TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

長崎探訪5 浦上水源地

2020年03月31日 | 吉井勇
浦上水源地にも吉井勇の歌碑があるらしい。
ネットで検索しても詳細は分からない。
ただ、吉井勇の歌が出ていた。

 とこしへに水清かれと祈らまし蓬莱池を見はるかしつゝ

浦上水源地に行ってみれば何とかなるだろうと安易な考えで稲佐山を後に、浦上水源地へと向かった。

浦上水源地(バス停「浦上水源地」周辺)












適当に散策したが、歌碑は見つからず。
そう甘くないか……

時間があれば湖畔を1周してでも探すのだが、それは次回に持ち越しとなた。

湖畔の散策路




家に帰り、ネットで検索をするもヒットせず。
はたし、本当に水源地に歌碑は存在するのか?

疑心暗鬼になっていた時に、別のところからこの歌碑の件が出てきた。
「孫文・梅屋庄吉と 明治大正長崎事情1」という資料だ。



その中に「長崎を訪れた文化人」の項目があり


「吉井勇」の所にあった!

歌を詠んだ場所は道の温泉。その時の経緯が記してある。

「勇は道ノ尾温泉にも足を伸ばした。そこの料亭の経営者重富きみに案内された料亭2階から満々と水をたたえている浦上水源池を眺めて詠んだ一首が
  とこしへに水きよかれと祈らまし蓬莱の池を見はるかしつつ
『蓬莱の池碑』の除幕式は昭和29年(1954)初夏で、浦上水源池の一番奥にある湖畔の広場に重富きみによって建てられた。その後、昭和44年(1969)本蓮寺境内に移転された。」

すべてが解決した。欲しかった情報がすべてあったのだ。仮に、湖畔を1周しても今は水源地には歌碑はなかったわけで、この資料を見つけなかったら大変な徒労に終わるところだった。しかもとてつもないオマケまでついていた。

よし、長崎探訪第2弾は、移転されたという本蓮寺とオマケで見つけたとある場所だ。 ― 終わり ―
 



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長崎探訪4 「海もはろばろ山もはろばろ」稲佐山からの眺め

2020年03月31日 | 吉井勇
吉井勇の歌碑


1956(昭和31)年   3月 歌碑建立場所の下見
1956(昭和31)年   12月 除幕式 
              ロープウェイが完成 稲佐山が新しい観光名所に 

この歌碑が建ったのは64年前ということになる。
除幕式に参加した吉井は「雄大な五島灘をバックに立つ歌碑に非常に満足げだった」という。
当時は今とちがって、碑が立つこの山頂周辺が一番見晴らしのよいところだったろうから。

さて、歌碑に刻まれていたのは稲佐山からの眺望だ。


  おほらかに稲佐の嶽ゆ見はるかす海もはろばろ山もはろばろ

 
 
「稲佐の嶽ゆ」の「ゆ」は「~から」の意
「はろばろ」は漢字では「遥遥」で、はるかに遠くまで広がっているさま

海もはろばろ






山もはろばろ






建立当時は歌碑の周囲もはろはろとしていたのだろうが、半世紀以上経ちブッシュ化している。



歌碑の根元の落ち葉を掻きわけると


吉井先生のお名前が出てきた


本来の山頂を後にする。ここがホンモノの山頂なのだが、ほとんどの人は素通り。


未来の登山道を下っていく




昔、千畳敷と言っていた中腹駐車場(無料)が見えてきた。
午前中に行った長崎市歴史文化博物館ががらんとしていたのと対照的にここはまずまずの人出だった。屋外で子どもを遊ばせたいという家族連れがけっこう来ていた。
ここには鹿や猿もいて子どもたちも退屈しない。







稲佐山は桜やつつじの名所でもある。
花の頃にはそれこそたくさんの人出となることだろう。



次はいよいよ最終目的地の浦上水源地である。
そこにも吉井勇の歌碑が建っているはずだったが……

 ― 続く ―








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長崎探訪3 稲佐山へ

2020年03月31日 | 吉井勇
聖福寺を後に稲佐山へと向かう。
稲佐山は35年ぶりだが、あの時は岩屋山から稲佐山までの縦走だった。
今回はもちろん車だ。千畳敷に車を停め、そこから歩いたのだがなんとも変な道だった。
千畳敷(中腹駐車場)からスロープカーが出ているが、その下の人工の道を登って行くのだ。

未来の登山道?




途中にはちゃんと展望所も設けてある。


道は変わっても、長崎の眺めは昔のままだ。


しばらく行くと反対側にも展望所があった。


硫黄島や軍艦島が見える。


登山道も平坦になった。間もなく山頂だ。


きたっ~!

レーダー塔


3階建ての大きな展望ビルが建っている!


オブジェも


オブジェの説明書きによると、いつの間にか「世界の新三大夜景」に選定されたという。
勿論、日本の三大夜景の一つでもあるが。


ところで、山頂は……
あった!
駐車所の脇に、地味に、申し訳なさそうに……


黒い車の奥の、こんもりした所こそが標高333mの稲佐山山頂なのだが、ほとんどの人が素通りしている。
時代は変わった…
もっとも、目の前にあんなに大きな展望ビルがあれば無理もない。
私がその山頂下の石碑で写真を撮っていると、何人かから「何かあるんですか?」と声を掛けられた。「ここが山頂ですよ」と答えると一様に驚かれていた。

35年ぶりに訪ねたのは、この山頂の下に建つ吉井勇の歌碑を見たかったからだ。

吉井勇の歌碑


そして誰も訪ねないが、山頂にはその証が


- 続く -

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長崎探訪2 「じゃがたらお春」の碑

2020年03月29日 | 吉井勇
じゃがたらお春の碑 (碑には「志やがたらお春」と刻まれている)


「イタリア人の父と日本人の母の間に生まれた『じゃがたらお春』は鎖国令によって寛永16年(1639) ジャガタラ(現在のインドネシアの首都ジャカルタ )に追放された 。そのお春の境遇に心打たれて詠んだのが次の歌である 。

  長崎の鶯は鳴くいまもなほじゃがたら文のお春あはれと

歌碑は昭和27年 、聖福寺境内に歌人の上野初太郎氏が建立した 。五月の除幕式には吉井勇も 参加し、献歌を詠じた。

  長崎に来る旅人の目にながく残れよと思ふ碑にむかひて」

(ミライon図書館「長崎県の郷土資料『長崎ゆかりの文学』」より引用)



吉井勇の歌は、石碑の裏面に刻まれていた。



この歌の他に、じゃがたら文を題材にした吉井の歌二首が「夜の心」長崎紀行に収められている。

  これやこのじゃがたら文にあらねども今日も悲しき消息を書く

  じゃがたらのお春の文のかなしさに似し文来ぬとはかながるひと



多良岳を詠んだ吉井勇の歌がきっかけで、吉井勇に興味をもつようになった。歌集や研究書を読むにつれ、吉井の足跡を訪ねたいとの思いが強くなっている。
その手始めに、長崎県内にある吉井の歌碑を訪ねることにした。
歌碑は、吉井の歌のごくごく一部だが、それには、吉井の思い、歌碑を建てた人の思い、地域の思いが深く刻まれている。

ワクワクしながら、次の目的地である稲佐山に向かう。 - 続く -
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長崎探訪1 聖福寺

2020年03月29日 | 吉井勇
先週のこと、3連休の中日に長崎市内を探訪した。
多良岳のマンサクも頭をよぎったが、長崎への思いが勝った。
目的地は、聖福寺、稲佐山、浦上水源地3か所だった。

聖福寺は街中にある。車を近くの長崎市歴史文化博物館に停めて歩いていくことにした。
その歴史文化博物館だが、中は閑散としていた。

ホール


売店


新型コロナの影響だろう。

そこから歩いて5分の所に聖福寺はあった。


最近では、さだまさしの映画「解夏」のロケ地として話題になったが、幕末には坂本龍馬も訪れた史跡でもある。

境内の土塀が趣深い。


こちらは不用品を積んで築いたアート風(失礼!「芸術品」だそうだ)






これは屋根に使われていたものの再利用か?


聖福寺大雄宝殿


堂の扉には桃が彫られている。


この隣にある鐘楼の入り口にも桃が。


アップ


桃を扉にレリーフしているのは、桃を縁起の良い果物としている中国文化の影響によるものだろう。

これは…


木彫りの巨大な魚(「魚板」)は、これを木の棒(下の写真矢印)でたたいて食事の時間を知らせるものだそうだ。


その「魚板」を詠み込んだ吉井勇の短歌 「もの思へば魚板の音もうらがなし海西法窟のはるのゆふぐれ」
(吉井勇「夜の心」長崎紀行より)

弥勒菩薩?(黄檗宗では布袋様は弥勒菩薩の化身とされるそうだ)




石門


そして


これぞこれ!
今回の長崎探訪の目的の一つ、「じゃがたらお春」の石碑。



- 続く -
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桜咲く '20

2020年03月26日 | 上山の四季
桜の開花がニュースで流れてきます。
いつもより早い時間に上山に行きました。
時間に余裕があったので、運動公園をぶらりと歩いて咲き始めた桜を見て回りました。
時間以上に余裕があったのは心でしょうか。
3月25日、きょう職場を辞しました。
定年退職です。

がらんとした平日の駐車場


午後の日差を浴び、かがやく菜の花


グランドわきの桜並木


赤いマンサク


そういえば、今年はとうとう多良岳のマンサクを見に行かなかったな……
これからは時間に余裕がでてくるので、今まで行けなかった山に行きまくるぞ……



赤いモクレン


赤い桜




芝生広場 その奥がいつもの上山(この後に登る)


山の中に…


ポツンと咲いている


こちらはこれから開花を迎えるもの他












ひと通り見てまわり、いざ上山へ


午後の光を浴びて、登山道までが輝いていました。






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