるということでした。実際、漢方では消炎・解毒剤として用いられてるとのことです。
コメント

「劉邦」 ~ 宮城谷昌光さん

2015年05月19日 | エッセイ
毎日新聞に連載されていた宮城谷昌光さんの「劉邦」が、ついに新刊として発売されました。最近本の購入はほとんどネットなのですが、届くまでの時間ももどかしく、本屋さんに行きました。
が…、ないのです。私のイメージでは最新刊コーナーの一角に宣伝のポスターよろしく、デーンと山のように積まれているかと思っていたのですが…、どんなに探しても見当たらないのです。仕方なく店員に尋ねると、その店員も知らなかったようで、パソコンに入力して「ありますよ」と一言。たしかに1冊だけ新刊コーナーに立ててありました。「えっ?、そんなものか」と私が驚きましたが、とにもかくにも待ち望んでいた「劉邦」が手に入ったので嬉嬉として家路を急ぎました。もし、本屋さんに置いてなかったら、もう一生本屋なんかに行くものかと思っていたところでした。



「劉邦」が毎日新聞に登場したのが約2年前の平成25年の7月のことでした。それからというもの、続きを読みたくて読みたくて、早く明日にならないかなと新聞が配達されるのを心待ちにしていました。特に感銘を受けたところは新聞を切り取ってノートに貼るほど、「劉邦」には心酔していました。





今日はぱらぱらっと中をのぞいたところですが、中国史独特の難しい漢字にはふりがなが付けてあったので思わず嬉しくなりました。また、ところどころに入っている挿絵も、新聞連載中と同じ原田維夫さんの版画で、とてもステキな仕上がりになっています。私にとっては宝物です。
新聞連載中はとにかく先の展開が気になって気がはやっていたのですが、2回目になる今回は、嘗めるようにじっくりと味わいながら読んでいこうと思っています。
コメント

マイボトル

2015年05月12日 | その他
5年前から水筒持参で職場に行っています。マイボトルです。



きっかけは2009年、雑誌「岳人」の懸賞で、SIGGのオリジナル水筒に当選したことです。





保冷効果は全くない単なる水入れです。魔法瓶も持ってはいますが、慣れると常温の水の方がおいしいと感じられるようになります。夏場は1本では足りませんので、赤い方の水筒を買い足し2本持って行きます。また、常温の水を飲むようになってからは夏場の体調がすこぶるよくなりました。(考えてみると、人間以外の動物は常温の水を飲んでいます。)

常温の水はカラダがおいしいと感じ、冷たい水はノドがおいしいと感じるのではないかと思います。冷たい寒冷刺激に快感を覚えたノドは、水分を欲するというより心地よい寒冷刺激を求めて過剰の水分を摂取するようになりますが、そのことが夏バテ等につながっていたように思われます。(テレビショッピングではありませんが個人の感想です)

マイボトルを持ってみませんか。
健康の保持増進に加えて、ペットボトル等のごみの大幅減量にもつながります。このことは、「シンプル-エコロジカル」として、「地球環境の保護と人々の快適な暮らしのために」と、メーカーであるSIGGが提唱していることです。(「SIGG LIFEより引用)
コメント